2021年12月26日日曜日

「贖われた者は主に感謝せよ」

詩篇 107篇 1~3節
2021年12月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 聖書は私たち贖われた者が、主に感謝するように教えています。人の性質と主に感謝することについて学びましょう。
 第一に、私たちはあるものよりも、無いものに目が行きやすいことです。そして不満を持ちやすいのです。豊かなものが与えられていても、無いものに目が行ってしまい呟きやすいのです。
 第二に、私たちは神への感謝を怠ると、信仰が弱りやすいことです。主からいただいたものに目を留めて主に感謝している人は、信仰が強められていきます。しかし、主に感謝せず歩むなら、その人の信仰は弱くなっていくのです。
 第三に、私たちが主に感謝することを主は望まれていることです。たとえ多くのものが無かったとしても、私たちは主からすばらしい救いをいただきました。それは最も大切で無くてならないものです。その救いが与えられているならば、私たちは主に感謝することができるのです。
 私たちは今年、どれ程に主に感謝したでしょうか。あらためてこの一年を主に感謝しましょう。そして、新たな一年も主に感謝して歩みましょう。

<聖書のことば>
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
詩篇 107篇 1節

2021年12月19日日曜日

「クリスマスのメッセージ~あなたへのメッセージ」

ルカの福音書 2章 8~20節
2021年12月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 救い主誕生の知らせは、野で夜番をしていた羊飼いたちに最初に伝えられました。それはどのようなメッセージだったのでしょうか。
 第一に、神はあなたを愛し、あなたを覚えられていることです。民全体のための知らせでしたが、人々から見下されていた羊飼いたちに敢えて最初に伝えられました。それは神が強い人優れた人だけでなく、どんな人をも愛され、いつも覚えておられることを伝えるためでした。
 第二に、神はあなたに無くてはならない救いを与えてくださることです。そのために主は来られました。まず、キリストを信じた者に罪の赦しと永遠のいのちを与えます。これこそが人間にとって不可欠なものです。イエス様はご自身のいのちを犠牲にして、私たちにいのちを与えてくださったのです。もう一つは動かされることのない喜びと平安です。この世が与えるものとは全く異なる、主の与える喜びと平安を信じる者に与えてくださるのです。
 最初のクリスマスで語られたメッセージは、羊飼いだけのものではありませんでした。それは私たちに語られたメッセージでもあったことを覚えましょう。

<聖書のことば>
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
ルカの福音書 2章 11節

2021年12月12日日曜日

「主の前で静まれ」

ゼカリヤ書 2章 1~13節
2021年12月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 バビロン捕囚から帰還した民でしたが、多くの困難が待ち受けていました。その中で、主は彼らに何を語られたのでしょうか。
 第一に、主の守りを信じて主に頼ることです。主が火の城壁となり瞳のように守ると言われました。確かに必要な試練はあります。しかし救われた私たちは神の子とされており、絶対的な主の守りの中にあります。
 第二に、主の側に立つことです。どっちつかずの中途半端な歩みをしている者がいました。明確な立場を取ることが必要でした。主は私たちクリスチャンにも言われます。中途半端な歩みをするのではなく、しっかりと主の側に立つようにと。
 第三に、主の前で静まることです。主は聖なる住まいから立ち上がられると語られました。彼らは主の前に静まることなく、状況に振り回されていました。私たちも同様になりがちです。そうではなく、主に目を注いで、静まって主を待ち望むことが必要なのです。
 苦難の時に心が騒いでしまう者です。クリスマスを前にして、あらためて主の前で静まり、主を待ち望む者でありましょう。

<聖書のことば>
すべての肉なる者よ、主の前で静まれ。主が聖なる御住まいから立ち上がられるからだ。」
ゼカリヤ書 2章 13節

2021年12月5日日曜日

「このわたしが」

創世記 46章 1~4節
2021年12月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはベエルシェバで、神にいけにえを献げました。
 第一に、神は時宜にかなって個人的に語られます。彼はエジプトに下ることについて恐れていたようです。そのような彼に神は時宜にかなって個人的に「恐れるな」と語られました。神は私たちにも同様に語ってくださいます。
 第二に、神は約束を持って導かれます。神は「わたしはあなたの父の神である」と言われました。アブラハムやイサクに与えられた約束を覚えるように導かれたのです。神は私たちにも約束を与えて導いてくださいます。
 第三に、神はいかなる時も共に歩んでくださいます。「このわたしがあなたと共にいる」と言われました。見知らぬ国で何が待っているかわからない恐れがあったでしょう。しかし神が共におられると言われ、彼は信じて従いました。
 神は私たちにも同じ約束を与えてくださっています。その神に信頼して重荷を委ねて、歩みましょう。

<聖書のことば>
このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。
創世記 46章 4節

2021年11月28日日曜日

「死ぬ前に」

創世記 45章 16~28節
2021年11月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフは自分のことを兄弟に打ち明けました。そして、父と家族を連れてエジプトへ来るように言いました。
 第一に、争わないで互いに愛し合うことです。ヨセフは兄たちが道中言い争いをしないようにと言いました。彼らは同じ家族であり、同じ境遇にあり、互いに愛し合うべき関係でした。それは私たちも同じです。
 第二に、キリストにより元気をいただくことです。ヤコブはヨセフが話したことや贈り物を見て元気づけられました。私たちも主のみことばと主ご自身によって元気をいただくことができます。
 第三に、死ぬ前になすべきことを考えることです。ヤコブはその話を聞いて最初は茫然としていましたが、信仰を働かせ、死ぬ前にヨセフに会いに行くと決めました。私たちもやがて人生を終える時がやって来ます。死ぬ前に、信仰によってなすべきことがあります。
 ヤコブは高齢でしたので、同じ場所にとどまる選択もできたでしょう。しかし、信仰によって、心を定め行動して行きました。私たちも主が許されている今日という日に、信仰によって踏み出し、なすべきことをしましょう。

<聖書のことば>
イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」
創世記 45章 28節

2021年11月21日日曜日

「神が先に」

創世記 45章 1~15節
2021年11月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ユダは自分が兄弟の身代わりになり奴隷になりますと言った時に、ヨセフは自分を制することができなくなり泣きました。そしてついに自分の身分を明かしたのです。その際のヨセフの言葉と兄たちとのやり取りから教えをいただきましょう。
 第一に、神の摂理の信仰に生きることです。兄たちはかつてヨセフを奴隷として売り飛ばしました。それなのにヨセフは彼らを気遣いました。なぜなら神が働かれて、家族を救うために自分が先にエジプトに遣わされたと受け止めていたからです。彼が色々な苦しい状況においても乗り越えて来ることができたのは、彼がそのような摂理の信仰に生きていたからなのです。
 第二に、争いから和解へと導かれる主を信じて生きることです。かつて関係が壊れ憎しみのあった関係から、語り合うような関係に変わりました。神は争いから和解へと導かれたのです。私たちも今の関係だけを見ないで、主に信頼し期待しましょう。
 神は常に私たちよりも先に働かれて、不思議なことをしてくださるお方です。この主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
創世記 45章 5節

2021年11月14日日曜日

「自分を低くする者の幸い」

マタイの福音書 18章 1~4節
2021年11月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 天の御国で誰が一番偉いかという弟子たちの質問に対して、イエス様は子どものように自分を低くする者が一番偉いと言われました。
 自分を低くする者とは、無力さを自覚し、全面的に頼る人のことです。また、言われたことを素直に受け入れ従う人のことです。私たちも主の前に、そのように心低くして歩むことが必要です。
 自分を低くする時に、主はその人を祝福してくださいます。
 第一に、喜びと感謝をもって歩むことができます。謙遜な人ほど、主からいただいた恵みに気づき感謝し喜ぶことができます。
 第二に、多くを教えられ、成長することができます。謙遜な人は聞く耳を持っているからです。主はその人を成長させてくださいます。
 第三に、試練において強くされ、忍耐し勝利することができます。謙遜な人は試練の中でより主に頼り、主はその弱さに働き強めてくださいます。
 イエス様は誰よりも心の低い謙遜な歩みをされました。私たちは子どものように、そしてイエス様の模範に倣って、いつも主の前に心を低くして歩みましょう。

<聖書のことば>
ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。
マタイの福音書 18章 4節

2021年11月7日日曜日

「あの子の代わりに」

創世記 44章 1~34節
2021年11月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 兄たちはヨセフと食事の交わりをした後、帰路に就きました。その後に起きた出来事から、教えをいただきましょう。
 第一に、神を恐れる者となることです。ベニヤミンの袋からヨセフの使用していた銀の杯が見つかりました。それはヨセフが管理する者に指示したことでしたが、兄たちは神が自分たちの咎を暴かれたと理解しました。私たちも神を恐れ、神が正しく取り扱われると覚えることが大切です。
 第二に、心から悔い改めることです。かつてヨセフを見捨て奴隷として売り飛ばした彼らでしたが、今回は弟を見捨てませんでした。心から悔い改めていたのです。私たちも心の方向を変え、歩みを改めることが大切です。
 第三に、代わりに犠牲を払うことです。ユダは自分が弟の身代わりになると申し出ました。私たちは同じ状況に遭遇することはないかもしれませんが、代わりに犠牲を払うことはできます。犠牲を払い、とりなし、また伝えることが大切です。
 私たちもとりなされた者です。今度は私たちが代わりに犠牲を払って魂のためにとりなしましょう。

<聖書のことば>
ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。
創世記 44章 33節

2021年10月31日日曜日

「安心しなさい」

創世記 43章 15~34節
2021年10月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは全能の神に信頼し、ベニヤミンを含めた息子たちをエジプトへ送りました。そしてヨセフと会います。
 第一に、代価は主によって支払われたことです。ヨセフの管理人は、神が代価を払ってくださったと言いました。実際にはヨセフが指示したことでしたが、主の導きによりました。私たちも主によって、贖いの代価が払われて救われることができました。
 第二に、ふさわしくない者が主の宴会に招かれていることです。ヨセフを奴隷として売った兄たちが食卓に招かれることはあり得ないことでした。罪ある私たちも同じ立場でしたが、主の宴会に招かれているのです。
 第三に、全能の神に委ねることです。彼は愛する大切な息子ベニヤミンを神の御手に委ねてエジプトへ送ることにしました。信じて神に委ねたのです。本当に神を信頼する時に、神に委ねる心が生じます。
 第三に、人の思いを超えた御計画を主は進めておられることです。ヨセフはベニヤミンとの感動の再会を果たしました。それは彼が奴隷となった時には思いもしなかったことだったと思います。主は私たちの為にも、人知を超えたご計画を進めてくださっているのです。
 「安心しなさい」と主は言われます。その主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。あなたがたの銀は、私が受け取りました。」それから、彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。
創世記 43章 23節

2021年10月24日日曜日

「全能の神があわれんで」

創世記 43章 1~14節
2021年10月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 いよいよ食料が尽きて来た時、ヤコブは息子たちを再びエジプトへ送ることにしました。この個所から教えをいただきましょう。
 第一に、戦いを避けてはいけないことです。それまでヤコブはベニヤミンをエジプトに送るのを拒んでいました。しかしここで彼は神に頼り、問題と戦い前進し始めます。私たちも霊的前進を阻むものと戦う必要があります。
 第二に、全能の神に頼ることです。ヤコブは全能の神の名前をあげて、あわれみを願いました。神はどんな事でもできる、すべてを満たすことのできるお方です。このお方を信じ頼ることです。
 第三に、全能の神に委ねることです。彼は愛する大切な息子ベニヤミンを神の御手に委ねてエジプトへ送ることにしました。信じて神に委ねたのです。本当に神を信頼する時に、神に委ねる心が生じます。
 ヨセフをなくしたと思っていたヤコブにとって、これは非常に大きな決心だったと思います。しかしその決心から、さらに祝福をいただくことができたのです。私たちも主に信頼し、委ね、前進する者でありましょう。

<聖書のことば>
全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。
創世記 43章 14節

2021年10月17日日曜日

「苦しみの中で」

創世記 42章 9~38節
2021年10月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフは兄たちが食料を求めて彼の所にやって来たことに気づきましたが、敢えて彼らを間者扱いし、胸の内を確認しようとしまました。
 第一に、自分の罪に気づき、素直に認め、悔い改めることです。兄弟たちは彼らがかつてヨセフになした罪のゆえに、今自分たちがこの様な目にあっていると考えました。その如く、自分の罪に気づき、素直に認め悔い改めることが非常に大切です。
 第二に、神が人生に介入されているのを意識することです。兄弟たちは次々苦難がある中で、神の介入を覚えました。私たちの人生にも神は介入されます。それを意識することが大切です。
 第三に、困難な状況の時こそ、神の約束に信頼することです。ヤコブはヨセフを失ったと思っていたので、神の約束に信頼できずにいました。しかしそのような時こそ、信頼すべき時でした。私たちも困難な時こそ、神の約束に信頼すべき時であると覚えましょう。
 すべての人に苦しみはやって来ます。その中でこそ、信仰に立って歩みましょう。

<聖書のことば>
彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」
創世記 42章 21節

2021年10月10日日曜日

「夢の成就」

創世記 41章 53~42章 9節
2021年10月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフはファラオの夢を解き明かし、さらに具体的な対策を語ります。
 第一に、人の知り得ない所で、主は御計画を進められます。ヨセフは知りませんでしたが、エジプト以外の地にも飢饉が起きたことで、兄弟たちと再会することになりました。主は人の知り得ない所で御計画を進められることを覚えましょう。
 第二に、敗北と見える状況でも、主は勝利へ導かれます。イスラエルの息子たちとあります。彼らはエジプトで増やされ、やがて民族として脱出することになりました。勝利への歩みだったのです。
 第三に、多くの妨害があっても、主は約束を成就されます。兄弟たちは彼の見た夢を実現させないようにしましたが、主はその妨害があっても、成就されました。
 ヨセフに対する不思議な主の御計画を覚え、信仰によって歩みましょう。

<聖書のことば>
かつて彼らについて見た夢を思い出して、ヨセフは言った。「おまえたちは回し者だ。この国の隙をうかがいに来たのだろう。」
創世記 42章 9節

2021年10月3日日曜日

「忘れさせてくださった

創世記 41章 33~52節
2021年10月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフはファラオの夢を解き明かし、さらに具体的な対策を語ります。
 第一に、神の知恵がありました。ヨセフの言葉を聞いてファラオは、神の知恵を認めました。ヨセフの頭が良かったからではなく、神が彼に知恵を与えておられたのです。神は求める者に神の知恵を与えてくださいます。
 第二に、神の時がありました。彼がエジプトに来てから 13 年もの時が経ち、ついにエジプトナンバー2 の座につきました。神の時があること、それこそが最善であることを覚えましょう。
 第三に、神の不思議がありました。彼は子供たちに思いを込めて名前をつけました。「すべてのことを忘れさせてくださった」「実り多い者としてくださった」神はそのような不思議なことをなされたのです。
 私たちにも辛い出来事が起きて来ます。しかし神は全能のお方であり、最善の時を定めておられます。その神に信頼することです。神の不思議を信じて、信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった」からである。
創世記 41章 51節

2021年9月26日日曜日

「神が速やかに」

創世記 41章 1~32節
2021年9月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ファラオが夢を見て、ヨセフがその夢を解き明かすことになりました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、自分が弱い者であると認めることです。ファラオは最高の権力を持っていましたが、意味の分からない夢を見て、心が騒いでいました。私たちも少しのことで心騒いでしまうものです。人はそのように無力であることを認める必要があります。
 第二に、キリストを指し示す者となることです。ヨセフはこの機会でも、私ではなく神がしてくださると言いました。私たちも様々な機会に、私ではなくイエス様を指し示すことです。
 第三に、神の力を信じて疑わないことです。彼の身に不幸なことばかりが連続して起きていましたが、神は速やかになさると語りました。彼は神の力を信じて疑わなかったのです。
 私たちの信仰はどうでしょうか。状況によって左右されるような信仰でしょうか。そうではなく地に根差した、信じて疑わない信仰を持って歩みましょう。

<聖書のことば>
夢が二度ファラオに繰り返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからです。
創世記 41章 32節

2021年9月19日日曜日

「力を失う時に」

コリント人への手紙第二 12章 9~10節
2021年9月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 人は年老いていくにつれて、段々と力を失うものです。いや若くても、厳しい試練が続くと気力を失うのです。何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、神のみことばを聞くことです。人はパンだけで生きるのではなく、神のみことばで生きるように造られています。みことばが私たちを強めます。ですから、どんな時もまず神のみことばを聞くことです。
 第二に、永遠の視点で見ることです。置かれている今の状況だけを見ていると落胆してしまいます。でも私たちは救われて永遠のいのちが与えられ永遠に生きる者とされています。永遠の視点で見ることが大切です。
 第三に、キリストに心を向けることです。イエスキリストは私たちを愛し十字架で身代わりに死んでくださいました。3 日目によみがえられたのです。その生ける主が私たちと共におられ、導いてくださるのです。その主に心を向けているなら、力が与えられます。
 力を失わない人はおりません。だからこそ、変わらない主に心を向けて歩みましょう。

<聖書のことば>
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第二 12章 9節

2021年9月12日日曜日

「忘れ去られたヨセフ」

創世記 40章 1~23節
2021年9月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフは偽りの訴えをされて投獄されてしまいました。牢獄の中での彼の歩みをとおして3つのことを学びましょう。
 第一に、神は私たちに機会を与えられます。神はヨセフに王に仕えていた 2 人の人物が見た夢を解き明かす機会を与えられました。彼はその機会を捉えて活かしたのです。私たちも主から与えられた機会を逃してはいけません。
 第二に、神は私たちに力を与えられます。ヨセフは神が夢の解き明かしの力を与えてくださると信じ告げました。それは私たちも同じで、力は主から与えられます。主に求め、信じて進み出ることが必要です。
 第三に、神は私たちを忘れることがありません。夢の解き明かしのとおり助かった献酌官長は、ヨセフのことを忘れてしまいました。しかし、主は彼のことを忘れておられませんでした。それどころか、彼についての御計画を進めておられたのです。
 私たちも厳しい状況に置かれることがあるかもしれません。しかし、主は決して私たちを忘れることなく導いておられることを覚えましょう。

<聖書のことば>
ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。
創世記 40章 23節

2021年9月5日日曜日

「奴隷から囚人へ」

創世記 39章 1~23節
2021年9月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 39 章でヨセフの歩みに戻ります。
 第一に、置かれた状況で忠実に仕えることが良い証しとなることです。奴隷として売り飛ばされ自暴自棄になりいい加減に仕えていてもおかしくなかったヨセフでしたが、ポティファルでも監獄でも忠実に歩みそれが証しなりました。私たちもどの様な場所に遣わされるにしても、忠実に歩むことをとおして、良い証しをすることができます。
 第二に、神を恐れることが誘惑への勝利につながることです。彼は主人の妻から誘惑された時に、神に対して罪を犯すことはできないと神を恐れて歩んでいました。私たちは様々な誘惑にあうものですが、神を恐れることにより打ち勝つことができることを覚えましょう。
 第三に、主が共におられる事実を覚えることが祝福につながることです。ヨセフは常にその事実を覚えて歩んでいたのでしょう。だからこそ忠実に、神を恐れて歩んだと言うことができます。これは単に知識として知るのではなく、いつも覚えて歩む必要があります。
 今後どのような状況になるにせよ、この 3 つを心に留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
創世記 39章 23節

2021年8月29日日曜日

「人間の罪と神の恵み」

創世記 38章 1~30節
2021年8月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ここでユダとその家族についての歩みが挿入されています。まず、人間の罪について考えます。
 第一に、責任転嫁することです。ユダの子供たちが罪を犯していたので神に裁かれたにもかかわらず、ユダはタマルのせいと考えていました。私たちもつい人や状況のせいにしてしまいがちです。
 第二に、自分の罪には気づかないことです。ユダは遊女と関係をもっていながら、タマルについての噂を聞いて怒り、彼女を裁こうとしました。彼は自分自身の罪には気づいていなかったのです。私たちも人の罪には敏感ですが、自分の罪には鈍感で気づきにくいのです。
 次に、神の恵みについて見ましょう。神の恵みと憐れみは尽きないことです。汚れた行為をしたユダや近親相姦の罪を犯したタマルをとおして生まれた子から、やがて救い主がお生まれになることになりました。神はそのような者さえも用いられました。
 神は恵みと憐れみに満ちたお方であり、いかなる者をも愛し、救われます。そして用いてくださることを覚えましょう。

<聖書のことば>
しかし、その子が手を引っ込めたとき、もう一人の兄弟が出て来た。それで彼女は「何という割り込みをするのですか」と言った。それで、その名はペレツと呼ばれた。
創世記 38章 29節

2021年8月22日日曜日

「兄弟たちの企み」

創世記 37章 12~36節
2021年8月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブから偏愛されていたヨセフは兄弟たちから妬まれ憎まれます。3つの点で学びましょう。
 第一に、祝福は従順から始まります。ヨセフは父から遠方へ使いに出されましたが、「はい、参ります」という従順な態度で従いました。これは彼の神様への態度にも通ずるところがあると思います。神への素直で従順な態度から、神の祝福は始まるのです。
 第二に、悪しき者の企みがあります。兄たちは父がいないのを良いことに、ヨセフを奴隷として売り飛ばしてしまいました。サタンも生きて、私たちに対して悪い企みを持って近づき妨害してきます。私たちは警戒する必要があるのです。
 第三に、神は働かれて御計画を進められます。兄たちはヨセフの夢がどうなるかに関心があったようですが、神は御計画を進められて不思議な方向へと導いて行かれました。主は私たちにも同様にしてくださるのです。
 サタンはこの世の支配者です。悪企みを持って私たちをも狙っています。だからこそ、主の信頼し、従って歩みましょう。

<聖書のことば>
さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。
創世記 37章 27節

2021年8月15日日曜日

「主の栄光のために従い通す」

ピリピ人への手紙 2章 6~9節
2021年8月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様の十字架は、主の愛だけでなく、もう一つの側面を教えています。信仰者として、再度自分自身を省みましょう。
 第一に、キリストは神の栄光のために、死まで従い通されました。主の願いは従い通すことによって、神の栄光をあらわすことでした。私たちは救われて、神の栄光のために生きる者とされました。神の栄光のために従い通すという明確な目標を持って歩むことが大切です。
 第二に、従い通すならどうなるでしょうか。良い証しをすることができます。試練に勝利することができます。そして主の報いをいただくことができます。
 第三に、どうしたら従い通すことができるでしょうか。一つは何が本当に価値あるものか考えることです。もう一つは見るべきものから目を離さないことです。主の模範、主の約束、主をお会いすることです。
 この世は私たちを神様から引き離し、従い通さなくしようとするもので満ちています。私たちは最後の最後まで主に忠実に従い通す者でありましょう。

<聖書のことば>
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
ピリピ人への手紙 2章 8節

2021年8月8日日曜日

「心にとどめる」

創世記 37章 1~11節
2021年8月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブの家庭、特にヨセフの歩みにスポットが当てられます。2つの点で学びましょう。
 第一に、神は絶望的な状況から変えて、祝福を与えて下さることです。ヤコブは年を取ってから与えられたヨセフを誰よりも愛していました。特別扱いしていたのです。しかもヨセフは、家族が彼を拝むという内容の夢について家族に話しました。それゆえに、兄弟たちはヨセフを憎んでいたのです。家庭が崩壊した状態でした。しかし主はそんな家庭の状況から変えられて、後に祝福を与えられました。神は私たちにも同様にしてくださいます。
 第二に、神が与えられた約束を心にとどめて歩むことです。ヤコブだけはヨセフの夢の話を心にとどめていました。そしてそれは後に現実となりました。私たちも神から示されたみことばを心に覚えとどめて歩むことです。主のみことばは成就することなく終わることはありません。十字架の主は必ず私たちを最善に導いてくださいます。
 現在置かれている状況だけを見て落胆しないようにしましょう。神はどの状況からでも幸いへと変えてくださるお方です。

<聖書のことば>
兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。
創世記 37章 11節

2021年8月1日日曜日

「エサウとその子孫の歩み」

創世記 36章 1~43節
2021年8月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 36 章ではエサウとその子孫の生涯について記されています。ここから3 つの点で教えをいただきましょう。
 第一に、神のみこころを優先して歩むことです。エサウはカナン人の妻などと一緒になり、両親を悩ましたことが書かれています。エサウは自分の欲を優先し、神のみこころを考えずに歩んだのです。私たちもそうした歩みをしないように気をつける必要があります。
 第二に、主から示されたら直ちに悔い改めることです。彼は神の祝福よりも肉欲を優先する者でした。その姿勢を悔い改める機会がありましたが、それをせず歩みました。私たちは示されたら直ちに悔い改めることです。
 第三に、永遠の視点で人生を見ることです。エサウの子孫はとても栄えたことがわかります。それに対して、ヤコブの子孫はこの後、エジプトへ行き奴隷になってしまいます。一見、エサウとその子孫の方が幸福そうに感じますが、そうではないのです。私たちは永遠の視点で見る必要があります。
 信仰によってエサウの生き方を選ばず、主のみこころを求める生き方を選びましょう。

<聖書のことば>
イスラエルの子らを王が治める以前、エドムの地で王として治めた者は次のとおりである。
創世記 36章 1節

2021年7月25日日曜日

「寄留者」

創世記 35章 21~29節
2021年7月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ラケルを失ったヤコブに続けて問題が起きて来ます。3つの点で学びましょう。
 第一に明日への影響を考えて行動することです。長男のルベンは父のそばめと関係を持 ってしまいます 。その結果、彼は長子の権を失うことになりました。 私たちも今日することが 、 明日にどんな影響を及ぼすかを考えて行動する必要があります。
 第二に、神の御計画の不思議さを覚えることです。ヤコブの子は12人であったと書かれています。ヤコブは幾度も苦難を経験しましたが、主は彼に12人の子供を与えられ、それがイスラエル民族の祖となりました。神の御計画の不思議さを覚えさせられます。
 第三に、寄留者の立場を自覚し、目的地から目を離さないことです。ここに3人の死が立て続けに出て来ます。人は地上で限りのある存在でありることを覚える必要があります。
 私たちは気をつけないと、この地上が永住すべき場所のように考えて歩みがちです。 私たちは 寄留者として、正しい選択をして歩みましょう。

<聖書のことば>
ヤコブは、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところに着いた。そこは、アブラハムとイサクがかつて寄留していたところである。
創世記 35章 27節

2021年7月18日日曜日

「ベニヤミン」

創世記 35章 16~20節
2021年7月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ベテルに戻り、変わらない主の約束を与えられました。その後、ラケルがベニヤミンを出産して死んでしまいます。ここから学びましょう。
 第一に、何かを得ることでではなく、神によって満たされることです。ラケルは子供を得ることに必死でした。子供を得ることで満たされようとしていたのです。私たちも同様に考えるところがあるのではないでしょうか。
 第二に、全面的に主に頼ることです。ラケルは父のテラフィムなど、神以外のものに頼る傾向がありました。私たちも同様になる可能性があります。全面的に主に頼りましょう。
 第三に、信仰によって希望を見出し告白することです。ラケルは苦しみの中で産んだ子をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けましたが、ヤコブはベニヤミン(右手の子)と名付けました。主にある希望をもって名付けたのです。
 私たちの前にも苦しみはやって来ます。だからこそ、全面的に主に頼り、そして主にある希望を持って歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。
創世記 35章 18節

2021年7月11日日曜日

「再びベテルと」

創世記 35章 8~15節
2021年7月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ベテルに着いたヤコブは様々なことを経験していきます。ここから 3 つの点で教えをいただきましょう。
 第一に、信仰生活には悲しみもあるが、神が共にいてくださることです。ここでリベカの乳母デボラが死にました。その後も悲しみが続きます。神を信じる者にも苦しみはやって来ます。しかし主は共に歩んでくださいます。それを忘れてはいけません。
 第二に、神の愛と約束は変わらないことです。神は彼にかつてアブラハムに与えられた約束を語られました。神の愛と約束は変わらなかったのです。
 第三に、神について知り経験する生活を積み重ねることです。ヤコブはここで再度その場所をベテルと名付けました。しかし前回とはもっと深い意味でその名を付けたことでしょう。私たちも日々の信仰生活で神様について知り、神の約束の確かさなどを経験していくのです。
 素晴らしい神を知り経験できる歩みは本当に幸いです。私たちは日々みことばに従い、主の素晴らしさを知り経験する歩みをいたしましょう。

<聖書のことば>
ヤコブは、神が自分と語られたその場所をベテルと名づけた。
創世記 35章 15節

2021年7月4日日曜日

「ベテルに上れ」

創世記 35章 1~7節
2021年7月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 シェケムで娘ディナが乱暴されたことで、ヤコブの子供シメオンとレビが復讐し男たちを皆殺しにしました。その後の箇所から学びましょう。
 第一に、信仰の原点に返ることです。神はヤコブに、「ベテルに上れ」と言われました。それは彼の信仰の原点の場所でした。私たちも常に信仰の原点にあるかを確認し、離れているなら返る必要があります。
 第二に、生活の中の偶像を取り除くことです。いつしか彼らの中に偶像が入り込んでいたのです。私たちも気をつけないと、いつしか神よりも大切にする偶像が入り込みます。示されたら、それを取り除く必要があります。
 第三に、神の呼びかけに耳を塞がず従って行くことです。ヤコブは確かに誤った判断もしましたが、神の御声に素直に従いました。私たちもみことばから御声を聞くならば、素直に応じて悔い改めて行く必要があるのです。
 主は私たちを愛しているからこそ、目を注ぎ、御声をかけてくださいます。その御声に直ちに応答する者でありましょう。

<聖書のことば>
神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。
創世記 35章 1節

2021年6月27日日曜日

「神を抜きにした歩み」

創世記 34章 1~31節
2021年6月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 シェケムにとどまったヤコブ家に大きな問題が起こりました。娘ディナがその地の男性に乱暴されたのです。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、自分の弱さを認め、主に取り扱っていただくことです。ヤコブは色々と計算したのかもしれません。彼はそのような自分の弱さや罪深さがあることを認め、主に取り扱っていただく必要がありました。
 第二に、地上のものに執着せず、神を第一として歩むことです。彼はその地で争いを起こさず暮らしたかったので黙っていたと考えられます。一連の歩みからわかることは、彼は地上のものに執着するようになっていたことです。私たちもそうなりやすいのです。
 第三に、神を抜きの歩みをせず、常に神を認めて歩むことです。祈りの格闘で勝利した筈の彼が、神に祈り頼ることを一切していません。彼の心から神が抜けていたのです。
 私たちも同じような歩みに陥る危険性があります。いつも神を認め、主の約束を覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
それで、ヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは私に困ったことをして、私をこの地の住民カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。私は数では劣っている。彼らが一緒に集まって私を攻め、私を打つなら、私も家の者も根絶やしにされてしまうだろう。」
創世記 34章 30節

2021年6月20日日曜日

「キリスト者の立ち位置」

テモテへの手紙第一 4章 6~12節
2021年6月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今日は父の日なので、導かれた箇所から学びます。パウロからテモテに書かれた手紙をとおして、私たちクリスチャンの歩みに必要なことを共に学びましょう。
 第一に、敬虔のために鍛錬することです。この敬虔は今のいのちと来るべきいのちを約束するもので、全てに有益です。普段からしっかりと忠実に取り組む必要があります。
 第二に、模範となることです。イエス様は模範を示されました。私たちはその模範に倣うことと、同様に模範を示すことが求められています。人は見るものに強い影響を受けます。
 第三に、立ち位置を明確にすることです。私たちはキリストに忠実に仕えるしもべになる必要があります。その際に大切なのは私たちの霊的な立ち位置なのです。曖昧のままではしもべとして用いられることはありません。
 父親はこれらの点でしっかりと模範を示していく必要があります。またそれは父親だけではなく、それぞれがこれらの点で自分自身の歩みを顧みる必要があります。クリスチャンとしての立ち位置を曖昧にせず明確にして歩みましょう。

<聖書のことば>
これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰のことばと、自分が従ってきた良い教えのことばで養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
テモテへの手紙第一 4章 6節

2021年6月13日日曜日

「みこころの場所の手前で」

創世記 33章 12~20節
2021年6月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 エサウとの再会を果たしたヤコブの、その後の歩みから学びましょう。
 第一に、この世と分離して歩むことです。ヤコブはエサウのいるセイルへは行きませんでした。彼を信用していなかったのかもしれません。私たちは魂の救いのために未信者の方と積極的に交わるべきです。でも同時に同じ歩み方をしてはいけません。
 第二に、神の守りに感謝し礼拝を献げることです。ヤコブはシェケムに移りそこで祭壇を築きました。これまでの守りと導きに感謝して礼拝を献げたのでしょう。私たちも救われたことと日々守られていることを当たり前と思わず、心から感謝して礼拝を献げるべきです。
 第三に、神のみこころの手前でとどまらないことです。ヤコブは本来戻るべきであったベテルではなく、その手前のシェケムにとどまりました。それが後で問題を起こすこととなりました。私たちも主から示されている場所の手前でとどまらないようにしましょう。
 主は私たちを愛し、さらに次へと導こうとされています。私たちはその主に明け渡して、導かれる場所へ進むようにしましょう。

<聖書のことば>
こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
創世記 33章 18節

2021年6月6日日曜日

「主に望みを置く者の幸い」

詩篇 146篇110節
2021年6月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神を信じていない人であっても、何かに望みを置いて人生を歩んでいるものです。聖書はこの世のものに望みを置くのではなく、主に望みを置くように教えています。
 この世のものに望みを置いてはいけない理由は、一つは変わりやすいからです。いつまでも変わらないものはこの世に存在せず、すべては変わっていきます。もう一つははかないものだからです。強い権力者であっても、やがては死ぬ時がやって来ます。それらに頼ることは空しい結果に終わるのです。
 次に、なぜ主に望みを置くべきなのでしょうか。
 第一に、主はとこしえに真実なお方だからです。主はどこまでも真実なお方であり、不誠実な私たちに対して誠実を尽くしてくださいます。
 第二に、主は弱き者を休ませ、強め、正しく導いてくださるお方だからです。主は弱き者を見捨てられることはなさいません。必ず重荷を負い休ませ強め、導いてくださいます。
 何に望みを置くかで人生は変わってきます。本当に信頼することのできる変わらない真実な主に望みを置いて歩みましょう。

<聖書のことば>
幸いなことよヤコブの神を助けとし その神 主 に望みを置く人。
詩篇 146篇5節

2021年5月30日日曜日

「神の御顔を」

創世記 33章 1~11節
2021年5月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはついにエサウと再会します。その際の彼の変化に注目しましょう。
 第一に、神に明け渡しました。かつての彼は作戦を練り、したたかに行動する者でしたが、神に頼り委ね先頭に立って歩むようになりました。私たちも全能の神に明け渡し委ねて歩むことです。そうした時に私たちの内に変化があらわれます。
 第二に、神を証ししました。彼の力ではなく神が恵みを与えてくださり富むことができたと証ししたのです。私たちも同様に証しするべきです。クリスチャンの少ないこの日本で人々に証しする責任は重大です。
 第三に、神の御顔を見て感謝しました。エサウの赦しや、全てにおいて臨まれた主の恵みの御業を見て、神の御顔を見る思いでした。目には見えませんが、主は私たちにも御顔を向けてくださっています。
 苦難が続く時に、神の御顔が向けられていないように感じることがあるかもしれません。しかしそうではなく、主は常に御顔を向けてくださり、顧みておられることを覚えましょう。

<聖書のことば>
ヤコブは答えた。「いいえ。もしお気に召すなら、どうか私の手から贈り物をお受け取りください。私は兄上のお顔を見て、神の御顔を見ているようです。兄上は私を喜んでくださいましたから。
創世記 33章 10節

2021年5月23日日曜日

「祈りの格闘」

創世記 32章 21~32節
2021年5月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは兄エサウの復讐を恐れて色々と対策を取りますが、神は彼を格闘へと導かれました。それはどのような格闘だったのか学びます。
 第一に、神と一対一でしっかりと向き合うための格闘でした。まだ神よりも自分の知恵に頼っていたので、しっかりと主と向き合うように導かれました。私たちも個人的にしっかりと主と向き合うことが大切です。
 第二に、神に砕かれるための格闘でした。彼は神によりももの関節を打たれ自由が利かなくなりました。それは霊的な部分でも同じだったでしょう。私たちも主によって砕かれる経験が必要です。
 第三に、神の祝福をいただくための格闘でした。彼は神によって名前をイスラエルに変えられただけでなく、彼の内面も変えられました。この後彼は先頭に立ってエサウに近づいていきました。
 神はヤコブを格闘へと導き、その中で本当の意味での祝福を与えられました。時に主は私たちをも個人的な祈りの格闘へと導かれます。そこから逃げないで、しっかりと主と向き合い、神の祝福をいただきましょう。

<聖書のことば>
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
創世記 32章 26節

2021年5月16日日曜日

「ヤコブの対策」

創世記 32章 1~20節
2021年5月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 いよいよ故郷に戻ることになったヤコブは神の使いたちを見ます。しかし、エサウが 400 人も引き連れてやって来ることを知り非常に恐れました。
 第一に、神は私たちが罪と向き合う様に導かれます。ヤコブはかつて彼が犯した罪の問題と直面しました。神は彼が自分の罪と向き合い解決するようにされたのです。主は私たちをも、自分の罪と向き合うように導かれます。
 第二に、人の知恵では解決できず、かえって恐れを増加させることです。彼は神に祈りますが自分の知恵にも頼り、どっちつかずの状態でした。私たちもそのような歩み方をしていると、恐れの中を歩むようになります。
 第三に、神の約束に信頼して、心を注ぎ出して祈ることです。苦難の中で神がいかなるお方なのかを告白し、約束に信頼し、恵みとまことに感謝し、心を注ぎ出して祈ることが大切です。
 次回学ぶところでは、神の介入があり、新たな展開を見ることになります。神に祈った後に、そのように導かれていきました。私たちもヤコブのように神の前に心を注ぎ出して祈るようにしましょう。

<聖書のことば>
どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。
創世記 32章 11節

2021年5月9日日曜日

「マリアの信仰」

ルカの福音書 1章 26~38節
2021年5月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 母の日において、イエス様の母マリアの信仰から学びましょう。
 第一に、神のみことばは実現すると信じました。まだ夫と一緒になっていない段階で、いと高き方の子を妊娠したと告げられました。到底信じることのできない内容でしたが、彼女はそのとおりに実現すると信じました。私たちも神のみことばがそのとおりに実現すると信じることが大切です。
 第二に、神の前に罪を認め、与えられた恵みに感謝しました。彼女は自分が卑しく罪深い者であることを自覚していました。だからこそ、神から与えられた恵みを主に感謝したのです。私たちも罪の自覚をしっかりと持ち、神からいただいた恵みに感謝するべきです。
 第三に、神に委ねる信仰を持っていました。場合によっては死刑に処せられる場面でしたが、それでも彼女はこの先のことを主に委ねました。私たちもたとえ先のことがわからなくても、主に委ねていく信仰が必要です。
マリアは我が子に罪が無かったのに、十字架につけられ殺されるという本当に辛い思いをしました。しかし、それでも忠実に歩み続けたのです。そのようなマリアの模範に倣って歩みましょう。

<聖書のことば>
マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
ルカの福音書 1章 38節

2021年5月2日日曜日

「私についてくださるお方」

創世記 31章 36~55節
2021年5月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 故郷に向けて密かに出発したヤコブ家族でしたが、ラバンは彼らに追いつき、ヤコブを批判しました。その彼らのやり取りから、学びましょう。
 第一に、神はすべてをご覧になられていることです。ヤコブはラバンがいかに不当な扱いをしたか訴えました。しかし主はすべてをご覧になり、介入されました。だからこそ、多くの家畜を得ることができたのです。人は僅かなものしか見ることができません。でも主はすべてを見ておられるのです。
 第二に、神は偉大な力を持ち、誠実を尽くされることです。ヤコブは「私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方」と言いました。その言葉から教えられるのは、そのお方は全てを支配されている全能の神であり、約束を誠実に果たされ、しかも必要を備え満たしてくださる神です。その主がヤコブについて歩まれていたのです。
 同じ主が私たちについてくださっています。私たちは厳しい状況に目を奪われてしまいがちですが、共にいてくださるその主にしっかり目を留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
もし、私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、昨夜さばきをなさったのです。
創世記 31章 42節

2021年4月25日日曜日

「全てを見通しておられるお方」

創世記 31章 17~35節
2021年4月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 創世記の学びに戻ります。ヤコブが故郷に向けて出発しました。この個所から3つのことを学びましょう。
 第一に、信仰により立ち上がるべき時があることです。神はヤコブに故郷に帰るように言われ、その御声を聞いて立ち上がり出発しました。私たちもみことばから導きをいただいたら、それが立ち上がるべき時であると覚え出発しましょう。
 第二に、神に純粋に頼る信仰が必要なことです。ラケルは父親のテラフィムを盗みました。理由はわかりませんが、不安でそれに頼る気持ちがあったのかもしれません。主は私たちが純粋に、そして全面的に主に頼ることを望まれています。
 第三に、全てを見通しておられる神に信頼すべきことです。ラバンはヤコブを連れ戻そうと思ったでしょうが、神が彼の夢に現れ、阻止されました。神は私たちの人生においても見通して働かれるお方です。
 私たちは全てを理解することはできませんが、全てを見通しておられる神に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
私には、あなたがたに害を加える力があるが、昨夜、あなたがたの父の神が私に、『あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにせよ』と告げられた。
創世記 31章 29節

2021年4月18日日曜日

「謙遜を身に着ける」

ペテロの手紙第一 5章 5~7節
2021年4月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロは謙遜を身に着けるようにと教えました。謙遜になるために、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、謙遜こそが、祝福につながる道であることです。この世では能力が重視されますが、神の前では謙遜が重視されます。その逆の高慢を主は嫌われ、そこからあらゆる罪が生じてくるのです。
 第二に、神の御手は力強いと認めることです。自分の力が強く信頼できると考えていると、神の前に謙遜になることはないでしょう。自分は弱いけれど、神は全知全能で偉大な力あるお方であることを認めた時に、私たちは神の前にへりくだるようになります。
 第三に、思い煩いをいっさい神に委ねることです。神の前の謙遜と思い煩いが同時には存在しません。私たちは弱くて思い煩いやすいですが、いつもすべてを主に委ねていく必要があるのです。
 身に着けるべきものは多くあるでしょうが、私たちクリスチャンはなによりも謙遜の衣を身に着けて、日々歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
ペテロの手紙第一 5章 6節

2021年4月11日日曜日

「よく気をつけよ」

申命記 4章 1~10節
2021年4月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 新年度が始まりました。モーセが、これから新たな地カナンに入ろうとしていたイスラエルの民に語った箇所から、学びましょう。
 第一に、みことばを聞いて実行することです。その地のしきたりに合わせるのではなく、神のみことばを聞き行うように主は言われました。私たちも同じです。遣わされた所で神のみことばを聞き従うことです。
 第二に、主の臨在とみことばの恵みを覚えることです。モーセはその恵みが与えられている確信と感謝をしていました。私たちも同様に、主が共におられ、主の約束が与えられている恵みを覚えて歩むことです。
 第三に、神の恵みを次の世代に伝えて行くことです。これはしてもしなくても良いことではなくて、絶対に欠かしてはならない神のみこころであることがわかります。
 よく気をつけないと、私たちは離れてしまう危険があります。よく気をつけ十分に用心し、主の助けをいただいて、新年度も忠実に主の前を歩み通す者となりましょう。

<聖書のことば>
ただ、あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。
申命記 4章 9節

2021年4月4日日曜日

「復活が与える素晴らしい希望」

コリント人への手紙第一 15章 12~21節
2021年4月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは復活され、今も生きておられる主を信じています。そこにある希望について確認しましょう。
 第一に、主は死後に素晴らしい場所を備えてくださいます。神を信じずに死んだ者は永遠の苦しみの場所に入りますが、信じたクリスチャンは天の御国に入ることができますし、やがて肉体も復活します。死後に最高の場所が備えられていることは最大の祝福と言うことができます。
 第二に、主は忍耐し打ち勝つ力を与えてくださいます。一つは、主は人の弱さや悩みを理解し慰めてくださいます。主私たちは生きておられる主に悩みを打ち明けることができるのです。もう一つは、主は全能の御手を持って強めてくださいます。絶対的な死に勝利されたお方は、私たちが直面するあらゆるものに勝利する力を与えてくださいます。
 クリスチャンであっても、復活された主を忘れてしまうことがあります。主を墓の中に閉じ込めてはいけません。今も生きて働かれる主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
コリント人への手紙第一 15章 21節

2021年3月28日日曜日

「苦しみの道を全うされた主」

マタイの福音書 27章 26~35節
2021年3月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は罪の無い完全な聖さをお持ちのお方でしたが、神の御計画の中で十字架へ向かわれました。民の拒絶がありました。兵士たちによる虐待と鞭打ちがありました。処刑場への道の孤独な行進がありました。そして十字架にはりつけになられました。人類のための贖いであるのに、人々からあざけられました。そこには、ただ苦しみしかありませんでした。
 第一に、私こそがイエス様を十字架につけて殺したことを覚えましょう。当時の人々がイエス様を十字架につけて殺しました。しかしの罪こそがそうさせたことを自覚しましょう。
 第二に、私のためにイエス様は苦しみ死なれたことを覚えましょう。勿論、全人類のためでしたが、この私のために主は死なれたことを忘れてはならないのです。
 第三に、だからこそ私は主に献げ、苦しみの道を全うすべきことを覚えましょう。私たちは主から苦しみをも賜っています。
 信仰者の歩みは楽しいことばかりではありません。主の模範に倣い、たとえ苦しみがあっても、最後の最後までこの道を忠実に全うする者でありましょう。

<聖書のことば>
それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。
マタイの福音書 27章 29節

2021年3月21日日曜日

「強い敵を前にして」

民数記 13 章 17~33 節
2021年3月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 献堂記念礼拝に導かれた箇所から学びます。カナンの地に 12 人の偵察隊が遣わされました。非常に背の高い強い敵がいるという 10 人の報告を聞いた時に混乱が起きました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、現実の問題だけを見ていると、霊的に後退し遠回りするようになります。彼らは現実の問題に心を支配され、神を忘れてエジプトへ帰ろうと言い出しました。結果的に 40 年も荒野を彷徨うことになったのです。
 第二に、試練の意味を覚えていないと、正しい選択ができなくなります。なぜ神はここで偵察隊を遣わすようにされたのか、その意味を覚える必要がありました。
 第三に、主の約束を信じるなら、主が前進させ勝利させてくださいます。ヨシュアとカレブだけは主の約束をしっかりと覚え、信頼していました。必ず打ち勝てると信じたのです。同じ敵を見ていましたが、見えていたものは全く違っていたのです。
 新会堂を建てるのに問題が山積しています。でも、問題だけを見るのではなく、主の約束を見ましょう。そして勝利させていただきましょう。

<聖書のことば>
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」
民数記 13 章 30 節

2021年3月14日日曜日

「教会と私との関係」

コリント人への手紙第一 12章25~27節
2021年3月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日 3 名の兄姉がバプテスマを受けて、教会につながられます。あらためて、教会と私との関係を確認しましょう。
 第一に、教会と私は生きたつながりのある関係です。教会はキリストのからだであり、私たちはその部分だと教えられています。体を切り離すことができないように、私たちと教会も同じなのです。
 第二に、教会は私が成長するのに不可欠な場所です。教会は礼拝するだけの場所ではありません。教会は私たちを訓練し成長させてくれる場所です。教会にしっかりとつながってこそ、霊的成長をいただくことができます。
 第三に、教会は私が仕える場所です。イエス様は地上生涯において、仕える歩みをされ模範を残されました。主は私たちにも同様にするように願われているのです。受けることも大切ですが、教会は与え仕える場所であることを覚えましょう。
 主は御計画をもって私たちを救い、御計画をもって横浜聖書バプテスト教会へ導き、つながらせてくださいました。この横浜聖書バプテスト教会で、イエス様の模範に倣い、与え仕える心で教会生活を送りましょう。そこにこそ、豊かな実を結ぶ鍵があるのです。

<聖書のことば>
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
コリント人への手紙第一 12 章 27 節

2021年3月7日日曜日

「あのベテルの神」

創世記 31章1~16節
2021年3月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 おじのラバンのもとで仕えてきたヤコブは、主の御声を聞いて故郷へ帰るように示されました。この個所から 3 つの点で学びましょう。
 第一に、主はみことばによって導きを示して下さいます。主はヤコブに故郷に帰るように語りかけられました。ヤコブはそのみことばゆえに、帰郷を決断したのです。主は私たちにもみことばによって導きを示されます。そのみことばで決断していく必要があります。
 第二に、主はすべてをご覧になり、正しく取り扱ってくださいます。ラバンがヤコブにしてきた数々の裏切りや悪い扱いを主はすべてご覧になり、正しく取り扱われました。その主に信頼し委ねることです。
 第三に、主は原点に戻るように励まし導いてくださいます。主はヤコブに「あのベテルの神だ」と言われました。ヤコブにあの時のことを思い出させ、原点に帰るよう導かれたのです。主は同様に私たちを励まし導かれるのです。
 私たちは忙しい日々の中で、様々な問題に心を奪われてしまいがちです。だからこそ原点に戻り、臨在の主に頼り、第一のものを第一とし、主のみこころに沿って歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
わたしは、あのベテルの神だ。あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、わたしに誓願を立てた。さあ立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。
創世記 31章13節

2021年2月28日日曜日

「終わりが近づいた今なすべきこと」

テモテへの手紙第二 4章7~11節
2021年2月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロは万物の終わりが近づいた今、なすべきことを語りました。私たちはこれを自分のこととして受け止める必要があります。
 第一に、心を整えて祈ることです。残された時が短いから慌てるのではなく、逆に神の前に静まって祈るように教えられています。イエス様は地上におられた際、常に静まって祈っておられました。
 第二に、互いに熱心に愛し合うことです。これは聖書の一貫した教えであり、神が望んでおられることを私たちは忘れてはなりません。互いに愛し合う時にキリストの弟子として良い証しをすることができます。
 第三に、賜物を用いて互いに仕え合うことです。主はすべての方に賜物を与えておられ、私たちは賜物の管理者なのです。大切なのはそれを自覚し主のために用いることです。土の中に埋めてしまってはなりません。
 今月は宣教月間として取り組んで来ました。一部の働きだけが宣教の働きではなく、すべての奉仕は宣教に関係しています。終わりが近づいた今、私たちは賜物を用い、愛し合って、宣教の働きにあずかっていきましょう。

<聖書のことば>
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
ペテロの手紙第一 4章7節

2021年2月21日日曜日

「時が良くても悪くても~YBBC から宣教師を~」

テモテへの手紙第二 4 章 1~5 節
2021年2月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはテモテに時が良くても悪くてもみことばを宣べ伝えるようにと厳かに命じました。なぜ、そうするべきなのでしょうか。
 第一に、キリストの福音だけが人に救いを与えるからです。救いに至る道は多くはなく、唯一です。ほとんどの方がその道を知らずに歩まれており、危険で緊急な状態にあるのです。
 第二に、主はすべての人が救われるために十字架で死なれたからです。神の愛の対象はすべての人です。私たちが救われたことは大変感謝なことですが、それで満足してはいけません。
 第三に、主は私を救い、私を遣わしてくださっているからです。救われて終わりではありません。神が御子イエス様を遣わされたように、私たちは主によってこの世に遣わされていることを忘れてはならないのです。
 主は私たちの隣人にも救いを与えたいと願われています。そのために私たちを遣わされているのです。ですから時が良くても悪くてもみことばを伝えましょう。宣教の働きに積極的に参加しましょう。

<聖書のことば>
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
テモテへの手紙第二 4 章 2 節

2021年2月14日日曜日

「献げる恵みにあずかる」

コリント人への手紙第二 8 章 1~7 節
2021年2月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはマケドニアの諸教会の出来事を述べて、献げる恵みにあずかるように勧めました。ここから 3 つの点で学びましょう。
 第一に、たとえ苦難の中でも、主にあって喜ぶことができることです。マケドニアの諸教会は迫害下にありましたが、それでも喜びに満たされていました。私たちを救い愛してくださっている主にしっかりと目を留めていれば、苦難の中にあっても喜び感謝して歩むことができます。
 第二に、主は喜び献げる者を祝福してくださることです。彼らの献げる模範が記されています。自ら進んで、自分自身を、そして力に応じ、力以上に献げました。私たちもその模範に倣うことが必要です。
 第三に、主に献げることは素晴らしいお恵みであることです。普通は受けることが恵みと捉えがちです。しかし主に献げることはもっと素晴らしい恵みなのです。主はそれに対して豊かに報いてくださいます。
 人生で何に献げるかは私たちの選択にかかっています。私たちのために死んでくださった主に、自分の持つものを進んで喜びつつ献げましょう。

<聖書のことば>
あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。
コリント人への手紙 8章 7節

2021年2月7日日曜日

「教会の自己点検」

ヨハネの手紙第一 4章9~11 節
2021年2月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 宣教は主が教会に与えられた大切な使命でありこれに努めていく必要がありますが、同時に教会は霊的状態について点検する必要があります。
 第一に、キリストを神とする信仰告白の上に立っているかです。主はペテロのイエス様こそ生ける神の子キリストですという信仰告白の上に教会を建てると言われました。教会は常にキリストが土台となっているか、またキリストが頭として歩んでいるかを点検する必要があります。
 第二に、主を愛し、主にある兄姉を愛しているかです。主は互いに愛し合うようにと新しい戒めを与えられました。本当に主を愛しているなら、教会を愛し、教会の兄姉をも愛するものです。
 第三に、主のみことばに従っているかです。みことばを聞くだけのクリスチャンであってはなりません。聞くだけだと霊的に成長することはできないのです。主は私たちが聞いたみことばに応答して従い、霊的に成長していくことを願われています。
 主は私たちが出て行く前に、教会を、そして自分自身を点検するように望まれています。これらが健全な状態であってこそ、宣教の働きは前進し、実を結ぶことができるのです。

<聖書のことば>
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
ヨハネの手紙第一 4章11節

2021年1月31日日曜日

「行く先々で」

創世記 30章25~43節
2021年1月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブがラバンに対して、故郷へ帰らせてほしいと願い出ました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、行く先々で共にいてくださる主に目を留めることです。ヤコブは彼の行く先々で主が祝福してくださったことを認めました。私たちの人生についても同じです。主は行く先々で、私たちと共にいて守りと祝福を与えてくださいます。
 第二に、表面的な祝福に固執しないことです。ラバンはその行動から見て、どこまでも富に固執したことがわかります。私たちはこの世の富に固執するのではなく、天での祝福に目を留めるべきです。
 第三に、神が正しく取り扱ってくださると覚えることです。ラバンの悪しき取り扱いの中でヤコブは家畜を殖やすのに色々な策をとりましたが、主が彼を富ませてくださいました。私たちが頼るべきは主であり、自分の知恵や力に頼らず、また自分で復讐を考えないことが大切です。
 私たちの人生でも予期せぬ色々なことが起きてきます。理不尽なこともあります。しかし行く先々で共におられ導かれる主に頼り歩みましょう。

<聖書のことば>
私が来る前は、あなたの財産はわずかでしたが、増えて多くなりました。私の行く先々で主があなたを祝福されたからです。いったい、いつになったら私は自分の家を持てるのですか。」
創世記 30章30節

2021年1月24日日曜日

「恋なすび」

創世記 30章14~24節
2021年1月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 レアの息子ルベンが、野で恋なすびを見つけました。ラケルはそれが欲しいとレアに頼みます。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神を人生の拠りどころとすることです。恋なすびは人が頼りにしているものの象徴と取ることができます。それぞれに恋なすびがあります。
 第二に、神は無に等しい者をも、主の栄光のために用いられます。このような泥沼の争いの中で生まれた息子たちが、イスラエル民族の祖となりました。主は足りない無に等しい者さえも用いられるのです。
 第三に、神は人の愚かさを通しても、みこころを成して行かれます。レアとラケルの争いをとおして与えられた子供たちをとおして、まことの神を宣べ伝えるようにされました。神はあらゆるものを用いて、みこころを成して行かれるのです。
 私たちにとっての恋なすびがあるかもしれません。神こそが人生の拠りどころであることを覚えて、主に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、麦の刈り入れのころ、ルベンは出て行って、野で恋なすびを見つけた。そして、それを母レアのところに持って来た。すると、ラケルはレアに「どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私に下さい」と言った。
創世記 30章14節

2021年1月17日日曜日

「本当に人を満たすもの」

創世記 30章1~13節
2021年1月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ラケルは多くの子供が与えられた姉のレアに対して嫉妬し、なんとしてでも子供を得ようとしました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神のみこころこそが、人を幸福にします。ラケルは子供を得られないなら死ぬと言いました。それが幸福をもたらすと考えたのです。しかし後に子供を得た結果、残念な結果となってしまいました。人の思いではなく、神のみこころこそが人を幸福にすることを覚えましょう。
 第二に、嫉妬から解放される時に、人は正しく歩むことができます。ラケルは嫉妬し、泥沼の争いに発展していきました。嫉妬は近い関係で生じ、人の判断を誤らせ間違った方向へ歩ませます。気をつけなければなりません。
 第三に、神を見上げて歩む時に、人は満たされて歩むことができます。ラケルもヤコブもレアも、今日の箇所で神様を見上げて歩んでいるようには見えません。そのような歩みには、本当の喜びや満たしは無いのです。
 私たちも人間関係の問題に直面することがあります。状況を見て心を囚われてしまいがちです。しかし、その時こそ主に目を向けて歩みましょう。

<聖書のことば>
ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見た。ラケルは姉に嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死にます。」
創世記 30章1節

2021年1月10日日曜日

「心配無用」

マタイの福音書 6章25~34節
2021年1月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 聖書は私たちが神を抜きにして、心配しないように教えています。何故、私達は心配するべきではないのでしょうか。
 第一に、神を信頼していないことになるからです。心配するということは主の約束を否定することになります。
 第二に、心配した所で何も変わらないからです。神を抜きにして心配しても、体を弱めることはあれ、益となることはありません。
 次に、心配してしまう時に、どう対処したら良いでしょうか。
 第一に今日なすべき事に集中することです。その日その日に労苦は沢山あります。それに集中することです。
 第二に、神が私のことを心配してくださると覚えることです。
 第三に、十字架の主に信頼しお委ねすることです。
 先の見えないこの状況にあって、心配の虜になるかもしれません。しかし今こそ、主に信頼して、主の与えてくださる平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
マタイの福音書 6章34節

2021年1月3日日曜日

「望みが絶たれそうな時」

使徒の働き 27章1~44
2021年1月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはカエサルに上訴したのでローマへ行くことになりました。しかし、彼らの乗った船は嵐にあい、助かる望みが完全に絶たれようとしていました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神のことばを聞いて信頼する時に、嵐の中でも堅く立つことができます。誰もが嵐の中で絶望しました。しかし神のみことばを聞いたパウロだけが、必ず助かると堅く立ち続けることができました。
 第二に、神の御声を聞くのは礼拝です。今の時代、天使が夢に出て来て私たちに語ることはありません。完成している聖書のみことばをとおして、そして特に礼拝で、主は私たちに語られるのです。
 第三に、神のみことばは自分だけでなく、他の人をも助けることです。パウロが伝えたみことばにより、他の人も助かることができました。それは今も同じです。
 主は私たちにみことばを聞いてしっかりと立ち、また他の人にも伝えるように願われています。今年一年、伝える者となりましょう。

<聖書のことば>
ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。
使徒の働き 27章25節