2019年12月29日日曜日

「神に感謝する人は」

詩篇107篇1~9節
2019年12月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 主に感謝せよと何度も教えられています。主に感謝することは神のみこころであり、私たちが絶対になすべきことです。それでは神に感謝するなら、どうなるのでしょうか。
 第一に、喜びに満たされます。これまでに主からいただいたお恵みを思い返す時に、神に感謝するようになります。それは溢れる喜びにつながっていくのです。
 第二に、神に豊かに用いられます。パウロは多くの苦難にあいましたが、それでも神の恵みを覚え感謝していました。そのような彼だからこそ、豊かに用いられたのです。
 第三に、苦しみを乗り越えることができます。呟く人は不満が心を支配し不信仰に陥ります。でも、神に感謝する人は、ますます神に信頼し、結果的に苦しみを乗り越えて行くことができるのです。
 私たちは今年一年、どれだけ神に感謝して歩んだでしょうか。新年においても神に感謝することを決して忘れないで歩みましょう。

<聖書のことば>
主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
詩篇107篇8節

2019年12月22日日曜日

「かけがえのない贈り物 神の愛」

ヨハネの福音書3章16節
2019年12月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 神はかけがえのない贈り物を私たちに与えてくださいました。それは御子イエスキリストであり、素晴らしい神の愛です。それはどのような愛なのでしょうか。
 第一に、条件を付けずに私たちを愛してくださいます。人の愛は条件付きですが、神の愛には一切の条件もつきません。
 第二に、どんな時も変わらずに愛してくださいます。人の愛は変わりやすく冷めやすいものです。しかし神の愛は不変です。
 第三に、いのちをもって愛してくださいます。神は御子キリストを死に渡されました。それ程に愛してくださるのです。
 その神の愛を受けると、救いをいただくことができます。また、この愛を覚える時に、試練に勝利することができます。
 神からのかけがえのない贈り物を感謝して受け取りましょう。それこそが本当のクリスマスなのです。

<聖書のことば>
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節

2019年12月15日日曜日

「主を待ち望む」

創世記18章1~15節
2019年12月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムの所に3人の人がやって来ました。3人の一人は主であられたことがわかります。この個所を通して、3つのことを学びましょう。
 第一に、神は恵みのみことばを受け取るように願われています。神はわざわざサラの所に来て、子供を授かるという恵みの知らせを伝えられました。それをしっかりと聞き受け取ることを願われたのです。
 第二に、神は信仰の目で見るように願われています。サラは現実的に考え、高齢になった自分たちから子供が生まれるはずがないと考えました。神は信仰の目で見るように望まれていました。
 第三に、神は待ち望む信仰を持つように願われています。主が来年の今頃に子を与えられるのを待ち望むように言われました。
 私たちも神を信じる者として、現実的な目で見ていてはいけません。みことばを受け取り、信仰の目で見て、主の御業を待ち望みましょう。

<聖書のことば>
主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。               
創世記18章14節

2019年12月8日日曜日

「従ったアブラハムの信仰」

創世記17章22~27節
2019年12月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 神から割礼を受けるように命じられたアブラハムはどのように応答したのでしょうか。ここから彼の信仰の模範を学びましょう。
 第一に、主のみことばに直ちに従うことです。彼はみことばが語られると、その日の内に言われたことに従いました。私たちもみことばが語られたら先延ばしにするべきではありません。
 第二に、主の言われた通りに従うことです。彼は神が言われた通りに従っていきました。私たちもこの世の教えに流されず、その通りに従って歩むことが必要です。
 第三に、主の真実さを信じて従うことです。神の真実さを信じて従って行ったことがヘブル書に書かれています。
 みことばに従うのを妨げるものは多いです。でも、アブラハムの信仰に倣って、主の真実を信じて、直ちにその通りに従いましょう。

<聖書のことば>
そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。               
創世記17章23節

2019年12月1日日曜日

「サライからサラへ」

創世記17章15~21節
2019年12月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラハムに、妻サライの名をサラとするように言われました。それは国々の母という意味でした。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、神は変えることができます。これまでのサライの歩みを考える時に、アブラハムはとても彼女が変えられ、国々の母になるとは思えなかったのでしょう。それで笑ってしまいました。しかし神は変えることが出来る方なのです。
 第二に、神こそ期待して良いお方です。サライも自分も高齢であるという状況から、彼は不可能だと判断していました。期待すべきは神でした。
 第三に、神は未来を見られていることです。アブラハムは過去から現在までしか見ていなかったのに対し、神はこれから先に起こる未来のことを見ておられました。私たちも信仰によって未来を見るべきなのです。
 神の約束をいただいた時に、私たちはどのように応答するでしょうか。笑うのではなく、心から信頼し期待して歩みましょう。

<聖書のことば>
また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
創世記17章15節