2022年6月26日日曜日

「シラスの信仰に倣う」

使徒の働き 16章 16~25節
2022年6月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 シラスはそれ程に目立つ人物ではありませんでしたが、幸いな信仰の持ち主であり働き人でした。彼の信仰から学びましょう。
 第一に、人から信頼されることです。エルサレム会議での決定事項を諸教会に伝えるのにシラスが選ばれました。パウロも彼を信頼し選びました。彼は神からも人からも信頼される人物であったと言うことができます。人から信頼されるには時間がかかります。忠実に歩み信頼される者となりましょう。
 第二に、仕えることを喜ぶことです。主に彼は補助的な働きをしたようです。そのように、主のお恵みに感謝して喜んで仕えることのできる人は幸いです。そのような人を主は豊かに用いられます。
 第三に、状況に支配されない信仰を持つことです。パウロとシラスは捕らえられ鞭打たれ牢に入れられましたが、主を賛美していました。状況に左右されない信仰を持っていたのです。私たちも順調な時だけでなく、逆境の時にも主を賛美する信仰を持ちましょう。
 私たちはシラスが信じていた同じ主を信じています。彼の信仰に倣って忠実に歩み、主に信頼して賛美して歩みましょう。

<聖書のことば>
真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。
使徒の働き 16章 25節

2022年6月19日日曜日

「目標を目指して走る」

ピリピ人への手紙 3章 12~14節
2022年6月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 クリスチャンの歩みが、マラソンレースを走っている競技者にたとえられています。私たちが祝福された信仰生活を覚える上で、大切なことを学びましょう。
 第一に、現状に満足しないことです。パウロは自分はまだ捕らえておらず追及していると言いました。彼がそうであるなら、私たちは尚更です。神の恵みに感謝しつつも、自分自身の霊的状態に満足してはいけないのです。
 第二に、主は捕らえて下さっていると覚えることです。不完全な者にもかかわらず、主は私たちを愛し捕えてくださっており、決して見放されることはないのです。
 第三に、主にある確かな目標を目指して走ることです。主が天において与えてくださる報いに目を留めることです。私たちも正しい目標を持って歩むことです。
 本日は父の日です。父親は誰よりも主の愛を覚えて感謝し、謙遜に、正しい目標に向かって歩むべきです。それはすべてのクリスチャンに言えることです。生涯、正しい目標を持って忠実に走り続けましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
ピリピ人への手紙 3章 14節

2022年6月12日日曜日

「神のみことばを聞いた時に」

エレミヤ書 36章 21~32節
2022年6月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ユダの民が悔い改めるように、神はみことばを語られました。それを聞いたエホヤキム王の反応から、教えをいただきましょう。
 第一に、まことの神を恐れて歩むことです。彼は巻物を裂き暖炉で焼いてしまいました。神を恐れない人物だったのです。私たちも聞いたみことばを拒絶するならば、神を恐れない彼と同じことをしているのではないでしょうか。恐れるべきお方である神を恐れ、みことばに従いましょう。
 第二に、確かなみことばを拠りどころとして歩むことです。みことばはいつの時代も攻撃を受けましたが、今も残り世界中に広がっています。この確かなみことばを人生の拠りどころとすることです。
 第三に、みことばを伝えることです。みことばを伝える人がいたので、人々は主のみこころを知ることができました。私たちの周りの方々がみこころを知るために、私たちも伝える必要があるのです。
 みことばを聞いて信じた私たちは救われることができました。私たちが伝える番です。みことばを身近な方にお伝えしましょう。

<聖書のことば>
ユダの王エホヤキムについてはこう言え。主はこう言われる。あなたはこの巻物を焼いて言った。『あなたはなぜ、バビロンの王は必ず来てこの地を滅ぼし、ここから人も家畜も絶えさせる、と書いたのか』と。
エレミヤ書 36章 29節

2022年6月5日日曜日

「神の愛を覚えて歩む」

ローマ人への手紙 8章 35~39節
2022年6月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人の愛と神の愛を考えましょう。まず人の愛の特徴についてです。人の愛も素晴らしいですが完全ではありません。条件が付いています。自分にとって好ましい条件が満たされない限り、愛することは難しいです。また変わりやすいです。また、自分が中心です。
 では、神の愛はどうでしょうか。
 第一に、無条件の愛です。私たちは罪深く愛されるにふさわしくない者ですが、神はそのような罪人の私たちを無条件に愛して下さっています。
 第二に、いつまでも変わらない愛です。私たちは変わりますが、主は変わらず永遠に続く愛で愛してくださっています。
 第三に、自己犠牲の愛です。私たちを滅びから救うために、イエス様が十字架で犠牲となってくださいました。それ程の大きな愛なのです。
 この神の愛を覚えず、この世のものに愛を求めて行くならば、やがて心は渇くことになります。そうではなく、神の愛を受け入れて、いつも覚えて歩む時に心は平安と喜びで満たされるのです。神の愛を意識し、いつも心に覚えて歩みましょう。
<聖書のことば>
高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙 8章 39節