2015年8月30日日曜日

「主のしもべ」

コリント人への手紙第一 6章19~20節
2015年8月30日 第5聖日
牧師 長江忠司

 キリストを信じて救われた私達は神の子供であると同時に、神のしもべとされています。何故、主のしもべとして歩むべきでしょうか。
 一つは、主が私達を買い取って下さったからです。私達はキリストの命を持って買い取られました。もう一つは、しもべとして歩まれたイエス様の模範があるからです。主は生涯、しもべとして歩まれて私達に模範を残されました。
 それでは、主のしもべとしてどう歩むべきでしょうか。
 まず、主のみこころに従うことです。自分の願いよりも、主のみこころを最優先することです。次に、主の栄光の為に生きることです。かつての様に自分の栄光の為ではなく、神の栄光の為に用いられたいのです。
 確かに私達クリスチャンは神の子供ですが、それだけだとアンバランスです。自分が一体何者であるのか正しく認識しましょう。そして主のしもべとして、主と教会に心からお仕えする歩みを致しましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
コリント人への手紙第一6章20節

2015年8月23日日曜日

「キリストは誰か」

マルコの福音書12章35~37節
2015年8月23日 第4聖日
牧師 長江忠司

 イエス様は尋ねられました。「律法学者たちはどうしてキリストをダビデの子と言うのか」と。キリストについて確認しましょう。
 第一に、人であられました。旧約の預言の通りにダビデの子孫としてお生まれになられました。しかし民衆が期待していた様な軍事的政治的な王ではありませんでした。人を愛し、救いの道を示されました。
 第二に、神であられました。ダビデはそれを預言して、主と呼んでいたのです。神であられたからこそ、私達の罪を贖うことができました。
 次に、これらを踏まえて私達は何を覚えるべきでしょうか。まず、喜んで主のみことばを聞くことです。このお方が真の神であると信じ理解しているなら、積極的に喜んでみことばを聞くでしょう。次に、人生に於いて主を第一に置くことです。このお方を前に置いて歩む人生こそ、本当に幸いな人生となるのです。
 「キリストは私にとって誰なのか」を正しく認識して、幸いな歩みをする者でありましょう。

<聖書のことば>
イエスが宮で教えておられたとき、こう言われた。「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか。
マルコの福音書12章35節

2015年8月16日日曜日

「一番大切な教え」

マルコの福音書12章28~34節
2015年8月16日 第3聖日
牧師 長江忠司

 一人の律法学者が、イエス様の所へやって来て尋ねました。「全ての命令の中でどれが一番大切ですか。」主は答えられました。
 第一に、全身全霊をもって神を愛することです。心・思い・知性・力を尽くすとは、私達の全存在をもって神を愛するということです。何故ならば、主は私達を造り生かして下さっているお方ですし、私達を贖いお救い下さったお方だからです。
 第二に、自分と同様に人を愛することです。神さえ愛していれば良いのではなく、人をも同様に愛することが主のみこころなのです。
 私達はこの二つの最も大切な命令を覚えて、応答しなければなりません。一つは、キリストを信じ受け入れることです。救いに近いだけでなく、救われる必要があります。二つ目に、神を愛し人を愛して歩むことです。本当に心から神を愛しているならば、その愛は人への愛となって溢れ出て来ます。私達の愛は心からのものでしょうか。心から主を愛し、且つ、人を愛する、主の教えに従う者となりましょう。

<聖書のことば>
律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
マルコの福音書12章28節

2015年8月9日日曜日

「思い違い」

マルコの福音書12章18~27節
2015年8月9日 第2聖日
牧師 長江忠司

 今度は復活を信じないサドカイ人がイエス様に対して挑戦してきました。彼らの思い違いについて見ましょう。
 第一に、基準とすべきものです。サドカイ人は自分の考えを基準としていたので、的外れな質問をしました。全ての人は何かを基準とし歩んでいます。主のみことばを基準として歩む者は幸いです。
 第二に、聖書と神の力についてです。彼らは復活を信じていませんでしたが、聖書には復活について記されています。神にとって不可能なことは有りません。その主に信頼して歩む者は幸いです。
 第三に、死後の世界についてです。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」とは、彼らが今も生きていることを意味しています。死後の世界を正しく認識するかどうかで、この世の歩み方は全く異なってきます。正しく死後の世界を認識することが、意味のあるこの世での歩みとつながるのです。
 思い違いをしないで歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。
マルコの福音書12章24節

2015年8月2日日曜日

「キリスト者の責任」

マルコの福音書12章13~17節
2015年8月2日 第1聖日
牧師 長江忠司

 イエス様がエルサレムに入城されてから、イエス様を陥れようと幾つかのグループがやって来ました。今回はパリサイ人とヘロデ党の者たちです。彼らは互いに相いれない者達でしたが、イエスを共通の敵としてやって来ました。「カイザルに税金を納めることは律法にかなっているでしょうか。」2つのことを学びましょう。
 第一に、キリスト者は国に従い、為政者の為に祈るべきことです。権威は神によって立てられており私達はその恩恵に与っています。それ故、クリスチャンは国に従い、為政者の為に祈る責任があります。
 第二に、神を第一にしてお従いするべきことです。何故なら、神こそ絶対的な支配者であられるからです。そして神から計り知れない程の恵みをいただいているからです。
 問題は国と神の教えが食い違う時にどちらに従うかです。聖書は神に従うように教えています。私達はこの点で曖昧になってはいけません。明確に主に従ってこそ、明確に良き証しを立てることができるのです。

<聖書のことば>
するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
マルコの福音書12章17節