2018年4月29日日曜日

「よろしく伝えてください」

ピリピ人への手紙4章21~22節
2018年4月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 手紙の最後の挨拶部分から学びます。挨拶を通して彼が伝えたかったことは何だったのでしょうか。
 第一に、皆から覚えられていることです。私と一緒にいる兄たち、聖徒たち全員、カイザル家に属する人々と、多くの者がピリピ教会の兄姉を覚えていることを伝えて、彼らを励まそうとしました。
 第二に、ひとりひとりが覚えられていることです。全体としてではないのです。ひとりひとりが覚えられていました。主は私たちのことをまさにそのように覚えてくださっています。
 第三に、心に掛け、心配されていることです。「よろしくと言う」とは、ケアーすることです。主は私たちのことを常に心に掛けケアーしてくださっているのです。
 自分一人で歩んでいると思いがちな私たちですが、そうではありません。主が私たちを常に心にかけ心配してくださっています。その事実を覚え、また互いに声を掛け合うようにしましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。私といっしょにいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。   
ピリピ人への手紙4章21節

2018年4月22日日曜日

「神に栄光がとこしえにあるように」

ピリピ人への手紙4章20節
2018年4月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは手紙を書き終えるにあたり、神に御栄えがあるようにと祈りました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、全ての祝福の源は神にあると認めることです。パウロはピリピ教会の支援を喜び感謝していましたが、それら全ては主が与え導かれたものであると認めました。私たちも同様に、全ては主からいただいたものであると認めることが必要です。
 第二に、父なる神に栄光を帰すことです。人間が自分に栄光を帰すのではなく、神に栄光を帰すことを神は望んでおられます。そして私たちは皆、神の栄光のために生きるべきなのです。
 第三に、皆で心を一つとなりアーメンと唱えることです。アーメンとは「本当です」「真実です」という意味です。救われた者同志が心を一つにして主に対しアーメンと唱えることができることは本当に幸いなことなのです。
 私たちの信じる素晴らしい救い主に栄光を帰す生涯を送りましょう。

<聖書のことば>
どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
ピリピ人への手紙4章20節

2018年4月15日日曜日

「必要を満たされる主」

ピリピ人への手紙4章19節
2018年4月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはピリピ教会の支援を感謝し、また霊的祝福について語った後で、神が必要を満たされる方であると教えました。今日の箇所から3つの大切なことを学びましょう。
 第一に、神ご自身の栄光の富を求めることです。この世の富は争いの種となりますし、何よりも消えてなくなりやすいものです。しかし神の栄光の富は私たちを幸いな歩みへと導き、また永遠に持ち続けることができます。
 第二に、私の神に目を留めることです。神は全人類の神でありますが、同時に個人的な神でもあります。主は私の神と呼ぶことを許してくださっています。
 第三に、神が全ての必要を満たされると覚えることです。それは十字架を見れば明らかです。御子のいのちまで与えて下さった主は、必ず全ての必要を満たしてくださると言うことができるのです。
 神は個人的に私たちを見つめ養われます。導かれます。励まし強められます。新年度も、このお方に信頼して歩むように致しましょう。

<聖書のことば>
 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ人への手紙4章19節

2018年4月8日日曜日

「新しい地を前にして」

申命記6章1~13節
2018年4月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 新年度に入り、新たな環境に入られた方もおられると思います。新しい地を前にした時に、何が必要でしょうか。
 第一に、主を忘れないことです。彼らは潤った地で生活することになり、農作物を得ることなど生活に心を奪われ主を忘れる危険性がありました。私たちも同様の危険があります。常に主を認めて歩む必要があります。
 第二に、主に仕えることです。主の御心を知り、自分を低くして主に従って行くことです。そうでなければ、私たちは世のものに仕えることになってしまいます。
 第三に、主を恐れることです。人を恐れてしまいやすいですが、大切なのは主を恐れて歩むことです。そうしてこそ、人は正しい祝福の道を歩むことができるのです。
 私たちを取り巻く環境は変わるでしょう。でも、いかなる環境に入れられたとしても、いつも主を見上げて、この3つを覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
 あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。
申命記6章13節

2018年4月1日日曜日

「イースターにある平安」

ヨハネの福音書20章19~20節
2018年4月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は十字架にはりつけになり死なれました。その主が復活され弟子達の前に現れて言われたのです。「平安があなたがたにあるように。」復活の主を覚える時に平安が与えられます。その理由を学びましょう。
 第一に、復活の主が休ませてくださるからです。どんな重荷であっても、私たちは主のもとへ行き荷を降ろすことができます。生きておられる主が重荷を担ってくださるのです。
 第二に、復活の主が正しく導かれるからです。主は全知のお方であり、私たちが迷う時でも正しく導かれます。
 第三に、復活の主が死の解決を与えてくださるからです。どんなに強い人でもやがて死がやって来ます。死後に神のさばきが待っています。しかし復活の主を信じた人は主と共に死を通過し、天の御国に入れていただけるのです。
 復活の主を覚える時に、主の平安が与えられます。しっかりとよみがえられた主を覚えて、平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
ヨハネの福音書20章19節