2017年1月29日日曜日

「霊的戦いで力となるもの」

ピリピ人への手紙1章19節
2017年1月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは投獄されて束縛された状態にありましたが、それでも喜びつつ歩むことができました。その助けと力になったものは何だったのでしょうか。
 第一に、とりなしの祈りです。ピリピ教会はパウロの為に支援すると共にとりなしていました。だからこそ、福音が前進していたし、彼も守られていたのです。教会は互いにとりなし合うことが絶対的に必要です。
 第二に、キリストの御霊です。御霊は助け主であり、主のみこころへ導き、また証しする力を与えられます。御霊に満たされて力をいただくことが必要です。私たちは御霊の助けと力なしでは何もできないのです。
 第三に、魂の救いです。彼は魂の救いを通して霊的に強められました。信仰は個人的なものですが、共同体的なものでもあります。私たちは互いの為に祈り励ますことにより力を頂き歩み続けることができるのです。
 今年も霊的な戦いがあることでしょう。ですから、互いに祈り合い、御霊に導かれて歩みましょう。また、多くの魂が救いに導かれるように祈り証ししていきましょう。

<聖書のことば>
というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
ピリピ人への手紙1章19節

2017年1月22日日曜日

「ねたみの問題の中でも」

ピリピ人への手紙1章15~18節
2017年1月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 投獄中のパウロを苦しめる問題が起きていました。パウロに対するねたみや党派心から伝道する人たちがいたのです。それは正しい態度ではなく彼を悲しませるものでしたがパウロは喜びました。なぜでしょうか。
 第一に、キリストが崇められることを望んでいたからです。ねたみは恐ろしいもので人間関係を破壊するものです。しかし彼はいずれにしてもキリストが宣べ伝えられ崇められることを喜びとしました。
 第二に、自分の弱さも自覚していたからです。彼は罪人の頭であると言いました。自分の中にも同様の罪があることを自覚していたことでしょう。
 第三に、神の恵みに目を留めていたからです。その人たちは伝道するのに相応しくなかったでしょうが、それは彼とても同じでした。ただ神の恵みによって用いられている。その恵みに目を留めたことでしょう。
 時に人間関係の問題の中に入れられることがあります。しかし、見るべきお方を見ているならば、パウロのように勝利して歩むことができるのです。

<聖書のことば>
すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
ピリピ人への手紙1章18節

2017年1月15日日曜日

「かえって」

ピリピ人への手紙1章12~14節
2017年1月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは投獄されており、縛られた不自由な状態にありました。宣教師である彼にとって、それは耐えがたい状況だったことでしょう。しかし、それがかえって福音の前進に役立つことになりました。どのように福音は前進していったのでしょうか。
 第一に、キリストが伝えられ明らかにされました。パウロを見張る兵士たちがいましたので、パウロは彼らに福音を伝えていったのです。本来なら会うことのない人たちに毎日じっくりと伝えることができたのです。
 第二に、他の兄弟たちを強めることになりました。パウロの投獄の知らせを聞いて、逆に彼らは奮い立ったのです。彼らの信仰は強められました。
 見える所だけを見ると、落胆してしまいそうになります。でも、主の御計画は私たちの思いを超えており不思議なことをしてくださるのです。困難と思うことがかえって用いられ、最善へと導かれて行くのです。ですから、主に信頼して期待して歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
ピリピ人への手紙1章12節

2017年1月8日日曜日

「礼拝における賛美」

詩篇146篇2節
2017年1月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝において賛美は大変重要なものです。どんなものであっても良いという訳ではありません。
 第一に、主にささげるものであるべきです。人間が自分の為に歌ったり、自分が楽しむ為に歌うものではありません。対象は主であり、救い主に心からの感謝とほめ歌をささげます。主に栄光が帰せられ、主にお喜びいただくためのものです。
 第二に、主の聖さを感じさせるものであるべきです。人によって感じ方は異なるかもしれませんが、世の音楽のリズムや調子に合わせるものではありません。広い年代の方が聞いても違和感を感じないものであるべきです。
 第三に、主のみことばに沿った内容の賛美であるべきです。この世のラブソングと変わらない曖昧なもの等も出て来ていますが、そうではなく神のみことばを基にした内容であるべきです。
 妥協してしまいやすいのが賛美と服装です。教会によって考え方が異なっていて良いのですが、私たちはこの考え方で進みましょう。

<聖書のことば>
私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
詩篇146篇2節

2017年1月1日日曜日

「誇りとすべきもの」

詩篇20篇7節
2017年1月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人にはそれぞれ誇りとすることがあるものです。聖書は誇りとしてはならないものと誇りとすべきものについて教えています。
 第一に、自分の力です。ある者は自分の能力を誇り、持ち物を誇ります。神は高ぶる者を退けられます。
 第二に、明日についてです。私たちに与えられているのは今日だけです。私たちは主のみこころなら、新たな一日が与えられます。一日一日を感謝して主の前に誠実に歩むべきです。
 次に、誇るべきものは何でしょうか。
  第一に、自分の弱さです。弱い所にこそ、主の栄光が現れます。
  第二に、主ご自身です。私たちを愛し十字架で身代わりに死んで下さり救いを与えて下さり共に歩んで下さる主こそ、誇りとすべきです。
 何を誇りとするかによって、人生の歩みは大きく異なってきます。誇りとすべきものを間違えないようにしましょう。

<聖書のことば>
ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
詩篇20篇7節