2021年5月2日日曜日

「私についてくださるお方」

創世記 31章 36~55節
2021年5月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 故郷に向けて密かに出発したヤコブ家族でしたが、ラバンは彼らに追いつき、ヤコブを批判しました。その彼らのやり取りから、学びましょう。
 第一に、神はすべてをご覧になられていることです。ヤコブはラバンがいかに不当な扱いをしたか訴えました。しかし主はすべてをご覧になり、介入されました。だからこそ、多くの家畜を得ることができたのです。人は僅かなものしか見ることができません。でも主はすべてを見ておられるのです。
 第二に、神は偉大な力を持ち、誠実を尽くされることです。ヤコブは「私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方」と言いました。その言葉から教えられるのは、そのお方は全てを支配されている全能の神であり、約束を誠実に果たされ、しかも必要を備え満たしてくださる神です。その主がヤコブについて歩まれていたのです。
 同じ主が私たちについてくださっています。私たちは厳しい状況に目を奪われてしまいがちですが、共にいてくださるその主にしっかり目を留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
もし、私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、昨夜さばきをなさったのです。
創世記 31章 42節