2021年1月31日日曜日

「行く先々で」

創世記 30章25~43節
2021年1月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブがラバンに対して、故郷へ帰らせてほしいと願い出ました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、行く先々で共にいてくださる主に目を留めることです。ヤコブは彼の行く先々で主が祝福してくださったことを認めました。私たちの人生についても同じです。主は行く先々で、私たちと共にいて守りと祝福を与えてくださいます。
 第二に、表面的な祝福に固執しないことです。ラバンはその行動から見て、どこまでも富に固執したことがわかります。私たちはこの世の富に固執するのではなく、天での祝福に目を留めるべきです。
 第三に、神が正しく取り扱ってくださると覚えることです。ラバンの悪しき取り扱いの中でヤコブは家畜を殖やすのに色々な策をとりましたが、主が彼を富ませてくださいました。私たちが頼るべきは主であり、自分の知恵や力に頼らず、また自分で復讐を考えないことが大切です。
 私たちの人生でも予期せぬ色々なことが起きてきます。理不尽なこともあります。しかし行く先々で共におられ導かれる主に頼り歩みましょう。

<聖書のことば>
私が来る前は、あなたの財産はわずかでしたが、増えて多くなりました。私の行く先々で主があなたを祝福されたからです。いったい、いつになったら私は自分の家を持てるのですか。」
創世記 30章30節

2021年1月24日日曜日

「恋なすび」

創世記 30章14~24節
2021年1月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 レアの息子ルベンが、野で恋なすびを見つけました。ラケルはそれが欲しいとレアに頼みます。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神を人生の拠りどころとすることです。恋なすびは人が頼りにしているものの象徴と取ることができます。それぞれに恋なすびがあります。
 第二に、神は無に等しい者をも、主の栄光のために用いられます。このような泥沼の争いの中で生まれた息子たちが、イスラエル民族の祖となりました。主は足りない無に等しい者さえも用いられるのです。
 第三に、神は人の愚かさを通しても、みこころを成して行かれます。レアとラケルの争いをとおして与えられた子供たちをとおして、まことの神を宣べ伝えるようにされました。神はあらゆるものを用いて、みこころを成して行かれるのです。
 私たちにとっての恋なすびがあるかもしれません。神こそが人生の拠りどころであることを覚えて、主に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、麦の刈り入れのころ、ルベンは出て行って、野で恋なすびを見つけた。そして、それを母レアのところに持って来た。すると、ラケルはレアに「どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私に下さい」と言った。
創世記 30章14節

2021年1月17日日曜日

「本当に人を満たすもの」

創世記 30章1~13節
2021年1月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ラケルは多くの子供が与えられた姉のレアに対して嫉妬し、なんとしてでも子供を得ようとしました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神のみこころこそが、人を幸福にします。ラケルは子供を得られないなら死ぬと言いました。それが幸福をもたらすと考えたのです。しかし後に子供を得た結果、残念な結果となってしまいました。人の思いではなく、神のみこころこそが人を幸福にすることを覚えましょう。
 第二に、嫉妬から解放される時に、人は正しく歩むことができます。ラケルは嫉妬し、泥沼の争いに発展していきました。嫉妬は近い関係で生じ、人の判断を誤らせ間違った方向へ歩ませます。気をつけなければなりません。
 第三に、神を見上げて歩む時に、人は満たされて歩むことができます。ラケルもヤコブもレアも、今日の箇所で神様を見上げて歩んでいるようには見えません。そのような歩みには、本当の喜びや満たしは無いのです。
 私たちも人間関係の問題に直面することがあります。状況を見て心を囚われてしまいがちです。しかし、その時こそ主に目を向けて歩みましょう。

<聖書のことば>
ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見た。ラケルは姉に嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死にます。」
創世記 30章1節

2021年1月10日日曜日

「心配無用」

マタイの福音書 6章25~34節
2021年1月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 聖書は私たちが神を抜きにして、心配しないように教えています。何故、私達は心配するべきではないのでしょうか。
 第一に、神を信頼していないことになるからです。心配するということは主の約束を否定することになります。
 第二に、心配した所で何も変わらないからです。神を抜きにして心配しても、体を弱めることはあれ、益となることはありません。
 次に、心配してしまう時に、どう対処したら良いでしょうか。
 第一に今日なすべき事に集中することです。その日その日に労苦は沢山あります。それに集中することです。
 第二に、神が私のことを心配してくださると覚えることです。
 第三に、十字架の主に信頼しお委ねすることです。
 先の見えないこの状況にあって、心配の虜になるかもしれません。しかし今こそ、主に信頼して、主の与えてくださる平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
マタイの福音書 6章34節

2021年1月3日日曜日

「望みが絶たれそうな時」

使徒の働き 27章1~44
2021年1月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはカエサルに上訴したのでローマへ行くことになりました。しかし、彼らの乗った船は嵐にあい、助かる望みが完全に絶たれようとしていました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神のことばを聞いて信頼する時に、嵐の中でも堅く立つことができます。誰もが嵐の中で絶望しました。しかし神のみことばを聞いたパウロだけが、必ず助かると堅く立ち続けることができました。
 第二に、神の御声を聞くのは礼拝です。今の時代、天使が夢に出て来て私たちに語ることはありません。完成している聖書のみことばをとおして、そして特に礼拝で、主は私たちに語られるのです。
 第三に、神のみことばは自分だけでなく、他の人をも助けることです。パウロが伝えたみことばにより、他の人も助かることができました。それは今も同じです。
 主は私たちにみことばを聞いてしっかりと立ち、また他の人にも伝えるように願われています。今年一年、伝える者となりましょう。

<聖書のことば>
ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。
使徒の働き 27章25節