2021年7月25日日曜日

「寄留者」

創世記 35章 21~29節
2021年7月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ラケルを失ったヤコブに続けて問題が起きて来ます。3つの点で学びましょう。
 第一に明日への影響を考えて行動することです。長男のルベンは父のそばめと関係を持 ってしまいます 。その結果、彼は長子の権を失うことになりました。 私たちも今日することが 、 明日にどんな影響を及ぼすかを考えて行動する必要があります。
 第二に、神の御計画の不思議さを覚えることです。ヤコブの子は12人であったと書かれています。ヤコブは幾度も苦難を経験しましたが、主は彼に12人の子供を与えられ、それがイスラエル民族の祖となりました。神の御計画の不思議さを覚えさせられます。
 第三に、寄留者の立場を自覚し、目的地から目を離さないことです。ここに3人の死が立て続けに出て来ます。人は地上で限りのある存在でありることを覚える必要があります。
 私たちは気をつけないと、この地上が永住すべき場所のように考えて歩みがちです。 私たちは 寄留者として、正しい選択をして歩みましょう。

<聖書のことば>
ヤコブは、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところに着いた。そこは、アブラハムとイサクがかつて寄留していたところである。
創世記 35章 27節

2021年7月18日日曜日

「ベニヤミン」

創世記 35章 16~20節
2021年7月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ベテルに戻り、変わらない主の約束を与えられました。その後、ラケルがベニヤミンを出産して死んでしまいます。ここから学びましょう。
 第一に、何かを得ることでではなく、神によって満たされることです。ラケルは子供を得ることに必死でした。子供を得ることで満たされようとしていたのです。私たちも同様に考えるところがあるのではないでしょうか。
 第二に、全面的に主に頼ることです。ラケルは父のテラフィムなど、神以外のものに頼る傾向がありました。私たちも同様になる可能性があります。全面的に主に頼りましょう。
 第三に、信仰によって希望を見出し告白することです。ラケルは苦しみの中で産んだ子をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けましたが、ヤコブはベニヤミン(右手の子)と名付けました。主にある希望をもって名付けたのです。
 私たちの前にも苦しみはやって来ます。だからこそ、全面的に主に頼り、そして主にある希望を持って歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。
創世記 35章 18節

2021年7月11日日曜日

「再びベテルと」

創世記 35章 8~15節
2021年7月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ベテルに着いたヤコブは様々なことを経験していきます。ここから 3 つの点で教えをいただきましょう。
 第一に、信仰生活には悲しみもあるが、神が共にいてくださることです。ここでリベカの乳母デボラが死にました。その後も悲しみが続きます。神を信じる者にも苦しみはやって来ます。しかし主は共に歩んでくださいます。それを忘れてはいけません。
 第二に、神の愛と約束は変わらないことです。神は彼にかつてアブラハムに与えられた約束を語られました。神の愛と約束は変わらなかったのです。
 第三に、神について知り経験する生活を積み重ねることです。ヤコブはここで再度その場所をベテルと名付けました。しかし前回とはもっと深い意味でその名を付けたことでしょう。私たちも日々の信仰生活で神様について知り、神の約束の確かさなどを経験していくのです。
 素晴らしい神を知り経験できる歩みは本当に幸いです。私たちは日々みことばに従い、主の素晴らしさを知り経験する歩みをいたしましょう。

<聖書のことば>
ヤコブは、神が自分と語られたその場所をベテルと名づけた。
創世記 35章 15節

2021年7月4日日曜日

「ベテルに上れ」

創世記 35章 1~7節
2021年7月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 シェケムで娘ディナが乱暴されたことで、ヤコブの子供シメオンとレビが復讐し男たちを皆殺しにしました。その後の箇所から学びましょう。
 第一に、信仰の原点に返ることです。神はヤコブに、「ベテルに上れ」と言われました。それは彼の信仰の原点の場所でした。私たちも常に信仰の原点にあるかを確認し、離れているなら返る必要があります。
 第二に、生活の中の偶像を取り除くことです。いつしか彼らの中に偶像が入り込んでいたのです。私たちも気をつけないと、いつしか神よりも大切にする偶像が入り込みます。示されたら、それを取り除く必要があります。
 第三に、神の呼びかけに耳を塞がず従って行くことです。ヤコブは確かに誤った判断もしましたが、神の御声に素直に従いました。私たちもみことばから御声を聞くならば、素直に応じて悔い改めて行く必要があるのです。
 主は私たちを愛しているからこそ、目を注ぎ、御声をかけてくださいます。その御声に直ちに応答する者でありましょう。

<聖書のことば>
神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。
創世記 35章 1節