2016年12月25日日曜日

「すべての人を照らすまことの光」

ヨハネの福音書1章9節
2016年12月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 まことの光であるイエスキリストがこの世に来ようとしていました。どのような光のお方なのでしょうか。
 第一に、私たちの存在を照らす光です。当時見下されていた羊飼いたちに光が照らされました。主はすべての人を愛し救う為に来られました。
 第二に、私たちの罪を気づかせる光です。罪人は神から離れて闇へと歩み、その先には滅びが待っています。罪の解決が必要です。神はみことばの光を当てて、私たちに罪を気づかせて下さるのです。
 第三に、私たちに希望を与える光です。罪ゆえにさばかれて永遠の苦しみに入って当然だった私たちの為に、主は身代わりに死んで下さいました。このお方を信じるだけで救われることができます。そして神と共に歩むようになるのです。
 このお方を心に迎え入れる時に、闇から光へと歩みが変えられます。今日、心を開いてキリストを迎え入れ光の中を歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
ヨハネの福音書1章9節

2016年12月18日日曜日

「ピリピ教会のための祈り」

ピリピ人への手紙1章9~11節
2016年12月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロのピリピ教会に対するとりなしの祈りの内容が書かれています。
 第一に、愛がいよいよ豊かになるようにです。それにはみことばの深い理解が必要であり、真の知識によって愛が豊かにされていきます。
 第二に、真に優れたものを見分けることができるようにです。私たちの前に沢山の選択肢があります。その中で、何が神のみこころでそうでないのかを見極める目が必要です。その為にも、みことばを学び身に着けておく必要があるのです。
 第三に、義の実に満たされるようにです。キリストがやって来られる日に備えて、純真でつまづきを与えず、義の実に満たされて行くことです。みことばに信頼し聖霊の働きに身を委ねて歩む時に、主ご自身が実を結ばせて下さるのです。
パウロはピリピ教会の兄姉の為に熱心にとりなしていました。私たちも現状に満足しないで、これらの点で自分自身や他者の為に祈る者でありましょう。

<聖書のことば>
私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。
ピリピ人への手紙1章9~10節

2016年12月11日日曜日

「共に恵みにあずかる」

ピリピ人への手紙1章3~8節
2016年12月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは3つの恵みを覚えて喜んでいたことがわかります。
 第一に、共に福音を広めることにあずかる恵みです。元々パウロはクリスチャンを迫害していた者でしたが、変えられて福音を伝える者となりました。ピリピ教会の兄姉も変えられて、パウロの宣教を支援していたのです。その素晴らしい特権にあずかる恵みを喜びました。私たちもこの恵みを覚えて積極的に宣教の働きにあずかって行きましょう。
 第二に、共にとりなし合う恵みです。彼は牢獄の中でピリピ教会の兄姉の為に祈っていました。他者の為に祈る時に主は祝福され喜びで満たして下さいます。
 第三に、共に完成へと導かれる恵みです。主が働きを開始されたら途中で止められることはありません。完成へと近づけて下さるのです。ですから私たちは自分や人の現状を見て落胆してはならないのです。
私たちもこれらの素晴らしい恵みにあずかっています。この恵みに目を留めて喜んで歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
ピリピ人への手紙1章6節

2016年12月4日日曜日

「キリスト・イエスのしもべ」

ピリピ人への手紙1章1~2節
2016年12月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは牢獄からピリピ教会の兄弟姉妹に宛てて手紙を書きました。この手紙には彼の喜びが満ちていることがわかります。
 まず、パウロの自己紹介ですが、彼は自分をキリスト・イエスのしもべと言いました。しもべとは奴隷のことです。否定的な意味でそう言った訳ではありませんでした。一つは主に買い取っていただいたという意味です。キリストの命という代価が支払われて、私たちも買い戻していただいたのです。もう一つは、素晴らしいお方のものとされているという意味です。奴隷は主人の社会的地位によって自分の価値を計りました。私たちは素晴らしいお方であるイエス様のしもべとされていることを覚えたいのです。
 次に、受取人についてですが、ピリピの兄弟姉妹を聖徒と呼びました。それは罪が無いという意味ではなく、神から選ばれわかたれた者という意味です。私たちもそのような恵みの立場に置かれているのです。
 大切なことは環境ではありません。誰のものとされ、しもべとされているのかが最も大切なことです。主のしもべとして喜びつつ歩みましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。
ピリピ人への手紙1章1節