2023年5月28日日曜日

「神に希望を置く」

ペテロの手紙第一 3章 1~6節
2023年5月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 本日は、妻に対して語られている箇所から学びます。
 第一に、夫に従うことです。それは神の立てられた家庭における秩序であり、従うという無言のふるまいにより神を示すためです。言葉により伝えることは言うまでもなく大切ですが、ふるまいはある意味で、言葉以上に力があり相手に良い影響を与えます。
 第二に、内面の美しさを飾りとすることです。人は外面の美しさを気にして飾るものです。しかし、主は内面の美しさを飾りとするように教えられています。特に、柔和さと穏やかな霊を持つことが挙げられています。御霊により、主に似せられて行くことが大切です。
 第三に、神に望みを置いて歩むことです。その一例として、サラが挙げられています。彼女は決して完全ではありませんでしたが、主に信頼し希望を置いて、夫に従って歩みました。
 神を信じていても困難はやって来ます。その際に、何に希望を置いて歩むのかが大切です。クリスチャンであっても、この世のものに希望を置いてしまいがちです。そうではなくて、主にこそ希望を置いて、内面を輝かし、証しを持って歩みましょう。

<聖書のことば>
かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。
ペテロの手紙第一 3章 5節

2023年5月21日日曜日

「たましいの牧者のもとに帰る」

ペテロの手紙第一 2章 24~25節
2023年5月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 前回に続いて、しもべたちに語られたおことばから学びます。ここには、私たちクリスチャンの置かれている状態が記されています。
 第一に、私たちは主によって癒されました。かつては罪の病により、神を無視して滅びに向かって歩んでいました。しかし今は癒されて、新しいいのちが与えられているのです。また、少しずつ聖められていますし、時に受ける心の傷も主により癒していただけます。主は癒し主です。
 第二に、私たちは牧者である主のもとに帰りました。牧者と羊の関係を考えると、主と私たち人間の関係がわかります。牧者は羊を導き、養い、迷うならば捜し出し、守ります。同様に、牧者なる主は私たちを導き、みことばによって養い、迷うならば捜し出し、敵から守ってくださるのです。十字架こそまさにそうであったのです。
 問題は、私たちが羊であると自覚していないことです。羊とよく似た弱い存在であることを自覚することが大切です。そして、牧者である主に従って行きましょう。共に歩んで下さる主から、目を離さないようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
ペテロの手紙第一 2章 25節

2023年5月14日日曜日

「ヨケベデの信仰」

出エジプト記 2章 1~10節、ヘブル人への手紙 11章 23~26節
2023年5月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヘブル人の男の赤ちゃんを殺せという王の命令が出ていましたが、モーセの両親は王を恐れずモーセを生かしておきました。主は守られ、母ヨケベデが乳母となり育てました。彼女はモーセに何を教えたのでしょうか。
 第一に、神を恐れなさいということです。王よりも神を恐れていました。モーセにも神を恐れて歩むように教えたでしょう。だからこそ、彼は後にエジプトの王よりも神を恐れて、神に従って歩みました。
 第二に、神に信頼しなさいということです。両親は信仰により子供を隠したと書かれています。先が見えない中で神に信頼し行動しました。
 第三に、神に価値を置いて歩みなさいということです。モーセは神の民と共に苦しむことを選び取りました。そのように親から教えられたのでしょう。この世のものは変わりやすくいつか無くなるものばかりです。しかし神が用意されるものは永遠であり、それこそが価値あるものなのです。
 私たちは何を恐れ、何に信頼し、何に価値を置いて歩んでいるでしょうか。その歩みが子供や若い方々に影響を与えます。生きた信仰を次の世代に残す者となりましょう。

<聖書のことば>
信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。
ヘブル人への手紙 11章 23節

2023年5月7日日曜日

「ののしり返さず」

ペテロの手紙第一 2章 22~24節
2023年5月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロはしもべたちに語る中で、イエス様の歩みについて言及しました。
 第一に、主は私たちのために自ら死んでくださいました。形としてはユダヤ人宗教指導者たちやローマ兵により殺されましたが、実際はそうではありませんでした。イエス様は神の御計画に従い、まっすぐと十字架へ向かわれ、全ての人が救われるために自らいのちを渡されたのです。
 第二に、主は正しくさばかれる神に任せられました。イエス様はののしられましたがののしり返さずに、すべてをご存知であり正しくさばかれる父なる神に委ねられたのです。
 第三に、主は私たちがイエス様の義に生きるために死なれました。イエス様が身代わりに死んでくださったのは、私たちが天国に行くためだけではありません。私たちが罪から離れ、義のために生きるためでした。それこそが主のみこころなのです。
 私たちは何のために生きているでしょうか。神を信じない方と同じような歩みをしないようにしましょう。主の模範に倣って、主に信頼し委ねつつ、主のために生きる者でありましょう。

<聖書のことば>
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
ペテロの手紙第一 2章 23節