2017年4月30日日曜日

「キリストのための苦しみ」

ピリピ人への手紙1章29~30節
2017年4月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはピリピのクリスチャンたちに、信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも主から賜わっていることについて語りました。キリスト者として生きて行く上で受ける様々な苦しみは私たちをどう導くのでしょうか。
 第一に、主の御苦しみを理解するようになります。主が地上で受けられた多くの苦しみを、一端ですが理解できるようになります。
 第二に、主にのみ頼るようになります。苦しみが無いと人はなかなか神に頼ろうとしないものですが、苦しみの中ではじめて人は主を見上げ頼ろうとするのです。
 第三に、主に似せられて行くようになります。霊的に強められ整えられ、キリストに似せられて行くのです。
 主は私たちを愛しご計画をお持ちだからこそ、時に苦しみを与えられます。私たちはその苦しみ、試練を主から受けたものとして大切にし応答しましょう。苦しみは成長する良い機会なのです。

<聖書のことば>
あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。
ピリピ人への手紙1章29節

2017年4月23日日曜日

「平安があるように」

ヨハネの福音書20章19~26節
2017年4月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 弟子達はイエス様の復活の知らせを聞いても、まだ恐れ隠れていました。平安を失っていた彼らの前に主は来られ「平安があるように」と言われたのです。平安を失った時に覚えるべきことを学びましょう。
 第一に、主が私たちの内に住み、共に歩んでくださることです。私たちの内にも聖霊は住まれています。決して離れられることはないのです。
 第二に、主が私たちの全てを御存知で導いてくださることです。その場にいなかったトマスは復活を疑いましたが、主は彼を知り彼の為に再度お越しになられました。主は私たちをもよく御存知で導いてくださいます。
 第三に、主が私たちを勝利者とならせてくださることです。誰も打ち破ることのできなかった死に勝利された主は、主を信じる私たちを圧倒的な勝利者とならせてくださるのです。
 主は私たちと共におられて、「平安があるように」と御声をかけてくださいます。主の平安をいただいて歩みましょう。

<聖書のことば>
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
ヨハネの福音書20章19節

2017年4月16日日曜日

「イースターって何だろう?」

ローマ人への手紙4章24~25節
2017年4月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イースターが取り上げられるようになりましたが、その意味について理解されている方は少ないと思います。これを正しく理解するために、キリストの十字架の死と復活について知る必要があります。
 まず、キリストの十字架の死は贖い御業の完了を意味しています。罪ゆえにさばかれ地獄に入れられて当然であった私たちのために、主は身代わりに死んでくださいました。それによって、私たちを買い戻してくださったのです。それゆえに、救われる為になすべきことは、信じること以外は何も残されていないのです。
 次にキリストの復活の意味についてです。それは第一にキリストは神であることです。第二にキリストを信じる者は罪に定められないことです。第三にキリストを信じる者はやがてよみがえることです。第四に、キリストの為の奉仕に報いが与えられることです。
 イースターは復活されたキリストをほめたたえる時です。生きておられるキリストと生きた関係をもって歩みましょう。

<聖書のことば>
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
ローマ人への手紙4章25節前半

2017年4月9日日曜日

「希望を失った時に」

ヨハネの福音書20章1~18節
2017年4月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 墓の中にイエス様の遺体は既にありませんでした。しかし彼らは復活について理解せず希望を失っていたのです。その様な時に覚えるべきことを学びましょう。
 第一に、霊的に古い場所に戻らないようにしましょう。ペテロたちは元いた場所へと戻って行きましたが、マリヤはそこにい続けました。私たちも霊的に後退するのではなくて、主のお取り扱いの中で前進しようとすることが大事です。
 第二に、主への信頼を確かなものとしましょう。泣き悲しんでいたマリヤは主が全てを支配されている全能のお方であることを忘れていました。このような時こそ、主への信頼を確かにすることです。
 第三に、主の臨在に目を留めましょう。マリヤの後ろに主はおられました。彼女はそれに気づいておらず、悲しんでいました。私たちも主の臨在に気づかないならば、悲しみが心を支配するようになるのです。
 希望を失った時にも主は共におられます。復活の主を覚えましょう。

<聖書のことば>
イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」
ヨハネの福音書20章15節前半

2017年4月2日日曜日

「神に用いられる人」

ヨシュア記6章1~7節
2017年4月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 本日から新年度が開始されました。神に用いられる歩みをさせていただきたいと願います。そのために何が必要でしょうか。
 第一に、主にささげることです。ヨシュアはモーセの後継者となるにあたり大きな恐れがあったでしょう。しかし彼は全てを主にささげ仕えて行きました。今も同じであり、主にささげる心が大切です。
 第二に、主に従うことです。エリコと戦うにあたり、人間的には意味不明な指示が主から出されました。しかしヨシュアはそれに従って行ったのです。みことばが示された時、拒まずに従っていくことです。
 第三に、主に信頼することです。そこには強敵が住んでおり、下手をすれば攻撃され滅ぼされる危険がありました。しかし、彼らは敵よりも主に信頼して従いました。私たちも主に信頼して歩みましょう。
 新年度、昨年度と同じ状態にあることを願うのではなく、さらに神に用いられることを願いましょう。主の栄光のためにささげて行きましょう。

<聖書のことば>
あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。
ヨシュア記6章3節