マタイの福音書 6章25~34節
2021年1月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司
2021年1月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司
聖書は私たちが神を抜きにして、心配しないように教えています。何故、私達は心配するべきではないのでしょうか。
第一に、神を信頼していないことになるからです。心配するということは主の約束を否定することになります。
第二に、心配した所で何も変わらないからです。神を抜きにして心配しても、体を弱めることはあれ、益となることはありません。
次に、心配してしまう時に、どう対処したら良いでしょうか。
第一に今日なすべき事に集中することです。その日その日に労苦は沢山あります。それに集中することです。
第二に、神が私のことを心配してくださると覚えることです。
第三に、十字架の主に信頼しお委ねすることです。
先の見えないこの状況にあって、心配の虜になるかもしれません。しかし今こそ、主に信頼して、主の与えてくださる平安の内を歩ませていただきましょう。
<聖書のことば>
ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
マタイの福音書 6章34節