2015年12月27日日曜日

「恵みのリストアップ」

詩篇103篇1~22節
2015年12月27日 第4聖日
牧師 長江忠司

 主からいただいた恵みを忘れず、恵みを覚えて主をほめたたえるようにと教えられています。どの様な点で、恵みを覚えるべきでしょうか。
 第一に、主が全ての咎を赦して下さったことです。ダビデは神と人とに対して罪を犯しましたが、主はその罪を赦されました。彼はそれを何よりも感謝したのです。私たち もかつては罪に支配されてさばかれる定めにありましたが罪赦されました。その恵みを覚えて最も感謝するべきです。
 第二に、主が私たちの命をお守り下さったことです。ダビデは数々の困難にあいまし たが、その中で主の守りをいただきました。私たちも今年一年様々なことがありました が、その中で主の守りをいただきました。その恵みを思い返して感謝すべきです。
 第三に、主が私たちの人生を良いもので満たして下さったことです。ダビデの人生においても、全てが益となり良きもので満たされました。私たちの人生においても、苦しい事がありますが、主は全てを益とされ良きもので満たして下さるのです。
 慌ただしく一年を終えるべきではありません。今年一年の恵みをリストアップし、主をほめたたえて新たな一年を始めるようにしましょう。

<聖書のことば>
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
詩篇103篇2節

2015年12月20日日曜日

「喜びの知らせ」

ルカの福音書2章8~20節
2015年12月20日 第3聖日
牧師 長江忠司

 多くの方がただのイベントとしてのクリスマスを過ごしておられますが、クリスマスの本当の意味を知って恵みを受けていただきたいと思います。まず、神と人間との関係について見ましょう。
 第一に、神は私たち人間を愛しておられます。神は私たちを造られ、尊い存在として見て下さっています。
 第二に、私たち人間は皆罪人です。罪の無い人は一人もいません。
 第三に、神は罪人をさばかれます。神は罪を見過ごすことができません。
 第四に、神は私たちを救う為にお越し下さいました。人間の身代わりに死ぬ為に、主はこの地上にお越し下さいました。
 次に、主がお生まれになった時の人間の神への応答について見ましょう。
 第一に、無関心や拒絶した人がいました。イエス様が生まれる場所は無かったことがその事実を表しています。
 第二に、みことばを信じて応答した人がいました。羊飼いたちや東方の博士たちがそうでした。その結果、彼らは喜びに満たされました。
 私たちもみことばを信じ、主を迎え入れ応答するものでありましょう。そのような者にこそ、主の祝福は豊かに注がれるのです。

<聖書のことば>
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
ルカの福音書2章10節

2015年12月13日日曜日

「苦難の時に主が語られたこと」

ゼカリヤ書2章1~13節
2015年12月13日 第2聖日
牧師 長江忠司

 バビロンからエルサレムに帰還したユダの民は敵の妨害にあい、長い間工事を中断しなければなりませんでした。主はそんな彼らにゼカリヤを通してみことばを与えられたのです。その語られたことについて学びましょう。
 第一に、主の守りを信じて頼りなさいということです。あなたがたに触れる者はわたしの瞳に触れる者だと言われました。主はご自分の瞳の如くに私たちをお守り下さいますので、主を信じて頼るべきなのです。
 第二に、主の側に立ちなさいということです。バビロンを離れてエルサレムに逃れるように言われています。私たちもどっちつかずではなくて、本来いるべき神の側に明確に立つべきです。
 第三に、主の前に心を静めなさいということです。弱い人間が主の前に静まるべきことが教えられています。主が御座から立ち上がり地上に来られるからでした。私たちも自分の弱さを知り、主の前に静まる必要があるのです。
 私たちも苦難の中に入れられることがあります。しかし、その時こそ、主の前に静まりましょう。主は私たちと共にいてお守り下さることを信じて頼るものでありましょう。

<聖書のことば>
すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。
ゼカリヤ書2章13節

2015年12月6日日曜日

「イエスを売り渡したユダ」

マルコの福音書14章10~11節
2015年12月5日 第1聖日
牧師 長江忠司

 祭司長たちはイエス様を殺そうと決めておりましたが、弟子のユダが主を裏切り、彼らに売り渡しました。まず、ユダの失敗について見ましょう。
 第一に、間違った期待をしていました。彼も主がすぐにでも地上的な王国を建てると考えていたのでしょう。偉くなることを期待していました。
 第二に、間違った神に仕えていました。彼は主の弟子でありながら、いつしか富に心を支配され、富を神として仕えるようになっていました。
 祭司長たちはユダに銀貨30枚を渡しました。その意味するところは何でしょうか。一つは奴隷の価格でした。祭司長たちはイエス様に対して、敢えて律法で定められていた奴隷の値を付けたのです。もう一つは、預言されていたことでした。ゼカリヤ書にその預言が記されています。主は全てをご存知の上で、自分をいけにえとしてお売りになられたのです。
 主を軽んじ売り渡してしまったユダは悲惨な死に方をしました。私達は絶対に彼に倣ってはいけません。彼を反面教師として歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
マルコの福音書14章10節