2015年5月31日日曜日

「主の弟子の生き方」

マルコの福音書10章35~45節
2015年5月31日 第5聖日
牧師 長江忠司

 ヤコブとヨハネが母親と共にイエス様の所に来て頼みました。「あなたの栄光の座で、一人を先生の右に、ひとりを左に座らせて下さい。」彼らの失敗から、キリストの弟子の生き方について学びましょう。
 第一に、現状が見えていませんでした。主はこの直前に三度目の受難予告をされた所でした。主は十字架に向けて一直線に歩んでおられたのに、弟子たちは現状が見えておらず自分たちが王国で偉くなることばかり考えていました。私達は今がどの様な時か見極める必要があります。
 第二に、自分の力に頼っていました。彼らは神の怒りの杯を飲むことができると言い切りました。自分の力に過信していたからです。私達はどこまでもへりくだって歩む必要があります。
 第三に、自分が高く上げられることを願っていました。しかし主は、仕える者となるようにと仰せられたのです。私達は偉くなりたいという願いよりも、人に仕えたいという願い、実際に仕えて行くべきなのです。
 私達の生き方はキリストに倣ったものでしょうか。主の弟子として正しい生き方ができているかどうかを省みる様にしましょう。

<聖書のことば>
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
マルコの福音書10章43節

2015年5月24日日曜日

「奉仕をささげる前に」

ルカの福音書10章38~42節
2015年5月24日 第4聖日
牧師 長江忠司

 マルタはマリヤの姿勢を批判しました。自分の仕える姿勢の方がマリヤよりも勝っていると考えたからです。しかしイエス様はマルタに言われました。「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。」それは礼拝でした。
 二週続けて、僅かな時間ですが奉仕者訓練会を行いました。これまでに心得や技術的なことを学びました。私達はより一層整えられた奉仕をささげていくべきであり、その為に心を注ぐべきです。しかし、私達は第一とすべきものである礼拝に、最も心を注ぐべきことを忘れてはなりません。
 主は私達に、奉仕をささげる前に、まず礼拝をささげるように教えておられます。礼拝こそ最高の奉仕であり、毎聖日の礼拝を忠実に、霊とまことをもってささげてこそ、次に他の奉仕をささげることができます。そして最高の礼拝をささげているならば、私達は霊的に養われて、奉仕に関しても整えられ用いられることができるのです。
 この基本中の基本原則を忘れないで、今年度の牧師ビジョンの一つ「礼拝第一」を心に留め、守り通す者でありましょう。

<聖書のことば>
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
ルカの福音書10章42節

2015年5月17日日曜日

「苦難を前にして」

マルコの福音書10章32~34節
2015年5月17日 第3聖日
牧師 長江忠司

 イエス様はエルサレムに向かって進まれました。この箇所を通して主の模範を学びましょう。
 第一に、主はご自身の使命を明確に自覚しておられました。エルサレムに行く事は殺されに行くようなものでした。にもかかわらず、主はまっすぐに進んで行かれたのです。人類の救いを成就するという使命を明確に自覚しておられました。私達も自分の使命を明確に自覚しつつ歩む必要があります。
 第二に、主は先頭に立って歩まれました。主は私達の人生においても、常に先頭に立って歩んで下さっています。
 第三に、主は希望に目をとめておられました。やがて恐ろしい十字架の苦しみを経験しなければなりませんでしたが、その先にある希望に目をとめておられたのです。私達も今の暗闇部分だけに目をとめていてはいけません。主にある希望に目をとめるべきなのです。
 私達の人生にも苦難がやって来ます。苦難を前にして何を見るか。それが大切です。主にある希望と主ご自身を見て歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。
マルコの福音書10章32節

2015年5月10日日曜日

「子どもを育て導くために」

申命記6章4~7節
2015年5月10日 第2聖日
牧師 長江忠司

 親は子どもを、教会は新たな魂を育て導く責任があります。この母の日に、子どもを育て導くことについて学びましょう。何が大切でしょうか。
 第一に、主のみことばによって教育することです。聖書は信仰を次の世代に継承するように強調し、その為にみことばによって教育すべきことを教えています。私達は世の教えよりも、第一に主のみことばによって教育することです。
 第二に、主に従う模範を示すことです。パウロは私に倣う者となって下さいと言いました。私達は口先だけではなく、背中で模範を示していく必要があります。
 第三に、主にとりなしの祈りをすることです。霊的に乱れきったこの世で生きている子供たちが主のみこころの内を歩む為に祈りが不可欠です。その祈りは決して無駄にはならないのです。
 いつの時代にも変わらないこの基本に忠実に従う者でありましょう。そして素晴らしい信仰を継承していきましょう。

<聖書のことば>
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
申命記6章7節

2015年5月3日日曜日

「弟子の歩みでおぼえるべきこと」

マルコの福音書10章28~31節
2015年5月3日 第1聖日
牧師 長江忠司

 弟子たちはイエス様に尋ねました。「私達は何もかも捨てて従ってきました。何を頂けるでしょうか。」弟子の歩みでおぼえるべきことは何でしょうか。
 第一に、主の為にささげ、従う者には豊かな報いがあることです。動機が大切です。主の救いに感謝して、主と主の福音の為にささげるのです。その結果、主は豊かな報いを与えて下さいます。この報いは永遠に続きます。
 第二に、主に従う者には迫害や困難もあることです。主にあって敬虔に生きようとすると必ず迫害にあいます。祝福だけを期待していたら、いつかつまずいてしまいます。迫害や困難は必ずある。しかし主はそれらをも益として下さるのです。
 第三に、逆転現象が起きることです。せっかく素晴らしい恵みに与っていても、高慢になったり惰性的に歩むなら、結果として後の者となってしまいます。いつも主の恵みをおぼえつつ歩むことが必要なのです。
 今年度、私達は誰の為に、そして何の為にささげるでしょうか。本当に価値のあるものの為、価値あるお方の為にささげる者でありましょう。

<聖書のことば>
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、 その百倍を受けない者はありません。」
マルコの福音書10章29~30a節