2020年10月25日日曜日

「冷たい寝床で」

創世記28章10~16節
2020年10月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは母リベカの兄のいるハランへ一人で旅立ちました。そこで石を枕に眠りにつきます。そこで彼が学んだことを学びましょう。
 第一に、状況にかかわらず、神はいつも共にいてくださることです。彼は夢の中で天と地をつなぐはしごがかかっており、主がそこにおられたことに気づかされました。主は同様に苦難の中でも私たちと共におられます。
 第二に、状況にかかわらず、神の約束は真実であることです。ここでヤコブにあらためてアブラハム契約が語られます。主の約束は状況に関係なく変わることがなかったのです。それは私たちに対しても同じなのです。
 第三に、状況が悪く自分が無になった時に、神をより深く知るようになることです。彼が孤独になり眠りについた時に、神についてより深く知ることができました。自分が弱く無になった時に、神についてより深くしることができます。
 人間的に見ると、ヤコブは孤独であり冷たい寝床で寝なければならない不幸な状況でした。しかし主はその状況で、豊かに彼を取り扱われたのです。私たちも状況に左右されず、素晴らしい主と約束を見て歩みましょう。

<聖書のことば>
彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
創世記28章11節

2020年10月18日日曜日

「礼拝とは何か」

ヨハネの福音書4章24節
2020年10月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神に礼拝を献げることは素晴らしい恵みです。礼拝とは何でしょうか。
 第一に、神に栄光を帰することです。私たちは罪人であり、裁かれて永遠に苦しむ地獄に入れられて当然のものでした。しかし神の愛のゆえに、キリストの命という代価が支払われて買い取られたのです。ですから、礼拝をもって、主に栄光を帰すことが求められます。
 第二に、神に献げることです。心から賛美を、与えられたものを、祈りを献げます。メッセージを聞く時も同じです。教えを受けるのですが、同時にみことばに応答して自分を献げるのです。
 第三に、神を信じるクリスチャン生活の中心です。礼拝こそが、神の子供とされたクリスチャン生活の中心です。もし礼拝以外のものが生活の中心になっているなら、必ず神の祝福から漏れて行くことになります。
 コロナ禍で、あらためて毎聖日に教会に集まり礼拝を献げることが大きな恵みであると思わされます。一回一回の聖日を当たり前と思わないで、主に感謝して、心から礼拝を献げましょう。

<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節

2020年10月11日日曜日

「全能の神が」

創世記27章41節~28章9節
2020年10月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 父イサクから祝福の祈りをしてもらえなかったエサウは、ヤコブを恨み殺そうと考えます。そのような苦難の中での彼らの行動から、学びましょう。
 第一に、苦難の日に自分の悟りに頼らないことです。リベカは自分の知恵に頼り、兄ラバンのいる所へヤコブを逃がしました。その時こそ、神に頼るべきでした。苦難の時こそ自分の悟りに頼らず、神を呼び求めることです。
 第二に、苦難の日に神から離れる選択をしないことです。エサウはイシュマエルのところへ行き、3人目の妻を迎えました。それは神様の喜ばれる選択ではありませんでした。私たちは苦難の時に神に近づく選択が必要です。
 第三に、苦難の日に神を過小評価しないことです。イサクはヤコブのために祈る際に、全能の神を覚えて祈りました。私たちも苦難の時こそ、神が全能のお方であると覚えることが必要です。
 苦難の時に、何を見て、誰に頼るでしょうか。その時こそ、全能の主と主の約束に目を留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。
創世記28章3節

2020年10月4日日曜日

「神の祝福を求めて生きる」

創世記27章30~41節
2020年10月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはリベカの言われるとおり、父イサクを騙して祝福の祈りをしてもらいました。エサウはそのことに気づきます。ここから学びましょう。
 第一に、他の人ではなく、自分自身を省みることです。エサウは祝福の祈りを奪ったヤコブを恨みました。しかし彼はその時こそ、神様と自分との関係を省み悔い改めるべきでした。
 第二に、神の計画が成就すると覚えることです。彼らはそれぞれに自分の計画を進めようとしましたが、主の計画が進んで行きました。私たちも自分の計画ではなく、主の計画に委ねることが大切です。
 第三に、神の祝福を切に求めて生きることです。ヤコブは神の祝福を切に求めていました。私たちもこの世の祝福を追い求めるのではなくて、主が与えてくださる祝福を切に求めるべきです。
 人生はすぐに過ぎ去ってしまいます。私たちは世の人と同じではなく、神が与えてくださる祝福を切に求めて歩みましょう。

<聖書のことば>
イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べてしまい、彼を祝福してしまった。彼は必ず祝 福されるだろう。」
創世記27章33節