2015年6月28日日曜日

「宮きよめ」

マルコの福音書11章11~18節
2015年6月28日 第4聖日
牧師 長江忠司

 エルサレムに入城された翌日、主は空腹を覚えられいちじくの木に近づかれました。葉は生い茂っていたのですが実は無かったのです。主はその本質を見抜かれて、誰もおまえの実を食べることがないようにと仰せられました。それが序章となって宮きよめが行われました。時は過越しの祭りの時期で、世界中から多くの人々が集まって来ていました。神殿ではささげる為のいけにえの動物を販売する者や両替商たちが強盗の如く暴利を貪り商売していたのです。イエス様はそんな彼らを厳しく追いやられました。この箇所を通して、自分自身をもう一度点検しましょう。
 第一に、私達は心からの礼拝をささげているでしょうか。この時の民の様に形式的礼拝に陥っていないでしょうか。
 第二に、霊的な実を結んでいるでしょうか。外見は葉が生い茂っているのに実の無かったこの時のいちじくの木の様になっていないでしょうか。
 第三に、きよめられているでしょうか。主は宮をきよめる事にあれ程に熱心であられました。今、私達は神の宮とされています。主は私達をもきよめようと熱心にご覧になられているのです。
 主は今日も宮きよめを願っておられます。もし罪を示されたら、直ちに告白して、主にきよめていただきましょう。

<聖書のことば>
それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。
マルコの福音書11章15~16節

2015年6月21日日曜日

「バルナバのように歩む」

使徒の働き9章26~31節
2015年6月21日 第3聖日
牧師 長江忠司

 本日はバルナバという人物を通して、父親は勿論のこと、全ての信徒が学ぶべき教えをいただきましょう。彼はどの様な歩みをしたのでしょうか。
 第一に、主に惜しみなく献げました。彼は畑を売ってその代金を主の働きの為に献げました。それだけでなく、宣教の為に人生すべてを献げていました。大胆に主に献げる者ほど、周りに大きな影響を与えることができます。
 第二に、主にある人を受け入れ理解者となりました。かつて迫害者であったサウロを受け入れ理解者となりました。バルナバがいなかったら、後のパウロはありませんでした。
 第三に、主にある人を励まし育成しました。かつて途中で働きを投げ出したマルコでしたが、バルナバは彼を励まし育成しました。後に彼は役立つ者と変えられたのです。
 バルナバは目立たない働き手でしたが、確かに豊かに用いられました。家庭に於いて、そして教会に於いてバルナバが必要です。バルナバの様に変えられて、主に豊かに用いられる者となりましょう。

<聖書のことば>
ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。
使徒の働き9章27節

2015年6月14日日曜日

「キリストのエルサレム入城」

マルコの福音書11章1~10節
2015年6月14日 第2聖日
牧師 長江忠司

 イエス様がエルサレムに入城された箇所から学びましょう。
 第一に、主はろばの子を用いて入城されました。それは預言されていたことの成就と共に、主は力の弱い動物を主の御栄の為に用いられたことがわかります。私達も相応しくない者でしたが選ばれ救われました。今も主の御栄の為に用いようとして下さっているのです。
 第二に、主に対する誤ったメシヤ理解がありました。群衆は軍事的政治的メシヤを期待し、熱狂的に主を迎えたのです。しかし、彼らの期待していたメシヤ像と異なったとわかると、いとも簡単にメシヤを十字架につけました。私達の信仰は誤っていないでしょうか。
 第三に、主は群衆の声に踊らされることなく、真っ直ぐに十字架へ歩まれました。弟子たちが御国で偉くなることばかり考えていたのに対して、主は贖いの十字架の死に向けて一直線に歩まれたのです。私達の生涯はイエス様に倣ったものでしょうか。
 私達はイエス様の十字架の死によって救われた者として、主の御声を聞いたなら即座に明け渡して献げる者でありましょう。

<聖書のことば>
そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
マルコの福音書11章7節

2015年6月7日日曜日

「バルテマイの癒し」

マルコの福音書10章46~52節
2015年6月7日 第1聖日
牧師 長江忠司

 イエス様たちがエリコに来た時、盲人バルテマイたちが叫びました。この箇所から教えをいただきましょう。
 第一に、主は無力さを覚えて主により頼む者に応えて下さいます。彼はイエス様についての噂を聞いていたのでしょう。主が来られた時にたしなめられても叫び続けました。主はそんな彼に応えられました。私達も自分の無力さを覚えて祈るべきです。
 第二に、主は苦しむ私達を憐み理解して下さいます。十字架を前にしておられましたが、主は彼を見過ごされませんでした。彼の為に立ち止まり、苦しみを理解し憐みをかけられました。主は私達の苦しみをも理解し憐れんで下さいます。
 第三に、主は信仰によって応答する者に恵みを与えて下さいます。彼は主の呼び掛けに直ちに応えました。私達も主が呼び掛けておられるならば直ちに応えることが必要なのです。
 彼は信仰によって主に呼び求めたので、主によって大きく変えられることができました。私達も信仰によって変えられる者でありましょう。

<聖書のことば>
するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
マルコの福音書10章52節