2016年5月29日日曜日

「礼拝での救いの証しについて」

2016年5月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 奉仕者訓練会でも複数の意見が出ていましたが、もう一度礼拝における救いの証しについて確認しましょう。
 第一に、自分の救いに関する証しです。かつては神を信じなかった者がどのようにして救いに至ったのかを語ります。近況報告や最近恵まれたことを中心に話すものではありません。
 第二に、神に栄光を帰するものです。神の恵みによって救われた訳ですから、自分にではなく神に栄光を帰します。証しを聞かれた方が神様の素晴らしさだけが印象に残るように語るのが本当の証しです。
 第三に、時間を守ることが大切です。礼拝の中心は、聖書から語られるメッセージです。証しが長くなりますと、その結果メッセージを短くせざるを得なくなります。そうならないようにあらかじめ準備して、3分以内にまとめるようにしましょう。
 救いの証しは素晴らしいものです。兄姉の救いの証しが用いられて、魂が救いに導かれるように祈りましょう。

<聖書のことば>
私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。
使徒の働き5章32節

2016年5月22日日曜日

「ピラトの裁判 前半」

マルコの福音書15章15章1~5節
マタイの福音書27章3~10節
2016年5月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ローマの政治裁判に移されました。ローマの総督ピラトが裁判を行いました。裁判の説明を聞き理解した上で、二つのことを学びましょう。
 第一に、沈黙を通して、愛を注がれた主についてです。彼らは、ありもしない、イエス様に不利な証言をし続けましたが、イエス様は何もお答えにならず沈黙を保たれました。言い返せなかったのではなく、イエス様は私達を贖う為に沈黙し、真っ直ぐに十字架に向かわれていたからでした。このお方の愛がいつも注がれていることを覚えるべきです。
 第二に、真理を軽んじたピラトについてです。イエス様に対して「真理とは何か」と問うておきながら、答えをいただかずして去りました。彼は真理のお方を目前にしていながら真理を軽んじたのです。全ての人はこの真理なるお方を心に迎え入れるべきなのです。
 私達はこの素晴らしい真理のお方を心に迎え入れることができました。その恵みを心から感謝するようにしましょう。それだけでなく、この真理のお方を人々にお伝えするようにしましょう。

<聖書のことば>
ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」
マルコの福音書15章2節

2016年5月15日日曜日

「ユダの失敗」

マルコの福音書15章1節
マタイの福音書27章3~10節
2016年5月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 夜が明けて議会で宗教裁判が行われ、イエス様の死刑判決が確定しました。ユダは後悔し命を絶ったのです。ユダとペテロの違いについて見ましょう。
 第一に、ユダは後悔しただけでした。彼は悔い改めることはしないで後悔しただけでしたので自殺へと至りました。悔い改めとは心を神に向けて方向転換することであり、これこそ私達に必要なことです。
 第二に、ユダは重荷の持って行く先を誤りました。彼は祭司長たちの所へ行って自分の過ちを告白しました。彼らはユダを突き放したのです。私達も重荷の持って行く先を間違えてはいけません。
 第三に、ユダは無条件の主の愛を受け入れませんでした。主は裏切り者のユダさえも愛しておられましたが、彼はその愛を受け入れませんでした。私達も無条件に注がれている主の愛を覚え受け入れて歩むことが大切です。
 失敗は誰にもあることです。大切なのはその後です。ユダの様にではなく、ペテロの如くに主の元へ行き悔い改めを持って歩むものでありましょう。

<聖書のことば>
そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。
マタイの福音書27章3~4節

2016年5月8日日曜日

「やもめの信仰」

列王記第一17章8~24節
2016年5月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日は母の日感謝礼拝です。今日はツァレファテのやもめの信仰に注目しましょう。
 第一に、主の約束を信じて従いました。彼女は僅かな食料しかありませんでしたが、主が食料を備えるという主の約束を信じてその通りにしました。
 第二に、主の働き人をもてなしました。それは主に対してなしたのと同じことです。私達も宣教に携わる働き人を支援し、もてなすことが大切です。
 第三に、主の御言葉の真実さを証ししました。彼女は死んでいた息子のよみがえりを経験して、主の御言葉が真実であると確信し告白したのです。私達も形式的にではなく、心から確信をもって御言葉の真実さを証ししたいのです。
 彼女はこの後、確かな信仰をもって息子を育てたと思われます。困難な状況にあっても御言葉は真実であり、従うべきものであると母親の姿勢から学んだことでしょう。私達も主の御言葉に明確に従い、周りの方に良い影響を与えるようなダイナミックな信仰生活を送るようにしましょう。

<聖書のことば>
その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」
列王記第一17章24節

2016年5月1日日曜日

「ペテロの失敗」

マルコの福音書14章66~72節
2016年5月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様がカヤパの官邸で裁判にかけられている時、ペテロはその庭で火にあたっておりました。そして女中から声をかけられると、三度も主を知らないという失敗を犯しました。彼は以前であればいつも主の近くを歩んでいましたが、今は主と距離をあけるようになっていました。私達も主との距離について考えさせられます。その上でペテロが知ったことについて学びましょう。
 第一に、彼は自分の弱さを知りました。それまでは自分の信仰について自信を持っていました。しかし、本当は全く強くないことを知ったのです。
 第二に、彼は恵みに溢れた主の愛を知りました。彼が主を完全に否定することも全てご存知の上で、彼の為にとりなし、また再び用いるご計画をお持ちでした。彼は後悔だけではなく主の愛に感動した涙を流したのでしょう。
 誰でも失敗しますが、主はそれでも尚、私達を愛して下さり用いて下さいます。だから、主から示されたら悔い改めるものでありましょう。

<聖書のことば>
しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。
マルコの福音書14章71節