2015年7月26日日曜日

「礎の石」

マルコの福音書12章1~12節
2015年7月26日 第4聖日
牧師 長江忠司

 祭司長や律法学者たちとのやり取りが続きます。主が語られたたとえ話を通して、主がどの様なお方なのかが教えられています。
 第一に、主は導かれるお方です。主人はぶどうの実をならせる為に、多くの準備をしました。私達も救いをいただく為に、どれだけ多くの準備がなされて導いていただいたことでしょうか。
 第二に、主は忍耐されるお方です。農夫たちは主人に敵対し、しもべを殺害までもしました。にもかかわらず、主人は憐み忍耐し続けたのです。主はまさに愚かな私達の為に忍耐して下さいました。
 第三に、主は限りなく愛深いお方です。主人は最終的に息子を遣わしました。それ程に彼らを憐み愛しておられたからです。神は私達の為に一人子であるキリストを遣わされました。主は身代わりに死んで下さいましたので、私達は信じるだけで救われることができたのです。
 その様に人々から捨てられたお方が、礎の石となられました。このお方に信頼する時に、私達は失望させられることがないのです。素晴らしい主を心の中心に据えて歩む様にしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
マルコの福音書12章10節

2015年7月19日日曜日

「何の権威によって」

マルコの福音書11章27~33節
2015年7月19日 第3聖日
牧師 長江忠司

 イエス様の所に祭司長、律法学者、長老たちがやって来て尋ねました。「何の権威によって、これらのことをしているのか。」今日の箇所から、何が教えられるでしょうか。
 第一に、真理に対し心を開く大切さです。彼らはイエスを陥れようと企んでいました。真理に心を開こうとしていなかったのです。私達も真理が語られも、心を開き聞こうとしないなら何も得ることはできません。
 第二に、人ではなく神を恐れることの大切さです。彼らは人を恐れた為にイエスから投げかけられた質問に答えることができませんでした。人を恐れると様々なものに縛りつけられることになります。逆に神を恐れる時に私達は自由になり解放されることができるのです。
 第三に、悔い改めることの大切さです。彼らは語られていても何も悔い改めることをしませんでした。それ故に変わる事が無かったのです。私達は示された時に、直ちに悔い改めることが大切なのです。
 私達は何の権威によって歩んでいるでしょうか。神の権威こそ信頼できます。常に神の権威に服従して歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
そして、イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」
マルコの福音書11章28節

2015年7月12日日曜日

「祈りのレッスン」

マルコの福音書11章19~26節
2015年7月12日 第2聖日
牧師 長江忠司

 イエス様はここで弟子たちに祈りについて教えられました。祈る上で大切なことは何でしょうか。
 第一に、主を信じて祈ることです。主は山や海でさえも、信じて祈るならば動かされると教えられました。疑わないで祈る様に教えられたのです。主が願われているのは私達の信仰が強められることなのです。
 第二に、主のみこころにかなう祈りをすることです。自分の願いを祈って良いのですが、しかし私達クリスチャンは主のみこころが最善であることを知っているのですから、みこころを求めるべきなのです。
 第三に、主に喜ばれる歩みをすることです。主は特にここで、対人関係について述べられました。主から罪を赦していただいた私達は人を赦すべきであり、そうであってこそ、祈りが祝福されると語られたのです。
 私達の心に示されることはないでしょうか。
 主は弟子たちを祝福されたかったからこそ、この祈りのレッスンを与えられました。今も同じです。悔い改めて、祝された祈りをささげるようにしましょう。

<聖書のことば>
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
マルコの福音書11章24節

2015年7月5日日曜日

「心配無用」

マタイの福音書6章25~34節
2015年7月5日 第1聖日
牧師 長江忠司

 聖書は神を抜きにして心配しないように教えています。初めに、何故、私達は心配するべきではないのでしょうか。
 第一に、神を信頼していないことになるからです。心配するということは、主が共におられる、全てを益とすると言われる主の約束などを信じないことになります。
 第二に、心配した所で何も変わらないからです。神を抜きにして心配しても、体を弱めることはあれ、益となることはありません。

 次に、心配してしまう時にどう対処したら良いでしょうか。
 第一に今日なすべき事に集中することです。その日その日に労苦は沢山あります。それに集中することです。
 第二に、神を第一とした生活をすることです。神以外のものを第一にすると、結果的に歯車が狂い悪循環が始まります。そうではなく主を第一にするのです。
 第三に、神に信頼し委ねることです。心配する時こそ、主に信頼し、主に委ねることです。

 突き詰めて言うと、主に信頼し委ねるか、信頼しないで心配するかのどちらかです。私達は主を信頼して平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章34節