2022年1月30日日曜日

「天の故郷を憧れて」

創世記 47章 13~31節
2022年1月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフの働きの姿勢と、ヤコブの抱いていた思いから学びましょう。
 第一に、私欲ではなく神の栄光を求めることです。この箇所を見る時に、いかにヨセフが私欲のためではなく、国のため、ファラオのため、民のために仕えていたかがわかります。その全ては神の栄光をあらわすためであったと思います。私たちも同様の生き方をするべきです。
 第二に、真の故郷を憧れて歩むことです。ヤコブは自分の遺体をカナンの地に埋めて欲しいとヨセフに願いました。ヘブル書を見ると、信仰の人たちは真の故郷を憧れて歩んでいたと記されています。私たちもこの世だけに目を留めるのではなく、真の故郷を憧れて目を留めて歩みましょう。
 第三に、神に感謝し、最後まで礼拝を献げることです。彼はヨセフに感謝しつつ、なによりも神に感謝し礼拝を献げたのではないでしょうか。私たちもこれまでの守りと恵みを覚え神に感謝し礼拝を献げ続けましょう。
 あらためて私たちは神に感謝し、真の故郷に憧れて歩み、そして神の栄光のために生きましょう。

<聖書のことば>
私が先祖とともに眠りについたら、エジプトから運び出して、先祖の墓に葬ってくれ。」ヨセフは言った。「必ずあなたの言われたとおりにいたします。」
創世記 47章 30節

2022年1月23日日曜日

「私の生きてきた年月は」

創世記 46章 31~47章 12節
2022年1月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブと子供たちはファラオと対面します。
 第一に、寄留者であると意識して歩むことです。ヨセフの兄弟たちは、自分たちは寄留するために来たと言いました。実際エジプトは、一時的な地に過ぎず、やがて彼らはそこから出てカナンの地に戻ることになったのです。私たちもこの地上生涯は寄留地であると意識して歩むことです。
 第二に、この世においては誠実に歩むことです。ヨセフの誠実な歩みがあったからこそ、ファラオは彼の家族をここまで手厚く扱ったのでしょう。私たちも証しのために、遣わされたところで誠実に歩むことです。
 第三に、災いが多かったとしても主に信頼することです。ヤコブは生涯を振り返り、災いが多かったと言いましたが、しかし主は彼を守り、ヨセフと再会させられました。真実な主に従って良かったと思ったでしょう。
 私たちの人生にも苦しみは多くあります。しかし、真実な主は私たちと共に歩んでくださいます。その主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」
創世記 47章 9節

2022年1月16日日曜日

「エジプトに来た家族」

創世記 46章 5~30節
2022年1月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはエジプトへ行きヨセフと再会することができました。この個所から 3 つの点で学びましょう。
 第一に、主はすべてをもって従うことを望まれます。ヤコブ達はすべてをもってエジプトへやって来ました。私たちが主に従うのも同じです。中途半端にではなく、すべてをもって主に従うことです。
 第二に、主は人の思いを超えたことをなさいます。ヤコブは死んだものと思っていたヨセフと再会し、もう死んでもいいと思う程でした。どれだけ彼は嬉しかったことでしょうか。主が私たちのためにも、私たちの思いを超えたことをしてくださることを覚えましょう。
 第三に、主の約束は真実です。食料が尽きてエジプトに逃れた彼らでしたが、主はそこで増やされました。そして後に多くの民となって、エジプトから脱出することになったのです。私たちは主の約束が必ず成就すること、真実であることを信じる必要があります。
 主はヤコブとヨセフを真実に導かれました。私たちの前に先の見えない状況がありますが、真実なお方である主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
そして、家畜とカナンの地で得た財産を携えて、ヤコブとそのすべての子孫は、一緒にエジプトにやって来た。
創世記 46章 6節

2022年1月9日日曜日

「信仰によって見る」

ヨシュア記 17章 14~18節
2022年1月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフ族の訴えから、2つのことを学びましょう。
 まず、信仰によって見ない時にどうなるかです。一つは、不満が多くなります。否定的に考えてしまいます。与えられているものよりも、与えられていないものを見るからです。もう一つは、人や状況のせいにします。彼らは一つの割り当て地しか与えなかったヨシュアのせいにしました。私たちも信仰によって見ないならば、同様に不満が多くなり、人や状況のせいにするのです。
 次に、信仰によって見るならどうなるかです。一つは、自分のなすべきことがわかります。主はそれを示してくださいます。もう一つは、問題を乗り越える希望と力を与えてくださいます。信仰によって、多くのものが見えるようになり、乗り越えて行くことができます。
 私たちの前にも広い地が広がっています。信仰によって見るか見ないかによって、見え方、歩み方は大きく異なってきます。生きて共におられる主と主の約束を覚え、いつも信仰によって見て歩みましょう。

<聖書のことば>
ヨシュアは彼らに言った。「あなたが数の多い民であるのなら、森に上って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」
ヨシュア記 17章 15節

2022年1月2日日曜日

「日々心がけるべき大切なポイント」

ペテロの手紙第二 1章 10節
2022年1月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 新しい一年が始まりました。私たちは一年を通して忠実に歩みたいと願います。しかし気をつけないと、つまずいて主と教会から離れてしまうことがあります。そうならないために、日々心がけるべきことを学びましょう。
 第一に、召しと選びを確かなものとすることです。主の召しと選びは完全なものです。相応しくない者ですが、主から選ばれ召されたことを日々確信して感謝して、そして確かな歩みをしていくのです。
 第二に、静まって主と交わる時を持つことです。慌ただしくなると、私たちはこの点を疎かにしてしまいやすいのです。主の模範に倣い、まず静まって、主と交わる時を持つことを欠かしてはいけません。
 第三に、受けるよりも与える歩みをすることです。イエス様はまさに与える歩みをされました。そのお陰で私たちは救いに与ることができたのです。その私たちは主の模範に倣って、主の愛を与え仕えて行くことが大切です。
 この一年、受けること以上に与える歩みを心がけましょう。そこに祝福の鍵があります。

<聖書のことば>
ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
ペテロの手紙第二 1章 10節