2022年12月25日日曜日

「クリスマスの恵み」

ヨハネの福音書 1章 14節
2022年12月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ことばである神は、この地上に人としてお生れくださいました。このすばらしい事実が教える恵みとは何でしょうか。
 第一に、神は私たちを愛されていることです。神は私たちを造り生かし、大切で尊い存在として見てくださっています。だからこそ、私たちを救うために神のあり方を捨てて人としてお生れくださいました。
 第二に、神は私たちに最高を与えてくださることです。私たち罪人を滅びから救うために、神はかけがえのない一人子さえもお与えくださいました。最高のお方を与えてくださったのです。これからも主は私たちに最高を与えてくださいます。
 第三に、神は私たちと共にいてくださることです。栄光の神が罪にまみれたこの世に来られて共に歩まれました。今も主は救われた私たちとどんな時も共に歩んでくださいます。
 神はクリスマスに、私たちにすばらしい恵みを与えてくださいましたし、今も与えようとされています。慌ただしくなりやすい時ですが、主の前に静まり、心の中心に主を迎え入れ、恵みをいただきましょう。
 
<聖書のことば>
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書 1章 14節

2022年12月18日日曜日

「予期せぬ恐れる状況において」

ルカの福音書 1章 26~38、46~50節
2022年12月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 マリヤは御使いから、聖霊により身ごもったと突然知らされました。離婚か死刑もあり得る恐れる状況でした。しかし彼女はその中で神に委ね、神を賛美したのです。どうしたらそのように歩めるのでしょうか。
 第一に、神は語られた事を必ず成就されると信じることです。この確信が無いならば不安になるでしょう。しかし、神が語られたことは必ず成就すると確信するなら、平安があり神をほめたたえることができます。
 第二に、神のしもべと自覚し、決意を持って歩むことです。マリヤはへりくだり、自分が神のしもべであると自覚していただけでなく、神のしもべとして、どこまでも従順に歩む決意がありました。
 第三に、神の御計画を覚え、この先の幻を見ることです。彼女は自分のことだけでなく、この先に彼女に与えられた幸いが広がって行くことを見ていました。それゆえに喜び、神をほめたたえることができました。
 クリスマスのこの時期に、私たちもマリヤのような信仰により、予期せぬ恐れる状況においても、主をほめたたえて歩みましょう。
 
<聖書のことば>
マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。
ルカの福音書 1章 46~47節

2022年12月11日日曜日

「思い煩いからの解放」

ピリピ人への手紙 4章 6~7節
2022年12月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 様々な問題に直面する時に、人は思い煩ってしまいがちです。どうすれば思い煩いから解放されて歩むことができるのでしょうか。
 第一に、思い煩いを罪と認め、心一つにして神に信頼することです。思い煩いは神のみことばを否定することにつながります。心が幾つも分かれている状態です。そうではなく心を一つにして、神と約束に信頼することが大切です。
 第二に、神に祈り願い事を知っていただくことです。その際に気をつけるべきことは、あらゆる場合に祈ることと、主への感謝を持って祈ることです。神への感謝が無くなると呟きと不信仰を生じさせます。しかし、神への感謝は神への信仰を生じさせるのです。
 このとおりに主に頼りつつ歩む時に、神の平安が私たちの心を守ってくれます。あらゆる思い煩いや恐れから解放され、平安の内を歩むことができるのです。クリスマスを前にして、主の平安をいただいて歩みましょう。
<聖書のことば>
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ人への手紙 4章 6~7節

2022年12月4日日曜日

「希望の教会」

テモテへの手紙第一 3章 15節
2022年12月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 本日バプテスマ式が行われ、2名の姉が教会に加えられます。教会は主が呼び集められた者の集まりであり、最も幸いな、希望の場所です。
 第一に、神の真理のみことばが語られます。この世の知恵や知識も大切ですが、みことばこそが私たちを守り、正しく導き、強めてくれます。そのみことばが語られ、守られ、分かち合われるのが教会です。
 第二に、神の家族同士の励ましがあります。教会はキリストのからだであり、私たちはその部分です。無駄な部分は一つも無く、すべて大切な存在です。互いに重んじ合い声を掛け合い、励まし合うことが必要です。
 第三に、神により霊的に成長させていただけます。教会は愛を実践し与えるところです。与えていく時に、主は霊的に成長させてくださいます。イエス様に似せられていくのです。
 この希望の場所である教会にしっかりつながりましょう。そして特にこのクリスマスの時、魂を教会へお誘いしましょう。
<聖書のことば>
たとえ遅くなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたに知っておいてもらうためです。神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。
テモテへの手紙第一 3章 15節

2022年11月27日日曜日

「重荷を主にゆだねよ」

詩篇 55篇 1~23節
2022年11月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ダビデは悩みと苦しみの中にありましたが主に重荷を委ねることの素晴らしさを語りました。何故、主に重荷を委ねるべきなのでしょうか。
 第一に、主は苦難の時、私達の祈りを聞き救い出して下さるからです。ダビデはそれまでに主によって救い出された経験から、また約束から、そう告白することができました。主は私たちの祈りも聞いてくださっています。
 第二に主が私達のことを心配して下さるからです。私達は将来のことを考えると恐れ心配してしまう者です。しかし主は積極的に私達に心を配り、関与し支えて下さるのです。
 第三に主は私達の全てを益として下さるからです。問題だけを見ると私達は混乱してしまいますが、主は最終的な全体像をご存知の上で問題を与えられています。
 主は全て疲れている方に、救いの手をのべておられます。私達はいつまでも自分で重荷を背負っていないで、全ての重荷を代わりに背負って下さる主におゆだねして、平安と喜びの内を歩ませて頂きましょう。
<聖書のことば>
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
詩篇 55篇 22節

2022年11月20日日曜日

「礼拝とは何か」

ヨハネの福音書 4章 24節
2022年11月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝とは何であるのかを、確認しましょう。
 第一に、神に栄光を帰することです。私たちは罪人であり、裁かれて永遠に苦しむ地獄に入れられて当然のものでした。しかし神の愛のゆえに、キリストの命という代価が払われて買い取られたのです。ですから、礼拝をもって主に栄光を帰するのです。
 第二に、神に献げることです。心から賛美を、献金を、祈りを献げます。メッセージを聞く時も同じです。教えを受けるのですが、同時にみことばに応答して自分自身を献げていくのです。
 第三に、神を信じるクリスチャン生活の中心です。もし礼拝以外のものが生活の中心になっているなら、結果的に神の祝福から漏れることになります。それはとても残念なことです。
 コロナ禍の中で、礼拝についての認識が弱くなった方がおられるかもしれません。あらためて主が与えてくださった素晴らしいお恵みであり特権であることを覚えて、毎聖日に教会に集まり礼拝を献げましょう。一回一回の礼拝を感謝して心から礼拝を献げましょう。
<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書 4章 24節

2022年11月13日日曜日

「子どものような心で」

マルコの福音書 10章 13~16節
2022年11月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日の礼拝で、子ども祝福式が行われます。今日の箇所から、2 つの点で学びましょう。
 まず、子どもたちを主のもとへ連れて行くことです。弟子たちはイエス様のところに子どもを連れて来ようとする者たちを叱りました。すると主は、その弟子たちに対して憤られ、子どもたちを主のところに来させるように言われたのです。私たちにはその責任があります。
 次に、子どものような心で歩むことです。謙遜な心です。感動し感謝する心です。素直な心です。信頼する心です。これらはいずれも幼い子どもの持つ特徴です。私たちも神の前に、その様な謙遜で、みことばに感動し感謝し、素直に応じ、信頼していくならば、主は私たちを豊かに成長させてくださいます。
 私たちは子どもたちを主のもとへお連れしているでしょうか。主の前にどのような歩みをしているでしょうか。子どものような柔らかい心で歩んでいるかを日々確認して、主から示されることがあるならば、悔改めましょう。
<聖書のことば>
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
マルコの福音書 10章 15節

2022年11月6日日曜日

「互いに熱く愛し合いなさい」

ペテロの手紙第一 1章 22~25節
2022年11月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 救いの恵みに与った者が、どう歩むべきかが記されています。それは兄姉が互いに愛し合うことです。その為に、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、私たちを愛して下さっている神の命令であることです。これは勧めでも自由選択でもなく命令なのです。私たちの為に命を捨てる程に愛してくださった方の命令ですから、従う必要があります。
 第二に、神が与えられた神の家族を愛することです。救われた私たちは神の子とされ、教会の兄姉は神の家族です。主は不思議と私たちをこの横浜教会へと導いてくださいました。その家族を愛するのです。
 第三に、兄姉を愛する者へと、神が変えてくださったことです。かつては何の関心も無かった兄姉を愛する者に変えられました。それは神の御業です。そしてさらに主と兄姉を愛する者へと変えられていくのです。
 私たちはこの救い主の命令を、どれ位厳粛に、自分のものとして受け止めているでしょうか。愛することにおいて弱い私たちですから、主に祈り、さらに主と兄姉を熱く愛する者に造り変えていただきましょう。
<聖書のことば>
あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
ペテロの手紙 1章 22節

2022年10月30日日曜日

「主を恐れつつ過ごす」

ペテロの手紙第一 1章 17~21節
2022年10月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 素晴らしい救いの恵みに与った者として、どう歩むべきかが続けて教えられています。
 第一に、公平にさばかれる父なる神を恐れることです。神はすべてをご覧になり正しく公平にさばかれます。良いことも悪いこともです。良いことについては報いを与えられ、悪いことには主が取り扱われます。そのお方が私たちの父となり導いて下さいます。このお方を恐れるのです。
 第二に、贖いの代価の大きさを覚えて、神を恐れることです。罪の奴隷であった私たちを解放するために、神は御子のいのちという代価を払ってくださいました。その代価の大きさを覚える時に、主を恐れます。
 第三に、信仰と希望は神にかかっていると認識して、神を恐れることです。色々な苦しみがありますが、しかし主のもとに希望があります。このお方に信頼し、恐れて歩むことです。
 私たちは本当に恐れるべきお方を恐れて歩みましょう。

<聖書のことば>
また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
ペテロの手紙 1章 17節

2022年10月23日日曜日

「忠実なしもべ」

マタイの福音書 25章 14~30節
2022年10月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 主人が旅から帰って来た時、しもべたちは報告しました。主人は 5 タラントと 2 タラント預かったしもべたちを褒めました。彼らの何が良かったのでしょうか。
 第一に、主人がいなくても忠実でした。主人は旅に出て不在であり、彼らは見られることはありませんでしたが、それでも忠実に働きました。
 第二に、行いの伴った忠実さでした。思いはあるけれど実行に至らない方もおられると思います。しかし彼らはすぐに行動に移しました。
 第三に、主人を愛する故の忠実さでした。帰って来た主人への報告で、「ご覧ください!」と、主人に喜ばれたくて働いたことがわかります。決して義務感からではなく、主人を愛する心から出たものだったのです。
 やがて私たちも主とお会いする時がやって来ます。その際にイエス様から、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言っていただける歩みをしましょう。主は私たちの普段の歩みをご覧になり、忠実さに注目しておられるのです。

<聖書のことば>
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイの福音書 25章 21節

2022年10月16日日曜日

「聖なる者となりなさい」

ペテロの手紙第一 1章 14~16節
2022年10月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 素晴らしい救いにあずかった者として、聖なる者となるように教えられています。その為に、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、無知であった時の欲望に従う危険性があることです。私たちは救われているから、信仰歴が長いから、罪にいつも勝利できるわけではありません。どんなに信仰歴が長くても、古い欲望に従い罪を犯してしまう危険性があることを認め警戒する必要があります。
 第二に、みことばを聞く時、従順な子どものように聞き従うことです。聞き方が大切です。頑なな大人のようにではなく、従順な子どものような心ででみことばを聞いて従うことです。
 第三に、聖なる神のみこころに自分自身を合わせることです。この世の価値観や自分の考えに合わせるのではなく、聖なる神のみことばに合わせることが必要なのです。
 サタンは常に私たちを誘惑し引きずり降ろそうとして来ます。警戒して、主のみことばによって聖めていただきましょう。

<聖書のことば>
従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
ペテロの手紙第一 1章 14~15節

2022年10月9日日曜日

「ひたすら待ち望みなさい」

ペテロの手紙第一 1章 13節
2022年10月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 信仰ゆえの迫害があり離散していた彼らでしたが、救いから来る栄えに満ちた喜びがありました。その彼らがどう歩むべきかが教えられます。
 第一に、霊的な機敏さを持つことです。それが心を引き締めるの意味です。主は私たちを愛してくださっているので、みことばにより神のみこころを教え導いてくださいます。その時に、聞くだけで先延ばしにするか、機敏さを持って従うかで歩みは全く異なってきます。
 第二に、霊的に目を覚ましていることです。悪魔は私たちを堕落させ神様と教会から引き離そうと狙っています。私たちは霊的に目を覚まして警戒する必要があるのです。
 第三に、再臨のお恵みをひたすら待ち望むことです。単に思いの上で待ち望むというのではなく、希望の軸足を置くことです。主は再びやって来られます。その主にお会いする時を待ち望みましょう。
 クリスチャンも気をつけないと、この世に希望を置いて歩んでしまいがちです。希望を置くものを間違えてはいけません。再臨の主が与えてくださる恵みに希望を置いて歩みましょう。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
ペテロの手紙第一 1章 13節

2022年10月2日日曜日

「福音を告げ知らされた者として」

ペテロの手紙第一 1章 10~12節
2022年10月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 迫害で離散し苦しみの中にあった彼らでしたが、素晴らしい救いの喜びがありました。福音を告げ知らされた者として、どう歩むべきかについて学びましょう。
 第一に、みことばを熱心にたずね求めることです。旧約の預言者たちは熱心に救いについて調べました。私たちも彼らに倣って、神のみことばを熱心にたずね求めることが大切です。みことばは私たちを真理へ導きます。
 第二に、福音が告げ知らされた恵みに感謝することです。旧約の預言者たちは救い主を見ることはできませんでした。しかし救い主は来られ、贖いの業を成就されました。そして私たちのもとに福音が告げ知らされたのです。この恵みに感謝することです。
 第三に、聖霊の助けにより福音を伝えていくことです。これまで福音が伝えられて来たのは人の力ではなく、神の聖霊の力によりました。今度は私たちがその聖霊の力により、救われていない方々へ伝えていくことです。
 福音を告げ知らされた者として、責任と使命があることを覚えましょう。

<聖書のことば>
彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。
ペテロの手紙第一 1章 12節

2022年9月25日日曜日

「主に感謝せよ」

詩篇 136篇 1~3節
2022年9月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 主に感謝せよと教えられています。主への感謝について学びます。
 第一に、私たちは呟きと不満が出てしまいやすいことです。不足している点ばかりに目を留めてしまい、不平や呟きが出て来るのです。私たちが普段、口に出している言葉はどのようなものでしょうか。
 第二に、感謝は主の恵みに気づくことから出て来ます。主の恵みは豊かにあり、とこしえに続きます。その恵みに気づかないので感謝することがありません。日頃与えられている主の守りや祝福に目を留めることです。神に感謝するのは多くを持っている者ではなく、神の恵みに気づいた者なのです。
 第三に、神の前に心貧しい者は、主への感謝に満ちた歩みができます。心の高い人は神の恵みが与えられていても気づきません。神の前に心貧しくへりくだっているから、その恵みに気づき、主への感謝に溢れるのです。
 私たちは何よりも素晴らしい救いが与えられています。そして多くの恵みが与えられています。その恵みに気づけば気づく程に、主への感謝に溢れた歩みをすることができます。それこそが幸福な人生なのです。

<聖書のことば>
主の主であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
詩篇 136篇 3節

2022年9月18日日曜日

「思い出せ」

イザヤ書 46章 1~13節
2022年9月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イスラエルの民は偶像礼拝の罪を犯し続け、この後にバビロンへ連れ去られることが預言されていました。そのような民に、思い出せと主は語られました。何を思い出すべきでしょうか。
 第一に、私たちが弱い時にも主は背負い運んでくださることです。偶像の神は人が助けを求める時に、私たちを背負い運ぶことはできません。しかしまことの神は私たちが弱く助けが必要な時に背負い運んでくださいます。今までもこれから先も、主はそうしてくださることを思い出すことです。
 第二に、私たちに希望が見えない時でも、主は御計画を進めておられることです。主は大昔から、イスラエルの民をどんな状況においても真実に導かれ、御計画を進めて来られました。これから先についてもそうなのです。そのことを思い出し主に委ねて歩むことです。
 若い方にもお年を召した方にも苦難はあり、弱る時がやって来ます。ですから今日学んだことを思い出し、またいつも覚えて歩みましょう。真実な主に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
イザヤ書 46章 4節

2022年9月11日日曜日

「実を結ぶために」

ヨハネの福音書 15章 1~11節
2022年9月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は十字架につけられる前に、実を結ぶことについて弟子たちに語られました。霊的な実を結ぶために必要なことを学びましょう。
 第一に、神の刈り込みを信じ、受け入れることです。農夫である父なる神は私たちのすべてをご存知で刈り込みをなさいます。それによって私たちを聖め、実を結ばせてくださるのです。それを信じて受け入れることです。
 第二に、キリストにとどまることです。一つはみことばを聞き従うことです。みことばが私たちを成長させ実を結ばせるからです。二つ目に、主の教会にしっかりとどまることです。教会なくして霊的に成長し実を結ぶことはありません。最後に、主に絶えず祈りつつ歩むことです。聖日だけ、主と向き合い祈るのではなく、平日も、いつも祈りつつ主と交わり頼って歩むことが必要です。
 キリストにとどまらなくては、何もすることができません。私たちは自分が枝に過ぎないことを覚えましょう。同時に素晴らしい主につながっている木です。主にしっかりとどまって、実を結ばせていただきましょう。

<聖書のことば>
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネの福音書 15章 5節

2022年9月4日日曜日

「あなたのパンを水の上に投げよ」

伝道者の書 11章 1~2節
2022年9月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 9 月は教会学校カミング月間です。本日の箇所から、3 つのことを学びましょう。
 第一に、私たちは賜物の管理者であり、主のために忠実に用いることです。主は私たち一人一人に賜物を与えられています。私たちはその管理を委ねられているのです。それを自分だけではなく、主のために用いることです。
 第二に、主の魂のために心を込めて善を行うことです。私たちは主から愛をいただきました。その愛をもって心を込めて善を行います。救われていない魂のために証しやとりなしの祈りをします。救われていても教会から離れている魂を励ますのです。
 第三に、主は人の理解を超えた不思議を行われると覚えることです。その時にはわからなくても、ずっと後の日になって主は不思議を行われることが多いのです。主に信頼し期待して歩みましょう。
 現在、置かれている状況は私たちを落胆させるかもしれません。しかし主に信頼し期待して、魂に証しをし、とりなして行きましょう。

<聖書のことば>
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから。
伝道者の書 11章 1~2節

2022年8月28日日曜日

「見てはいないけれど」

ペテロの手紙第一 1章 8~9節
2022年8月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 様々な試練がある中で、私たちクリスチャンの置かれている立場について記されています。
 第一に、信仰により、魂の救いを得ています。人間にとってなくてならない魂の救いをいただきました。それは行いではなく恵みにより、信仰をとおして既に得ているのです。これこそが最高の祝福です。その救いを受けている事実をしっかりと見ることです。
 第二に、主との交わりにより、言葉に尽くせない喜びがあります。本当の喜びは主との交わりから与えられます。主がどれだけ私たちのことを愛してくださっているかを、主との交わりの中で知ることです。
 第三に、見なくても主を信じることです。ペテロはいつも主を前にして、その歩みを見つつ歩んできましたが、この読者たちは見てはいなくても信じて喜びつつ歩んでいました。私たちも同様の信仰を持つ者とされました。見なくても信じる信仰こそ幸いです。
 見えるところは僅かです。私たちは見えないお方に信頼して、主の約束をしっかりと見て歩みましょう。


<聖書のことば>
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。
ペテロの手紙第一 1章 8~9節

2022年8月21日日曜日

「様々な試練の中で」

ペテロの手紙第一 1章 6~7節
2022年8月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 前回の箇所において救われた者の喜びについて記されていましたが、キリスト者の生涯はそれだけではないことが記されています。
 第一に、人生には様々な試練が必ずあることです。彼らが様々な迫害など試練にあっていたことが多く記されています。しかしそれは永遠に続くものではなく、今しばらくの間であり必ず終わる時がやって来るのです。
 第二に、試練は必要なものであり、試練により信仰が練られ強められることです。単なる苦しみではなく信仰の試練であり、必要なものなので与えられているのです。
 第三に、主の現われの時に信仰は称賛と栄光と誉れに至ることです。主が再び来られる時に、私たちは主からそのような報いをいただくだけでなく、私たちも素晴らしい主に栄光を帰すのです。
 私たちの人生にも必ず様々な試練がやって来ます。しかし落胆しないで、信仰により受けとめ、乗り越えさせていただきましょう。

<聖書のことば>
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
ペテロの手紙第一 1章 6~7節

2022年8月14日日曜日

「生きざま」

使徒の働き 20章 18~35節
2022年8月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロがミレトで長老たちに語った説教をとおして、彼の生きざまがわかります。私たちが人生を歩む上で大切なことは何でしょうか。
 第一に、主と主の教会を愛し僕として仕えることです。かつて彼はクリスチャンを迫害していましたが、回心し主と主の教会を愛し、僕として仕える者となりました。僕とは主の言われることに従い、主の喜ばれることを率先して行う者です。私たちも主と教会に僕として仕えることです。
 第二に、福音を伝え、証しすることです。彼はいつも自分の証しを語りました。また、あらゆる場所で、あらゆる方法で福音を伝えたことがわかります。主は弱い私たちをも証し人として用いようとされています。
 第三に、与える生き方をすることです。人に与えることは損をすることではありません。与える時に、主はその人を祝福されます。与えようとする者は主によって豊かにされるのです。
 私たちの生きざまはどのようなものでしょうか。省みましょう。

<聖書のことば>
このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
使徒の働き 20章 35節

2022年8月7日日曜日

「良い忠実なしもべだ」

マタイの福音書 25章 14~30節
2022年8月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 このタラントのたとえ話から、主は私たちの忠実さをご覧になられていることがわかります。主から褒められたしもべはどの点が良かったのでしょうか。
 第一に、主人がいなくても忠実でした。主人は旅に出て不在であり、主人から見られることはなかったのですが、それでもいつ戻って来ても良いように忠実に働いたのです。第二に、行いの伴った忠実さでした。思いがあるけれども、それだけで実行しないことはあると思います。でも、彼らはすぐに働きに出かけました。
 第三に、主人を愛するが故の忠実さでした。帰って来た主人への報告で、「ご覧ください!」と、主人に喜ばれたくて働いたことがわかります。それは義務感からではなく、主人を愛する心から出たものだったでしょう。
 皆様が変わらず忠実に歩んでくださっていることを心から感謝しています。私たちはどんな場合であっても、変わらず忠実に歩み、主から「良い忠実なしもべだ」と言っていただける歩みをしましょう。主は私たちの忠実さに注目しておられることを忘れないようにしましょう。

<聖書のことば>
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイの福音書 25章 21節

2022年7月31日日曜日

「朽ちない資産」

ペテロの手紙第一 1章 4~5節
2022年7月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 今回も前回の箇所と関係があり、私たちが神をほめたたえるべき根拠が記されています。
 第一に、失われることのない資産を受け継ぐからです。この世の資産もすばらしいものでしょうがやがては朽ちて消え去りますし、最終的にすべて置いていかなければなりません。しかし天の資産は朽ちることも汚れることも消え去ることもない永遠のものです。
 第二に、信仰を持つ者とされているからです。私たちは神の働きと導きによって、キリストを信じることができました。信仰が与えられていることは当たり前ではありません。すべては神の恵みによるものです。
 第三に、神の御力によって守られているからです。私たちは救われてからでも愚かで罪深い者ですが、神があらゆる点で私たちを守り導いてくださっています。そして終わりの日に、完全な救いをいただくのです。
 人生に多くの困難がありますが、神の与えてくださる朽ちない資産に目を向けましょう。信仰によって神の約束に信頼し、神をほめたたえて歩みましょう。

<聖書のことば>
また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
ペテロの手紙第一 1章 4節

2022年7月24日日曜日

「神がほめたたえられますように」

ペテロの手紙第一 1章 3節
2022年7月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 手紙の本文に入ります。初めに何を伝えたのでしょうか。
 第一に、神がほめたたえられるようにということです。彼らは迫害の中にあり、その中で神をほめたたえることは簡単ではなかったと思います。だからこそ偉大な神を覚えほめたたえることが必要でした。私たちも偉大な神に目を注いで、神をほめたたえることが大切です。
 神を賛美するべき理由が書かれています。
 一つは、私たちを新しく生まれさせてくださったからです。かつては神から離れて、サタンの支配の中で死んだ者でした。しかし、恵みとあわれみにより私たちは救われ、新しく生まれさせていただきました。
 もう一つは、生ける望みを持つ者としてくださったからです。死んだ希望ではなく生ける希望を与えてくださっているのです。
 問題を見ると落胆し恐れてしまいます。しかし主を見て、主からいただいた恵みを数えましょう。そして主をほめたたえて歩みましょう。

<聖書のことば>
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
ペテロの手紙第一 1章 3節

2022年7月17日日曜日

「選ばれた人たちへ」

ペテロの手紙第一 1章 1~2節
2022年7月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日も手紙の宛先部分から学びます。
 第一に、神が私たちを選んでくださいました。選びについて多くの議論がなされて来ました。神の予知がありました。同時に神の恵みによってふさわしくない私たちが選ばれたのです。
 第二に、神は選ばれた者に目的を持っておられます。
 一つは私たちがキリストに従う者となることです。罪に汚れていた私たちを主がいのちをささげる程に愛してくださっていることを覚える時に、私たちは主に感謝し従いたくなります。それは義務ではなく喜びなのです。
 もう一つは、聖められて歩むことです。私たちはキリストの血により聖められましたが、罪の性質は残っており罪を犯します。主から罪を指摘されたなら、主に罪を告白し悔い改めていく必要があります。
 私たちは救われていることを当たり前のように考えてしまいがちです。そうではなく、神の恵みにより選んでいただいたことを覚えましょう。そして、生涯主に従って歩みましょう。

<聖書のことば>
父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
ペテロの手紙第一 1章 2節

2022年7月10日日曜日

「寄留者として」

ペテロの手紙第一 1章 1節
2022年7月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日はこの手紙の宛先から、特に寄留者について学びます。
 第一に、寄留者としての自覚を持つことです。今いる場所は一時的であり、天の御国という帰る国があるのです。そのことを自覚し、また誇りに思うことが大切です。
 第二に、一緒に集まることを大切にすることです。彼らは散らされた先で集まり、そこでこの手紙を読み励まし合っていたと考えられます。クリスチャンの少ない日本ですが、だからこそ一緒に集まることを大切にして、互いに励まし合うことが大切なのです。
 第三に、御国で主とお会いする時を意識して歩むことです。この地上生涯はやがて終わり、御国に入れていただきます。そこで私たちが愛し信じてきた主とお会いするのです。先に召された兄姉とも再会します。その時を意識して、今どう歩むべきかを考えることが大切です。
 気をつけないと、私たちも神を信じていない方と同じような価値観で、地上生涯だけを考えて歩んでしまいがちです。そうではなくて、寄留者としての自覚を持ち、御国を覚えて、今なすべきことを行いましょう。

<聖書のことば>
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、
ペテロの手紙第一 1章 1節

2022年7月3日日曜日

「ペテロの自己紹介」

ペテロの手紙第一 1章 1節
2022年7月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 本日より、ペテロの手紙第一の講解説教を開始します。著者はペテロです。今日の箇所は彼の自己紹介に当たる部分です。
 第一に、主はペテロを知った上で召されました。突っ走りやすく、後にイエス様を否定する彼のすべてを主はご存知の上で召されたのです。私たちも同じです。無に等しい私たちをご存知の上で召してくださいました。
 第二に、主はペテロを宣教の働きに遣わされました。復活の主から主の羊を飼うように言われました。私たちは使徒ではありませんが、同様に福音が委ねられ遣わされています。その私たちはペテロのような使命感を持って歩んでいるでしょうか。
 第三に、主はペテロの将来の姿を見ておられました。主はシモンに石という意味のペテロというニックネームをつけられました。彼は主によって訓練されて後に初代教会のリーダーとして用いられたのです。主は彼の将来の姿を見ておられたのです。
 私たちも自分自身や周りの魂の現在の状況だけを見ていてはいけません。将来変えられている姿を見て、とりなし伝えて行きましょう。

<聖書のことば>
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、
ペテロの手紙第一 1章 1節

2022年6月26日日曜日

「シラスの信仰に倣う」

使徒の働き 16章 16~25節
2022年6月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 シラスはそれ程に目立つ人物ではありませんでしたが、幸いな信仰の持ち主であり働き人でした。彼の信仰から学びましょう。
 第一に、人から信頼されることです。エルサレム会議での決定事項を諸教会に伝えるのにシラスが選ばれました。パウロも彼を信頼し選びました。彼は神からも人からも信頼される人物であったと言うことができます。人から信頼されるには時間がかかります。忠実に歩み信頼される者となりましょう。
 第二に、仕えることを喜ぶことです。主に彼は補助的な働きをしたようです。そのように、主のお恵みに感謝して喜んで仕えることのできる人は幸いです。そのような人を主は豊かに用いられます。
 第三に、状況に支配されない信仰を持つことです。パウロとシラスは捕らえられ鞭打たれ牢に入れられましたが、主を賛美していました。状況に左右されない信仰を持っていたのです。私たちも順調な時だけでなく、逆境の時にも主を賛美する信仰を持ちましょう。
 私たちはシラスが信じていた同じ主を信じています。彼の信仰に倣って忠実に歩み、主に信頼して賛美して歩みましょう。

<聖書のことば>
真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。
使徒の働き 16章 25節

2022年6月19日日曜日

「目標を目指して走る」

ピリピ人への手紙 3章 12~14節
2022年6月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 クリスチャンの歩みが、マラソンレースを走っている競技者にたとえられています。私たちが祝福された信仰生活を覚える上で、大切なことを学びましょう。
 第一に、現状に満足しないことです。パウロは自分はまだ捕らえておらず追及していると言いました。彼がそうであるなら、私たちは尚更です。神の恵みに感謝しつつも、自分自身の霊的状態に満足してはいけないのです。
 第二に、主は捕らえて下さっていると覚えることです。不完全な者にもかかわらず、主は私たちを愛し捕えてくださっており、決して見放されることはないのです。
 第三に、主にある確かな目標を目指して走ることです。主が天において与えてくださる報いに目を留めることです。私たちも正しい目標を持って歩むことです。
 本日は父の日です。父親は誰よりも主の愛を覚えて感謝し、謙遜に、正しい目標に向かって歩むべきです。それはすべてのクリスチャンに言えることです。生涯、正しい目標を持って忠実に走り続けましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
ピリピ人への手紙 3章 14節

2022年6月12日日曜日

「神のみことばを聞いた時に」

エレミヤ書 36章 21~32節
2022年6月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ユダの民が悔い改めるように、神はみことばを語られました。それを聞いたエホヤキム王の反応から、教えをいただきましょう。
 第一に、まことの神を恐れて歩むことです。彼は巻物を裂き暖炉で焼いてしまいました。神を恐れない人物だったのです。私たちも聞いたみことばを拒絶するならば、神を恐れない彼と同じことをしているのではないでしょうか。恐れるべきお方である神を恐れ、みことばに従いましょう。
 第二に、確かなみことばを拠りどころとして歩むことです。みことばはいつの時代も攻撃を受けましたが、今も残り世界中に広がっています。この確かなみことばを人生の拠りどころとすることです。
 第三に、みことばを伝えることです。みことばを伝える人がいたので、人々は主のみこころを知ることができました。私たちの周りの方々がみこころを知るために、私たちも伝える必要があるのです。
 みことばを聞いて信じた私たちは救われることができました。私たちが伝える番です。みことばを身近な方にお伝えしましょう。

<聖書のことば>
ユダの王エホヤキムについてはこう言え。主はこう言われる。あなたはこの巻物を焼いて言った。『あなたはなぜ、バビロンの王は必ず来てこの地を滅ぼし、ここから人も家畜も絶えさせる、と書いたのか』と。
エレミヤ書 36章 29節

2022年6月5日日曜日

「神の愛を覚えて歩む」

ローマ人への手紙 8章 35~39節
2022年6月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人の愛と神の愛を考えましょう。まず人の愛の特徴についてです。人の愛も素晴らしいですが完全ではありません。条件が付いています。自分にとって好ましい条件が満たされない限り、愛することは難しいです。また変わりやすいです。また、自分が中心です。
 では、神の愛はどうでしょうか。
 第一に、無条件の愛です。私たちは罪深く愛されるにふさわしくない者ですが、神はそのような罪人の私たちを無条件に愛して下さっています。
 第二に、いつまでも変わらない愛です。私たちは変わりますが、主は変わらず永遠に続く愛で愛してくださっています。
 第三に、自己犠牲の愛です。私たちを滅びから救うために、イエス様が十字架で犠牲となってくださいました。それ程の大きな愛なのです。
 この神の愛を覚えず、この世のものに愛を求めて行くならば、やがて心は渇くことになります。そうではなく、神の愛を受け入れて、いつも覚えて歩む時に心は平安と喜びで満たされるのです。神の愛を意識し、いつも心に覚えて歩みましょう。
<聖書のことば>
高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙 8章 39節

2022年5月29日日曜日

「創世記総復習 神の恵みの契約」

創世記 1章 1節、50章 26節
2022年5月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 長く学んで来ました創世記ですが、本日で最後となります。総復習として学びます。
 第一に、私たちは神に造られ、愛され生かされている存在です。創世記は神による天地創造から始まります。この世の進化論と真逆の教えです。神によって造られ、愛され、生かされていることを知ること程に、大切なことはありません。これが土台となります。
 第二に、人は神に背き、死ぬ者となっています。初めの人アダムは神に背き罪を犯し、死ぬ者となりました。神を信じて罪を赦していただかない限り、死後に神の裁きを受けて永遠の地獄に入ることになります。
 第三に、神は素晴らしい恵みの約束を与えられています。神はアブラハムに特別な契約を与えられました。これは無条件の、祝福の契約であり、今も有効です。私たちはその恵みの契約に与る者となったのです。
 創世記は命で始まり、死で終わります。しかし、神の恵みの契約は変わらないし、終わることはありません。今も私たちに与えられているのです。ここに希望があります。主の約束に信頼して歩みましょう。
<聖書のことば>
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
創世記 12章 3節

2022年5月22日日曜日

「必ずあなたを顧みて」

創世記 50章 15節 ~ 26節
2022年5月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 長く学んで来ましたヨセフですが、ついに彼も息を引き取ります。彼の持っていた信仰から学びましょう。
 第一に、神の視点で見る信仰です。ヤコブが死んだので、ヨセフが復讐するのではないかと兄たちは恐れました。しかしヨセフは神の御計画があったことを認めていました。神の約束に立ち、神の視点で物事を見る信仰が必要です。
 第二に、神の裁きに委ねて、人を赦す信仰です。ヨセフは神に委ねていました。神だけが人を正しく裁く知恵と権威をお持ちです。私たちが感情的になって、人を裁いてはいけないのです。
 第三に、神は必ず顧みてくださるという信仰です。ヨセフはその事を強く信じ、また具体的に見ていました。私たちも主が必ず顧みてくださると信じて、前進することが必要なのです。
 私たちは厳しい状況に遭遇すると、信仰が揺らいでしまいがちです。そうではなく、ヨセフの持っていた信仰に倣いましょう。ヨセフが信じた同じ主に信頼して歩みましょう。
<聖書のことば>
ヨセフは兄弟たちに言った。「私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、あなたがたをこの地から、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」
創世記 50章 24節

2022年5月15日日曜日

「ヤコブの死」

創世記 49章 28節 ~ 50章 14節
2022年5月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 波乱万丈の人生を送って来たヤコブがついに息を引き取ろうとしていました。彼の死から学びましょう。
 第一に、神の約束を最後まで信じて待ち望むことです。ヤコブはカナンの地のアブラハムやイサクと同じ墓に埋葬してほしいと願いました。それは神様がやがてカナンの地に帰らせてくださると約束されていたからでした。私たちも神の約束を最後まで信じて待ち望む信仰が必要です。
 第二に、神の前の人生を、死において証しすることです。ヤコブの葬儀式をとおして、人々は彼の生涯について知ったでしょう。すべての人が死を経験します。その時に生き様が証しされ、神を指し示す時となるのです。
 第三に、神に明け渡して、変えられて歩むことです。彼は元々ずる賢くつかみ取る人物でしたが、神によって変えられて行きました。私たちも主に信頼し明け渡す時に、変えられて用いられる者となるのです。
 人は必ず死ぬ時がやって来ます。残された生涯、主の約束に信頼し、変えられ、神の栄光のために用いられる者となりましょう。
<聖書のことば>
また、ヤコブは彼らに命じた。「私は、私の民に加えられようとしている。私をヒッタイト人エフロンの畑地にある洞穴に、先祖たちとともに葬ってくれ。
創世記 49章 29節

2022年5月8日日曜日

「ハンナの信仰による歩み」

サムエル記第一 1章 1~20節
2022年5月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日は母の日です。サムエルの母ハンナがどのように歩んだのかを学びましょう。
 第一に、苦しみの中で、神に心を注ぎ出して祈りました。彼女は夫やペニンナに対してではなく、ただ神に訴えました。神こそがこの問題を解決してくださるという信仰があったのでしょう。私たちも同じ信仰で、主に心を注ぎ出して祈ることが必要です。
 第二に、祈りの中で、神によって変えられました。状況は何一つ変わっていなかったのですが、彼女の心はそれまでと異なっていました。主は祈りの中で、私たちの内側を変えてくださるのです。
 第三に、先が見えない中で、神に信頼し委ねました。家庭へと戻って行きました。サムエルが与えられた時も、主に委ねて献げました。本当の信仰は、主に委ねる心を起こさせます。
 そのようなハンナの信仰がサムエルに継がれていきました。私たちは自分の子供や孫に、また教会の子供たちに、良い信仰の模範を示しましょう。そして信仰を継承していきましょう。
<聖書のことば>
ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。
サムエル記第一 1章 15節

2022年5月1日日曜日

「神のそれぞれへのご計画」

創世記 49章 8~27節
2022年5月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 創世記の学びに戻ります。ヤコブはエジプトで 17 年過ごしましたが、病気となり死が近づいていました。それで子どもたちに語ります。
 第一に、主はふさわしくない者をも用いてくださいます。ユダはふさわしい者でしたが、メシヤはユダ部族から出て来ることが預言されました。私たちも同様にふさわしくな者ですが、それでも主は用いてくださいます。
 第二に、主との関係が最も大切です。ヤコブは途中で主の救いを願いました。幾つかの解釈が可能ですが、彼は自分の子供たちのことを考え、ただ主の救いの必要を覚えたのではないでしょうか。私たちも弱く、ただ主の救いと、主との関係が大切です。
 第三に、主はそれぞれを用いるご計画をお持ちです。主は彼らを同じようにではなく、それぞれに計画を持ち、用いられました。主は私たちそれぞれにも特別な計画をもって用いてくださいます。
 私たちは狭い視点で状況を見るのではなく、神様の視点を覚え、神の御計画を覚え期待して歩む者でありましょう。
<聖書のことば>
王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。
創世記 49章 10節

2022年4月24日日曜日

「イエス様のために」

マルコの福音書 15章 42~47節
2022年4月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 先週はイエス様の復活について学びましたが、本日は少し戻って、イエス様の埋葬の箇所から教えをいただきます。
 第一に、主と人の前に明確な立場を取ることです。アリマタヤのヨセフはイエス様を信じていましたが隠していました。しかし、十字架の主に心動かされて、この時遺体の引き取りを申し出ました。公に信仰を告白したのです。私たちも曖昧ではなく、明確な立場を取ることが大切です。
 第二に、主に自分の持てる最高を献げることです。ヨセフは主のためにお墓を、ニコデモは多くの没薬など、彼らの最高を献げたのです。私たちの持てる最高を主に献げることが大切です。
 第三に、主のために一歩を踏み出して行くことです。マグダラのマリヤたちは墓の入り口が石で塞がれているのを知っていましたが、それでも主のために何かしたいと出かけました。私たちも何ができるかわからなくても、主のために一歩踏み出して行くことが大切です。
 新年度が始まりました。主のために一歩踏み出して行きましょう。

<聖書のことば>
アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。
マルコの福音書 15章 43節

2022年4月17日日曜日

「イエスキリストの復活~恐れからの解放~」

マタイの福音書 28章 1~10節
2022年4月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日はイースター復活記念礼拝です。
 第一に、主の約束は必ず成就することです。弟子たちはイエス様から十字架の死と復活について聞いていましたが信じていませんでした。しかしそれは前から言っておられたとおりのことでした。神のおことばは言われていたとおりに成就していきます。
 第二に、主の愛は変わらないことです。イエス様を見捨てて逃げて行った弟子たちでした。しかし、変わらず主の弟子であり、主は彼らの前に姿を現されました。主はどこまでも真実であり、その愛に変わりはありません。
 第三に、主は私たちを見捨てず、いつまでも共に歩んでくださることです。主はガリラヤで、彼らがやり直す機会を用意しておられました。そして彼らへの変わらぬ愛と使命を与えられたのです。
 主を亡くなってしまった弱い人物かのように考えると恐れてしまいます。主は復活しいつも共にいてくださいます。この復活された主に信頼して、恐れから解放されて歩みましょう。

<聖書のことば>
御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
マタイの福音書 28章 5~6節

2022年4月10日日曜日

「完了した」

マタイの福音書 27章 33~46節
ヨハネの福音書 19章 30節
2022年4月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が十字架の上で語られた後半の内の3つのおことばについて学びましょう。
 第一に、「わが神わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」です。これは詩篇 22 篇の引用です。イエス様にとって十字架は肉体の苦しみ以上に、父なる神との関係が断絶されることが苦しみでした。主は私たちのためにその苦しみにあずかってくださいました。
 第二に、「わたしは渇く」です。十字架刑の苦しみの一つは渇きでした。私たちは誰も主が味わったほどの渇きを経験したことがないでしょう。渇きを満たすことのできるお方が渇き苦しまれたのです。
 第三に、「完了した」です。これは完済したという意味であり、主は私たちの罪の負債をご自分のいのちをもって完全に支払ってくださいました。完済されましたので、私たちはもはや行いによらず、ただ信じるだけで救われることができるのです。
 勝利者とならせてくださった主に感謝し従って歩みましょう。私たちも主の模範に倣い、最後まで耐え忍び歩みを全うしましょう。

<聖書のことば>
イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
ヨハネの福音書 19章 30節

2022年4月3日日曜日

「主人の帰宅の時」

マタイの福音書 25章 14~30節
2022年4月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 本日は新年度最初の聖日礼拝です。タラントのたとえ話から、私たちが信仰生活を歩む上で必要なことを学びましょう。
 第一に、私たちは主のしもべであることです。このたとえ話の主人としもべは、そのまま救い主イエス様と私たちの関係と言うことができます。私たちは救われて神の子とされたと同時に、主のしもべにならせていただいているのです。このことを感謝し、自覚を持ちましょう。
 第二に、委ねられた賜物を喜んで主のために用いることです。タラントを預けられたしもべたちはすぐに出て行き商売し儲けました。私たちも主のために賜物を喜んで用いていくことです。土の中に埋めてはいけません。
 第三に、主は忠実なしもべの賜物をさらに増やし用いてくださることです。彼らは主人から忠実さを褒められ、さらに多くのものを委ねられました。私たちも賜物を主のために忠実に用いて行くならば、主は賜物をさらに増やしさらに用いてくださるのです。
 主はやがてやって来られます。主人の帰宅の時が近づいています。その時に備えて、新年度、忠実に賜物を用いて歩みましょう。

<聖書のことば>
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイの福音書 25章 11節

2022年3月27日日曜日

「友のために祈る」

ルカの福音書 11章 5~10節
2022年3月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様のたとえ 話 を 通して 、 祈りに ついて 学びましょう 。
 第一に、 目の前の 飢え渇いた 友の ために 行動する ことです 。 真夜中 にやって 来た 友 を 思いやり 、 彼は パンを 分けて ほしいと 違う 友の 家に 来 て 頼みました 。 私たちの 身近 にも 、 霊的に 飢え渇いた 人が 多く おられます 。 その友の ために 行動し 祈 る 人は 幸い です 。
 第二に、 主を 信じて 祈り 求める ことです 。 真夜中 で 断られる ことも 覚悟していたでしょうが 、 友を 信頼して 真夜中に やって来 ました 。 もし その 友が しつこ く 頼むなら 、 それ ゆえに 必要な ものを なんでもあげるだろうと 主は 教えられました 。 父なる 神は 、 その 友とは 全く 異なります 。 私たち に どこまでも 恵み 豊かな お方 です 、 その 主に 信頼して 祈る ことです。
 第三に、 友の ために 行動す る 者を 主は 用いられる ことです 。 この たとえ話 の 結末 は 語られて いませんが 、 友は パンを あげた でしょう 。 主は 私たちをも 祈りの 答えとして 、 愛を 与える 者 として 用い たいと 願われています 。
 私たちの周りに 多くの 飢え渇いた 方が おられます 。 その 友の ために とりなし 、 また 行動する 者 でありましょう 。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうす れば見出し ます。たた きなさい。そうすれば開かれます。
ルカの福音書 11章 9節

2022年3月20日日曜日

「霊的建築」

エズラ記 3章 1~5節
2022年3月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 献堂記念礼拝において、エズラ記から学びます。私たちは建物の会堂のために祈り願っていますが、最も大切なのは霊的な建築です。
 第一に、主への礼拝を最優先にすることです。彼らは主への祭壇と神殿を優先して建築にとりかかりました。私たちの霊的な建築においても、ここが最も大切です。礼拝が最優先されてこそ、築き上げられていくことができます。
 第二に、妨害が来ても主のみことばに堅く立つことです。何度も敵が立ちはだかりました。それは今も同じであり、主に従おうとする時に必ずサタンは妨害して来ます。主に頼り、みことばに堅く立つ必要があります。
 第三に、砕かれた心で主に祈り、日々悔い改めて歩むことです。エズラは民が罪を犯した際に心から主に祈り、悔い改めました。主は私たちを愛しておられるからこそ罪を指摘してくださいます。その際に砕かれた心で悔い改めて歩むことが必要なのです。
 新会堂建築を心から願いつつも、同時に自分自身の霊的建築がどういう状態であるかを省みましょう。

<聖書のことば>
それから、常供の全焼のささげ物、新月の祭りやすべての聖別された主の例祭のためのささげ物、そして一人ひとりが進んで献げるものを、喜んで主に献げた。
エズラ記 3章 5節

2022年3月13日日曜日

「集まって聞け」

創世記 49章 1~7節
2022年3月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは病で死を前にして、子供たちに語りました。その箇所から、教えをいただきましょう。
 第一に、情欲に警戒することです。ルベンは長子でしたが、情欲に流されて父のそばめと関係を持ち祝福を逃すことになりました。私たちも情欲 に流され残念な結果にならないように気をつけましょう。
 第二に、怒りの感情に支配されないことです。シメオンとレビは妹が乱暴されたことに怒り、シェケムの男を皆殺しにし、街を略奪しました。私たちも怒りに捕らわれる時に、冷静な判断ができなくなるものです。気をつけなければなりません。
 第三に、みことばをしっかりと聞くことです。聞けと言われています。主は今も私たちに聞きなさいと言われます。聞き流すのではなくて、自分のこととして聞き、応答するのです。
 神が語られるみことばを、どれだけしっかり聞き、自分のこととして受け止め従っているでしょうか。素直に受け止め、従う者でありましょう。

<聖書のことば>
のろわれよ、彼らの激しい怒り、彼らの凄まじい憤りは。私はヤコブの中で彼らを引き裂き、イスラエルの中に散らそう。
創世記 49章 7節

2022年3月6日日曜日

「先祖の地に帰してくださる」

創世記 48章 1~22節
2022年3月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは病気になり、もうじき生涯を終えようとしていました。彼は子供たち一人一人に語ります。
 第一に、神の恵みを振り返り、証しすることです。ヤコブはエジプトに移り住み、17 年間過ごしました。彼はこれまでの歩みを振り返り、その守りと恵みに感謝し伝えました。私たちも人生を振り返り、神がなされた守りと恵みに感謝し、伝えることが大切です。
 第二に、神は後の者を先にして用いられることです。ヤコブは主の導きの中で長男のマナセではなく、次男のエフライムを祝福しました。主は人の見るようには見られず、後の者を祝福し用いられるお方です。神の視点で見るようにしましょう。
 第三に、全能の神とその約束に信頼することです。彼は今エジプトに住んでいましたが、全能の神がその約束を成就して、先祖の地に帰してくださると信じていました。そしてそのとおりとなって行きました。私たちも全能の神とその約束に信頼して歩みましょう。
 私たちにも困難な状況がありますが、同じ主が私たちと共に導いてくださいます。この主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
イスラエルはヨセフに言った。「私は間もなく死ぬだろう。しかし、神はおまえたちとともにおられ、おまえたちを先祖の地に帰してくださる。
創世記 48章 21節

2022年2月27日日曜日

「私たちを見なさい」

使徒の働き 3章 1~10節
2022年2月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 宣教月間最後の礼拝において、足の不自由な人の癒しについての箇所から、教えをいただきましょう。
 第一に、魂を見つめることです。ペテロとヨハネは彼に目を注ぎました。じっと見たのです。そこからこの幸いな出来事が始まりました。愛は相手に関心を持ち見ることから始まります。
 第二に、私たちを通してキリストを見てもらうことです。ペテロとヨハネは私たちを見なさいと言いました。キリストにある希望と平安、力のある自分たちを通してキリストを指し示したのです。私たちも同様に、自分たちを通してキリストを見てもらうことが大切です。
 第三に、具体的に助けの手を伸ばすことです。彼らはその男性の右手を取って立たせました。もしそれが無ければ、気力もなく立ち上がることはできなかったかもしれません。愛の手を伸ばすことが必要なのです。
 私たちの周りにも霊的に力なく座り込んでしまっている方がおられます。恵みによって救われた私たちがその方に目を注ぎ、イエス様について お伝えし、具体的な愛の手を伸ばすようにいたしましょう。

<聖書のことば>
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
使徒の働き 3章 4節

2022年2月20日日曜日

「祝福の贈り物」

コリントへの手紙第二 9章 5節
2022年2月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 内容につきましては、教会にお問い合わせください。

<聖書のことば>
そこで私は、兄弟たちに頼んで先にそちらに行ってもらい、あなたがたが以前に約束していた祝福の贈り物を、あらかじめ用意しておいてもらうことが必要だと思いました。惜しみながらするのではなく、祝福の贈り物として用意してもらうためです。
コリント人への手紙第二 9章 5節

2022年2月13日日曜日

「マケドニアへの導き」

使徒の働き 16章 6~15節
2022年2月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはシラスと共に第二回伝道旅行へ出かけました。
 第一に、神は私たちを導かれます。二人はよく祈って準備し出発したでしょう。しかし、聖霊は彼らの行く手をことごとく閉ざされました。そしてマケドニア人の叫びを幻の内に見て、彼らはマケドニアへ行きました。主が導かれたのです。主は私たちの人生においても導いてくださいます。
 第二に、神は私たちの生涯において働かれます。主はリディアの心を開かれて、彼女は救われることができました。宣教は神の働きなくしては何もすることができません。
 第三に、神は人知を超えて御計画を進められます。それはパウロたちの計画していたことではありませんでしたが、主の導きにより、ヨーロッパへ福音が伝えられて行きました。私たちの思いを超えて主は御計画を進められるのです。
 主は私たちの人生のおいても導かれ、働かれ、そして人知を超えたことをなされます。私たちもパウロたちのように出て行って伝えましょう。

<聖書のことば>
その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
使徒の働き 16章 9節

2022年2月6日日曜日

「神に喜ばれる礼拝」

ローマ人への手紙 12章 1節
2022年2月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 宣教月間に入りました。まず、神に喜ばれる礼拝について考えましょう。
 第一に、神に感謝しほめたたえることです。どこまでも罪深くさばかれて当然であった私たちが、主の恵みと憐れみにより救われることができました。罪が赦され永遠のいのちをいただき、御国に入ることができます。日々の守りをいただいています。その恵みを覚えると、神に感謝しほめたたえるのです。主はそのような礼拝を望まれています。
 第二に、神の前に心砕かれ、悔い改めることです。主のみことばを聞き、自分と向き合うならば、心は砕かれ、悔い改めに導かれます。主はそのような礼拝を喜ばれます。
 第三に、神に自分のすべてを献げることです。主がすべてを献げてくださったことを覚えて、私たちも主に献げていくのです。それこそが本当の礼拝です。
 幸いな礼拝があってこそ、宣教は祝福されますし、幸いな歩みをすることができます。あらためて自分自身の礼拝態度を省みましょう。

<聖書のことば>
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
ローマ人への手紙 12章 1節

2022年1月30日日曜日

「天の故郷を憧れて」

創世記 47章 13~31節
2022年1月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフの働きの姿勢と、ヤコブの抱いていた思いから学びましょう。
 第一に、私欲ではなく神の栄光を求めることです。この箇所を見る時に、いかにヨセフが私欲のためではなく、国のため、ファラオのため、民のために仕えていたかがわかります。その全ては神の栄光をあらわすためであったと思います。私たちも同様の生き方をするべきです。
 第二に、真の故郷を憧れて歩むことです。ヤコブは自分の遺体をカナンの地に埋めて欲しいとヨセフに願いました。ヘブル書を見ると、信仰の人たちは真の故郷を憧れて歩んでいたと記されています。私たちもこの世だけに目を留めるのではなく、真の故郷を憧れて目を留めて歩みましょう。
 第三に、神に感謝し、最後まで礼拝を献げることです。彼はヨセフに感謝しつつ、なによりも神に感謝し礼拝を献げたのではないでしょうか。私たちもこれまでの守りと恵みを覚え神に感謝し礼拝を献げ続けましょう。
 あらためて私たちは神に感謝し、真の故郷に憧れて歩み、そして神の栄光のために生きましょう。

<聖書のことば>
私が先祖とともに眠りについたら、エジプトから運び出して、先祖の墓に葬ってくれ。」ヨセフは言った。「必ずあなたの言われたとおりにいたします。」
創世記 47章 30節

2022年1月23日日曜日

「私の生きてきた年月は」

創世記 46章 31~47章 12節
2022年1月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブと子供たちはファラオと対面します。
 第一に、寄留者であると意識して歩むことです。ヨセフの兄弟たちは、自分たちは寄留するために来たと言いました。実際エジプトは、一時的な地に過ぎず、やがて彼らはそこから出てカナンの地に戻ることになったのです。私たちもこの地上生涯は寄留地であると意識して歩むことです。
 第二に、この世においては誠実に歩むことです。ヨセフの誠実な歩みがあったからこそ、ファラオは彼の家族をここまで手厚く扱ったのでしょう。私たちも証しのために、遣わされたところで誠実に歩むことです。
 第三に、災いが多かったとしても主に信頼することです。ヤコブは生涯を振り返り、災いが多かったと言いましたが、しかし主は彼を守り、ヨセフと再会させられました。真実な主に従って良かったと思ったでしょう。
 私たちの人生にも苦しみは多くあります。しかし、真実な主は私たちと共に歩んでくださいます。その主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」
創世記 47章 9節

2022年1月16日日曜日

「エジプトに来た家族」

創世記 46章 5~30節
2022年1月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはエジプトへ行きヨセフと再会することができました。この個所から 3 つの点で学びましょう。
 第一に、主はすべてをもって従うことを望まれます。ヤコブ達はすべてをもってエジプトへやって来ました。私たちが主に従うのも同じです。中途半端にではなく、すべてをもって主に従うことです。
 第二に、主は人の思いを超えたことをなさいます。ヤコブは死んだものと思っていたヨセフと再会し、もう死んでもいいと思う程でした。どれだけ彼は嬉しかったことでしょうか。主が私たちのためにも、私たちの思いを超えたことをしてくださることを覚えましょう。
 第三に、主の約束は真実です。食料が尽きてエジプトに逃れた彼らでしたが、主はそこで増やされました。そして後に多くの民となって、エジプトから脱出することになったのです。私たちは主の約束が必ず成就すること、真実であることを信じる必要があります。
 主はヤコブとヨセフを真実に導かれました。私たちの前に先の見えない状況がありますが、真実なお方である主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
そして、家畜とカナンの地で得た財産を携えて、ヤコブとそのすべての子孫は、一緒にエジプトにやって来た。
創世記 46章 6節

2022年1月9日日曜日

「信仰によって見る」

ヨシュア記 17章 14~18節
2022年1月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヨセフ族の訴えから、2つのことを学びましょう。
 まず、信仰によって見ない時にどうなるかです。一つは、不満が多くなります。否定的に考えてしまいます。与えられているものよりも、与えられていないものを見るからです。もう一つは、人や状況のせいにします。彼らは一つの割り当て地しか与えなかったヨシュアのせいにしました。私たちも信仰によって見ないならば、同様に不満が多くなり、人や状況のせいにするのです。
 次に、信仰によって見るならどうなるかです。一つは、自分のなすべきことがわかります。主はそれを示してくださいます。もう一つは、問題を乗り越える希望と力を与えてくださいます。信仰によって、多くのものが見えるようになり、乗り越えて行くことができます。
 私たちの前にも広い地が広がっています。信仰によって見るか見ないかによって、見え方、歩み方は大きく異なってきます。生きて共におられる主と主の約束を覚え、いつも信仰によって見て歩みましょう。

<聖書のことば>
ヨシュアは彼らに言った。「あなたが数の多い民であるのなら、森に上って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」
ヨシュア記 17章 15節

2022年1月2日日曜日

「日々心がけるべき大切なポイント」

ペテロの手紙第二 1章 10節
2022年1月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 新しい一年が始まりました。私たちは一年を通して忠実に歩みたいと願います。しかし気をつけないと、つまずいて主と教会から離れてしまうことがあります。そうならないために、日々心がけるべきことを学びましょう。
 第一に、召しと選びを確かなものとすることです。主の召しと選びは完全なものです。相応しくない者ですが、主から選ばれ召されたことを日々確信して感謝して、そして確かな歩みをしていくのです。
 第二に、静まって主と交わる時を持つことです。慌ただしくなると、私たちはこの点を疎かにしてしまいやすいのです。主の模範に倣い、まず静まって、主と交わる時を持つことを欠かしてはいけません。
 第三に、受けるよりも与える歩みをすることです。イエス様はまさに与える歩みをされました。そのお陰で私たちは救いに与ることができたのです。その私たちは主の模範に倣って、主の愛を与え仕えて行くことが大切です。
 この一年、受けること以上に与える歩みを心がけましょう。そこに祝福の鍵があります。

<聖書のことば>
ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
ペテロの手紙第二 1章 10節