2015年1月25日日曜日

「弟子たちの不信仰」

マルコの福音書9章14~29節
2015年1月25日 第4聖日
牧師 長江忠司

 今週は弟子たちに焦点を当てて学びましょう。彼らは悪霊を追い出す権威を与えられていたにもかかわらず、なぜ追い出すことができなかったのでしょうか。
 第一に、自分の力と経験に頼ったからです。彼らは以前にも悪霊を追い出した経験があった為、その経験に頼ったのではないでしょうか。私達も過去の経験を拠り所とするならば、必ず失敗する時がやってきます。いつも主に信頼する必要があります。
 第二に、信仰がうすかったからです。彼らは信仰があったのですが、からし種のような小さくても生きた信仰がありませんでした。私達の信仰はどうでしょうか。
 第三に、祈りが無かったからです。イエス様はいつも祈りつつ歩まれました。祈りが必要だったからです。イエス様でさえそうであるならば、私達は尚更祈りが必要なのではないでしょうか。祈り無くして、祝福をいただくことはできません。弟子たちの不信仰は他人事ではありません。
 主は私達の信仰に注目しておられます。信仰をもって祈りつつあゆみましょう。

<聖書のことば>
イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な世だ。」
マルコの福音書9章19節

2015年1月18日日曜日

「追い込まれた状況下で」

マルコの福音書9章14~27節
2015年1月18日 第3聖日
牧師 長江忠司

 イエス様と3人の弟子たちが戻って来ると、多くの群衆が弟子たちを取り巻いていました。この箇所から何が教えられるでしょうか。
 第一に、主は私達の信仰に注目しておられることです。主は悪霊につかれた息子を連れて来た父親に事情を聞かれました。全てご存知であられましたが、そのやり取りの中で彼の信仰を引き上げようとされたのです。主は同様に、問題の中で私達の信仰に注目しておられます。
 第二に、主は私達の信仰を助けて下さることです。父親は主を信じ切ることができるように叫びました。そして主は御業をなされました。同様に、主は弱い私達の信仰をも助けて下さいます。
 第三に、主は私達の弱さを用いて栄光を現わして下さることです。追い詰められ八方塞がりの状況下で、彼自身は弱さしかありませんでしたが、しかし主はその彼を通して栄光を現わされました。私達もたとえ弱くても、主によりすがり歩むならば、主は私たちを通しても、主の栄光を現わして下さるのです。
 私達は追い込まれた状況下でこそ、主にすがり歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
マルコの福音書9章24節

2015年1月11日日曜日

「山を降りながら」

マルコの福音書9章9~13節
2015年1月11日 第2聖日
牧師 長江忠司

 イエス様の変貌の出来事を終えて、山から降りてくる途中でのことが書かれています。イエス様と弟子達とのやり取りから学びましょう。
 第一に、柔らかい心の態度が無かったことです。エリヤの再来があってからメシヤが来るのにまだ来ていない。だから、メシヤは来ていない筈だという固定概念が邪魔していました。そのように固定概念があると、私達も前進することができません。
 第二に、受難についての概念が無かったことです。弟子たちにとってイエス様が死なれることは考えにありませんでした。しかし主は確かに受難があると語られたのです。私達も生きている限り患難はあり、私達も主と共に苦しみを受ける必要があるのです。
 第三に、復活についての正しい概念が無かったことです。しかし主は現実に復活されました。私達の初穂となられたのです。私達はいずれ再臨の時に肉体をもってよみがえらされるのです。そのことを意識して歩む必要があります。
 私達は今年、柔らかい心でみことばを受け入れ、正しい人生観をもって歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。
マルコの福音書9章9節

2015年1月4日日曜日

「基本に忠実に歩む」

申命記6章17~18節
2015年1月4日 第1聖日
牧師 長江忠司

 何事でもそうですが基本が大切です。信仰生活も変わりはありません。クリスチャンにとっての基本とは何でしょうか。
 第一に、日曜日を聖別することです。これは聖書に一貫して教えられている非常に大切なことです。確かに、その為には犠牲が伴うかもしれません。しかし、犠牲の伴わない礼拝は無いのです。
 第二に、主との交わりを欠かさないことです。みことばをいただき、絶えず祈ることです。イエス様はこれを重んじられ欠かすことがありませんでした。
 第三に、主にお献げすることです。什一献金は特に大切です。これは主のものであって、私達は委ねられた富を正しく管理し、喜んで献げていくべきなのです。また、教会につながり教会に仕えることはとても大切です。主のお身体である教会につながらせていただいた恵みをもう一度おぼえて、感謝して仕えて行きましょう。
 信仰生活の基本を妨げることが今年も多く起きて来るでしょう。しかし基本を崩すことなく忠実に歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。
詩篇112篇1節