2016年2月28日日曜日

「あなたはわたしに従いなさい」

ヨハネの福音書21章15~22節
2016年2月28日 第4聖日
宣教牧師 山宮 利忠

 他の福音書の記さないヨハネのみが記す復活後の主のみわざです。ここには、イエス ・キリストの慈愛に満ちた弟子達へのお取り扱いがあります。
 その第一は、あなたは、わたしを愛しますか(15)とのおことばです。主は、ペテロをお責めにならず愛を求めてペテロの傷を癒されます。生涯主を否んだ失敗をひきずって歩ませない、キリストの深い配慮が見られます。
 第二は、わたしの羊を牧しなさい。(16)牧するということばは、羊飼いを表しますが、その意味は、お世話をするという意味です。人を漁るだけではなく養い育てる働きの為に、ペテロを再任命し、「私は、主をさえ否んだのだからもう駄目だ」と、元の漁師に戻ろうとしたペテロを、更に大切な働きへ任命します。一つの失敗を人生の失敗にさせない主の深い愛を見る事ができます。
 第三に、あなたは、わたしに従いなさい。(22)とのおことばです。ペテロは自分の弱さに打ち砕かれたかに見えますが、尚弱さを持つ人間です。人と比較する彼に、信仰とはわたしとあなたとの関係なのだと、これからの歩みの為に必要な、そして大切な事を確認する主の知恵があります。
 このような主にお仕えできる事は、何と幸いなことでしょうか。

<聖書のことば>
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネの福音書21章22節

2016年2月21日日曜日

「信仰約束献金の恵み」

コリント人への手紙第二9章7節
2016年2月21日 第3聖日
牧師 長江忠司

 信仰約束献金とは、宣教の為に、神に約束し信仰によって献げていく献金を意味します。これは強制されてするものではありません。しかし、宣教の使命を果たしていく為に、非常に大切な献げものです。
 第一に、年間を通して計画的に宣教師を支援することができます。感情的に一時的に献げるのも悪くありませんが、それだと宣教師をしっかりと支援することはできません。
 第二に、主の働きの同労者となることができます。宣教地で働くのも日本国内で祈り献げるのも、主の目から見れば大きな違いはありません。宣教の為にささげるならば、私達も宣教師とみなされます。
 第三に、献げる者が祝福されます。神は喜んで与える人を愛して下さると書かれています。
 私は個人的に、この約束献金がとても楽しみです。主は私達の宣教に対する態度に注目しておられます。この恵みに積極的に与りましょう。

<聖書のことば>
ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
コリント人への手紙第二 9章7節

2016年2月14日日曜日

「キリストの平安をあなたのものに」

ヨハネの福音書14章27節
2016年2月14日 第2聖日
牧師 長江忠司

 イエス様はここで特別な平安を与えると約束されました。平安を与えて下さる主はどのようなお方なのでしょうか。
 第一に、いつも私たちを愛し心にかけて下さるお方です。私達が理解できないような小さな所まで主は心にかけて下さっています。
 第二に、私たちの明日についてご存知であり、最善へと導いて下さるお方です。主は私たちの過去・現在・未来の全てをご存知で最善へと導かれます。
 第三に、死に解決を与えて下さるお方です。キリストを信じた者には永遠のいのちが与えられており、天国で永遠に主と共に過ごすことができます。
 第四に、みことばの約束をもって導いて下さるお方です。多くの約束をもって私たちに平安を与えようとして下さっています。
 どんなに富があり健康があったとしても、平安のない人生は空しく辛いものです。クリスチャンも主の平安を手にしていないと、心騒がせることになります。いつも主を見上げて、主の平安を心に抱きつつ歩みましょう。

<聖書のことば>
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14章27節

2016年2月7日日曜日

「恵みに伴う責任」

ルカの福音書12章48節
2016年2月7日 第1聖日
牧師 長江忠司

 2月は宣教月間ですので、宣教について考えましょう。恵みには責任が伴います。それ故、与えられているものを用いていく責任があります。
 第一に、人材を用いることです。主は横浜教会に多くの魂を導かれ委ねられています。それ故に、私たちはより大きなことをすることができます。まず、より多く集まって祈ることができます。また、遣わされた場所で多くの証しをすることができます。また、横浜教会から宣教師を遣わすことができます。主はそれを横浜教会に願ってはおられないでしょうか。
 第二に、経済を用いることです。主は横浜教会に多くの経済を委ねられています。それをどう用いるかです。内部のことで用いるのは簡単です。しかし主は、宣教の為に用いるようにと願われているのです。今年度の初めに、私は全ての教会員が宣教の信仰約束献金に参加していただきたい(強制ではなく自発的に)と申し上げました。多くの兄姉が参加して下さり心から感謝しています。しかしそれは私ではなく主の願いなのです。
 主は献げる兄姉をご覧になられています。喜んで宣教に参加し、主に喜ばれる歩みをしましょう。

<聖書のことば>
すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
ルカの福音書12章48節後半