2024年1月28日日曜日

「神に用いられる人」

ヨシュア記 6章 1~7節
2024年 1月 28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは救われてから、自分のために歩む人生から、神のために歩む人生へと変えられました。神に用いられる時に喜びがあります。神に用いられる人とはどのような人でしょうか。
 第一に、神に信頼する人です。神から与えられた命令は、ヨシュアにとって理解できない内容の命令だったでしょう。しかし彼は神に信頼しその通りに従いました。私たちも神に信頼して従うことが必要です。
 第二に、神から受けたビジョンを見て歩む人です。目の前の状況が悪かったとしても、幻を見て前進することです。そのような信仰者を主は豊かに用いられます。
 第三に、神に喜んで献げる人です。言われるまで待って、それから重い腰を上げて行動するのではなく、自発的に喜んで献げていく人です。そのような人を主は神の栄光のために豊かに用いられるのです。
 結局のところ、自分のための人生は何も残りません。それは空しい結果に終わります。そうではなく、神の栄光のために自分自身を献げ、主に豊かに用いていただきましょう。

<聖書のことば>
ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」そして民に言った。「進んで行き、町の周りを回りなさい。武装した者たちは主の箱の前を進みなさい。」
ヨシュア記 6章 6~7節

2024年1月21日日曜日

「全知の主」

詩篇 139篇 1~6節
2024年 1月 21日 第3聖日
張替道雄インターン訓練生

 詩篇 139 篇は、筆者にとって、主がどのようなお方で、どれほど偉大なのかを、親密な関わりの中で心から賛美しています。全知の主とはどのようなお方なのでしょうか。
 第一に、全知の主は私のすべてを知っておられるということです。行動すべてを知っておられ、言葉が舌にのぼる前から既に知っておられます。ですから、神の前にはすべてが露わで、隠れることはできないのです。私たちは、日々主に知られていることを意識して歩むべきです。
 第二に、全知の主の知識は不思議で崇高であるということです。人間の計画には限界があります。しかし、全知の主は人知を遥かに超えた崇高な御計画をお持ちです。私たちは主の前にへりくだり、信頼して歩むべきです。
 第三に、全知の主を恐れ、主の命令を守ることです。私たちの行動や、考え、心に思うことさえもすべて主に知られています。しかし、いつしか全知の主を忘れ、主以外のものに恐れおののき、心騒がせていないでしょうか。
 我々が生きていく上でなすべきことは、全知の主を恐れ、主の命令を守ること以外にはありません。

<聖書のことば>
あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。
詩篇 139篇 2節

2024年1月14日日曜日

「生きた信仰によって歩む」

創世記 6章 5~22節
2024年 1月 14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ノアの生きた信仰を通して、私たちが持つべき信仰について学びましょう。
 第一に、悪い世代にあっても、神のみこころに沿って歩むことです。ノアは神のみこころに沿って歩もうとし、神と共に歩みました。今の時代はノアの時代同様に悪に満ちています。だからこそ、私たちもみことばにより神のみこころを確かめ、みこころに沿って歩むべきです。
 第二に、神の恵みを見出して歩むことです。ノアは主の目の前に恵みを見出しました。私たちも神の計り知れない恵みをいただき救われることができました。日々、主の恵みを覚え感謝して歩むことが大切です。
 第三に、神のみことばをそのまま信じて従うことです。ノアは洪水が起こると言われてもよくわからなかったことでしょう。しかし、言われた通りを信じて従い箱舟を造りました。私たちも先のことがわからなくても、みことばをそのまま信じて、その通りに従って行くことが必要です。
 新しい一年を、どのように神と向き合って歩むでしょうか。私たちもノアのように、みことばをそのまま信じて具体的に従って行く、生きた信仰によって歩みましょう。

<聖書のことば>
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
創世記 6章 22節

2024年1月7日日曜日

「主を恐れよ」

詩篇 34篇 8~10節
2024年 1月 7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人は生きて行く上で、何かを恐れて歩んでいるものです。そして悩んでいる人が多いのです。しかし聖書は繰り返し、主を恐れよと教えます。主を恐れることの意味と結果について学びましょう。
 主を恐れるとはどういうことでしょうか。一つは神を神と認め、神の前にへりくだって歩むことです。また、神が正しい裁き主であると認めて歩むことです。また、神を愛してみことばに従って歩むことです。神の愛を味わい見つめる時に、主の恵みに感謝し、主を恐れるようになります。
 次に、主を恐れるとどうなるでしょうか。多くの祝福が与えられますが、一つは罪から守られて歩むことができます。また、神の知恵が与えられ、試練に勝利して歩むことができます。また、様々な恐れから解放されて歩むことができます。
 クリスチャンでも、主をそれ程恐れないで歩むクリスチャンと、心から主を恐れて歩むクリスチャンに分かれます。主を恐れるクリスチャンを主は祝福され、その結果、歩みも大きく異なってくるのです。私たちは恵みにより新年を迎えることができました。この一年を主を心から恐れるクリスチャンとして歩みましょう。

<聖書のことば>
主を恐れよ。主の聖徒たちよ。主を恐れる者には乏しいことがないからだ。
詩篇 34篇 9節