2020年1月26日日曜日

「目を上げて畑を見よ」

ヨハネの福音書4章25~38節
2020年1月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様とサマリヤ人女性、弟子達とのやり取りから学びましょう。
 第一に、自分のことだけに関心を持っていてはいけないことです。弟子達は自分たちのことばかりに関心を持っていました。しかし主は魂に関心を持たれていたのです。私たちは何に関心があるでしょうか。
 第二に、目を上げて霊的な畑を見るべきです。その理由は、魂が刈り入れるばかりになっているからであり、また、それは主が喜ばれることだからです。主は失われている魂に目を向けられました。
 第三に、収穫の為に行動を起こすべきです。このサマリヤ人女性はイエス様との出会いの後、水がめを置いて町へ伝えに行きました。私たちも素晴らしい救い主に出会った者として、魂の収穫の為に行動を起こすことです。証し、祈り、献金、そして宣教師を遣わすことが大切なのです。
 私たちは自分の生活の満足の為に救われたのではありません。主は私たちを通して福音を広め、一人でも多くの魂が救われるようにと願っておられるのです。ですから、目を上げて霊の畑を見るようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書4章35節

2020年1月19日日曜日

「とりなす者」

創世記18章22~33節
2020年1月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 主はソドムとゴモラの町をさばかれることについてアブラハムに語られました。彼は主にとりなしを始めます。
 第一に、とりなしの祈りとは、破れ口に立って他者のために祈る祈りです。神と人との間に立って、その裂け目で神の赦しと守りを祈るのです。
 第二に、神は私たちがとりなすことを期待しておられます。神はこの個所で、敢えてわざわざアブラハムに告げに来られました。彼がとりなすことを期待しておられたと考えることができます。
 第三に、神は救われた私たちを見ておられます。神は正しい者のゆえに町を滅ぼさないと言われました。神は正しい人の故に、魂を顧みられることがわかります。神はその如く私たちを見ておられます。私たちの存在価値は大きいのです。
 彼は神を恐れつつ、諦めずに祈り続けました。私たちも同様に魂のために破れ口に立ってとりなしましょう。

<聖書のことば>
また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」
創世記18章32節

2020年1月12日日曜日

「神の友アブラハム」

創世記18章16~21節
2020年1月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 主はアブラハムに、ソドムとゴモラに対するさばきについて隠さず、明らかにされました。イザヤ書を見ると、アブラハムは神の友であったと書かれています。どのような意味での友なのでしょうか。
 第一に、相手に思いを伝えます。ここで主はみこころを隠さず明らかにされました。イエス様も私たちを友として、みこころを知らせると語られました。
 第二に、相手の思いを聞いて受け入れて従います。アブラハムは神から示す地に出て行くように言われた時に、受け入れて従いました。イエス様も同じことを教えられています。
 第三に、相手のために犠牲を払います。イエス様は私たちのために計り知れない犠牲を払ってくださいました。その主の愛を覚えて、私たちも主のため教会のために喜んで犠牲を払っていくのです。
 主は私たちを友と呼んでくださいます。私たちはその恵みに感謝し、応えて歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
主はこう考えられた。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
創世記18章17節

2020年1月5日日曜日

「目標を目指して」

ピリピ人への手紙3章12~14節
2020年1月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 昨年も慌ただしく、一年が経過したのではないかと思います。パウロの生涯を通して、私たちがどのような心構えで歩むべきかを学びましょう。
 第一に、現状に満足しないことです。彼は霊的に満足せず、欠けのある者であることを自覚していました。だからこそ、成長し用いられたと言うことができます。
 第二に、目標を目指して一心に走ることです。目標の一つは、天において報いをいただく目標です。彼は主から報いとしての冠をいただくことを目標としていました。もう一つは、委ねられている務めにおける目標です。彼は宣教の働きにおいて目標をもって歩んでいたことがわかります。私たちもこの両方の目標を掲げて歩むことが必要なのです。
 これまでに主からいただいたお恵みを感謝するべきです。しかし同時に、現状に満足していてはいけないのです。私たちもパウロのように目標を目指して一心に走る一年としましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
ピリピ人への手紙3章14節