2015年9月27日日曜日

「主をほめ讃える理由」

詩篇147章1~20節
2015年9月27日 第4聖日
牧師 長江忠司

 この詩篇の著者は言いました。「まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。」何故、主をほめ讃えることが良いことなのでしょうか。
 第一に、主はほめ讃えられるに相応しいお方だからです。主は偉大であり、星の数を数え名前をつけることがおできになるお方です。このお方にとって不可能なことはありません。私達は主のご性質について知れば知るほどに、主をほめ讃えざるを得なくなるのです。
 第二に、主は賛美を喜ばれるからです。主はご自身をほめ讃え、信頼する者を喜ばれます。逆に、かつてのイスラエルの民の様に呟きが多く信頼することもなかったら、悲しまれることでしょう。私達はどちらでしょうか。
 第三に、主が霊的戦いに勝利させて下さるからです。サタンは神の愛と力を疑わせて来ます。しかし私達が主をほめ讃えている時に、最大の防御をしていることになるのです。結果的に霊的戦いに勝利することができます。
 私達は日々どれ位主をほめ讃えていることでしょうか。その時間をどれ程に確保しているでしょうか。心から喜び感謝しつつ、いつも主をほめ讃える者でありましょう。

<聖書のことば>
ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。
詩篇147篇1節

2015年9月20日日曜日

「やもめの献金」

マルコの福音書12章41~44節
2015年9月20日 第3聖日
牧師 長江忠司

 人々が献金箱に献金を投げ入れる様子をご覧になられていたイエス様は、一人の貧しいやもめが献げた献金を称賛されました。ここから学ばせて頂きましょう。
 第一に、主は私達の小さな業をもご存知でいて下さいます。献金額だけで言うならば、非常に僅かなものでした。しかしそれは彼女の生活費の全てでした。献金額からはわからない側面を主は御存知であられたのです。その様に主は私達がささげる小さな業をも全てご存知であられます。
 第二に、主は私達を守り支えて下さいます。やもめはたとえ全てを献げても、主が養って下さると信じたのでしょう。私達もたとえ先が見えない状況に入れられたとしても主の守りを信じてみことばに従うことが大切です。
 第三に、主は私達の献身を求めておられます。彼女は持っている内の幾分かではなく、全てを献げました。主は私達の為に全てを献げて下さいました。同様に私達も献身をもってささげる生涯を送ることを願われているのです。
 私達は救われた者として、どの程度の献身を持って主にお応えしているでしょうか。小さくても構いません。喜んで献げていく者でありましょう。

<聖書のことば>
みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。
マルコの福音書12章44節

2015年9月13日日曜日

「幸いな人生の秘訣」

詩篇1篇1~6節
2015年9月13日 第2聖日
牧師 長江忠司

 人は誰しも幸いな人生を送りたいと願うものです。今日の箇所で、人が幸いな歩みをする為の秘訣が書かれております。どうすれば、幸いな人生を送ることができるのでしょうか。
 第一に、悪の道を避けることです。人は急激に堕落するのではなく、徐々に悪の道に引き寄せられて行くものです。ですから、油断してはならず、積極的に悪の道から離れて行くことが大切です。
 第二に、みことばを喜びとすることです。まず、みことばを慕い求めることです。毎聖日の礼拝は勿論のこと、日々の個人的礼拝であるディボーションが不可欠です。そして、昼も夜もみことばを口ずさむことです。キリストのことばをどこかにしまっておくのではなく、心の内に豊かに住まわせることが大切なのです。
 これらの事を心掛け実行していく時に、心は潤され実りのある歩みをすることができます。人は様々なものに幸せを見出そうとしますが、神のみことばにこそ鍵があります。みことばを喜びとし実行して、幸いな人生を送る者でありましょう。

<聖書のことば>
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
詩篇1篇1節

2015年9月6日日曜日

「律法学者たちの偽善」

マルコの福音書12章38~40節
2015年9月6日 第1聖日
牧師 長江忠司

 イエス様は律法学者たちに気をつけるように言われました。それは、彼らの様になってはならないという教えでもありました。私達は何に気をつけて歩むべきでしょうか。
 第一に、人ではなく神の評価を意識することです。彼らは長い衣をまとうのを好みました。人に高く評価されることが大好きだったのです。私達も主の為に始めた奉仕が、いつしか人の評価を気にしてしまっていることがあります。そうではなく、主に喜んでいただくことを意識して献げるべきなのです。
 第二に、神の前に謙遜であることです。彼らは宴会の上座を好みました。それが相応しいと考えていたからです。謙遜こそが、主から祝福をいただく秘訣であることを忘れてはなりません。
 第三に、神を恐れることです。彼らは貧しいやもめの家を食いつぶしていました。神を恐れない歩みであったと言う事ができます。私達はどんな時であっても主を恐れて歩むべきなのです。
 人の評価、人の目を気にして歩むことは、主に喜ばれることではありません。いつも主を意識して、主に喜ばれる歩みをするよう心がけましょう。

<聖書のことば>
イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。・・・」
マルコの福音書12章38節