2019年3月31日日曜日

「アブラハム契約」

創世記12章1~4節
2019年3月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 この12章から、聖書は一人の人物に焦点を当てていきます。それがアブラハムです。神は彼に契約を与えられました。それは彼を大いなる国民とし、彼の名を大いなるものとし、地上のすべての民族は彼によって祝福されるなどの恵みの契約でした。この契約が基本ととなり、時代とともに展開していきました。これは今でも続行中の無条件の契約であると言うことができます。この個所から2つのことを学びましょう。
 第一に、神は詳細については語らずに導かれたことです。どこに行くのかは敢えて伏せられました。神が私たちを導かれる時も、敢えて先のことは伏せられます。信仰によって歩むためにです。
 第二に、アブラムは神の契約を信じて従いました。神は全知であり、約束を成就する力があり、私を愛され必ず最善へと導かれると信じていたのでしょう。そのお方の約束を信じたのです。
 私たちもたとえ先が見えなかったとしても、救い主イエス様に心から信頼し、信仰によってお従いする者でありましょう。

<聖書のことば>
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
創世記12章1節

2019年3月24日日曜日

「人生の土台」

マタイの福音書7章24~27節
2019年3月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様はここで2つの家のたとえ話をされました。
 一つは砂の上に家を建てた人です。その家は嵐がやって来た時にひどい倒れ方をしました。神を信じず従わなしい生き方をする人を表しています。
 もう一つは、岩の上に家を建てた人です。その家は嵐が来てもびくともしませんでした。これは神を信じみことばに従う生き方を表しています。
 キリストを信じみことばに従う人の人生は神からの祝福があります。
 第一に天国の希望が与えられます。人は死んで終わりではなく、神のさばきがありますが、キリストを信じた者は罪が赦され天国で永遠に生きることができるのです。
 第二に、キリストの特別な平安が与えられます。素晴らしい主が共に歩まれ、必要な励ましや導きを与えてくださいます。だから、状況に左右されない平安が心にあるのです。
 私たちは何を土台に人生を築いているでしょうか。確かな土台であるキリストの上に人生を築くようにしましょう。

<聖書のことば>
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
マタイの福音書7章24~25節

2019年3月17日日曜日

「主の栄光のために」

列王記第一8章11節
2019年3月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神殿の奉献式が行われました。そこで雲が満ち、主の栄光が宮に満ちたのです。献堂記念礼拝にあたり、3つの点で見ていきましょう。
 第一に、教会こそが世界の希望です。イエス様の預言とおりに不法がはびこり多くの人の愛が冷たくなっています。悩み苦しみさまよっている人が多いのです。その中で福音を伝える教会こそが世界の希望です。
 第二に、主は教会の現状に満足しておられません。私たちはついつい現状に満足してしまいやすいものです。しかし神はすべての魂が救われることを願われているのです。決して現状に満足しておられないのです。
 第三に、主の栄光のために献げましょう。一つは新会堂建築です。教会は救われた者の集まりのことですが、世の方は会堂をとおして教会の存在を知り神の栄光に触れることができます。もう一つは私たち自身を献げることです。それこそが幸いな生き方です。
 神の栄光のために喜んで献げて行きましょう。

<聖書のことば>
祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。
列王記第一8章10~11節

2019年3月10日日曜日

「アブラムの出発」

創世記11章10~32節
2019年3月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ノアの息子、セムの系図が記されています。セムを通してアブラム、後のアブラハムが生まれて来ました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に神の呼び掛けに応じて出発することです。彼が出発するために様々な決別が必要でした。しかし彼は神の約束に目を留めて、みことばに従い出発したのです。私たちもこの世のものに目を留めるのではなく、約束に目を留めて主に従う者でありましょう。
 第二に、神の前に中途半端な歩みは実を結ばないと覚えることです。父テラはウルを出たものの、ハランの町に留まってしまいました。中途半端な歩みでは実を結ぶことはないのです。
 第三に、神の時を待ち望む忍耐が大切であることです。アブラムは父テラやおいのロトたちにハランの町にいましたが、神の時にその町を出発しました。
 私たちも主の御声を聞いて、霊的に出発する者でありましょう。

<聖書のことば>
テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。
創世記11章31節

2019年3月3日日曜日

「バベルの塔」

創世記11章1~9節
2019年3月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人はシヌアルの地に定住しバベルの塔を建てましたが、神がそれをとどめられました。その理由について確認します。
 第一に、高慢です。神がおられる天に届く塔を建て、名をあげようとしました。神はそのような高慢を嫌われました。
 第二に、不従順です。増えて地に満ちることが御心でしたが、人はそれに従おうとしなかったのです。
 神はそんな人間に対して2つの点で取り扱われました。
 第一に、混乱させられました。言葉が通じなくなり混乱しました。
 第二に、計画を断ち切られました。人間の高慢で自己中心的な計画を断ち切られたのです。それらは神の愛の取り扱いでもありました。
 バベルの塔は過去の時代の特別なものではありません。それは今の時代にも、そして私たちにも建てられるものです。神の前に心を低くして歩みましょう。

<聖書のことば>
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
創世記11章4節