2021年6月27日日曜日

「神を抜きにした歩み」

創世記 34章 1~31節
2021年6月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 シェケムにとどまったヤコブ家に大きな問題が起こりました。娘ディナがその地の男性に乱暴されたのです。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、自分の弱さを認め、主に取り扱っていただくことです。ヤコブは色々と計算したのかもしれません。彼はそのような自分の弱さや罪深さがあることを認め、主に取り扱っていただく必要がありました。
 第二に、地上のものに執着せず、神を第一として歩むことです。彼はその地で争いを起こさず暮らしたかったので黙っていたと考えられます。一連の歩みからわかることは、彼は地上のものに執着するようになっていたことです。私たちもそうなりやすいのです。
 第三に、神を抜きの歩みをせず、常に神を認めて歩むことです。祈りの格闘で勝利した筈の彼が、神に祈り頼ることを一切していません。彼の心から神が抜けていたのです。
 私たちも同じような歩みに陥る危険性があります。いつも神を認め、主の約束を覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
それで、ヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは私に困ったことをして、私をこの地の住民カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。私は数では劣っている。彼らが一緒に集まって私を攻め、私を打つなら、私も家の者も根絶やしにされてしまうだろう。」
創世記 34章 30節

2021年6月20日日曜日

「キリスト者の立ち位置」

テモテへの手紙第一 4章 6~12節
2021年6月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今日は父の日なので、導かれた箇所から学びます。パウロからテモテに書かれた手紙をとおして、私たちクリスチャンの歩みに必要なことを共に学びましょう。
 第一に、敬虔のために鍛錬することです。この敬虔は今のいのちと来るべきいのちを約束するもので、全てに有益です。普段からしっかりと忠実に取り組む必要があります。
 第二に、模範となることです。イエス様は模範を示されました。私たちはその模範に倣うことと、同様に模範を示すことが求められています。人は見るものに強い影響を受けます。
 第三に、立ち位置を明確にすることです。私たちはキリストに忠実に仕えるしもべになる必要があります。その際に大切なのは私たちの霊的な立ち位置なのです。曖昧のままではしもべとして用いられることはありません。
 父親はこれらの点でしっかりと模範を示していく必要があります。またそれは父親だけではなく、それぞれがこれらの点で自分自身の歩みを顧みる必要があります。クリスチャンとしての立ち位置を曖昧にせず明確にして歩みましょう。

<聖書のことば>
これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰のことばと、自分が従ってきた良い教えのことばで養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
テモテへの手紙第一 4章 6節

2021年6月13日日曜日

「みこころの場所の手前で」

創世記 33章 12~20節
2021年6月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 エサウとの再会を果たしたヤコブの、その後の歩みから学びましょう。
 第一に、この世と分離して歩むことです。ヤコブはエサウのいるセイルへは行きませんでした。彼を信用していなかったのかもしれません。私たちは魂の救いのために未信者の方と積極的に交わるべきです。でも同時に同じ歩み方をしてはいけません。
 第二に、神の守りに感謝し礼拝を献げることです。ヤコブはシェケムに移りそこで祭壇を築きました。これまでの守りと導きに感謝して礼拝を献げたのでしょう。私たちも救われたことと日々守られていることを当たり前と思わず、心から感謝して礼拝を献げるべきです。
 第三に、神のみこころの手前でとどまらないことです。ヤコブは本来戻るべきであったベテルではなく、その手前のシェケムにとどまりました。それが後で問題を起こすこととなりました。私たちも主から示されている場所の手前でとどまらないようにしましょう。
 主は私たちを愛し、さらに次へと導こうとされています。私たちはその主に明け渡して、導かれる場所へ進むようにしましょう。

<聖書のことば>
こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
創世記 33章 18節

2021年6月6日日曜日

「主に望みを置く者の幸い」

詩篇 146篇110節
2021年6月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神を信じていない人であっても、何かに望みを置いて人生を歩んでいるものです。聖書はこの世のものに望みを置くのではなく、主に望みを置くように教えています。
 この世のものに望みを置いてはいけない理由は、一つは変わりやすいからです。いつまでも変わらないものはこの世に存在せず、すべては変わっていきます。もう一つははかないものだからです。強い権力者であっても、やがては死ぬ時がやって来ます。それらに頼ることは空しい結果に終わるのです。
 次に、なぜ主に望みを置くべきなのでしょうか。
 第一に、主はとこしえに真実なお方だからです。主はどこまでも真実なお方であり、不誠実な私たちに対して誠実を尽くしてくださいます。
 第二に、主は弱き者を休ませ、強め、正しく導いてくださるお方だからです。主は弱き者を見捨てられることはなさいません。必ず重荷を負い休ませ強め、導いてくださいます。
 何に望みを置くかで人生は変わってきます。本当に信頼することのできる変わらない真実な主に望みを置いて歩みましょう。

<聖書のことば>
幸いなことよヤコブの神を助けとし その神 主 に望みを置く人。
詩篇 146篇5節