2023年4月30日日曜日

「しもべたちへの教え」

ペテロの手紙第一 2章 18~21節
2023年4月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロはしもべたちに対して書き記しました。一つは、良くない主人に対しても敬意を込めて従うようにと、不当な苦しみを耐え忍ぶようにです。神のみことばに反することについては、私たちは従う必要はありません。しかし、意地悪な主人でも敬意を込めて従い、また不当な苦しみを耐え忍ぶようにと主は言われています。
 その理由として第一に、神が喜ばれるからです。神にすべてを委ねて、主人に従い、不当な苦しみを耐え忍ぶ信仰を主はご覧になり喜ばれるのです。状況や相手だけを見ていると、私たちは感情的になってしまいます。そのような時、主がどう見ておられるかを覚えることが大切です。
 第二に、イエス様の模範に倣うことになるからです。イエス様は十字架につけられ、これ以上ない不当な扱いを受け苦しめられました。私たちのために、その苦しみを耐え忍ばれたのです。その模範に倣うようにと言われています。
 主の愛と忍耐のお陰で私たちは救われることができました。私たちはそのようなイエス様に似せられるように、主に祈り求めましょう。

<聖書のことば>
もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
ペテロの手紙第一 2章 19節

2023年4月23日日曜日

「目を覚ましていなさい」

マルコの福音書 13章 32~37節
2023年4月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 復活されたイエス様は昇天され、今は御国におられます。しかし聖書には、主は再びやって来られると預言されています。携挙、7 年間の患難時代、そして地上再臨があります。その事を語る中で「目を覚ましていなさい」と繰り返し言われました。それは何を意味しているのでしょうか。
 第一に、主イエスキリストを信じ、また福音を伝えることです。信じていない方にとって最も大切なのは福音を信じて救われることであり、救われたクリスチャンに大切なのは福音を伝えることです。
 第二に、主が来られるまで状態をよく見て歩むことです。門番の仕事の一つはしっかりと見張ることです。私たちも自分の霊的状態をしっかり見て、悪しき者の誘惑から守られるように気をつけて歩むことが必要です。
 第三に、主から委ねられた責任を果たし、主を待ち望むことです。やがて主が帰って来られると、主の前に立ち報告する時が来るのです。
 私たち救われた者は、この世のことで心を支配されて歩んではいけません。やがて来られる主をいつも待ち望み、最後まで忠実に歩みましょう。

<聖書のことば>
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。
マルコの福音書 13章 33節

2023年4月16日日曜日

「復活の主からの命令」

マタイの福音書 28章 16~20節
2023年4月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 先週は、主が死なれて 3 日目によみがえられた箇所から学びました。本日は、復活された主が弟子たちに命じられたことから学びましょう。
 第一に、救われた私たちが主の弟子となることです。イエス様は救われた者がキリストの弟子となることを願われています。弟子とは主を愛して、主を第一として従っていく人のことです。救いを受けたことは素晴らしいことですが、それで満足していてはいけないのです。共に弟子として成長するように励まし合うことが大切です。
 第二に、救われた私たちが主の弟子を育成することです。そのためには、その方のところへ行かなければなりません。また、バプテスマを授けることです。主は救われた者にバプテスマを受けて教会につながるように命じておられます。また、主のことばを教えることです。
 主が今年度、私たちに望まれていることは、私たちがさらにキリストの弟子として成長していくことであり、弟子を育成することです。私たち自身を主にお献げして、主に用いていただきましょう。

<聖書のことば>
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
マタイの福音書 28章 19~20節

2023年4月9日日曜日

「希望に満ちたイースター」

マタイの福音書 28章 5~6節
2023年4月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 主が十字架で死なれた後、弟子たちは希望を失い、恐れて隠れておりました。私たちが確かな希望を持って歩むために必要なことを学びましょう。
 第一に、主の約束は必ず成就すると信じ、心に留めて歩むことです。弟子たちは主からイエス様の十字架の死と復活について聞いていたものの信じず、心に留めていなかったので希望を失いました。主の約束は聞いているだけでは駄目なのです。
 第二に、主が共に歩まれていると覚えて歩むことです。彼らは主が死んで共に歩まれなくなった時に希望を失い恐れましたが、復活の主が共に歩まれた時に希望に満ちました。主はいつも私たちと共にいてくださると約束してくださっています。
 第三に、主が死に勝利させてくださると覚えて歩むことです。主は死なれましたが復活され、肉体を持って弟子たちの前に姿を現されました。それが初穂であるとコリント書に教えられています。私たちも死に勝利し、やがて朽ちない完全な体を与えていただくことができるのです。
 主こそが確かな希望を与えてくださるいつも心に留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
マタイの福音書 28章 6節

2023年4月2日日曜日

「十字架で苦しみ死なれた主を覚える」

マタイの福音書 27章 24~50節
2023年4月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 先週に引き続き、イエス様の受難について学びます。
 第一に、主が誰よりもあざけられ苦しめられたことを忘れてはいけません。ローマの鞭で打たれ体中 が ズタズタになったことでしょう。また、ローマ兵から あざけられました。栄光の主が私たちのために、 誰よりも苦しめられあざけられたことを忘れてはいけません。
 第二に、主が苦難の道を歩み通されたことを忘れてはいけません。主はビアドロローサという苦難の道を、十字架の横木を背負って歩んで行かれました。逃れることができましたが、カルバリの丘まで歩まれました。
 第三に、主の十字架の苦しみは愛を表わしていることを忘れてはいけません。十字架刑はすぐには死なせず長く苦しめる恐ろしい死刑方法でした。イエス様は十字架から降りることができましたが、 私たちへの愛がそうさせませんでした。
 私たちの人生に 時に苦しみがやって来ます。信仰を持っているのにどうしてと思うことがあるかもしれません。しかしそのような時、十字架のイエス様を覚えて、勝利させていただきましょう。

<聖書のことば>
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイの福音書 27章 46節