2019年7月14日日曜日

「自分ではなく」

創世記14章21~24節
2019年7月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 戦いから帰って来たアブラムを、ソドムの王が迎えました。ここから、3つのことを学びましょう。
 第一に、自分や世のものではなく、神を意識することです。メルキゼデクが神に目を留めたのに対し、ソドムの王は神に目を向けることなく、人を返すように頼みました。神を意識する歩みこそ幸いな歩みです。
 第二に、自分ではなく、神を証しすることです。アブラムは神のなされたことを証ししたかったので、ソドムの王の財産を受けることを拒みました。私たちは誰を証ししたいと願っているでしょうか。
 第三に、自分中心ではなく、他者を思いやることです。アブラムは自分と共に戦った者たちのことを考え、彼らへの分け前を与えるように頼みました。他者への思いやりが大切です。
 私たちはとかく自分が中心になりやすい者です。しかし自分ではなくて、主を中心として、また他者を思いやる者となりましょう。

<聖書のことば>
糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。           
創世記14章23節

2019年7月7日日曜日

「メルキゼデク」

創世記14章17~20節
2019年7月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 戦いに勝利して帰って来たアブラムをメルキゼデクが迎えました。メルキゼデクはへブル書を見ると、キリストを予表する人物であったことがわかります。ここからキリストについて二つのことを教えられます。
 第一に、キリストは王であり祭司であられることです。メルキゼデクはまさにそのような人物でした。キリストも王の王であり、大祭司として歩まれています。
 第二に、キリストこそ、祝福の源であることです。メルキゼデクがアブラムを祝福したように、キリストが私たちを本当の意味で祝福してくださいます。
 私たちはそのような主にどう応答するべきでしょうか。一つは、主をほめたたえることです。神の愛とみわざを覚える時に、主をほめたたえるようになります。もう一つは、主に献げていくことです。アブラムはメルキゼデクに十分の一を献げました。 
 私たちも救い主をほめたたえ、献げる歩みをしましょう。

<聖書のことば>
いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
創世記14章20節