2017年9月24日日曜日

「人の愛と神の愛」

ローマ人への手紙5章6~8節
2017年9月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 人は愛を追い求めて生きるものだと思います。人間と神の愛について考えましょう。人間の愛の特徴として、一つは条件が付いていることです。相手が条件を満たしていてこそ愛することができます。また、自己中心です。相手を愛しているようで実際は自分を愛していることが少なくありません。また、変わりやすいことです。人の愛は弱りやすく変わりやすいのです。それでは神の愛はどのようなものでしょうか。
 第一に、無条件の愛です。どのような相手でも愛されます。
 第二に、自己犠牲の愛です。神は人間を愛し救うために、ご自身の命までも差し出してくださいました。
 第三に、いつまでも変わらない愛です。相手が不真実だったとしても、変わらずに愛してくださいます。
 人の愛にすがって歩むならばいつか落胆する時がやってきます。神の愛は絶対であり変わりません。神の愛にこそ信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ローマ人への手紙5章8節

2017年9月17日日曜日

「主を恐れよ」

伝道者の書12章13節
2017年9月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 主を恐れるべきことが聖書に繰り返し書かれています。主を恐れるとはどういう意味なのでしょうか。
 第一に、神に対して畏敬の念を持つことです。神を神として認め、神の前に慎み深く歩むことです。
 第二に、神のみことばに従うことです。世の基準や教えではなく、神からのみことばに従うことです。
 次に、主を恐れるとどうなるのでしょうか。
 第一に、悪の道から守られます。誘惑に満ちた時代ですが、主を恐れているなら正しい道を歩むことができます。
 第二に、知恵が与えられます。
 第三に、苦しみの中で平安を持つことができます。
 主を恐れる者に祝福が与えられることが約束されています。年を重ねる毎に主を恐れなくなってしまった人物が聖書に出てきます。私たちはそうではなく、生涯主を恐れて歩むように致しましょう。

<聖書のことば>
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
伝道者の書12章13節

2017年9月10日日曜日

「私をみならう者に」

ピリピ人への手紙3章17節
2017年9月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはここで私を見ならう者になるように語りますが、高慢のゆえに言ったのではありません。どういう意味で彼はそのように語ったのでしょうか。
 第一に、キリスト者としての模範にならうことです。パウロはキリストの歩みにならおうとしていましたので、そんな彼の模範にならうようにと述べた訳です。特に未信者や信仰歴の浅い人は目に見える信仰者の歩みに倣うものです。私たちはそれを意識する必要があります。
 第二に、キリストの恵みを受ける姿勢にならうことです。かつてクリスチャンたちを迫害していた彼に主の恵みが注がれ、伝道者として豊かに用いられました。同様に主の恵みを受けるようにと述べた訳です。そのような主の恵みはすべての人に注がれています。
 第三に、キリストにより頼む歩みにならうことです。彼は多くの困難を経験しましたが、その中で主に頼り歩みました。私たちも同様に主に頼って歩むべきなのです。
 周りの方々への模範として、私たちも自分自身を示す者でありましょう。

<聖書のことば>
兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
ピリピ人への手紙3章17節

2017年9月3日日曜日

「霊的成長のために必要なこと」

ピリピ人への手紙3章12~16節
2017年9月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはクリスチャンの歩みをマラソンにたとえました。この箇所から霊的成長のために必要なことを確認しましょう。
 第一に、現状に満足しないことです。彼は多くの知識があり実績があり現状に満足することができた筈でしたがそうしませんでした。自分自身の足りなさ弱さを認め現状に満足していませんでした。
 第二に、後ろのものを忘れて前進することです。過去に主からいただいた恵みを忘れてはいけません。しかし、過去に囚われてしまうなら、それらを忘れていく必要があるのです。
 第三に、目標を目指して一心に走ることです。彼は主から冠をいただくという明確な目標を持っていました。私たちもやがて消え失せてしまうものの為ではなく、永遠に続く確かな目標をもって歩むべきなのです。
 信仰のマラソンレースは全うすることが大事です。最後の最後まで走り通す者でありましょう。

<聖書のことば>
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
ピリピ人への手紙3章12節