2022年8月28日日曜日

「見てはいないけれど」

ペテロの手紙第一 1章 8~9節
2022年8月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 様々な試練がある中で、私たちクリスチャンの置かれている立場について記されています。
 第一に、信仰により、魂の救いを得ています。人間にとってなくてならない魂の救いをいただきました。それは行いではなく恵みにより、信仰をとおして既に得ているのです。これこそが最高の祝福です。その救いを受けている事実をしっかりと見ることです。
 第二に、主との交わりにより、言葉に尽くせない喜びがあります。本当の喜びは主との交わりから与えられます。主がどれだけ私たちのことを愛してくださっているかを、主との交わりの中で知ることです。
 第三に、見なくても主を信じることです。ペテロはいつも主を前にして、その歩みを見つつ歩んできましたが、この読者たちは見てはいなくても信じて喜びつつ歩んでいました。私たちも同様の信仰を持つ者とされました。見なくても信じる信仰こそ幸いです。
 見えるところは僅かです。私たちは見えないお方に信頼して、主の約束をしっかりと見て歩みましょう。


<聖書のことば>
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。
ペテロの手紙第一 1章 8~9節

2022年8月21日日曜日

「様々な試練の中で」

ペテロの手紙第一 1章 6~7節
2022年8月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 前回の箇所において救われた者の喜びについて記されていましたが、キリスト者の生涯はそれだけではないことが記されています。
 第一に、人生には様々な試練が必ずあることです。彼らが様々な迫害など試練にあっていたことが多く記されています。しかしそれは永遠に続くものではなく、今しばらくの間であり必ず終わる時がやって来るのです。
 第二に、試練は必要なものであり、試練により信仰が練られ強められることです。単なる苦しみではなく信仰の試練であり、必要なものなので与えられているのです。
 第三に、主の現われの時に信仰は称賛と栄光と誉れに至ることです。主が再び来られる時に、私たちは主からそのような報いをいただくだけでなく、私たちも素晴らしい主に栄光を帰すのです。
 私たちの人生にも必ず様々な試練がやって来ます。しかし落胆しないで、信仰により受けとめ、乗り越えさせていただきましょう。

<聖書のことば>
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
ペテロの手紙第一 1章 6~7節

2022年8月14日日曜日

「生きざま」

使徒の働き 20章 18~35節
2022年8月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロがミレトで長老たちに語った説教をとおして、彼の生きざまがわかります。私たちが人生を歩む上で大切なことは何でしょうか。
 第一に、主と主の教会を愛し僕として仕えることです。かつて彼はクリスチャンを迫害していましたが、回心し主と主の教会を愛し、僕として仕える者となりました。僕とは主の言われることに従い、主の喜ばれることを率先して行う者です。私たちも主と教会に僕として仕えることです。
 第二に、福音を伝え、証しすることです。彼はいつも自分の証しを語りました。また、あらゆる場所で、あらゆる方法で福音を伝えたことがわかります。主は弱い私たちをも証し人として用いようとされています。
 第三に、与える生き方をすることです。人に与えることは損をすることではありません。与える時に、主はその人を祝福されます。与えようとする者は主によって豊かにされるのです。
 私たちの生きざまはどのようなものでしょうか。省みましょう。

<聖書のことば>
このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
使徒の働き 20章 35節

2022年8月7日日曜日

「良い忠実なしもべだ」

マタイの福音書 25章 14~30節
2022年8月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 このタラントのたとえ話から、主は私たちの忠実さをご覧になられていることがわかります。主から褒められたしもべはどの点が良かったのでしょうか。
 第一に、主人がいなくても忠実でした。主人は旅に出て不在であり、主人から見られることはなかったのですが、それでもいつ戻って来ても良いように忠実に働いたのです。第二に、行いの伴った忠実さでした。思いがあるけれども、それだけで実行しないことはあると思います。でも、彼らはすぐに働きに出かけました。
 第三に、主人を愛するが故の忠実さでした。帰って来た主人への報告で、「ご覧ください!」と、主人に喜ばれたくて働いたことがわかります。それは義務感からではなく、主人を愛する心から出たものだったでしょう。
 皆様が変わらず忠実に歩んでくださっていることを心から感謝しています。私たちはどんな場合であっても、変わらず忠実に歩み、主から「良い忠実なしもべだ」と言っていただける歩みをしましょう。主は私たちの忠実さに注目しておられることを忘れないようにしましょう。

<聖書のことば>
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイの福音書 25章 21節