2022年9月25日日曜日

「主に感謝せよ」

詩篇 136篇 1~3節
2022年9月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 主に感謝せよと教えられています。主への感謝について学びます。
 第一に、私たちは呟きと不満が出てしまいやすいことです。不足している点ばかりに目を留めてしまい、不平や呟きが出て来るのです。私たちが普段、口に出している言葉はどのようなものでしょうか。
 第二に、感謝は主の恵みに気づくことから出て来ます。主の恵みは豊かにあり、とこしえに続きます。その恵みに気づかないので感謝することがありません。日頃与えられている主の守りや祝福に目を留めることです。神に感謝するのは多くを持っている者ではなく、神の恵みに気づいた者なのです。
 第三に、神の前に心貧しい者は、主への感謝に満ちた歩みができます。心の高い人は神の恵みが与えられていても気づきません。神の前に心貧しくへりくだっているから、その恵みに気づき、主への感謝に溢れるのです。
 私たちは何よりも素晴らしい救いが与えられています。そして多くの恵みが与えられています。その恵みに気づけば気づく程に、主への感謝に溢れた歩みをすることができます。それこそが幸福な人生なのです。

<聖書のことば>
主の主であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
詩篇 136篇 3節

2022年9月18日日曜日

「思い出せ」

イザヤ書 46章 1~13節
2022年9月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イスラエルの民は偶像礼拝の罪を犯し続け、この後にバビロンへ連れ去られることが預言されていました。そのような民に、思い出せと主は語られました。何を思い出すべきでしょうか。
 第一に、私たちが弱い時にも主は背負い運んでくださることです。偶像の神は人が助けを求める時に、私たちを背負い運ぶことはできません。しかしまことの神は私たちが弱く助けが必要な時に背負い運んでくださいます。今までもこれから先も、主はそうしてくださることを思い出すことです。
 第二に、私たちに希望が見えない時でも、主は御計画を進めておられることです。主は大昔から、イスラエルの民をどんな状況においても真実に導かれ、御計画を進めて来られました。これから先についてもそうなのです。そのことを思い出し主に委ねて歩むことです。
 若い方にもお年を召した方にも苦難はあり、弱る時がやって来ます。ですから今日学んだことを思い出し、またいつも覚えて歩みましょう。真実な主に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
イザヤ書 46章 4節

2022年9月11日日曜日

「実を結ぶために」

ヨハネの福音書 15章 1~11節
2022年9月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は十字架につけられる前に、実を結ぶことについて弟子たちに語られました。霊的な実を結ぶために必要なことを学びましょう。
 第一に、神の刈り込みを信じ、受け入れることです。農夫である父なる神は私たちのすべてをご存知で刈り込みをなさいます。それによって私たちを聖め、実を結ばせてくださるのです。それを信じて受け入れることです。
 第二に、キリストにとどまることです。一つはみことばを聞き従うことです。みことばが私たちを成長させ実を結ばせるからです。二つ目に、主の教会にしっかりとどまることです。教会なくして霊的に成長し実を結ぶことはありません。最後に、主に絶えず祈りつつ歩むことです。聖日だけ、主と向き合い祈るのではなく、平日も、いつも祈りつつ主と交わり頼って歩むことが必要です。
 キリストにとどまらなくては、何もすることができません。私たちは自分が枝に過ぎないことを覚えましょう。同時に素晴らしい主につながっている木です。主にしっかりとどまって、実を結ばせていただきましょう。

<聖書のことば>
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネの福音書 15章 5節

2022年9月4日日曜日

「あなたのパンを水の上に投げよ」

伝道者の書 11章 1~2節
2022年9月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 9 月は教会学校カミング月間です。本日の箇所から、3 つのことを学びましょう。
 第一に、私たちは賜物の管理者であり、主のために忠実に用いることです。主は私たち一人一人に賜物を与えられています。私たちはその管理を委ねられているのです。それを自分だけではなく、主のために用いることです。
 第二に、主の魂のために心を込めて善を行うことです。私たちは主から愛をいただきました。その愛をもって心を込めて善を行います。救われていない魂のために証しやとりなしの祈りをします。救われていても教会から離れている魂を励ますのです。
 第三に、主は人の理解を超えた不思議を行われると覚えることです。その時にはわからなくても、ずっと後の日になって主は不思議を行われることが多いのです。主に信頼し期待して歩みましょう。
 現在、置かれている状況は私たちを落胆させるかもしれません。しかし主に信頼し期待して、魂に証しをし、とりなして行きましょう。

<聖書のことば>
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから。
伝道者の書 11章 1~2節