2022年11月27日日曜日

「重荷を主にゆだねよ」

詩篇 55篇 1~23節
2022年11月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ダビデは悩みと苦しみの中にありましたが主に重荷を委ねることの素晴らしさを語りました。何故、主に重荷を委ねるべきなのでしょうか。
 第一に、主は苦難の時、私達の祈りを聞き救い出して下さるからです。ダビデはそれまでに主によって救い出された経験から、また約束から、そう告白することができました。主は私たちの祈りも聞いてくださっています。
 第二に主が私達のことを心配して下さるからです。私達は将来のことを考えると恐れ心配してしまう者です。しかし主は積極的に私達に心を配り、関与し支えて下さるのです。
 第三に主は私達の全てを益として下さるからです。問題だけを見ると私達は混乱してしまいますが、主は最終的な全体像をご存知の上で問題を与えられています。
 主は全て疲れている方に、救いの手をのべておられます。私達はいつまでも自分で重荷を背負っていないで、全ての重荷を代わりに背負って下さる主におゆだねして、平安と喜びの内を歩ませて頂きましょう。
<聖書のことば>
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
詩篇 55篇 22節

2022年11月20日日曜日

「礼拝とは何か」

ヨハネの福音書 4章 24節
2022年11月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝とは何であるのかを、確認しましょう。
 第一に、神に栄光を帰することです。私たちは罪人であり、裁かれて永遠に苦しむ地獄に入れられて当然のものでした。しかし神の愛のゆえに、キリストの命という代価が払われて買い取られたのです。ですから、礼拝をもって主に栄光を帰するのです。
 第二に、神に献げることです。心から賛美を、献金を、祈りを献げます。メッセージを聞く時も同じです。教えを受けるのですが、同時にみことばに応答して自分自身を献げていくのです。
 第三に、神を信じるクリスチャン生活の中心です。もし礼拝以外のものが生活の中心になっているなら、結果的に神の祝福から漏れることになります。それはとても残念なことです。
 コロナ禍の中で、礼拝についての認識が弱くなった方がおられるかもしれません。あらためて主が与えてくださった素晴らしいお恵みであり特権であることを覚えて、毎聖日に教会に集まり礼拝を献げましょう。一回一回の礼拝を感謝して心から礼拝を献げましょう。
<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書 4章 24節

2022年11月13日日曜日

「子どものような心で」

マルコの福音書 10章 13~16節
2022年11月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日の礼拝で、子ども祝福式が行われます。今日の箇所から、2 つの点で学びましょう。
 まず、子どもたちを主のもとへ連れて行くことです。弟子たちはイエス様のところに子どもを連れて来ようとする者たちを叱りました。すると主は、その弟子たちに対して憤られ、子どもたちを主のところに来させるように言われたのです。私たちにはその責任があります。
 次に、子どものような心で歩むことです。謙遜な心です。感動し感謝する心です。素直な心です。信頼する心です。これらはいずれも幼い子どもの持つ特徴です。私たちも神の前に、その様な謙遜で、みことばに感動し感謝し、素直に応じ、信頼していくならば、主は私たちを豊かに成長させてくださいます。
 私たちは子どもたちを主のもとへお連れしているでしょうか。主の前にどのような歩みをしているでしょうか。子どものような柔らかい心で歩んでいるかを日々確認して、主から示されることがあるならば、悔改めましょう。
<聖書のことば>
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
マルコの福音書 10章 15節

2022年11月6日日曜日

「互いに熱く愛し合いなさい」

ペテロの手紙第一 1章 22~25節
2022年11月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 救いの恵みに与った者が、どう歩むべきかが記されています。それは兄姉が互いに愛し合うことです。その為に、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、私たちを愛して下さっている神の命令であることです。これは勧めでも自由選択でもなく命令なのです。私たちの為に命を捨てる程に愛してくださった方の命令ですから、従う必要があります。
 第二に、神が与えられた神の家族を愛することです。救われた私たちは神の子とされ、教会の兄姉は神の家族です。主は不思議と私たちをこの横浜教会へと導いてくださいました。その家族を愛するのです。
 第三に、兄姉を愛する者へと、神が変えてくださったことです。かつては何の関心も無かった兄姉を愛する者に変えられました。それは神の御業です。そしてさらに主と兄姉を愛する者へと変えられていくのです。
 私たちはこの救い主の命令を、どれ位厳粛に、自分のものとして受け止めているでしょうか。愛することにおいて弱い私たちですから、主に祈り、さらに主と兄姉を熱く愛する者に造り変えていただきましょう。
<聖書のことば>
あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
ペテロの手紙 1章 22節