2019年10月27日日曜日

「人生の嵐で覚えるべきこと」

マタイの福音書14章22~27節
2019年10月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 弟子たちは真夜中の湖の上で、向かい風と波に悩まされていました。人生にもそのような試練がやって来ます。その時に、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、目的の無い試練はないことです。主は弟子たちの信仰を強めようとされていました。それで敢えて、彼らを舟に乗りこませられたのです。神が与えられる試練に目的の無いものはありません。
 第二に、主が必ずとりなしてくださっていることです。主は一人で山に登られ祈られていました。弟子たちの試練のために祈られたでしょう。主はいつも私たちのためにとりなしてくださっています。
 第三に、主が必ず助けの手を伸ばされることです。主は弟子たちの所にやって来られました。また、沈みかけたペテロを直ちに助けられました。同様に、主は必ず私たちに助けの手を伸ばしてくださいます。
 私たちは人生の試練の中で恐れ、迷いやすいものです。しかし、主は私たちを助け、良いものを与えようとされていることを覚えましょう。

<聖書のことば>
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
マタイの福音書14章27節

2019年10月20日日曜日

「礼拝のメッセージについて」


2019年10月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝では毎回、聖書からメッセージが語られます。そのメッセージについて、再度確認しましょう。
 第一に、メッセージは礼拝の中心であり、いのちです。これによって教会は養われ成長することができます。メッセージが祝福されないなら、教会が成長することは難しくなります。ですから、横浜教会の講壇が祝福されるようにお祈りください。
 第二に、メッセージは「私に語られている」と受けとめることです。メッセージは会衆の全員に語られるのですが、同時に一人一人に語られていると言うことができます。他人事のように聞くのではなく、「今まさに、主が私に語られている」と捉えて、心を開いて聞くことが大切です。
 第三に、メッセージに応答することです。主が語られた事に対して応答することを主は願っておられます。聞きっぱなしで終わるのではなく、示されたら応答するようにしましょう。
 正しい態度でメッセージを聞く人は祝福され、豊かな実を結ぶことができます。

<聖書のことば>
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
マタイの福音書13章23節

2019年10月13日日曜日

「ノアの生きた信仰」

創世記6章5~22節
2019年10月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 既に学んだ箇所ですが、再度ノアの歩みを通して、教えをいただきましょう。
 第一に、ノアは神のみこころを優先しました。彼は主のこころにかなう人物であったと書かれています。自分の思いよりも神のみこころを優先したということです。私たちもみこころを優先して歩むことが大切です。
 第二に、ノアは神の前に恵みを見出しました。神から受けた恵みを意識しつつ歩んだのでしょう。ノアも私たちも、神から豊かな恵みを受けたという点で全く同じです。それを意識しつつ歩むことが必要です。
 第三に、ノアは神のみことばに人生をかけて従いました。洪水を経験したことがない中で、神のみことばを信じることは難しかったかもしれません。しかし、彼はそれでも信仰を働かせ、神のみことばに人生をかけて従って行きました。私たちもノアのように信仰を働かせて歩むべきです。
 私たちはクリスチャンとして、世の人と同じようにではなくて、ノアのように生きた信仰を持って歩みましょう。

<聖書のことば>
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
創世記6章22節

2019年10月6日日曜日

「全能の主に頼れ」

創世記17章1~2節
2019年10月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神はここであらためてアブラムへの契約を確認されました。ここから、私たちが覚えるべき3つのことを学びましょう。
 第一に、主は不可能を可能とする全能の神です。これは、どんな事でもできるという意味と、足りないものを補い必要を満たしてくださるという意味があります。
 第二に、主の目を意識し主に頼り歩むことを主は願われています。神は私たちが主の前を歩んで主の目を意識して、主に頼って歩むように言われました。私たちが意識するべきなのは人の目ではなく主の目です。
 第三に、主はどこまでも恵み深いお方です。アブラムは99歳になり体力が衰えていたでしょう。神の約束への期待が薄れて来ていたかもしれません。だからこそ、主は契約を再度確認されました。主は彼らの不信仰にかかわらず、恵みをもって臨まれたのです。
 彼らが弱くなった時に、主の強さが現わされます。私たちは弱さを覚える時に、主に全面的に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
創世記17章1節