2016年1月31日日曜日

「ユダの裏切りの痛み」

マルコの福音書14章17~21節
2016年1月31日 第5聖日
牧師 長江忠司

 過越しの食事が始まりました。ユダと弟子達の霊的な鈍感さを見つつ、主が私たちに望んでおられることを確認しましょう。
 第一に、みことばを自分に適用することです。自分たちの中から裏切り者が出ると聞いた時に、彼らは「私ではないでしょう」と言いました。ユダが裏切ったのですが、彼らは謙遜に自分のこととして聞くべきでした。
 第二に、自分中心ではなく神中心の歩みをすることです。弟子たちはこの場に及んでも、誰が一番偉いかと議論していたことが他の箇所に書かれています。彼らの関心事は自分のことでした。主から受けた恵みを覚えて感謝しているならば、私たちは神中心の歩みへと変えられていきます。
 第三に、主の促しに素直に応え悔い改めることです。イエス様はユダに何度も悔い改めを迫っておられたことがわかります。しかし彼はその機会を無駄にし続けました。その結果、悲惨な結末を迎えることになったのです。私たちも悔い改めを先延ばしにして良いことは何もありません。
 皆が失敗し罪を犯すものです。大切なのはその時に、どれだけみことばに耳を傾けるかです。主の御声を聞いて素直に従い悔い改めましょう。

<聖書のことば>
まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。
マルコの福音書14章18節後半

2016年1月24日日曜日

「礼拝者として覚えるべきこと」

ヨハネの福音書4章24節
2016年1月24日 第4聖日
牧師 長江忠司

本日は牧師不在ですが、変わらずに忠実に礼拝に集って下さっている兄姉に感謝致します。礼拝者が覚えるべきことについて確認しましょう。
 第一に、一週間で最優先すべきは礼拝です。お仕事や勉強など、どうしても外せない場合もあるかと思います。その場合は別ですが、しかしそうであったとしても、礼拝に出席する最大限の努力と工夫をするべきです。私たちの為にこれ以上ない犠牲を払って下さった主のために、私たちもあらゆる犠牲を払って最高の礼拝をささげるべきです。
 第二に、礼拝の中心はみことばです。最近の教会で音楽や他のプログラムがメインとなり、みことばが短い時間に付け足しのように語られている傾向があると言われますが、それは正しい状態ではありません。みことばが中心に据えられるべきです。
 第三に、正しい礼拝は受け身ではなく献げることです。みことばを聞いて結果的に恵みを受けるのですが、そうであっても、献げることが礼拝の基本です。特に、みことばを聞くだけでなく応答するようにしましょう。 主は私たちの為にご自身をささげて下さいました。私たちも主の為に、自分の最高をささげるものでありましょう。
 正しい礼拝を献げて、主から祝福をいただきましょう。

<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節

2016年1月17日日曜日

「過越しの食事の準備」

マルコの福音書14章12~16節
2016年1月17日 第3聖日
牧師 長江忠司

 過越しの祭りに際して、弟子たちは過越しの食事の準備をしようとしました。ここから3つの点で教えをいただきましょう。
 第一に、主のご計画は確かであることです。祭司長たちはイエス様を殺そうと決めていましたが、祭りの時期は避けようと考えていました。しかし、ユダの裏切りがあり、祭りの時にイエス様は十字架にかかり死なれることになりました。それは永遠の主のご計画でした。人の思いと異なった事が時に起こりますが、主のご計画がありそれが確かであることを覚えましょう。
 第二に、主のみことばに、わからなくても従うことです。彼らは主が言われた通りに従った時に、整えられた部屋を見出すことができました。状況が整ってから動いた訳ではなかったのです。
 第三に、主の為により良きものをささげることです。原語を見ると、主人の信仰と献身が見えてきます。私たちも主の為に惜しむのではなくて、より良きものをささげましょう。
 主は私たちの為にご自身をささげて下さいました。私たちも主の為に、自分の最高をささげるものでありましょう。

<聖書のことば>
弟子たちが出かけて行って、都に入ると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。
マルコの福音書14章16節

2016年1月10日日曜日

「霊的に成長する」

ヘブル人への手紙5章12節~6章2節
2016年1月10日 第2聖日
牧師 長江忠司

 本日は成人となる方を共にお祝いする日です。しかし全てのクリスチャンは霊的に成長し、霊的な成人となる必要があります。
 まず最初に、霊的幼子の状態について考えましょう。耳が鈍くなっています。また、神のことばの初歩を教えてもらう必要があります。また、堅い食物が食べられません。そして不安定です。これらは霊的幼子に共通してある部分であり躓きやすいのです。しかし霊的な成人はそうではなく、みことばによって対処し主に頼り、その歩みは安定しています。
 次に、どうしたら霊的な成人になることができるでしょうか。
 第一に、現状に甘んじないことです。霊的目標を持って歩むことです。
 第二に、不必要なものを捨て、必要なものをいただくことです。ここに対人関係のことが列挙されています。これらの罪を捨てていくことによって、必要なものを得ることができます。必要なものとは、主のみことばと主との交わりです。どれだけ積極的にこれらを得ようとするかが大切です。
 今年、明確な目標をもって霊的に成長させていただき、少しでもイエス様に似た者に造り変えていただきましょう。

<聖書のことば>
ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。
ヘブル人への手紙6章1節

2016年1月3日日曜日

「主の前にへりくだる」

ペテロの手紙第一5章5~6節
2016年1月3日 第1聖日
牧師 長江忠司

 主の前にへりくだる者に、主は恵みをお授けになると、聖書に一貫して教えられています。謙遜であるとはどのような事を意味するのでしょうか。
 第一に、心の貧しい状態であることです。イエス様は山上において、心の貧しい人が幸いであると語られました。それは自分の無力さを覚えて主に頼る人のことです。その様な人に主は豊かな祝福を与えられます。
 第二に、悔い改めるのに素直な心を持っていることです。主はみことばを通し、聖霊を通し、また人を通して罪を指摘されます。その時に素直に悔い改めることを主は願っておられます。
 第三に、神の栄光を求めることです。私たちはついつい自分の栄光を求めてしまいがちです。それは主の御心ではありません。自分を小さくし、主の栄光を求めることこそ、主の前に謙遜な態度なのです。
 今年、私たちが主の前に謙遜に歩むかどうかが非常に大切です。この点においても主の助けをいただき、これまで以上に謙遜さにおいて成長する者でありましょう。

<聖書のことば>
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
ペテロの手紙第一5章5節