2017年7月30日日曜日

「喜びなさい」

ピリピ人への手紙3章1節
2017年7月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは再び喜びなさいと語りました。その鍵となるのは「主にあって」という言葉です。なぜ主にあるならば喜べるのでしょうか。
 第一に、主はどんな時にも愛してくださっているからです。どんなに私たちが愚かであっても主は変わりなく愛してくださいます。主は罪人の私たちを愛し身代わりに死んでくださったのです。
 第二に、主はどんな時にも消えない希望を与えられているからです。彼は獄中にいましたがそれでも希望がありました。世の与える希望はやがて消えてしまうものばかりですが、主が与える希望は消えることがありません。
 第三に、主はどんな時にも共にいてくださるからです。確かに辛い試練はやって来ますが、主は必ず共にいてくださいます。その現実を覚える時に喜ぶことができるのです。
 私たちは世にあって喜びを探してしまいがちです。しかしそうではなくて、主にあって喜ぶ者でありましょう。

<聖書のことば>
最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。
ピリピ人への手紙3章1節

2017年7月24日月曜日

「信仰生活で用いられるもの」

ピリピ人への手紙2章25~30節
2017年7月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは獄中から、テモテの前にエパフロデトを遣わすことを伝えました。この箇所から、信仰生活で用いられるものについて学びましょう。
 第一に、献身です。エパフロデトについて兄弟、同労者、戦友という3つの点で紹介されています。彼は自分自身をささげて、パウロと共に伝道の働きにあずかっていました。中途半端ではなく献身が大切です。
 第二に、心遣いです。エパフロデトが病気になった為に途中で働けなくなり、その知らせがピリピ教会に伝わりました。落胆した彼はピリピに帰ろうとしますが、そこでパウロは尊敬をもって彼を受け入れるように心遣いをしたのです。大きな事ができなくても、小さな心遣いが用いられます。
 第三に、憐みの心です。神は彼らを憐れまれたので、病気が癒されました。神が憐み深いお方であるように、私たちも周りの方に憐みの心をもって接することが大切なのです。
 私たちは主から愛と恵みと憐みをいただきました。信仰生活において、周りの方にそれらを与える者となりましょう。

<聖書のことば>
しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。
ピリピ人への手紙2章25節

2017年7月16日日曜日

「励まし手として」

ピリピ人への手紙2章19~24節
2017年7月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはテモテをピリピ教会に遣わしたいと言いました。今日の箇所から、神が私たちに望んでおられることについて確認しましょう。
 第一に、励まし励まされる関係を望んでおられます。パウロとテモテとピリピ教会、それぞれが互いに励まし励まされる関係にありました。教会はそのような所です。互いに励まし合って歩みましょう。
 第二に、キリストを求めて歩むことを望んでおられます。多くの人は自分のことは考えていますが、キリストについて求めようとしません。私たちクリスチャンは主の栄光を求めて歩むべきです。
 第三に、親身になって心を掛け合うことを望んでおられます。私たちは今に至るまでに、多くの方に親身になって心に掛けていただきました。誰よりも主からそうしていただいたのです。そうであれば、私たちが相手に心を掛けて励ましたり慰めて行くべきです。
 主は私たちを励ましや慰め手として用いようとされています。自分自身をささげて用いていただきましょう。

<聖書のことば>
しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。
ピリピ人への手紙2章19節

2017年7月9日日曜日

「一緒に喜んでください」

ピリピ人への手紙2章17~18節
2017年7月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは自分が注ぎの供え物となっても喜びますと言いました。なぜ、そのように言うことができたのでしょうか。
 第一に、主が計り知れない大きな愛を与えてくださったからです。彼はかつてクリスチャンの迫害者でしたが、主はそんな彼を愛し受け入れ、命までもささげてくださったからです
 第二に、主が希望の約束を与えてくださっているからです。イエス様は迫害される時に天での報いがあるので喜びおどるように言われました。その様な希望の約束があるからです。
 第三に、主の教会は魂の祝福こそ最も喜ぶことだからです。キリストは魂を愛され魂のために全てをささげられました。そのキリストの教会は同様に魂の救いや成長こそ、最も喜びとすべきなのです。
 私たちは何を最大の喜びとして歩んでいるのか、自分自身を点検するようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。
ピリピ人への手紙2章18節

2017年7月2日日曜日

「つぶやかず疑わず」

ピリピ人への手紙2章14~16節
2017年7月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 救いの達成に努めるために、私たちがなすべきことがあります。
 第一に、つぶやかず疑わずに行うことです。二つのつぶやきが考えられます。一つは神へのつぶやきであり、神のお取り扱いへの不満です。もう一つは兄姉へのつぶやきです。不一致がありましたので互いにつぶやいていたのでしょう。それらのつぶやきは何も良いものを生み出しません。
 第二に、みことばを握りしめて歩むことです。みことばは私たちに永遠のいのちを与えます。それだけでなく、日々歩む為に必要な導きや力、平安を与えてくれるのです。このみことばを剣として日々歩むことが勝利ある歩みのために必要なのです。
 第三に、その結果、霊的に輝いた歩みができると覚えることです。みことばを心に抱きつぶやかずに歩む時に、主が私たちを霊的に輝かせて下さるのです。
 霊的成熟のために私たちがなすべきことを心にとめて歩みましょう。

<聖書のことば>
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
ピリピ人への手紙2章14節