2023年12月31日日曜日

「棘さえも」

コリント人への手紙第二 12章 7~10節
2023年 12月 31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは肉体のとげを去らせてくださるように3度祈りましたが、その祈りは聞かれませんでした。しかし、そのとげがあるゆえの祝福を彼は喜びました。どのような祝福があるのでしょうか。
 第一に、人を謙遜にさせます。私たちは高慢になりやすい性質があり、自分の力で解決することはできません。しかし、様々なとげによって、心が砕かれて謙遜にさせられます。
 第二に、心から神に頼る者になります。物事が順調に進んでいる時は、自分の知恵と力に頼り歩んでしまいがちです。でも、とげがあり、自分の思い通りに事が進まない時に、神を見上げ、心から神に頼るようになるのです。そして信仰が強められていきます。
 第三に、弱さの中で神によって強められます。とげがあるという事は、神の恵みが不足しているということではありません。神の恵みは十分なのです。私たちが弱い時にこそキリストの力が私たちの弱さを覆い、結果的に力ある歩みをすることができるのです。
 この世的に良いことがあった時に神に感謝するでしょう。しかし私たちはとげさえも神に感謝することができるのです。

<聖書のことば>
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
コリント人への手紙第二 12章 10節

2023年12月24日日曜日

「クリスマスの喜び~神が私たちと共に」

マタイの福音書 1章 18~25節
2023年 12月 24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 天使たちは羊飼いたちに大きな喜びを告げ知らせました。どういう点で大きな喜びなのでしょうか。
 第一に、神が私たちのところに来てくださったことです。私たちを救うために、神が御国からこの地上に、人となって来てくださいました。これがどれだけ凄いことなのかを覚えましょう。そのお恵みを知る時に、大きな喜びが与えられます。
 第二に。身代わりに死ぬ真の愛を示してくださったことです。イエス様がお越しくださったのは、私たちの身代わりに十字架で死ぬためでした。それ程に私たちを愛してくださっています。その真の愛を受ける時に、大きな喜びが湧いてきます。
 第三に、神がいつも共にいてくださることです。神は遠く離れた所におられるのではなく、私たちのところに来られ、そして信じた私たちと今共にいてくださいます。その事実を覚える時に、大きな喜びと平安があります。
 私たちは何に対して、どんな喜びを求めているでしょうか。誤ったものに変わりやすい喜びを求めることがないようにしましょう。変わることのない大きな喜びを神からいただいて歩みましょう。

<聖書のことば>
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
マタイの福音書 1章 23節

2023年12月17日日曜日

「沈黙の中で」

ルカの福音書 1章 5~22節
2023年 12月 17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ザカリヤは御使いから子が与えられると告げられましたが、信じることができませんでした。その結果、神は彼が話すことができないようにされました。その沈黙の中で、主は何を彼に教えようとされたのでしょうか。
 第一に、神のみことばは真実であることです。彼らは祈っていたものの、既に年を取っており、子を産むことのできない体になっていましたが、言われたとおり子を与えられました。神はみことばを成就されたのです。
 第二に、神の最善の時があることです。彼は神が許される時まで話すことができませんでした。神の時を待たなければならなかったのです。私たちにも自分の時に固執せずに、神の最善の時があることを覚えましょう。
 第三に、不信仰を悔い改めることです。彼は神に仕える祭司でありながら、みことばを素直に受け入れ信じることができませんでした。しっかり神と向き合っていなかったのです。不信仰を改めるように導かれたのです。
 私たちも主にある沈黙の時が必要です。クリスマスを前にして、神の前に静まりましょう。沈黙の時をいただき、思い巡らし、主の前を正しく歩みましょう。

<聖書のことば>
やがて彼は出て来たが、彼らに話をすることができなかった。それで、彼が神殿で幻を見たことが分かった。ザカリヤは彼らに合図をするだけで、口がきけないままであった。
ルカの福音書 1章 22節

2023年12月10日日曜日

「主の平安があるように」

ペテロの手紙第一 5章 13~14節
2023年12月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 先週はペテロの手紙の結論部分から学びました。本日がこのシリーズの最終回となります。
 第一に、離れている兄姉のために祈ることです。ローマの教会にいたクリスチャンたちはこの手紙の読者たちのことを覚えて、よく祈っていたのでしょう。私たちも距離が離れていても、救われていない方や離れている兄姉のために祈る必要があります。
 第二に、主の愛をもって育てることです。ここでかつて働きから離脱してしまったマルコの名前が出て来ます。しかしバルナバと歩む中で変えられ、成長し、主に豊かに用いられる者となりました。私たちもバルナバのように、主の愛をもって人を育てる者となれたら幸いです。
 第三に、主の平安があるように祈ることです。物質的に富んでいても、心に安らぎのない人は多いのです。大切なのは主にある平安を得ることです。
 たとえ距離が離れていても、魂のことを思いやりましょう。そして自分自身のためにも相手のためにも、主の平安があるように祈りましょう。

<聖書のことば>
愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。
ペテロの手紙第一 5章 14節

2023年12月3日日曜日

「恵みの中に立つ」

ペテロの手紙第一 5章 12節
2023年12月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロの手紙第一の終わりの部分であり、大切なことが記されています。私たちの信仰生涯に必要なことを学びましょう。
 第一に、協力者が必要であることです。シルワノがパウロに代わりこの手紙を書き留めました。シルワノは複数の箇所に出て来る、主に用いられた人物でした。ペテロもパウロも、彼の協力によって助けられました。人は単独で働きをするのではなくて協力者が必要です。そして私たちが誰かの協力者として仕えることが大切であることを覚えましょう。
 第二に、恵みの中にしっかり立つことです。ペテロは神の恵みに簡潔に記しました。それは神の恵みがあまりに豊かですべてを書き記すことができなかったからです。私たちは過去と現在において恵みをいただきました。そしてこれからも神は恵みを与え続けてくださいます。その恵みを覚え意識して歩むことが大切です。それが恵みの中に立つということなのです。
 私たちの人生にも苦難の中で、問題だけに目を奪われてしまいそうになります。ですから、いつも神の恵みの中にしっかりと立って歩みましょう。

<聖書のことば>
忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノによって、私は簡潔に書き送り、勧めをし、これが神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みの中にしっかりと立っていなさい。
ペテロの手紙第一 5章 12節

2023年11月26日日曜日

「回復させてくださる神」

ペテロの手紙第一 5章 10~11節
2023年11月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 前回は悪魔の攻撃について備え、信仰により対抗すべきことについて学びました。私たちがその様な中で覚えるべきことについて学びましょう。
 第一に、世にあっては患難があることです。「あなたをしばらくの苦しみの後で」とあるように、苦しみがあることが前提で書かれてます。既に学びましたように、信仰者にも必ず苦しみがあるということを忘れないようにしましょう。
 第二に、あらゆる恵みに満ちた神が共にいてくださることです。私たちは本来神から愛されるにふさわしくない者ですが、あらゆる恵みに満ちた神が共にいてくださいます。その主から目を離さないようにしましょう。
 第三に、回復させ用いてくださることです。患難はずっと続くなく、やがて終わる時があります。そして主は私たちを回復させてくださり、用いてくださるのです。
 患難は必ず人生にやって来ます。その心備えをしつつ、あらゆる恵みに満ちた神が共におられ、回復させてくださることを覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
ペテロの手紙第一 5章 10節

2023年11月19日日曜日

「子どもたちを主のもとへ」

マルコの福音書 10章 13~16節
2023年11月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所をとおして、イエス様が子どもたちへのみこころを確認し、教えをいただきましょう。
 第一に、子どもたちを主のもとへ導くことです。弟子たちは子どもの祝福を求めてやって来た親たちを叱りました。しかしイエス様は子どもたちをわたしのところに来させなさいと憤り語られたのです。私たちは親としても教会としても、子どもたちを主の教会へ導くことが大切です。
 第二に、素直に主を受け入れることです。神の国は子どもたちのように素直に福音を受け入れる者たちのものです。私たちの内にある堅い自我やプラ イドが、みことばが心に入るのを邪魔します。幼子のように素直になることが大切です。
 第三に、主の恵みに全面的により頼むことです。幼子たちは自分の正しさや良い行いによってではなく、ただ恵みによって主から祝福をいただきました。私たちはただ主の恵みにすがるしかない者であると自覚して、いつも主により頼んで行くことが大切です。
 いつも主の前に幼子のような心で信頼し、主により頼み歩みましょう。

<聖書のことば>
イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
マルコの福音書 10章 14節

2023年11月12日日曜日

「悪魔に対抗する」

ペテロの手紙第一 5章 8~9節
2023年11月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 神様がおられるのと同様に、悪魔も確かに存在します。その悪魔に対してどのように対応すべきかが教えられています。
 第一に、悪魔の攻撃を常に警戒することです。身を慎み目を覚まして、敵である悪魔がいつ攻撃をして来ても良いように、いつも警戒していることが大切です。警戒していなければ、攻撃されてしまいます。
 第二に、悪魔に対し信仰によって対抗することです。
 神の武具を用いて立ち向かうことです。真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、信仰の盾、救いのかぶと、そして御霊の剣をもって、悪魔に立ち向かうのです。
 また、神により頼み立ち向かうことです。私たちの力で悪魔に勝つことはできません。勝利者である神により頼んで立ち向かうのです。
 また、仲間と共に立ち向かうことです。私たちだけが苦難を通っているのではありません。これまでの歴史において、また今も世界中で多くのクリスチャンたちが戦っています。
 悪魔は身近に存在し私たちを狙っています。警戒して対抗しましょう。

<聖書のことば>
 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。
ペテロの手紙第一 5章 9節

2023年11月5日日曜日

「思い煩いを神に委ねる」

ペテロの手紙第一 5章 7節
2023年11月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人間は思い煩いやすいものです。思い煩う時に覚えるべきことを学びましょう。
 第一に、思い煩いを神に投げ出すことです。私たちは思い煩い続けてしまいがちです。ここで、投げるという言葉を用いて委ねなさいと教えられています。私たちが思い煩っていることを持ち続けないで投げ出し、完全に神にお渡しすることです。
 第二に、神が私のことを心配してくださることです。すべてをご存知であり、必要を満たしてくださるお方が、私たちのことを心配してくださることを覚えれば、思い煩いから解放されます。
 第三に、神の約束に信頼することです。思い煩う状態は心が分散している状態です。神の約束に対して心が一つにならず、あちこちに分散してしまっているのです。そうではなく、神の約束に心を一つに集中させ、信頼して歩むことです。その時に、思い煩いは平安に変わります。
 神はあなたが思い煩うことを望んでおられません。思い煩いを完全に神に委ね、心一つにして、主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
ペテロの手紙第一 5章 7節

2023年10月29日日曜日

「神の力強い御手の下に」

ペテロの手紙第一 5章 5~6節
2023年10月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 長老たちに続いて、今度は若い人たちに向けて語られています。年齢が若いというだけでなく、教会の兄姉と捉えることができます。
 第一に、互いに謙遜を身に着けることです。牧師は謙遜に割り当てられた魂を牧しますし、兄姉は主が立てた牧師に謙遜に従います。お互いに謙遜を身に着ける必要があるのです。イエス様は誰よりも謙遜に歩まれました。私たちも主に似せられていくことが必要です。
 第二に、神の力強い御手の下にへりくだることです。わざわざ力強い御手と書かれています。全能で力強い神の御手が私たちを守り導いてくださいます。その御手を意識し、頼ることが大切です。
 第三に、神の時と約束を信じることです。神の前に謙遜に歩む者を神はご覧になられていて、ちょうど良い時に祝福してくださいます。神の時があり、高く上げてくださるという約束を信じて歩むことが大切です。
 謙遜な者は神の力強い御手の下にへりくだります。自分の力に頼らず、主に信頼して、いつも神の力強い御手の下にへりくだりましょう。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
ペテロの手紙第一 5章 6節

2023年10月22日日曜日

「神の羊の群れを牧する」

ペテロの手紙第一 5章 1~4節
2023年10月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 長老たち、つまりは牧師や伝道者、教師に対しての教えです。しかし、教会で誰かと接し交わる訳ですから、全てのクリスチャンに有益な教えと言うことができます。
 第一に、神の羊の群れを牧することです。羊飼いが羊を養い、導き、守り、癒す働きをするように、牧師も同様の働きをします。しかしそれは牧師だけではなく全てのクリスチャンが教会でなすべき働きなのです。 
 第二に、正しい心で牧することです。強制されてではなく自発的に、卑しい利得を求めるのではなく心を込めて、支配せず模範となるように教えられています。人はどうしても自己中心となりやすいですから、正しい心でなすべきなのです。
 第三に、魂が割り当てられていると覚えることです。神様は御計画の中で、今この時に横浜聖書バプテスト教会へと導かれました。そして魂を委ねてくださっているのです。
 私たちには神の羊を牧するという大切な働きが委ねられていることを覚え、心を込めてしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。
ペテロの手紙第一 5章 2節

2023年10月15日日曜日

「キリストの苦難の証人」

ペテロの手紙第一 5章 1節
2023年10月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 長老たちへの書き出しの部分から、私たちクリスチャンが覚えるべきことについて学びましょう。
 第一に、神の前に謙遜になることです。彼は使徒であり、イエス様の最も近くで歩んだ者でしたが、私も同じ長老の一人だと言いました。ここに彼の謙遜さが表れています。霊性は謙遜さに表れますし、主はへりくだる者に恵みを与えられます。
 第二に、キリストの苦難の証人となることです。主は私の汚れた罪の身代わりに十字架で苦しみ死んでくださったと証しするのです。それは他人事ではありません。すべてのクリスチャンにこの立場と使命が与えられています。
 第三に、神の栄光にあずかる時を意識することです。主はやがて再び来られます。もしくは私たちが天に召されて主とお会いする時が来ます。そして神の栄光にあずかることができるのです。その時を意識し想定して歩むことが大切です。
 立場をよく自覚し、今後起こることを想定して歩みましょう。

<聖書のことば>
私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。
ペテロの手紙第一 5章 1節

2023年10月8日日曜日

「真実な創造者にゆだねる」

ペテロの手紙第一 4章 15~19節
2023年10月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 先週に引き続き、燃えさかるような試練に備えて、私たちが覚えるべきことを確認しましょう。
 第一に、自分に改めるべき点がないかを点検することです。私たちは自分の罪には気づきにくいという弱さがあります。まず自分自身が正しい歩みをしているかどうか点検することが大切です。
 第二に、救いの恵みから目を離さないことです。確かに様々な苦難がやって来ますが、しかし私たちは無くてはならない最も幸いな救いをいただいているのです。その救いの恵みから目を離さないことです。
 第三に、真実な創造者に委ね、善を行うことです。おことばだけで天地万物を創造された偉大な力を持ち、真実な神にこそ、私たちの魂を委ねることができます。主と教会に仕えて行くことが大切なのです。
 イエス様は多くの苦難を経験されましたが、いつも父なる神に信頼して苦難を耐え忍び、善を行いつつ歩まれました。私たちも主の模範に倣いましょう。燃えさかるような苦難の中でも真実な創造者に委ねて、最後まで忠実に歩み通しましょう。

<聖書のことば>
ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。
ペテロの手紙第一 4章 19節

2023年10月1日日曜日

「燃えさかる試練の時に」

ペテロの手紙第一 4章 12~14節
2023年10月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 この手紙が書かれた当時、クリスチャンへのひどい迫害が起きていました。それでこの手紙の読者たちに、燃えさかるような試練が来た時に、どう受け止めるべきなのかを教えました。
 第一に、不審に思ってはいけないことです。クリスチャンに迫害は必ずあるものと認識しておくことが大切です。キリストを信じれば苦しみはなくなるという間違った認識を持ってはいけません。
 第二に、喜ぶことです。その理由について3つ書かれています。一つは試練により信仰が練られ成長することができるからです。次に、キリストの苦しみにあずかり、神の栄光にあずかることができるからです。最後に神の御霊の助けを経験することができるからです。
 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けるのです。燃えさかるような試練が来る時に備えて、今日学んだことを心にとめましょう。苦難を永遠の視点で見て、耐え忍び、主にあって喜ぶ者でありましょう。

<聖書のことば>
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
ペテロの手紙第一 4章 12節

2023年9月24日日曜日

「主のまなざしを意識する」

マタイの福音書 10章 26~31節
2023年9月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 本日はCS カミング月間の最終日です。
 第一に主こそが恐れるべきお方である。人は何かを恐れて歩んでいるものです。しかし、体も魂もゲヘナで滅ぼすことのできる主こそ、恐れるべきお方であると覚えて歩むことです。そうした時に、それ以外の不必要な恐れから解放されることができます。
 第二に、主が私を顧みてくださっています。イエス様は2つのものを引き合いに出して説明されました。主はすずめ一匹さえも顧みられ、また頭の毛さえも数えておられます。それ程に、主は私たちのことを顧みてくださっています。
 第三に、主が私を愛してくださっています。口先だけの愛ではありません。実際に動いて犠牲を払ってくださる愛です。その愛が表されたのが十字架でした。主は今もその愛で愛してくださっています。
 主の愛のまなざしを意識して歩みましょう。また、孤独や悩み、恐れを抱いてい歩んでいる方に、この主についてお伝えしましょう。

<聖書のことば>
二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
マタイの福音書 10章 29~30節

2023年9月17日日曜日

「主に希望を置いたアンナ」

ルカの福音書 2章 36~38節
2023年9月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 救い主を待ち望んでいたアンナの歩みから、私たちに必要なことを学びましょう。
 第一に、環境に左右されず、主の宮で仕えました。僅か 7 年で夫に先立たれ、どれだけ苦しい歩みをしたことかと思います。しかし、彼女はそのような厳しい環境になっても、決して主の宮を離れず仕え続けました。私たちもその模範に倣うことです。
 第二に、主に頼り祈っていました。主の宮で仕え続けることができたのは、彼女が主に頼り祈っていたからです。祈りをとおして、主は働かれます。また祈りは教会におけるとても大切な奉仕です。
 第三に、主を待ち望んでいました。強靭な精神力によって、ただ我慢して待っていたのではありません。確かな主の約束に基づいて、約束を信じて、主を待ち望んだのです。私たちも主の約束を信じ頼って、主を待ち望むことが大切です。
 環境により振り回されてしまいやすい者です。そういう時こそ、主の約束を信じ、主に希望を置いて、主を待ち望みましょう。

<聖書のことば>
やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
ルカの福音書 2章 37節

2023年9月10日日曜日

「賜物の良い管理者として」

ペテロの手紙第一 4章 9~11節
2023年9月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 万物の終わりが近づいた時代において、気をつけるべきことについて続けて学びます。
 第一に、不平を言わずにもてなし合うことです。教会の兄姉がもてなし合うことが勧められています。気をつけるべきことは、不平を言わないことです。
 第二に、賜物の管理者であると自覚することです。主はすべての人にそれぞれ賜物を与えておられます。それを自分の力、自分のものと考えてはいけません。また、他の人と自分の賜物を比較してもいけません。私たちはそれぞれ主から与えられた賜物の管理者です。
 第三に、賜物を主の栄光のために用いていくことです。私たちは賜物を自分のためだけに使うべきではありません。主の栄光のために、教会のため、兄姉のために忠実に用いていくことです。
 管理者である限り、やがて主に報告する時がやって来ます。主はすべてをご存知です。管理者として忠実に主の栄光の為に賜物を用いて、主に喜んでいただく歩みをいたしましょう。

<聖書のことば>
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
ペテロの手紙第一 4章 10節

2023年9月3日日曜日

「実を結ぶ聞き方」

ルカの福音書 8章 4~15節
2023年9月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が語られた有名な種まきのたとえ話です。種は神のみことばであり、土壌は聞く人の心を表しています。
 種は四つの地に落ちました。道端は頑なな心です。それゆえサタンがみことばを持ち去ってしまいます。岩地はみことばを聞き芽を出しますが、自我があるのでそれ以上成長せず、少しのことで躓いてしまいます。岩地もみことばを聞いて芽を出しますが、神様以外のことへの関心が高く、それらが成長を妨害してしまいます。唯一、実を結んだのは良い地でした。それでは良い地とはどのような心でしょうか。
 第一に、謙遜な心です。柔らかい素直な謙遜さを持って聞くことです。
 第二に、みことばに従う心です。聞くだけで終わらせず、主に頼り、みことばに従って行こうとすることです。
 第三に、みことばを信じて忍耐する心です。みことばに少しの間だけ従うのではなく、主に信頼し忍耐して従うことが大切です。
 礼拝でも CS でも、みことばを堅い心で聞くのではなくて、良い心で聞きましょう。そして実を結ぶ歩みをさせていただきましょう。

<聖書のことば>
しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。
ルカの福音書 8章 15節

2023年8月27日日曜日

「神に知られている幸い」

エレミヤ書 1章 5節
2023年8月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは多くのことを知ろうとする者ですが、本当に知るべきことがあります。
 第一に、主は私を知っておられることです。私たちが母親の胎に宿る前から、主は私たちの存在を御存知でした。それだけではなく、神は私たちの将来についても、心の中のことも、私たちに関わる全てのことを知っておられます。
 第二に、主は私の罪を知った上で愛して下さっています。普通は人の罪の部分を知れば知る程に愛が冷めてしまうものです。しかし主はそうではありません。罪の部分を知った上で、それでも愛し続けてくださいます。
 第三に、主は私をご自分のものとして知り導いてくださいます。単に知っているだけではなく、わたしのものと個人的に深く知り、関わり、愛してくださっています。
 多くの情報が溢れており、知るべきことは多いでしょう。しかし、本当に知るべきことは、主が私のすべてを知り、愛してくださっているという事実です。その事実を覚えて、さらに主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
エレミヤ書 1章 5節

2023年8月20日日曜日

「熱心に愛し合いなさい」

ペテロの手紙第一 4章 8節
2023年8月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 先週は、神の前に静まり、神に祈ることを最優先するようにと学びました。その上で、何よりもまず大切にすべきことについて学びます。
 第一に、互いに熱心に愛し合うように、主は命じられています。神のみこころは、私たちが神を愛し、また人を愛することです。好きな人だけではなく、一時的な愛でもありません。互いに熱心に愛し続けるように、主は命じられているのです。
 第二に、愛によって多くの罪を覆うように主は望まれています。この愛は男女の愛ではありません。神が持っておられる、意志による無条件の愛です。この愛により相手の罪を覆い、平和な関係を築き、神の栄光を現すことができます。
 第三に、主の愛を受け覚えることで、人を愛することができます。私たちは自分が受けたことのない愛を人に与えることはできません。主の愛を受けて覚えてこそ、愛することができます。
 人を愛することは難しいことですが、主のご命令に従い愛する者となりましょう。そのためにも主に祈り、愛する者と変えていただきましょう。

<聖書のことば>
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
ペテロの手紙第一 4章 8節

2023年8月13日日曜日

「祈り最優先」

ペテロの手紙第一 4章 7節
2023年8月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所を通して、私たちが今の時代において、日々気をつけるべきことについて学びましょう。
 第一に、終わりの時を意識して備えることです。これは消滅する時という意味ではなく、地上での神の御計画の終わりの部分という意味です。主は再びやって来られます。終わりがあると意識し備えることが必要です。
 第二に、神の前に静まることです。祈りなさいとある前に、心を整え、身を慎むように言われました。何かをするのではなく、神の前に静まるのです。これは私たちに欠けている部分ではないでしょうか。
 第三に、祈りを最優先することです。祈らないならば、人間の知恵と力で進めることになります。そうではなく主に祈り、打ち明けていくことです。イエス様は地上で歩まれた際、いつも祈りを優先して歩まれました。私たちに模範を残してくださったのです。
 終わりの時が近づいています。日々慌ただしく歩みがちですが、神の前に静まり、祈りを献げましょう。そして主の知恵と導きをいただいて、いつも主のみこころの内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
ペテロの手紙第一 4章 7節

2023年8月6日日曜日

「申し開きの時」

ペテロの手紙第一 4章 3~6節
2023年8月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 私たちはやがて神の前に立ち、申し開きをする時がやって来ます。それに備えて、どう歩むべきでしょうか。
 第一に、罪に逆戻りしないことです。性的なこと、お酒、偶像礼拝など、かつて彼らが楽しんでいた罪に逆戻りする可能性がありました。私たちもその点で他人事ではなく、気を付けなければなりません。神のみことばを読み、主に喜ばれる道を歩み続けることです。
 第二に、人を恐れず、神を恐れることです。彼らのかつての仲間たちが中傷してくるかもしれませんが、人を恐れてはいけません。すべてを支配し正しく裁かれる神を恐れる必要があります。そうしてこそ、神によって祝福されます。
 第三に、神の裁きと救いについて伝えることです。福音を信じるなら、それだけで救われることができます。人の行いや富によるのではありません。主が必要な代価を払ってくださいましたので、信じるだけで良いのです。
 終わりの時に備えて、今を正しく歩みましょう。

<聖書のことば>
彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。
ペテロの手紙第一 4章 5節

2023年7月30日日曜日

「福音を宣べ伝えなさい」

マルコの福音書 16章 15節
2023年7月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 本日は岡崎宣教師が宣教報告のために来てくださっています。イエス様が語られた宣教の大命令について、2つのことを確認しましょう。
 第一に、宣教の働きに参加することです。この命令はすべてのクリスチャンに与えられています。ここ数年、JBBFの海外と国内の宣教が縮小する傾向にあります。様々な事情によるのですが、非常に残念なことです。だからこそ、私たち一人一人が宣教の働きにあずかることが大切です。先生たちのために祈り、経済的に支援することが必要です。
 第二に、私たちが出て行き、福音を伝えることです。出て行く場所は外国や他県でなくて構いません。自分のいる場所から遣わされている場所へ出て行き、救われていない方に福音を伝えることは、立派な宣教の働きです。そして、献身者が起こされるように祈りましょう。また、主はあなたをフルタイム献身へと導かれているかもしれません。自分だけは違うと考えずに、主の呼びかけに静かに耳を傾けましょう。
 多くの方が悩みや不安、恐れを抱えて歩んでおられます。なによりも、その行き先は滅びです。私たちがキリストの大命令に従って、福音のために自分自身を献げましょう。

<聖書のことば>
それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。
マルコの福音書 16章 15節

2023年7月23日日曜日

「地上での残された時」

ペテロの手紙第一 4章 1~2節
2023年7月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 残された地上生涯を、どのような心構えで歩むべきなのかについて学びます。
 第一に、主と同じ心構えで苦しみと闘うことです。敢えて武装すると書かれているということは、クリスチャンの生涯には霊的な闘いがあるということです。そしてイエス様も苦しみの中で闘われました。私たちも同じ心構えで闘いつつ歩むことです。
 第二に、罪との関りを断つことです。苦しみを信仰によって正しく受け止めて闘っていく時に、人は罪との関りを断つようになります。聖められていくことができます。
 第三に、主のみこころに生きることです。以前はひたすら自分中心であり、自分の思いが全てでした。しかし、主の愛を知ってからは、自分の思いではなく主のみこころを行いたいと思うように変えられました。それは本当に幸いな歩みです。
 地上生涯は永遠ではなく限りがあります。残されている時は確実に少なくなっています。その一日一日を主と同じ心構えで歩みましょう。聖められ、主のみこころの内を歩みましょう。

<聖書のことば>
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
ペテロの手紙第一 4章 2節

2023年7月16日日曜日

「苦難を通して栄光へ」

ペテロの手紙第一 3章 19~22節
2023年7月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所も、クリスチャンが受ける苦しみについて記されています。大変難解な箇所ですので最初に説明します。その上で、3つのことを学びましょう。
 第一に、たとえ苦難があっても主に従い通すことです。ノアと家族は神のおことばを信じて準備し、人々に伝えましたが、人々は信じようとせず従いませんでした。しかし彼らはそれでも主に従い通しました。
 第二に、苦難の中で主への誓いを新たにすることです。バプテスマは救いの条件ではないですが、救われた者の主への誓いです。苦難の時に信仰が揺らいでしまいがちですが、その時こそ、主への誓いを新たにすることです。
 第三に、苦難を通して、神の栄光が現れると覚えることです。イエス様は人類のために身代わりに十字架にかかり苦しみ死なれました。あの贖いの業のゆえに、今神の右に着座されているのです。苦難は神の栄光の現れる時であると覚えることが必要です。
 苦難の時、どうしても弱りやすいものです。しかし、その時こそ信仰が試されています。主の栄光のために最後まで従い通しましょう。

<聖書のことば>
イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。
ペテロの手紙第一 3章 22節

2023年7月9日日曜日

「苦しみも益に」

ペテロの手紙第一 3章 17~18節
2023年7月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 キリストのために義を行って苦しみを受けることはよいと教えられています。その理由について学びましょう。
 第一に、キリストは善を行って苦しみを受けられたからです。主は人類を救う為に来られたのに、多くの苦しみにあわれました。最終的に十字架で苦しんで死なれたのです。私たちの救い主がそうであるなら、私たちも主の為の苦しみに与るべきです。
 第二に、キリストの苦しみにより、私たちは神に導かれたからです。キリストが苦しみ死んでくださらなければ、私たちが神に導かれ救われることはありませんでした。その主のために苦しみにあうことは幸いです。
 第三に、キリストは苦しみも益に変え、良きものを与えてくださるからです。主にある苦しみは決して悪いものではありません。神はすべてを益とし、苦難をとおしても私たちに祝福を与えてくださいます。いや、苦難を通してこそ与えられる祝福があるのです。
 苦しみがあると私たちは呟き、思い煩ってしまいがちです。しかし、義のためのよいものであることを覚えて、主への信仰に立って乗り越えていきましょう。

<聖書のことば>
神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。
ペテロの手紙第一 3章 17節

2023年7月2日日曜日

「主にある希望についての弁明」

ペテロの手紙第一 3章 13~16節
2023年7月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 義の為に苦しみを受けることがあります。そのような時に、私たちが覚えるべきことについて学びましょう。
 第一に、義のために苦しむことは幸いであることです。それは神の前に敬虔に歩んでいる証拠です。また神はそのような人に豊かな報いを与えてくださいます。
 第二に、心の中でキリストを主として崇めることです。私たちの心の中の思いが大切です。人の言葉ではなく、主のみことばに耳を傾け、主に信頼して行く時に恐れは解消され、平安や喜びが与えられます。私たちの心は何によって支配されているでしょうか。
 第三に、主にある希望について弁明することです。その際、柔和な心で主を恐れつつ、健全な良心を持って語ることが必要です。そうでなければ相手の心に届かず用いられることはないでしょう。
 私たちの周りで、希望を失っている人は多いのではないでしょうか。そのような方々に主にある希望について説明しましょう。すぐに実を結ぶことはないかもしれませんが、後の日に実を結ぶと信じて伝えましょう。

<聖書のことば>
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。
ペテロの手紙第一 3章 15節

2023年6月25日日曜日

「祝福を受け継ぐために召された」

ペテロの手紙第一 3章 9~12節
2023年6月25日 第聖日
牧師 長江 忠司

 前回は教会が一つ思いとなるように教えられていた箇所から学びました。今日はその続きとなります。
 まず、悪に悪で返さず祝福しなさいと命じられています。悪には悪で返すのが一般的です。しかし主はそうせずに、その相手を祝福するように教えられました。かつて私たちは神に対して敵対していましたが、主はその私たちを祝福し救いに導いてくださいました。私たちも同じようにするのです。
 次に、その為の具体的なことが3つ記されています。
 第一に、舌に悪口や欺きを言わせないことです。
 第二に、悪を離れて、善を行うことです。
 第三に、平和を求め、追うことです。
 いずれも私たちには難しいことばかりだと思います。私たちは救われていても相手を悪く言い、悪に近づき、また平和よりも争いを起こしやすい者だからです。だからこそ主に頼り、変えていただく必要があります。
 私たちが救われたのは、祝福を受け継ぐためであったと記されています。そこに私たちの存在理由があることを覚えましょう。主により頼み変えて頂き、主に用いられる者となりましょう。

<聖書のことば>
悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
ペテロの手紙第一 3章 9節

2023年6月18日日曜日

「父親がなすべきこと」

エペソ人への手紙 5章 22~33節
2023年6月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 父親がなすべきことについて学びます。同時に、すべての人への教えであることを覚えましょう。
 第一に、妻を愛することです。イエス様の愛を模範として愛するように教えられています。夫は主に倣い、無条件に、犠牲を払って妻を愛する必要があります。主はその如く互いに愛し合うように教会にも命じられています。
 第二に、主の教育と訓戒により子供を育てることです。父親に子育ての責任が与えられています。子供を怒らせるようないい加減な導きではいけません。みことばにより正しく教え導く責任が父親にはあります。それは教会に与えられている働きでもあります。
 第三に、良き励まし手となることです。それは家庭の権威が与えられている父親の役割です。教会内でも、お互いに励まし合うことが必要です。主の愛による励まし合いのあるところに、豊かな霊的成長があります。
 主は私たちを用いたいと願われています。自分自身を主に献げて、家庭でも教会でも、魂の成長のために用いていただきましょう。

<聖書のことば>
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
エペソ人への手紙 5章 25節

2023年6月11日日曜日

「みな、一つ思いになりなさい」

ペテロの手紙第一 3章 8節
2023年6月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所では、宛先の全ての人に命じられます。
 第一に、主は私たちが一つ思いとなるように命じておられます。同じ主を愛し、主の栄光のために生き、主の教会を建て上げようとする思いです。イエス様は私たちが一つ思いとなることを願い、そのためにとりなされました。しかし、私たちには自我があり、教会であっても一つとなるのは難しいのです。
 第二に、一つ思いとなるための方法について見ます。一つ目に、同情し合うことです。共に苦しみを担い合うのです。二つ目に、兄弟愛を持つことです。私たちは神の家族の兄姉であり、イエス様は互いに愛し合うように繰り返し言われました。三つ目に、心の優しい人になることです。あわれみ深くあることが大切です。四つ目に、謙虚であることです。高慢は争いを不一致と争いを生じさせます。
 教会に集う私たち一人一人が、主の命じておられる一つ思いとなることを意識し、祈り求めていきましょう。

<聖書のことば>
最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。
ペテロの手紙第一 3章 8節

2023年6月4日日曜日

「弱さを担う」

ペテロの手紙第一 3章 7節
2023年6月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 本日は夫に対する教えについて学びます。
 第一に、相手の弱さを理解し担って歩むことです。女性は力において弱いですし、それぞれ弱さを持っています。夫はその妻の弱さを理解し重荷を担い歩むことが求められています。それは夫婦関係だけに限りません。力のある人は弱さを持つ人を理解し愛の手を伸ばす必要があるのです。
 第二に、相手を尊敬することです。男尊女卑の考えが今も残っています。しかし聖書は妻を尊敬するように教えます。それは夫婦関係に限りません。教会でも互いに尊敬し合い、互いの弱さを理解して支え合って歩むことを主は望まれています。
 そのように歩む時に、祈りが祝福されます。これらのことがなされていない夫婦関係では祈りが妨げられるということでしょう。それは主の教会も同じです。私たちはお互いの関係を省みる必要があります。主が教えられたとおりに弱さを担い、愛を与える生涯を送りましょう。

<聖書のことば>
同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。
ペテロの手紙第一 3章 7節

2023年5月28日日曜日

「神に希望を置く」

ペテロの手紙第一 3章 1~6節
2023年5月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 本日は、妻に対して語られている箇所から学びます。
 第一に、夫に従うことです。それは神の立てられた家庭における秩序であり、従うという無言のふるまいにより神を示すためです。言葉により伝えることは言うまでもなく大切ですが、ふるまいはある意味で、言葉以上に力があり相手に良い影響を与えます。
 第二に、内面の美しさを飾りとすることです。人は外面の美しさを気にして飾るものです。しかし、主は内面の美しさを飾りとするように教えられています。特に、柔和さと穏やかな霊を持つことが挙げられています。御霊により、主に似せられて行くことが大切です。
 第三に、神に望みを置いて歩むことです。その一例として、サラが挙げられています。彼女は決して完全ではありませんでしたが、主に信頼し希望を置いて、夫に従って歩みました。
 神を信じていても困難はやって来ます。その際に、何に希望を置いて歩むのかが大切です。クリスチャンであっても、この世のものに希望を置いてしまいがちです。そうではなくて、主にこそ希望を置いて、内面を輝かし、証しを持って歩みましょう。

<聖書のことば>
かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。
ペテロの手紙第一 3章 5節

2023年5月21日日曜日

「たましいの牧者のもとに帰る」

ペテロの手紙第一 2章 24~25節
2023年5月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 前回に続いて、しもべたちに語られたおことばから学びます。ここには、私たちクリスチャンの置かれている状態が記されています。
 第一に、私たちは主によって癒されました。かつては罪の病により、神を無視して滅びに向かって歩んでいました。しかし今は癒されて、新しいいのちが与えられているのです。また、少しずつ聖められていますし、時に受ける心の傷も主により癒していただけます。主は癒し主です。
 第二に、私たちは牧者である主のもとに帰りました。牧者と羊の関係を考えると、主と私たち人間の関係がわかります。牧者は羊を導き、養い、迷うならば捜し出し、守ります。同様に、牧者なる主は私たちを導き、みことばによって養い、迷うならば捜し出し、敵から守ってくださるのです。十字架こそまさにそうであったのです。
 問題は、私たちが羊であると自覚していないことです。羊とよく似た弱い存在であることを自覚することが大切です。そして、牧者である主に従って行きましょう。共に歩んで下さる主から、目を離さないようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
ペテロの手紙第一 2章 25節

2023年5月14日日曜日

「ヨケベデの信仰」

出エジプト記 2章 1~10節、ヘブル人への手紙 11章 23~26節
2023年5月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヘブル人の男の赤ちゃんを殺せという王の命令が出ていましたが、モーセの両親は王を恐れずモーセを生かしておきました。主は守られ、母ヨケベデが乳母となり育てました。彼女はモーセに何を教えたのでしょうか。
 第一に、神を恐れなさいということです。王よりも神を恐れていました。モーセにも神を恐れて歩むように教えたでしょう。だからこそ、彼は後にエジプトの王よりも神を恐れて、神に従って歩みました。
 第二に、神に信頼しなさいということです。両親は信仰により子供を隠したと書かれています。先が見えない中で神に信頼し行動しました。
 第三に、神に価値を置いて歩みなさいということです。モーセは神の民と共に苦しむことを選び取りました。そのように親から教えられたのでしょう。この世のものは変わりやすくいつか無くなるものばかりです。しかし神が用意されるものは永遠であり、それこそが価値あるものなのです。
 私たちは何を恐れ、何に信頼し、何に価値を置いて歩んでいるでしょうか。その歩みが子供や若い方々に影響を与えます。生きた信仰を次の世代に残す者となりましょう。

<聖書のことば>
信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。
ヘブル人への手紙 11章 23節

2023年5月7日日曜日

「ののしり返さず」

ペテロの手紙第一 2章 22~24節
2023年5月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロはしもべたちに語る中で、イエス様の歩みについて言及しました。
 第一に、主は私たちのために自ら死んでくださいました。形としてはユダヤ人宗教指導者たちやローマ兵により殺されましたが、実際はそうではありませんでした。イエス様は神の御計画に従い、まっすぐと十字架へ向かわれ、全ての人が救われるために自らいのちを渡されたのです。
 第二に、主は正しくさばかれる神に任せられました。イエス様はののしられましたがののしり返さずに、すべてをご存知であり正しくさばかれる父なる神に委ねられたのです。
 第三に、主は私たちがイエス様の義に生きるために死なれました。イエス様が身代わりに死んでくださったのは、私たちが天国に行くためだけではありません。私たちが罪から離れ、義のために生きるためでした。それこそが主のみこころなのです。
 私たちは何のために生きているでしょうか。神を信じない方と同じような歩みをしないようにしましょう。主の模範に倣って、主に信頼し委ねつつ、主のために生きる者でありましょう。

<聖書のことば>
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
ペテロの手紙第一 2章 23節

2023年4月30日日曜日

「しもべたちへの教え」

ペテロの手紙第一 2章 18~21節
2023年4月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロはしもべたちに対して書き記しました。一つは、良くない主人に対しても敬意を込めて従うようにと、不当な苦しみを耐え忍ぶようにです。神のみことばに反することについては、私たちは従う必要はありません。しかし、意地悪な主人でも敬意を込めて従い、また不当な苦しみを耐え忍ぶようにと主は言われています。
 その理由として第一に、神が喜ばれるからです。神にすべてを委ねて、主人に従い、不当な苦しみを耐え忍ぶ信仰を主はご覧になり喜ばれるのです。状況や相手だけを見ていると、私たちは感情的になってしまいます。そのような時、主がどう見ておられるかを覚えることが大切です。
 第二に、イエス様の模範に倣うことになるからです。イエス様は十字架につけられ、これ以上ない不当な扱いを受け苦しめられました。私たちのために、その苦しみを耐え忍ばれたのです。その模範に倣うようにと言われています。
 主の愛と忍耐のお陰で私たちは救われることができました。私たちはそのようなイエス様に似せられるように、主に祈り求めましょう。

<聖書のことば>
もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
ペテロの手紙第一 2章 19節

2023年4月23日日曜日

「目を覚ましていなさい」

マルコの福音書 13章 32~37節
2023年4月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 復活されたイエス様は昇天され、今は御国におられます。しかし聖書には、主は再びやって来られると預言されています。携挙、7 年間の患難時代、そして地上再臨があります。その事を語る中で「目を覚ましていなさい」と繰り返し言われました。それは何を意味しているのでしょうか。
 第一に、主イエスキリストを信じ、また福音を伝えることです。信じていない方にとって最も大切なのは福音を信じて救われることであり、救われたクリスチャンに大切なのは福音を伝えることです。
 第二に、主が来られるまで状態をよく見て歩むことです。門番の仕事の一つはしっかりと見張ることです。私たちも自分の霊的状態をしっかり見て、悪しき者の誘惑から守られるように気をつけて歩むことが必要です。
 第三に、主から委ねられた責任を果たし、主を待ち望むことです。やがて主が帰って来られると、主の前に立ち報告する時が来るのです。
 私たち救われた者は、この世のことで心を支配されて歩んではいけません。やがて来られる主をいつも待ち望み、最後まで忠実に歩みましょう。

<聖書のことば>
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。
マルコの福音書 13章 33節

2023年4月16日日曜日

「復活の主からの命令」

マタイの福音書 28章 16~20節
2023年4月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 先週は、主が死なれて 3 日目によみがえられた箇所から学びました。本日は、復活された主が弟子たちに命じられたことから学びましょう。
 第一に、救われた私たちが主の弟子となることです。イエス様は救われた者がキリストの弟子となることを願われています。弟子とは主を愛して、主を第一として従っていく人のことです。救いを受けたことは素晴らしいことですが、それで満足していてはいけないのです。共に弟子として成長するように励まし合うことが大切です。
 第二に、救われた私たちが主の弟子を育成することです。そのためには、その方のところへ行かなければなりません。また、バプテスマを授けることです。主は救われた者にバプテスマを受けて教会につながるように命じておられます。また、主のことばを教えることです。
 主が今年度、私たちに望まれていることは、私たちがさらにキリストの弟子として成長していくことであり、弟子を育成することです。私たち自身を主にお献げして、主に用いていただきましょう。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
マタイの福音書 28章 19~20節

2023年4月9日日曜日

「希望に満ちたイースター」

マタイの福音書 28章 5~6節
2023年4月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 主が十字架で死なれた後、弟子たちは希望を失い、恐れて隠れておりました。私たちが確かな希望を持って歩むために必要なことを学びましょう。
 第一に、主の約束は必ず成就すると信じ、心に留めて歩むことです。弟子たちは主からイエス様の十字架の死と復活について聞いていたものの信じず、心に留めていなかったので希望を失いました。主の約束は聞いているだけでは駄目なのです。
 第二に、主が共に歩まれていると覚えて歩むことです。彼らは主が死んで共に歩まれなくなった時に希望を失い恐れましたが、復活の主が共に歩まれた時に希望に満ちました。主はいつも私たちと共にいてくださると約束してくださっています。
 第三に、主が死に勝利させてくださると覚えて歩むことです。主は死なれましたが復活され、肉体を持って弟子たちの前に姿を現されました。それが初穂であるとコリント書に教えられています。私たちも死に勝利し、やがて朽ちない完全な体を与えていただくことができるのです。
 主こそが確かな希望を与えてくださるいつも心に留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
マタイの福音書 28章 6節

2023年4月2日日曜日

「十字架で苦しみ死なれた主を覚える」

マタイの福音書 27章 24~50節
2023年4月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 先週に引き続き、イエス様の受難について学びます。
 第一に、主が誰よりもあざけられ苦しめられたことを忘れてはいけません。ローマの鞭で打たれ体中 が ズタズタになったことでしょう。また、ローマ兵から あざけられました。栄光の主が私たちのために、 誰よりも苦しめられあざけられたことを忘れてはいけません。
 第二に、主が苦難の道を歩み通されたことを忘れてはいけません。主はビアドロローサという苦難の道を、十字架の横木を背負って歩んで行かれました。逃れることができましたが、カルバリの丘まで歩まれました。
 第三に、主の十字架の苦しみは愛を表わしていることを忘れてはいけません。十字架刑はすぐには死なせず長く苦しめる恐ろしい死刑方法でした。イエス様は十字架から降りることができましたが、 私たちへの愛がそうさせませんでした。
 私たちの人生に 時に苦しみがやって来ます。信仰を持っているのにどうしてと思うことがあるかもしれません。しかしそのような時、十字架のイエス様を覚えて、勝利させていただきましょう。

<聖書のことば>
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイの福音書 27章 46節

2023年3月26日日曜日

「主を否んだペテロ」

マタイの福音書 26章 57~75節
2023年3月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イースターを前にして、十字架の前に起きた出来事から学びましょう。
 第一に、主を排除しようとする罪に気をつけることです。ユダヤ人の宗教指導者たちはイエス様を殺そうと企んでイエス様を捕え、夜中の裁判を開きました。そこには神を恐れず排除しようとする心がありました。私たちはクリスチャンですが、そのような罪があることを認め気をつけるべきです。
 第二に、主のみことばを自分のこととしてしっかり聞くことです。鶏が二度鳴く前にペテロが主を三度否むと聞いていましたが、自分は大丈夫だと考えていました。しかし女性から仲間だと問われた時に、彼は主を三度否んでしまったのです。私たちも他人事としてみことばを聞いていると失敗することになります。自分のこととしてしっかりみことばを聞くことが大切です。
 主は不完全な私たちを憐れみ、やり直す機会を与えてくださることです。ご自身を否んだペテロを主は見つめられました。それは裁きの目ではなく憐れみの目であり、主は彼が立ち直った時の使命を与えておられました。主は私たちをも同様に見ておられ、使命を与えておられます。
 憐れみと恵みに満ちた主に信頼して、主に用いていただきましょう。

<聖書のことば>
するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「そんな人は知らない」と言った。すると、すぐに鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て行って激しく泣いた。
マタイの福音書 26章 74~75節

2023年3月19日日曜日

「主のみことばで奮い立つ」

エズラ記 1章 1~5節
2023年3月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 エズラ記をとおして、主の導きについて学びましょう。
 第一に、主が志を与え導かれます。主はキュロス王に働きかけ、イスラエルの民がエルサレムに帰還し、神殿を再建命令を出すように導かれました。主は今も人の心に働き、みことばで導かれます。
 第二に、主に従おうとする時、サタンは妨害して来ます。彼らは帰還して再建工事にとりかかりましたが、敵の妨害にあい工事は中断してしまいました。同様に今でも、主に従って前進しようとする時に、サタンは確実に妨害してきます。
 第三に、主のおことばで奮い立つ時に勝利し成し遂げることができます。状況だけを見ていると恐れてしまい逃げたくなるものですが、主のみことばをいただき奮い立たせられる時に、主の力と知恵が与えられ成し遂げることができるのです。
 会堂建築も同じです。みことばを見て、信じて、主によって心を奮い立たされて成し遂げましょう。

<聖書のことば>
そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。
エズラ記 1章 5節

2023年3月12日日曜日

「神のしもべとして」

ペテロの手紙第一 2章 13~17節
2023年3月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所でも、クリスチャンたちがどのように歩むべきなのかが教えられています。
 第一に、人が立てた制度に従うことです。私たちはこの世においては旅人であり寄留者なのですが、この世において責任を持ち、人が立てた制度に従うことで、証しのある歩みをする必要があります。
 第二に、神のしもべとして歩むことです。この世の制度に従うのですが、同時に私たちは神のしもべであり自由とされています。私たちは主のみことばに従ってこそ、自由になることができるのです。
 第三に、神を恐れて歩むことです。神を恐れて歩む時に、全ての人や王を敬いますし、兄弟たちを愛することができます。神を恐れることがとても大切です。
 この世は間違った自由を教えて来ます。しかしそこには本当の自由はなく束縛があります。神を恐れて、神のしもべとして歩み、本当の自由を味わいつつ歩みましょう。

<聖書のことば>
自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。
ペテロの手紙第一 2章 16節

2023年3月5日日曜日

「旅人、寄留者として」

ペテロの手紙第一 2章 11~12節
2023年3月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 クリスチャンが自覚すべきことと、なすべきことが記されています。
 まず、神の民として自覚すべきことの一つは、神から愛され他の者を愛する者とされていることです。愛は神から出ています。私たちは神から愛され、兄姉を愛し、また救われていない人を愛する者とされています。もう一つは、この世において旅人であり寄留者であることです。このことを覚えていないと、神を信じない人と同じ歩みをすることになります。
 次に、私たちに勧められていることの一つは、肉の欲を避けることです。それは私たちのたましいに戦いを挑みます。備えなければ攻撃され、神から離れ堕落した歩みをすることになります。もう一つは、未信者の間で立派にふるまうことです。完全に歩むということではなく、救われた者として主を証ししつつ誠実に歩むことです。主はそのような私たちの歩みを用いられるのです。
 私たちは旅人であり寄留者であることをしっかり自覚しましょう。そうすれば優先順位やなすべきことがわかります。主は私たちを証し人として用いられるのです。

<聖書のことば>
愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
ペテロの手紙第一 2章 11節

2023年2月26日日曜日

「宣教月間の後も」

テサロニケ人への手紙第二 3章 1節
2023年2月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロの要請から、2 つのことが教えられます。
 第一に、教会の祈りが必要です。パウロは当時の最高の教育を受けた人物であり多くの経験と実績がありましたが、語る力が与えられるようにと、教会の祈りを要請しました。それは宣教の働きが霊的な戦いであり、常に悪魔の妨害があることと、だからこそ教会の祈りなくしてこの働きを前進させることはできないことを、彼がよく理解していたからでした。
 第二に、途中で止めてしまってはいけません。継続的な祈りの要請がされています。私たちは本日宣教カンファレンスを行い、また今月を宣教月間として取り組み、チャレンジをいただきました。しかし、これで止めてしまっては意味がありません。継続が必要です。
 宣教の働きは現地の宣教師が単独で行っていると考えるのは間違っています。宣教のための祈りや支援があってはじめて、宣教師たちは働くことができますし、実を結ぶことができます。ですから、私たちは宣教月間だけで満足しないようにしましょう。宣教月間の後も続けて、主から示されたことを行い、同労者として主に用いていただきましょう。

<聖書のことば>
最後に兄弟たち、私たちのために祈ってください。主のことばが、あなたがたのところと同じように速やかに広まり、尊ばれるように。
テサロニケ人への手紙第二 3章 1節

2023年2月19日日曜日

「いのちのパンを配る」

ヨハネの福音書 6章 1~14節
2023年2月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は僅か 5 つのパンと 2 匹の魚で、男性だけで 5 千人のお腹を満たされました。
 第一に、主は私たちの信仰を試され、強められることです。主はこれからしようとされている事をご存知の上で、敢えてピリポにどこから買って来て食べさせるかとたずねられました。ピリポはじめ弟子たちの信仰がさらに成長するためでした。主は今も私たちを同様に試されます。
 第二に、主を見た上で、状況を見ることです。ピリポもアンデレも現状を見て否定的な意見を語りました。彼らは肝心な主を見ていなかったのです。困難の時、主と主の約束を見ることが大切です。
 第三に、主は献げる者を祝福し、豊かに用いてくださることです。主は少年の持っていた僅かなお弁当や不完全な弟子たちを用いて栄光を現されました。今も主は私たち人を用いて栄光を現されます。
 イエス様は「わたしはいのちのパンです」と言われました。主に献げ用いていただき、いのちのパンを配る者となりましょう。

<聖書のことば>
彼らが十分食べたとき、イエスは弟子たちに言われた。「一つも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい。
ヨハネの福音書 6章 12節

2023年2月12日日曜日

「悪霊に束縛された男性の救い」

マルコの福音書 5章 1~20節
2023年2月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様と弟子たちは湖をわたりゲラサ人の地に着きました。そこには悪霊につかれている男性がいました。
 第一に、主はおことばにより、束縛から解放させてくださいます。悪霊に支配され束縛状態にあった彼を、主はおことばにより解放させられました。主は私たちをも、縛り付けているものから解放してくださいます。
 第二に、主はおことばにより造り変えてくださいます。その男性は正気に帰り主のもとに座っていました。驚くべき変化があったのです。主は今でもおことばにより、人を大きく造り変えられます。
 第三に、主の愛と憐れみを伝える使命が与えられています。主は彼に家に戻って、主がどれ程に憐れみ大きなことをしてくださったかを知らせるように言われました。それは私たちへの使命でもあります。
 霊的に見るなら、同様に束縛されている人が私たちの周りに沢山おられます。主は私たちにも身近なところで、主の愛と憐れみを知らせるようにと使命を与えられておられます。

<聖書のことば>
しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
マルコの福音書 5章 19節

2023年2月5日日曜日

「キリストの証人となる」

使徒の働き 1章 6~8節
2023年2月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 今月は宣教月間です。イエス様が昇天される前に語られたおことばから学びましょう。
 第一に、救われた私たちは皆、キリストの証人とされていることです。一部の限られた人だけではなく、すべてのクリスチャンにこの使命が与えられています。主が自分にしてくださったこと、自分がどう変えられたかを身近な方に証言するのです。
 第二に、主は3つのエリアで証しするように命じられています。まず、自分が今いる場所です。いつも交わっている、自分の影響の及ぶ範囲の方々にお伝えします。次に自分の住んでいる国、私たちで言えば日本です。また、そこに住む外国の方々も含まれます。私たちは同胞の救いのためにどれくらい祈っているでしょうか。そして、世界の国々です。現地に行くことはできないかもしれませんが、祈りや献金により、働きに参加することができます。
 私たちは自分に与えられているこの大切で責任ある使命をよく覚えて、しっかりと果たしましょう。

<聖書のことば>
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
使徒の働き 1章 8節

2023年1月29日日曜日

「私たちの立場と務め」

ペテロの手紙第一 2章 7~10節
2023年1月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 キリストを信じ救われた者の立場と務めについて書かれています。
 第一に、救われたのは大きな恵みであることです。キリストを拒み従わない方が大勢おられます。その中で私たちは神の恵みと憐れみにより救われました。私たちは日々、その恵みを覚え、救われたことを確かにすることが大切です。
 第二に、私たちの立場を自覚することです。私たちは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民とされています。神を信じない人とは全く異なる立場とされていることを覚えましょう。
 第三に、私たちの務めは闇の中にいる方々に光を届けることです。かつては私たちが闇の中にいましたが、主が光の中へ導いてくださいました。私たちが今度、闇の中にいる方々に光を届け、主のもとへ導く役割が与えられているのです。
 救われた私たちは驚くべき自分の立場を忘れないようにしましょう。そして、新たな人生観で委ねられた務めを果たしていきましょう
<聖書のことば>
しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
ペテロの手紙第一 2章 9節

2023年1月22日日曜日

「生ける石として」

ペテロの手紙第一 2章 4~6節
2023年1月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 救われた私たちの立場について、語られます。
 第一に、主は要の石となられ、私達が信頼すべきお方であることです。人はイエス様をあざけり十字架に貼り付けにして殺してしまいました。しかし神はそのイエス様の死と復活をとおして人類に救いを与えられたのです。このお方は私たちが信頼すべきお方です。
 第二に、私たちも生ける石として教会に築き上げられることです。教会が霊的な建物としてたとえられています。イエス様は要の石であり、神は私たちをその上に築き上げてくださいます。これは素晴らしい祝福です。
 第三に、私たちは祭司として神に喜ばれるいけにえを献げる務めがあることです。主が喜ばれるのは形式的な礼拝ではなく、賛美、善行、従順です。いつも主に喜ばれるいけにえを献げることを心がける必要があります。
 私たちが主のもとへ行くことが大切です。そして、主によって強められ、教会に築き上げられ、神に喜ばれるいけにえを献げましょう。
<聖書のことば>
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
ペテロの手紙第一 2章 4~5節

2023年1月15日日曜日

「生まれたばかりの乳飲み子のように」

ペテロの手紙第一 2章 1~3節
2023年1月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは救われて、新しく生まれることができました。ですから、霊的に成長していくことが自然であり、また求められています。その為に必要なことについて学びます。
 第一に、成長を妨げている悪いものを捨てることです。悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口などは、誰の心にもあります。その罪を示されたら、主に罪を告白し捨てていくことが必要です。
 第二に、みことばを慕い求めることです。生まれたばかりの乳飲み子は貪欲に乳を慕い求めます。それが大切なエネルギーであることを本能的に知っているのでしょう。私たちもその如く、礼拝や平日の集会に出席し、また個人的にもみことばを貪欲に読むことが大切です。
 第三に、成長を目指すことです。神は私たちのような罪深い者のために命を捨ててくださり、救いへと導いてくださいました。そのいつくしみを覚え感謝して、成長を目指すことが大切なのです。
 私たちは霊的成長をどれくらい望んでいるでしょうか。今の状態に満足せず、みことばの乳を慕い求めて成長させていただきましょう。
<聖書のことば>
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ペテロの手紙第一 2章 2節

2023年1月8日日曜日

「幸いな信仰生涯を送るために」

マタイの福音書 6章 25~34節
2023年1月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 成人を迎えられた方、また全ての方が幸いな信仰生涯を送るために、何が必要でしょうか。
 第一に、思い煩いに時間を費やさないことです。人は思い煩いやすいところがあります。しかし、思い煩ったところで何も変わりません。神が顧みてくださっていることを信じて、神に信頼して委ねて歩むことです。
 第二に、第一のお方を第一とすることです。イエス様は神の国とその義を第一とするように言われました。優先順位が狂うと、全てが狂ってしまい、様々な問題を生じさせます。
 第三に、信仰を働かせて歩むことです。信仰を働かせないならば、世の方と同じような歩みをすることになります。みことばを読み、聖霊の励ましと導きをいただいて、神への信仰を働かせることが大切なのです。
 新しい年が始まりました。私たちはどのような信仰生涯を歩みたいでしょうか。気をつけないと世の方と変わらない歩みとなってしまいます。主から与えられている信仰を働かせて、生き生きとした幸いな生涯を送りましょう。
<聖書のことば>
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
マタイの福音書 6章 30節

2023年1月1日日曜日

「正しく歩むための3つの問いかけ」

ヘブル人への手紙 11章 23~27節
2023年1月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 今年一年も忙しく、慌ただしく毎日が過ぎていくことと思います。そのような中で、主の前を正しく歩むために3つの問いかけが必要です。
 第一に、誰を恐れるかです。モーセの両親はエジプトの王ではなく神を恐れ神のみこころに従いました。私たちも人を恐れるのではなくて、全てを支配し正しく裁かれる神を恐れ、神に従うことです。
 第二に、何に価値を認めて選び取るかです。モーセはエジプトでの優雅な生活よりも、神の民とともに苦しむことを選び取りました。私たちもこの世の魅力的なものに固執するのではなくて、主の栄光のために教会の兄姉とともに苦しむことを選び取るならば幸いです。
 第三に、何を見て忍耐するかです。モーセは見えない神を見るようにして信頼し、苦難を忍び通しました。私たちも見えない神にこそ目をとめて、困難を忍び通すことが大切です。
 新たな年が始まりました。日々、これらの問いかけを自分にしつつ確認して歩むならば、主の前を正しく歩み通すことができるのです。
<聖書のことば>
信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
ヘブル人への手紙 11章 24~25節