2020年9月27日日曜日

「イサクの家庭で」

創世記26章34節~27章29節
2020年9月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イサクの家庭で起きた出来事から学びましょう。
 第一に、神が結び合わせた相手とのコミュニケーションが欠けていたことです。家庭内の問題であるにもかかわらず、夫婦がきちんと話し合っていなかったことがわかります。私たちはこれを欠かさないように努めましょう。
 第二に、神のみこころを横に置き、自分の好みを優先したことです。イサクもリベカも自分の好みで子供を愛し、導きました。私たちは自分の好みを優先するのではなく、神のみこころを求めるべきです。
 第三に、神の計画ではなく、自分の計画で進めたことです。神は兄が弟に仕えると言われていました。しかしリベカは自分で計画を立てそれを実行しました。私たちは自分の計画よりも、神の御計画を覚えて従うべきです。
 イサクの家庭で、いつのまにか中心に神が不在となっていたことがわかります。私たちはどこにおいても主を中心にお迎えして歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。
創世記27章4節

2020年9月20日日曜日

「信仰のレースを全うするために」

コリント人への手紙第一 9章24~27節
2020年9月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 聖書には、信仰生活が競技に例えられています。私たちは信仰生活を全うするために、どのように歩むべきでしょうか。
 第一に、確かな目標を持つことです。この世の人と同じ、やがて朽ちていくものを目標としてはいけません。神の栄光を現し、且つ天で主から報いを受けることを目標とするべきです。
 第二に、捨てるべきものを捨てていくことです。競技者は勝利するために、自己節制するでしょう。同様に信仰者は霊的前進を妨げるものを持っていてはいけません。積極的に捨てて行くべきです。
 第三に、戦いを避けないことです。信仰者には必ず霊的戦いが付きものです。戦いを避けていたら、成長することはできません。みことばをいただき用いて、戦いに挑んで行くことが大切です。
  私たちの足にまとわりつく罪や重荷が霊的前進を妨げます。イエス様をしっかりと見て、みことばによって最後まで信仰のレースを全うしましょう。

<聖書のことば>
競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
コリント人への手紙第一 9章24節

2020年9月13日日曜日

「主の約束にとどまる」

創世記26章26~33節
2020年9月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イサクを追い出したアビメレクがイサクの所にやって来ました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、主の臨在は人々に認識されます。イサクの置かれた状況、彼の言葉や振舞いをとおして、アビメレクは主の臨在を認識しました。私たちもそのような歩みをさせていただきましょう。
 第二に、平和の関係を築いて歩むことは主のみこころです。彼は主の示された地で、人々と平和な関係を築きました。私たちにも遣わされた場所で平和な関係を築くことを意識して歩むことが必要です。
 第三に、主の約束にとどまる者を主は祝福されます。平和な関係を築いたその日に、新しい井戸を掘り当てました。これは主の祝福でした。
 イサクは飢饉や妨害などの苦難にあいましたが、しかし主が語られた約束にとどまりました。その結果、主から祝福をいただき歩むことができたのです。私たちは何にとどまるでしょうか。私たちも主の約束にとどまって歩みましょう。

<聖書のことば>
ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、自分たちが掘り当てた井戸のことについて告げた。「私どもは水を見つけました。」
創世記26章32節

2020年9月6日日曜日

「祭壇を築いて礼拝をささげる」

創世記26章23~25節
2020年9月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 主はイサクに、アブラハムに与えられた約束を再度語られました。彼は祭壇を築き礼拝をささげたのです。礼拝について考えましょう。
 第一に、犠牲を払って礼拝をささげることです。彼は祭壇を築いて礼拝をささげました。犠牲を払わない礼拝は真の礼拝ではありません。そして主のみことばが語られたら、自分自身を生きたいけにえとして献げていくのが礼拝です。
 第二に、節目節目に礼拝をささげることです。新たな広い場所が与えられ、主の約束が語られたその時に、彼は神を礼拝しました。私たちも週の初めに、一日の初めに、節目節目に礼拝をささげることが大切です。
 第三に、苦難の中で礼拝をささげることです。ペリシテ人にまた妨害されるかもしれないという恐れがあったでしょうが、その中で礼拝をささげました。私たちも苦難があっても礼拝をささげることです。
 今月から、全ての方が毎週教会で礼拝をささげるようになりました。今あらためて、自分自身の礼拝を点検しましょう。神は心から礼拝をささげる者を祝福してくださいます。

<聖書のことば>
イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。
創世記26章25節