2020年12月27日日曜日

「すべてのことにおいて感謝せよ」

テサロニケ人への手紙第一 5章16~18節
2020年12月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 すべてのことにおいて感謝するように教えられています。これは簡単にはできないことです。なぜ、そのようにすることができるのでしょうか。
 第一に、最も大切なものが与えられているからです。これは神からいただける救いなくしてできないことです。罪の赦しと永遠のいのちという最も大切なものが与えられているので、主にあって感謝することができます。
 第二に、私たちへの愛は尽きず、日ごとに新たにされるからです。人の愛は不完全で変わりやすいですが、神の愛は常に新たに私たちへ注がれています。
 第三に、主はすべてを働かせて良きに変えてくださるからです。これは神の約束であり、私たちは経験することができますし希望を持つことができます。
 そのためにも絶えず祈る事が必要です。主はその祈りに応えてくださり、このみことばを実践させてくださいます。これは神が望んでおられることですから、信仰を働かせて、感謝を持って歩みましょう。

<聖書のことば>
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一 5章18節

2020年12月20日日曜日

「愛が届けられた日」

ヨハネの手紙第一 4章9~10節
2020年12月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今年のクリスマスのテーマは、「愛が届けられた日」です。神は創造の始めから人間を愛しておられますが、特にイエス様がお生まれになられた時に、主の愛が明確に示されました。これはどのような愛でしょうか。
 第一に、神が先行する無条件の愛です。私たちが愛されるにふさわしかったので愛されたのではありません。罪深く愚かであったにもかかわらず主は私たちを愛してくださいました。
 第二に、計り知れない犠牲を払われる愛です。人の愛には限界があり犠牲を惜しむものです。しかし神の愛は限界がありません。御子イエス様の命という計り知れない犠牲を払う程に愛してくださっています。
 第三に、変わることなく永遠に注がれる愛です。人の愛は変わりやすいものだと思います。しかし神の愛は変わることも途絶えることもないのです。
 そのような神の愛が届けられました。大切なことは、その愛を個人的に受け入れ、また心にしっかりと覚えて歩むことです。素晴らしい主の愛を感謝して、主に応答して歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
ヨハネの手紙第一 4章9節

2020年12月13日日曜日

「嫌われたレア」

創世記29章28~35節
2020年12月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはレアだけでなくラケルを妻として歩み始めた結果、レアはヤコブから嫌われてしまいました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神はあわれみ深いお方であることです。ヤコブはラケルを愛しレアを嫌っていましたが、主はそんなレアをあわれみ胎を開かれ多くの子供を与えられました。
 第二に、人ではなくて神に期待すべきことです。子供たちの名前にレアの気持ちが表されています。最初は夫ばかりを見ていましたが、ユダという名前を付けました。それは主をほめたたえますという意味でした。彼女は主に目を留め、主をほめたたえたのです。人ではなく主に期待することが大切です。
 第三に、神の知恵と御計画は計り知れないことです。主はラケルではなくて、レアを通して与えられた子供を豊かに用いられました。その子孫からやがて永遠の王がお生まれになったのです。
 人の考えに頼らず、神の偉大な知恵と御計画に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。
創世記29章28節

2020年12月6日日曜日

「ヨハネに倣う」

ヨハネの福音書1章29節
2020年12月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 バプテスマのヨハネは、イエス様の公の生涯の先駆けとして用いられました。彼の模範から教えをいただきましょう。
 第一に、彼は自分の使命を理解していました。何者かと問われた時に、キリストではなく、主の道をまっすぐにせよと荒野で叫ぶ声だと答えました。キリストを示す声に徹することが自分の使命だと理解していたのです。
 第二に、彼は自分の立場をわきまえていました。当時、彼は非常に注目を浴びており高慢になっていてもおかしくなかったのですが、その方の履物のひもを解く値打ちも無いと、自分の立場をわきまえていたのです。
 第三に、彼はイエス様を指し示しました。自分を見るのではなく、「見よ、神の子羊」とイエス様を指し示したのです。その働きをとおして、人々はイエス様の方へ向かいました。
 彼の使命、立場、働きはヨハネだけのものではありません。主は私たちクリスチャンにも同じ使命、立場、働きを与えられています。クリスマスを前にして、私たちもヨハネと同じ心でイエス様を指し示しましょう。

<聖書のことば>
その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
ヨハネの福音書1章29節

2020年11月29日日曜日

「騙されたヤコブ」

創世記29章1~27節
2020年11月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは兄エサウから逃れて一人で旅立ち、母の故郷であるハランに着くことができました。そこでの出来事から学びます。
 第一に、神は摂理をもって導かれます。彼がハランに着いた時に、そこに母の兄ラバンを知っている人がおり、さらにラケルがやって来ました。すべては偶然ではなく、神が摂理をもって導いておられました。
 第二に、神は私たちを愛し、正しく取り扱ってくださいます。一つは、主は人に罪を気づかせられることです。ヤコブはラケルと結婚したいと申し出ますが、ラバンに騙されてしまいました。しかし彼は自分も同じ罪を犯したことを思い出したでしょう。もう一つは、主は痛みをとおして私たちを聖められることです。彼はラバンからもう 7 年働くように言われて働くことになりました。騙される人の気持ちがよくわかったことでしょう。主は痛みをとおして私たちを整え聖めて用いてくださるのです。
 私たちの歩みにも主は介入してくださいます。そして苦しみ痛みをとおして私たちを整え聖めて、用いてくださることを忘れないようにしましょう。

<聖書のことば>
朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなた に仕えたのではありませんか 。なぜ、私をだましたのですか。」
創世記28章27節

2020年11月22日日曜日

「信仰のベテルに」

創世記28章16~22節
2020年11月22日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 一人で母の故郷へ出かけたヤコブは、豊かな神の臨在を知り、神の約束が自分に与えられていることを知りました。その際に、彼はどのように応答したのかを学びます。そこから、私たちが主の恵みに触れた時に、どう応答すべきかを教えをいただきましょう。
 第一に、神を恐れることです。彼は偉大な神の臨在に触れて、畏敬の念を持ちました。これは神の前で人間が取るべき正しい態度です。そして神を恐れる者に神の祝福は豊かに与えられます。
 第二に、信仰の原点と位置付けて大切にすることです。彼はその場所を神の家、ベテルと名付け大切にしました。私たちも信仰の原点の場所を覚え大切にして歩むことが必要です。
 第三に、神に献げることです。彼は神に献げることを誓います。神の恵みに触れると、応答し神に献げたくなるのです。
 私たちは神の前にどのような応答を持って歩んでいるでしょうか。信仰の原点を覚え、神を恐れつつ献げる者でありましょう。

<聖書のことば>
翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
創世記28章18~19節

2020年11月15日日曜日

「子どものように」

マルコの福音書10章13~16節
2020年11月15日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 子供たちをイエス様のところに連れて来るのを妨げた弟子たちに対して、イエス様は憤られました。そして子供たちのように神の国を受け入れる必要を語られたのです。それはどういう心なのでしょうか。
 第一に、主と主のみことばを素直に受け入れる心です。小さな子供たちは言われることを素直に受け入れます。そのように人は主と主の言われることを素直に受け入れなければ救われることはできませんし、祝福されることもありません。
 第二に、神の家です。私たちは救われて神の子とされ、神の家族の一員とされました。主は私たち家族が互いに愛し合うことを願われています。
 第二に、へりくだって主に全面的に頼る心です。小さな子供は自分が無力であることを認め、全面的に親に頼って生活しています。そのように私たちも自分の無力さを認めて全面的に主に頼ることが大切です。主に頼って歩んでいるかどうかは、みことばや祈りへの姿勢に表れます。
 私たちは霊的に成熟し大人になる必要があります。しかし主の前では私たちは幼子である必要があるのです。幼子のように素直に主に聞き従い、より頼んで歩みましょう。

<聖書のことば>
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
マルコの福音書10章15節

2020年11月8日日曜日

「教会とは」

コリント人への手紙第一 12章25~27節
2020年11月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 コロナの関係でできませんでしたが、本日バプテスマ式を行います。バプテスマは救われた者が主の御命令に従って受けるものであり、これを受けて教会に属します。その教会とは何であるのかを確認しましょう。
 第一に、キリストの体です。頭はキリストであり、私たちはその体の各器官です。互いにつながっており、切っても切れない関係にあります。主が呼び出された集まりであり、お互いに大切な存在なのです。
 第二に、神の家です。私たちは救われて神の子とされ、神の家族の一員とされました。主は私たち家族が互いに愛し合うことを願われています。
 第三に、実を結ぶところです。キリストとキリストの体である教会にとどまってこそ、私たちは霊的に実を結ぶことができます。教会を離れて実を結ぶことはできません。ですから、実を結ぶ信仰生活を意識して歩むことが必要です。
 主は御計画の中で、私たちをこの横浜教会へと導きつながらせてくださいました。バプテスマを受けた日を思い出し、もう一度原点に戻って、主と教会に仕えていきましょう。

<聖書のことば>
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
コリント人への手紙第一 12章27節

2020年11月1日日曜日

「オンライン礼拝の危険」

ヘブル人への手紙 12章25~27節
2020年11月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 新型コロナウイルス感染症蔓延という緊急事態で、オンライン礼拝が豊かに用いられました。また今も、ご病気の方や求道者に用いられており心から感謝しています。しかし、オンライン礼拝は聖書が教える礼拝とは程遠いものであることを覚える必要があります。聖書は次のことを強調しています。
 第一に、犠牲を払うことです。旧約の時代犠牲を払って礼拝が献げられました。なによりイエス様は十字架で犠牲を払ってくださいました。
 第二に、互いに交わることです。初代教会は互いによく交わりました。また、互いに愛し合い励まし合うように、繰り返し教えられています。
 第三に、互いに仕え合うことです。主が私たちを教会につながらせてくださいました。それは互いに仕え合い、主の栄光を現すためです。
 みことばを聞くだけならオンライン礼拝はその必要を満たしますが、礼拝はみことばを聞くことだけではないのです。気づかない内に、集まろうとする気持ちが弱まり、その必要を感じなくなっていきます。オンラインでの礼拝はあくまでも緊急事態のためのものであると覚えましょう。私たちはこれからも主の教会に集まり、兄姉と心を合わせて礼拝を献げましょう。

<聖書のことば>
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
ヘブル人への手紙 10章25節

2020年10月25日日曜日

「冷たい寝床で」

創世記28章10~16節
2020年10月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブは母リベカの兄のいるハランへ一人で旅立ちました。そこで石を枕に眠りにつきます。そこで彼が学んだことを学びましょう。
 第一に、状況にかかわらず、神はいつも共にいてくださることです。彼は夢の中で天と地をつなぐはしごがかかっており、主がそこにおられたことに気づかされました。主は同様に苦難の中でも私たちと共におられます。
 第二に、状況にかかわらず、神の約束は真実であることです。ここでヤコブにあらためてアブラハム契約が語られます。主の約束は状況に関係なく変わることがなかったのです。それは私たちに対しても同じなのです。
 第三に、状況が悪く自分が無になった時に、神をより深く知るようになることです。彼が孤独になり眠りについた時に、神についてより深く知ることができました。自分が弱く無になった時に、神についてより深くしることができます。
 人間的に見ると、ヤコブは孤独であり冷たい寝床で寝なければならない不幸な状況でした。しかし主はその状況で、豊かに彼を取り扱われたのです。私たちも状況に左右されず、素晴らしい主と約束を見て歩みましょう。

<聖書のことば>
彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
創世記28章11節

2020年10月18日日曜日

「礼拝とは何か」

ヨハネの福音書4章24節
2020年10月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神に礼拝を献げることは素晴らしい恵みです。礼拝とは何でしょうか。
 第一に、神に栄光を帰することです。私たちは罪人であり、裁かれて永遠に苦しむ地獄に入れられて当然のものでした。しかし神の愛のゆえに、キリストの命という代価が支払われて買い取られたのです。ですから、礼拝をもって、主に栄光を帰すことが求められます。
 第二に、神に献げることです。心から賛美を、与えられたものを、祈りを献げます。メッセージを聞く時も同じです。教えを受けるのですが、同時にみことばに応答して自分を献げるのです。
 第三に、神を信じるクリスチャン生活の中心です。礼拝こそが、神の子供とされたクリスチャン生活の中心です。もし礼拝以外のものが生活の中心になっているなら、必ず神の祝福から漏れて行くことになります。
 コロナ禍で、あらためて毎聖日に教会に集まり礼拝を献げることが大きな恵みであると思わされます。一回一回の聖日を当たり前と思わないで、主に感謝して、心から礼拝を献げましょう。

<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節

2020年10月11日日曜日

「全能の神が」

創世記27章41節~28章9節
2020年10月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 父イサクから祝福の祈りをしてもらえなかったエサウは、ヤコブを恨み殺そうと考えます。そのような苦難の中での彼らの行動から、学びましょう。
 第一に、苦難の日に自分の悟りに頼らないことです。リベカは自分の知恵に頼り、兄ラバンのいる所へヤコブを逃がしました。その時こそ、神に頼るべきでした。苦難の時こそ自分の悟りに頼らず、神を呼び求めることです。
 第二に、苦難の日に神から離れる選択をしないことです。エサウはイシュマエルのところへ行き、3人目の妻を迎えました。それは神様の喜ばれる選択ではありませんでした。私たちは苦難の時に神に近づく選択が必要です。
 第三に、苦難の日に神を過小評価しないことです。イサクはヤコブのために祈る際に、全能の神を覚えて祈りました。私たちも苦難の時こそ、神が全能のお方であると覚えることが必要です。
 苦難の時に、何を見て、誰に頼るでしょうか。その時こそ、全能の主と主の約束に目を留めて歩みましょう。

<聖書のことば>
全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。
創世記28章3節

2020年10月4日日曜日

「神の祝福を求めて生きる」

創世記27章30~41節
2020年10月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブはリベカの言われるとおり、父イサクを騙して祝福の祈りをしてもらいました。エサウはそのことに気づきます。ここから学びましょう。
 第一に、他の人ではなく、自分自身を省みることです。エサウは祝福の祈りを奪ったヤコブを恨みました。しかし彼はその時こそ、神様と自分との関係を省み悔い改めるべきでした。
 第二に、神の計画が成就すると覚えることです。彼らはそれぞれに自分の計画を進めようとしましたが、主の計画が進んで行きました。私たちも自分の計画ではなく、主の計画に委ねることが大切です。
 第三に、神の祝福を切に求めて生きることです。ヤコブは神の祝福を切に求めていました。私たちもこの世の祝福を追い求めるのではなくて、主が与えてくださる祝福を切に求めるべきです。
 人生はすぐに過ぎ去ってしまいます。私たちは世の人と同じではなく、神が与えてくださる祝福を切に求めて歩みましょう。

<聖書のことば>
イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べてしまい、彼を祝福してしまった。彼は必ず祝 福されるだろう。」
創世記27章33節

2020年9月27日日曜日

「イサクの家庭で」

創世記26章34節~27章29節
2020年9月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イサクの家庭で起きた出来事から学びましょう。
 第一に、神が結び合わせた相手とのコミュニケーションが欠けていたことです。家庭内の問題であるにもかかわらず、夫婦がきちんと話し合っていなかったことがわかります。私たちはこれを欠かさないように努めましょう。
 第二に、神のみこころを横に置き、自分の好みを優先したことです。イサクもリベカも自分の好みで子供を愛し、導きました。私たちは自分の好みを優先するのではなく、神のみこころを求めるべきです。
 第三に、神の計画ではなく、自分の計画で進めたことです。神は兄が弟に仕えると言われていました。しかしリベカは自分で計画を立てそれを実行しました。私たちは自分の計画よりも、神の御計画を覚えて従うべきです。
 イサクの家庭で、いつのまにか中心に神が不在となっていたことがわかります。私たちはどこにおいても主を中心にお迎えして歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。
創世記27章4節

2020年9月20日日曜日

「信仰のレースを全うするために」

コリント人への手紙第一 9章24~27節
2020年9月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 聖書には、信仰生活が競技に例えられています。私たちは信仰生活を全うするために、どのように歩むべきでしょうか。
 第一に、確かな目標を持つことです。この世の人と同じ、やがて朽ちていくものを目標としてはいけません。神の栄光を現し、且つ天で主から報いを受けることを目標とするべきです。
 第二に、捨てるべきものを捨てていくことです。競技者は勝利するために、自己節制するでしょう。同様に信仰者は霊的前進を妨げるものを持っていてはいけません。積極的に捨てて行くべきです。
 第三に、戦いを避けないことです。信仰者には必ず霊的戦いが付きものです。戦いを避けていたら、成長することはできません。みことばをいただき用いて、戦いに挑んで行くことが大切です。
  私たちの足にまとわりつく罪や重荷が霊的前進を妨げます。イエス様をしっかりと見て、みことばによって最後まで信仰のレースを全うしましょう。

<聖書のことば>
競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
コリント人への手紙第一 9章24節

2020年9月13日日曜日

「主の約束にとどまる」

創世記26章26~33節
2020年9月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イサクを追い出したアビメレクがイサクの所にやって来ました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、主の臨在は人々に認識されます。イサクの置かれた状況、彼の言葉や振舞いをとおして、アビメレクは主の臨在を認識しました。私たちもそのような歩みをさせていただきましょう。
 第二に、平和の関係を築いて歩むことは主のみこころです。彼は主の示された地で、人々と平和な関係を築きました。私たちにも遣わされた場所で平和な関係を築くことを意識して歩むことが必要です。
 第三に、主の約束にとどまる者を主は祝福されます。平和な関係を築いたその日に、新しい井戸を掘り当てました。これは主の祝福でした。
 イサクは飢饉や妨害などの苦難にあいましたが、しかし主が語られた約束にとどまりました。その結果、主から祝福をいただき歩むことができたのです。私たちは何にとどまるでしょうか。私たちも主の約束にとどまって歩みましょう。

<聖書のことば>
ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、自分たちが掘り当てた井戸のことについて告げた。「私どもは水を見つけました。」
創世記26章32節

2020年9月6日日曜日

「祭壇を築いて礼拝をささげる」

創世記26章23~25節
2020年9月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 主はイサクに、アブラハムに与えられた約束を再度語られました。彼は祭壇を築き礼拝をささげたのです。礼拝について考えましょう。
 第一に、犠牲を払って礼拝をささげることです。彼は祭壇を築いて礼拝をささげました。犠牲を払わない礼拝は真の礼拝ではありません。そして主のみことばが語られたら、自分自身を生きたいけにえとして献げていくのが礼拝です。
 第二に、節目節目に礼拝をささげることです。新たな広い場所が与えられ、主の約束が語られたその時に、彼は神を礼拝しました。私たちも週の初めに、一日の初めに、節目節目に礼拝をささげることが大切です。
 第三に、苦難の中で礼拝をささげることです。ペリシテ人にまた妨害されるかもしれないという恐れがあったでしょうが、その中で礼拝をささげました。私たちも苦難があっても礼拝をささげることです。
 今月から、全ての方が毎週教会で礼拝をささげるようになりました。今あらためて、自分自身の礼拝を点検しましょう。神は心から礼拝をささげる者を祝福してくださいます。

<聖書のことば>
イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。
創世記26章25節

2020年8月30日日曜日

「ふさがれた井戸」

創世記26章12~22節
2020年8月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 イサクが多くの収穫を得た結果、ペリシテ人たちから妬みを買われ、父の井戸をすべてふさがれてしまいました。それに対するイサクの対応から学びましょう。
 第一に、神の約束に立って状況を見ることです。生きていく上で不可欠な井戸をふさがれ奪われましたが、彼は争いませんでした。それは彼が神の約束を信じていたからと言う事ができます。
 第二に、信仰によって行動を起こすことです。彼は神の導きをただ待つのではなく、同じ地にいながら次の井戸を掘りました。信仰に立って行動を起こしていく必要を教えられます。
 第三に、神の御手に注目することです。ようやく3つめの井戸を掘った時は争いがなく所有することができました。彼は主が与えてくださったと判断したのです。その様に、神の御手に注目することが大切です。
 イサクの信仰は目立たないかもしれませんが、強い確かなものがありました。私たちも彼の信仰に倣って歩みましょう。

<聖書のことば>
イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸についは争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。」
創世記26章22節

2020年8月23日日曜日

「エジプトに下ろうとしたイサク」

創世記26章1~11節
2020年8月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 飢饉があり、イサクはエジプトに下ろうとしましたが、主はそこに下らないように言われました。
 第一に、約束を信じて主にとどまることです。主は再度、アブラハムに与えられた約束をここで確認されました。エジプトは安心な場所だったでしょうが、主の約束にとどまるように言われたのです。
 第二に、人ではなく主を恐れることです。彼は妻を妹と言って偽りました。妻を奪われ自分が殺されるのではないかと、人を恐れたからでした。私たちも人ではなく主を恐れるべきです。
 第三に、主は回復させてくださると覚えることです。神の介入があり、そのお陰でイサクは元の状態に、いやそれ以上の祝福された状態になることができました。主は私たちをも同様に取り扱ってくださいます。
 私たちの前にも厳しい問題が起きて来ます。その時こそ、主の約束に頼り、主を恐れて歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。
創世記26章3節

2020年8月16日日曜日

「主への感謝を忘れない」

ルカの福音書17章11~19節
2020年8月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 10 人のらい病人達は病気が癒されるようにイエス様に熱心に求めました。主は彼らの信仰をご覧になり、自分を祭司に見せるようにと言われました。 彼等はその行く途中で癒されたのです。しかし、帰ってきたのはサマリヤ人たった1人だけでした。
 まず初めに、主は私達に感謝することを求めておられることです。主は戻って来なかった9人に対して、どこにいるのかと嘆かれました。
 次に、どうしたら主への感謝を忘れずに歩めるでしょうか。第一に、誰から恵みを受けたかを覚えていることです。第二に、かつての自分の状態を覚えていることです。
 最後に、主への感謝を忘れないなら、どうなるでしょうか。第一に、私たちの歩みに変化をもたらします。優先順位、言葉、態度が以前とは変わります。第二に、主に用いられる者となります。彼はこの後、証し人として遣わされました。
 恩を忘れて、主から「どこにいるのか」と言われないようにしましょう。

<聖書のことば>
すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」
ルカの福音書17章17~18節

2020年8月9日日曜日

「ヤコブとエサウの選択」

創世記25章24~34節
2020年8月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イサクとリベカに与えられた双子の子供エサウとヤコブが成長した時の、ある日の出来事が書かれています。ヤコブはエサウと取引し、長子の権利を自分のものとしました。ここから教えをいただきましょう。
 第一に、神から選ばれたことを忘れないようにしましょう。エサウが愚かでヤコブが賢明だったので、ヤコブが長子の権利を手にすることができたのではなく、そこには神の選びがありました。私たちも神の選びがあったことを忘れないようにしましょう。
 第二に、神の前に淫らで俗悪な者となる道を選ばないようにしましょう。聖書はエサウの選択がそのようなものであると記しています。
 第三に、神の祝福を熱心に求めて選ぶようにしましょう。ヤコブは神の祝福を熱心に求めていました。私たちも今、何を熱心に求めるのか選択が迫られています。
 日々何気なく選ぶことが多いですが、主の導きをいただいて正しい道を選択するようにしましょう。

<聖書のことば>
するとヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言った。エサウは、「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」と言った。
創世記25章31~32節

2020年8月2日日曜日

「イサクとリベカが受けた苦難」

創世記25章19~23節
2020年8月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イサクとリベカの歩みが始まりました。彼らは主の御手の中で、幾つかの苦難にあいました。ここから 3 つの点で学びましょう。
 第一に、忍耐のある所に霊的成長があることです。リベカは不妊の女性だったため、イサクは彼女のために 20 年間祈り続けました。その忍耐が彼の信仰を成長させたでしょう。
 第二に、親子の信仰は別であり、子供も戦ってこそ霊的成長があることです。両親が経験した苦しみでありイサクは知っていたでしょうが、イサクも主に頼って戦う必要がありました。
 第三に、神に近づくことをとおして、霊的成長があることです。双子が腹の中でぶつかり合い、リベカは不安になり、主のみこころを伺うために主のもとへ出て行きました。彼女はこの事をとおして霊的に成長したでしょう。
 私たちも時に苦難にあいますが、それは決して無駄にはなりません。主はそれらをとおして、私たちの霊的成長へつなげてくださることを覚え、信仰によって受けとめましょう。

<聖書のことば>
子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったので、彼女は「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう、私は」と言った。そして、主のみこころを求めに出て行った。
創世記25章22節

2020年7月26日日曜日

「アブラハムからイサクへ」

創世記25章1~18節
2020年7月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 11章後半からアブラハムの歩みについて書かれていましたが、今日の箇所で死を遂げることになります。3つの点で学びましょう。
 第一に、神の約束に完全に信頼することができることです。ケトラをとおしてさらに多くの子供が与えられました。それは神が彼に約束されていたことでした。神の約束は必ず成就するので信頼することができます。
 第二に、神はアブラハム同様に、私たちを祝福してくださることです。祝福された生涯を送ったのは、アブラハムが罪が無くふさわしかったからではありません。主はふさわしくない私たちをも愛し祝福してくださいます。
 第三に、神は次世代に霊的祝福を継承することを望まれていることです。彼がイサクに与えた富は多くあったでしょう。しかし、最高の財産は神に対する信仰であったと言うことができます。
 アブラハムからイサクへ信仰が継承されました。私たちも次の世代に信仰を継承するために、何が必要かを真剣に考え実践しましょう。

<聖書のことば>
アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。しかし、側女たちの子には贈り物を与え、自分が生きている間に、彼らを東の方、東方の国に行かせて、自分の子イサクから遠ざけた。
創世記25章5~6節

2020年7月19日日曜日

「イサクとリベカの出会い」

創世記24章59~67節
2020年7月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イサクとリベカが出会う箇所から、学びましょう。
 第一に、神の約束を忘れないことです。かつて神がアブラハムに語られた約束が、リベカへの祝福のことばとして語られています。神はその約束を忘れないように教えられています。
 第二に、神は生きて見て下さっていると忘れないことです。イサクはベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていたようですが、敢えてその地名が記されています。そこは「生きて私を見てくださる方の井戸」の意味でした。彼はその主に励まされたことでしょう。
 第三に、神は私の必要を備えてくださると忘れないことです。イサクはしもべから経緯を聞いて、確かに主がすべてを備えてくださったと理解したでしょう。主は私たちの必要をも備えてくださるお方です。
 夕暮れ時にイサクとリベカは出会いました。イサクはそれによって慰められたのです。人生の夕暮れ時にあっても、主は私たちを慰め、強めてくださることを覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。
創世記24章67節

2020年7月12日日曜日

「リベカの信仰の応答」

創世記24章28~58節
2020年7月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムのしもべはリベカと会った後に、ベトエルやラバンたちと交わる時を持ちました。3つの点で学びましょう。
 第一に、主にある使命感を持って歩むことです。しもべはラバンたちから返事を聞くまで食事をしようとしませんでした。彼は自分に与えられた使命を自覚していたからです。私たちも主から与えられた使命を持って、優先順位を確立して歩みましょう。
 第二に、主のなされる不思議な御業に目を留めることです。ラバン達は一連のことが神のなされたことであるとわかったので、リベカを嫁にやることを認めました。私たちも主のなされる不思議な御業に目を留めることが必要です。
 第三に、主の呼びかけに信仰により直ちに応えることです。リベカは先のことは何もわかりませんでしたが、信仰により直ちに出発することを決断しました。私たちも信仰によって応えることが必要なのです。
 私たちの人生の旅路においても、使命感を持って歩みましょう。そして主が呼ばれたなら、直ちに応えるようにしましょう。

<聖書のことば>
彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。
創世記24章58節

2020年7月5日日曜日

「アブラハムのしもべの信仰」

創世記24章10~27節
2020年7月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムはしもべに、イサクの嫁をさがすために遣わしました。しもべはアハム・ナハライムに着きました。3つの点で学びましょう。
 第一に、事の始めに祈ることです。しもべは直ちに相手となる女性をさがし始めて良かったのですが、彼が始めにしたことは神に祈ることでした。神は私を導かれる。神の導きは私の思いよりも良い。神は祈りに応えてくださるという信仰があったからでしょう。
 第二に、恵みに感謝して、神に礼拝を献げることです。しもべは願いが聞かれた際に、その場でひざまずき主を礼拝しました。私たちも彼の礼拝の姿勢に倣う必要があります。
 第三に、神は恵みとまことを捨てられないと覚えることです。神は私たちに対しても恵みとまことを捨てられることはなさいません。
 アブラハムのしもべの旅は、私たちの人生の旅と比較することができます。祈りと礼拝を重んじ、神のまことを心に留めて、歩むようにしましょう

<聖書のことば>
その人は、ひざまずき、主を礼拝して、こう言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」
創世記24章26~27節

2020年6月28日日曜日

「イサクの嫁さがし」

創世記24章1~10節
2020年6月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムは年を重ねて老人になっていました。彼はしもべに、親族のところに行ってイサクの妻となる者をさがすように命じました。ここから、信仰者が覚えるべき3つのことを学びましょう。
 第一に、次世代に信仰を継承する責任があることです。アブラハムはあらゆる面で祝福されていましたが、彼は次世代に信仰を継承する責任を覚えていたので、しもべに命じました。
 第二に、神のみことばに立って人生の決断をすることです。神がアブラハムにカナンの地を与えると約束されていたので、イサクが他の地に移り住むことを選びませんでした。彼は神のみことばに立ち決断していたのです。
 第三に、神が先行し導かれる確信を持つことです。しもべにとっては、非常に責任重大な務めであり、先の見えないものでした。しかしアブラハムは主が先行し導かれると彼を励ましたのです。
 私たちも常に先を歩んで下さる主を覚えて、主のみことばに立って、みこころの内を歩みましょう。

<聖書のことば>
天の神、主は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。
創世記24章7節

2020年6月21日日曜日

「父ダビデの教え」

歴代誌第一 22 章 6~16 節
2020年6月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日は父の日です。お父様に感謝しつつ学びます。ダビデは息子ソロモンに神殿建築について語りました。何を息子に語ったのか学びましょう。
 第一に、主の言われるとおりに従うようにということです。彼の生涯は主に従うものであり、神殿建築についても主の言われることに従いました。ソロモンも神に従う歩みを教えたのです。
 第二に、主の知恵を受けるようにということです。「思慮と悟り」とありますが、他の聖書では「分別と知恵」と訳されています。神の知恵こそが人生を正しく歩ませると確信していたのでしょう。それを受けるように願い教えました。
 第三に、主への信仰により立ち上がり実行するようにということです。主の言われることを聞くだけで終わってしまいがちです。しかし主のみこころは、聞いた私たちが立ち上がり実行することなのです。
 子供や孫に、また周りの方にそのように教えることが必要です。何よりも、私たちがそのような模範を示して歩みましょう。

<聖書のことば>
主がイスラエルのためにモーセに命じられた掟と定めをあなたが守り行うなら、あなたは栄える。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。
歴代誌第一22章13節

2020年6月14日日曜日

「思い乱れうなだれる時」

詩篇42篇1~11節
2020年6月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日は詩篇 42 篇から、思い乱れうなだれる程の苦しみの時に、私たちが覚えるべきことについて学びましょう。
 まず、信仰生活に苦しみは必ずあるものと覚えましょう。信仰生活に入ると苦しみが一切無くなるのではありません。主の許しの中で苦しみが与えられることを覚えている必要があります。
 次に、その中でなすべきことは何でしょうか。
 第一に、神の恵みを思い返し、主をほめたたえることです。苦しみの中に入れられると、人はついつい呟き嘆いてしまいがちです。しかし、その時こそ、主の恵みを思い返しほめたたえることです。
 第二に、神を慕い求め、待ち望むことです。主に期待して、みことばを待ち望み、主のみわざを待ち望むことです。
 そのように神をほめたたえ待ち望み歩む時に、人は神から新たな力が与えられます。苦難を乗り越えて行くことができるのです。苦難の時こそ、信仰が問われています。しっかりと神に目を向けて歩みましょう。

<聖書のことば>
わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
詩篇42篇5節

2020年6月7日日曜日

「サラの埋葬」

創世記23章1~20節
2020年6月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムの妻サラが召されました。アブラハムは彼女の死を悲しみ、墓地のための土地を購入しようとします。3つの点で学びましょう。
 第一に、キリスト者として、内面の写し草を飾りとして歩むことです。ペテロ書に、サラがそのような歩みをしたことが記されています。外見に気をつかうことの多い者ですが、それ以上に内面に気を付けましょう。
 第二に、キリスト者として、証しと責任を持って歩むことです。アブラハムは異教の民に対して謙遜に礼儀を持って対応し、犠牲を払って土地を購入しました。私たちも周りのまだ神を信じていない方への証しのために、証しと責任を持って歩みましょう。
 第三に、キリスト者として、寄留者の自覚を持って歩むことです。アブラハムは自分は寄留者であるという自覚を持って歩んでいました。アブラハム契約に土地が与えられることについて書かれていましたが、彼は約束を信じつつも、天の御国に心を向けていました。
 私たちの人生における方向性はどこへ向けられているでしょうか。私たちも寄留者として正しい価値観を持って歩みましょう

<聖書のことば>
私は、あなたがたのところに在住している寄留者ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば、死んだ者を私のところから移して、葬ることができます。
創世記23章4節

2020年5月31日日曜日

「試練の後で」

創世記22章15~24節
2020年5月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムは厳しい試練にあいましたが、信仰によって神の言われることに従いました。その後で教えられたことがありました。これは私たちにも教えられることです。
 第一に、世は変わっても神の約束と誓いは変わらないことです。神はご自分にかけて誓われ約束を確かなものとされました。その神の約束だからこそ信頼することができます。
 第二に、先が見えなくても神の祝福の計画が進められていることです。神はイサクが将来伴侶とする人物を備えておられました。主は私たちに対しても祝福の計画を進めておられます。
 第三に、どんな状況に置かれても神の最高の愛が注がれていることです。その愛とはあのカルバリの丘で示された愛です。
 この変わらない主の約束と誓いこそ、私たちにとっての大きな希望です。試練は厳しく辛いものですが、この希望を握りしめて歩みましょう。

<聖書のことば>
こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──主のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。
創世記22章16~17節

2020年5月24日日曜日

「主の山に備えがある」

創世記22章1~14節
2020年5月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムは神の命令に従い、かけがえのない一人子イサクを全焼のいけにえとして主に献げようとしましたが、主は止められました。彼はどのような信仰を持っていたのでしょうか。
 第一に、神は真実なお方であるという信仰です。彼は必ず二人で戻って来ると確信していました。神は真実であり必ず約束を成就されると信じていたからです。私たちも主の真実さに目を向けていることです。
 第二に、神に献げることが真の礼拝であるという信仰です。礼拝は受けるものではなく献げるものです。私たちは主に自分自身を献げる礼拝を献げましょう。
 第三に、神はご覧になり備えてくださるという信仰です。神はアブラハムの信仰をご覧になり、代わりのいけにえを備えておられました。私たちはその主に信頼する必要があるのです。
 主の山の上に備えがあります。この体験をする人は幸いです。私たちもアブラハムのような信仰をもって、この体験をする歩みをしましょう。

<聖書のことば>
アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
創世記22章14節

2020年5月17日日曜日

「アブラハムへの試練」

創世記22章1~10節
2020年5月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムの生活が安定していた時でした、神は彼に、一人子イサクを献げるようにという受け入れがたい命令を与えられました。
 ここから、神は愛する者を試みられることがわかります。試練によって信仰が試され整えられることのできる、私たちにとって必要不可欠なものです。神様はアブラハムをどのような点で試みられたのでしょうか。
 第一に、神に従うかどうかです。主は私たちにも、自分の意に反することでも従うかどうかを試されます。
 第二に、神に最高を献げるかです。アブラハムにとってイサクが最高の存在だったでしょう。それを献げるように言われたのです。主は同様に私たちを試されます。
 第三に、神の約束に信頼するかです。これまでに与えられていた神の約束にどこまで信頼するか試されたのです。
 神は愛する者を試みられることを覚えましょう。その試練の時に、それが主から来たものであると受け止め、主に信頼して前進しましょう。

<聖書のことば>
これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
創世記22章1節

2020年5月10日日曜日

「ヨケベデの信仰」

出エジプト記2章1~10節、ヘブル11章23~26節
2020年5月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日は母の日で す。モーセの母ヨケベデの信仰について考えましょう。彼女はモーセに何を教えたのでしょうか。
 第一に、何を恐れるべきかを教えました。彼女はファラオよりも神を恐れて、生まれた子を隠しました。そのように子に対しても、主を恐れる姿勢を教えたでしょう。
 第二に、何に信頼すべきかを教えました。「信仰によって」とあるとおり、両親は神が子を守られると信じました。そのように子に対しても、主に信頼することを教えたでしょう。
 第三に、何が神の民として真に価値があるのかを教えました。モーセはエジプトの富よりも、神の民と共に苦しむ方を選択しました。それは母から教えられた価値観であったでしょう。
 次の世代に残すべき大切なことは多くはありません。最も大切な信仰の姿勢を模範として示し、教え、残す者でありましょう。

<聖書のことば>
信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
へブル人への手紙11章24~25節

2020年5月3日日曜日

「永遠の神に」

創世記 21章22~34節
2020年5月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 アビメレクが将軍を伴って、アブラハムの所に平和条約を結ぶためにやって来ました。この個所から教えをいただきましょう。
 第一に、神に従って歩むと、神を証しすることができます。「あなたが何をしても神はあなたと共におられる」と言われる程、証しのある歩みをしていたのでしょう。私たちもその様に周りの方へ証しができたら幸いです。
 第二に神の守りに目を留めると神への感謝が湧いて来ます。井戸のことでアビメレクに抗議しますが、解決することができました。そこに神の守りを覚えたのです。私たちもあらゆる所に主の守りを認め感謝することです。
 第三に、永遠の神に目を留めると、神への信仰が強められます。アブラハムは永遠の神に目を留め祈りました。私たちも永遠の神に目を留めて、信仰を強められて歩むことです。
 地上にあるもので永遠に続くものはありません。私たちはやがて朽ちていくものではなく永遠の神に目を留めて、その神に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、主の御名を呼び求めた。
創世記 21章33節

2020年4月26日日曜日

「人から見捨てられた者」

創世記 21章1~21節
2020年4月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イシュマエルがイサクをからかったのがきっかけとなり、イシュマエルとハガルは家から追い出されてしまいます。この個所から教えられることを学びましょう。
 第一に、神は人が見捨てた者を見捨てられません。人は相手が自分にとって役に立つかどうかで判断し見捨てることがあるかもしれませんが、主は決してそうはなさらないのです。
 第二に、神は私たちの叫びを聞かれます。今にも死にそうであったイシュマエルの声を主は聞かれました。同様に神は私たちが苦難の時に叫び祈る声に必ず耳を傾けてくださいます。
 第三に、神は私たちの目を開いてくださいます。主は彼女の目を開かれ井戸を見出すことができました。主は私たちが主に頼る時、霊的目を開いてくださいます。
 神の使いは「どうしたのか」とハガルに問いました。私たちが見える所だけを見て苦しむならば、主は同様に問われるでしょう。そのような時こそ、主に祈り叫び、霊的目を開いていただき歩みましょう。

<聖書のことば>
神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
創世記 21章17節

2020年4月19日日曜日

「変わってしまった喜び」

創世記 21 章 8~13 節
2020年4月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 約束の子イサクが与えられ喜びの笑いに満ちていたアブラハムとサラでしたが、それは憎しみと苦しみへ変わりました。
 人やこの世は変わりやすいことを知る必要があります。しかし、人はその変わりやすいものに価値をおき、熱心に求め歩んでしまいやすいのです。
 しかし神は変わることがありません。
 第一に、神はどんな時にも語り掛け導いて下さいます。彼らの自己中心ゆえの憎しみと苦しみでしたが、それでも主は彼らに語り掛け、導きを与えられたのです。主は私たちの羊飼いとなって、どんな時にも語り掛け、正しい道へ導いてくださいます。
 第二に、神はどんな時にも御計画を進められます。人間の愚かさゆえの出来事でしたが、神はそれをも用いて御計画を進めていかれました。
 この世は変わります。しかし、主は変わることがありません。いつもあの十字架の愛で私たちを愛され、正しく導いてくださいます。このお方に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」
創世記21章10節

2020年4月12日日曜日

「希望の生まれた朝」

マタイ 28章1~15節 Ⅰコリント15:20
2020年4月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日はイースター礼拝です。主は十字架で死なれた後、3 日目に復活されました。このことから 3つの点で学びます。
 第一に、主にとって不可能なことはありません。神はキリストを死者の中からよみがえらせました。悪魔の最大の武器である死に勝利されたのです。このお方にとって不可能なことはありません。
 第二に、主の約束は真実です。主が復活されることは主が約束されていたことでした。主はその約束とおりによみがえられたのです。このお方の約束は真実であり必ず成就します。
 第三に、主はとこしえに共にいてくださいます。復活された主は弟子たちに、いつも共にいてくださると約束されました。これは私たちへの約束です。この約束を覚えているなら、平安の内を歩むことができます。
 私たちはどれくらい復活の主を、日々確認して歩んでいるでしょうか。主の生まれた朝、十字架の悲しみは喜びに変わりました。私たちも毎朝、復活の主を覚え、変えられて歩みましょう。

<聖書のことば>
すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
マタイの福音書28章9節

2020年4月5日日曜日

「主の受けられた御苦しみ」

マルコの福音書15章15~24節
2020年4月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 愛はその犠牲によって測られると言うことができます。主はどれ程の犠牲を払われたのでしょうか。
 人となられた主は、弟子たちや群衆の裏切りや否定を受けられました。兵士たちの嘲りと暴行を受けられました。無関心な扱いを受けられました。のろわれた十字架の苦しみを受けられました。それだけ私たちのことを愛してくださっていると言うことができるのです。
 私たちはその主に対してどう応答するべきでしょうか。
 第一に、キリストを第一とすることです。
 第二に、キリストを証しすることです。
 第三に、キリストに人生を献げていくことです。
 第四に、キリストのごとく、愛し合うことです。
 主の受けられた御苦しみと私たちへの愛を覚えましょう。そして、私たちの主への愛を再度点検するようにしましょう。

<聖書のことば>
また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
マルコの福音書15章19~20節

2020年3月29日日曜日

「約束の子イサクの誕生」

創世記21章1~7節
2020年3月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ついに神はアブラハム と サラ に約束の子を与えられます。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、神は不可能を可能としてくださいます。100歳のアブラハムと90 歳のサラに子供が生まれることはあり得ないことでした。しかし主はその不可能を可能とされました。神にとって不可能なことはありません。
 第二に、神は約束に対しどこまでも誠実です。状況は悪くなる一方でしたが、神の約束は変わらずにありました。時至って、神は約束を成就し、子供を与えられたのです。
 第三に、神は苦しみを喜びの笑いへと変えてくださいます。最初みことばを聞いて笑ったサラたちでしたが、イサクが生まれて喜びの笑いへ変えられました。神に信頼する者は、やがてその幸い な経験をするのです。
 私たちの前にも苦難があるかもしれません。それが長く続くかもしれません。しかし同時に、神の約束もあるのです。主と主の約束に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
創世記21章2節

2020年3月22日日曜日

「同じ失敗」

創世記 20 章1~18節
2020年3月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 再びアブラハムの歩みに戻ります。3つのことを学びましょう。
 第一に、人は誰でも油断すると罪を犯してしまうことです。アブラハムは以前にも失敗していたにもかかわらず、ここで再び同じ失敗を繰り返してしまいました。あの偉大な信仰者の彼でさえ、そうでした。私たちも気をつけないと失敗する可能性は大いにあります。
 第二に、神は憐れみ、人の知らない所で介入してくださっていることです。神は約束を成就するために、夢の中でアビメレクに働き阻止されました。私たちの歩みにおいても同じように主は憐れみをもって介入されます。
 第三に、人や状況ではなく神を恐れ、信仰を働かせることです。彼はこの時、ただ現地の人を恐れてしまい、主のみこころを見失いみこころから外れて歩んでしまいました。私たちも何を恐れるかで歩みは違ってくるのです。
 ロトではなく、アブラハムがこのような失敗をしました。私たちは同じ過ちを犯さないように、恐れるべきお方を恐れて歩みましょう。

<聖書のことば>
アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。
創世記20章2節

2020年3月15日日曜日

「人の道に勝る神の道」

イザヤ書55章6~11節
2020年3月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イザヤをとおして語られたおことばから、3つのことを学びましょう。
 第一に、神の道は人の道とは異なることです。全ての場合に異なるわけではないですが、神の示される道は人のそれとは異なることが多いのです。ですから、自分の思いと異なっていたとしても落胆する必要はありません。
 第二に、神のみこころは人の思いよりも高いことです。私たちは自分の尺度でしか物事を見ることができません。しかし神は、人の計画や力よりも、もっと高い事をなされるのです。
 第三に、神は豊かに施すことのできる方であることです。人は現状を見て判断し、自分の弱さにがっかりきてしまいやすいものです。しかし神は豊かに施してくださり、私たちを強めてくださるのです。
 本日は献堂記念礼拝です。現時点で新たな土地もなければ、十分な資金もありません。しかし主に信頼して祈り続けましょう。人のすべてよりも、はるかに高いものを備えてくださる主に期待しましょう。

<聖書のことば>
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ書55章9節

2020年3月8日日曜日

「ロトと娘たち」

創世記19章27~38節
2020年3月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ロトと娘たちはソドムの裁きから逃れ、山の上で生活することになりました。ここから 3 つのことを学びましょう。
 第一に、神から遠ざかると、罪の道を歩むことになります。娘たちはこれだけのことを経験していながら、神に近づこうとしませんでした。その結果、罪の道を選択したのです。主から離れるなら罪の道を歩むことになります。
 第二に、罪の影響は長く続きます。ロトの娘たちの選択が後々、イスラエルに悪い影響を与えることになりました。罪の影響は続くことを忘れてはいけないのです。
 第三に、神を恐れ、積極的に罪から離れるべきです。ソドムがこのような結果になっても、彼らは主を恐れ主のみこころの内を歩むことがなかったのです。何よりも主を恐れ、罪から積極的に離れて歩むことが大切なのです。
 ロトや娘たちの歩みは自分と無関係と考えてはいけません。気をつけないと、私たちも同じ誤った道を歩むことになります。気を付けましょう。

<聖書のことば>
その夜、娘たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。
創世記19章33節

2020年3月1日日曜日

「ロトの妻を思い出せ」

創世記19章15~26節
2020年3月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ソドムの町へのさばきが宣告されました。御使いは早く逃げるようにロトを促し彼らは逃げて行きます。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、ためらい続けることは良い実を結ばせません。ロトはソドムの町を捨てがたかったのか、ためらっていました。ためらい続けていては良い実を結ぶことはありません。
 第二に、神の憐みにより悔い改めていくことです。ロトは神の憐みにより引っ張られて逃れることができました。私たちも憐みにより悔い改めへ促されます。その時に素直に応じるべきなのです。
 第三に、後ろを振り返らず前進し続けることです。ロトの妻は後ろを振り返り塩の柱となりました。私たちはこの世を向いて歩む時に、神の祝福を逃すことになります。ですから後ろを振り向かないで前進し続けることが大事なのです。
 私達はロトやロトの妻からの教訓を無駄にしないようにしましょう。彼らを思い出して、どっちつかずの歩みをしないようにしましょう。

<聖書のことば>
ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
創世記19章26節

2020年2月23日日曜日

「宣教月間だけでなく」

テサロニケ人への手紙第二3章1節
2020年2月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロの要請から、2つのことが教えられます。
 第一に、教会の祈りが必要です。パウロは当時の最高の教育を受けた人物であり多くの経験と実績がありましたが、語る力が与えられるようにと教会の祈りを要請しました。それは宣教の働きが霊的な戦いであり常に悪魔が妨害していることと、だからこそ教会の祈りなくしてこの働きを前進させることはできないことを、彼がよく理解していたからです。
 第二に、途中で止めてしまってはいけません。ここは継続的な祈りの要請がされています。私たちは先週宣教カンファレンスを行い、大いに恵まれチャレンジをいただきました。また、2月を宣教月間として取り組んで来ました。しかし、これで止めてしまっては意味が無いのです。
 宣教の働きは現地の宣教師が単独で行っていると考えるのは間違っています。私たちもこの日本で、横浜で、祈り献げ続けることによって、宣教の働きに参加することになるのです。この点で手を止めないようにしましょう。宣教月間だけで満足しないようにしましょう。

<聖書のことば>
終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。 
テサロニケ人への手紙第二3章1節

2020年2月16日日曜日

「信仰約束献金に参加しよう」

コリントへの手紙第二9章5節
2020年2月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は教会に対し、また私たち一人一人に対して宣教の使命を与えられました。宣教の為の信仰約束献金はその為の素晴らしい機会です。
 第一に、これは聖書に教えられている献金方法です。福音宣教の働きの為に計画的にあらかじめ取り分けて献げます。そうしてこそ、宣教の働きを安定して進めて行くことができます。
 第二に、幾ら献げるかを各自が祈り、神に約束して献げます。この献金は強制ではありません。それぞれがよく祈り、主から示された額を主との個人的な約束の内にお献げします。
 第三に、信仰によって献げます。主がこの献金を大いに用いてくださり、また必要を備えてくださると信じて献げます。
 本日の礼拝のメッセージの後に、更新用紙を無記名で提出していただきます。全ての教会員がこの恵みの業に参加してくださると素晴らしいと考えています。一人一人が主の大命令に従って、この働きに参加し献げる者となりましょう。

<聖書のことば>
そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。              
コリントへの手紙第二9章5節

2020年2月9日日曜日

「聖さを求める」

創世記19章1~14節
2020年2月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 二人の御使いがロトの所にやって来て、ソドムの町へのさばきについて語りました。今日の箇所から3つのことを学びましょう。
 第一に、罪は強力に堕落へと導きます。ロトは元々アブラハムと共に歩んでいましたが、潤った低地に住むようになり、いつしかソドムの中心人物になっていました。罪は同様に私たちを堕落へと導きます。
 第二に、聖なる神は私たちが聖く歩むように願われています。ソドムの男たちは性的な欲望をもってやって来ました。人々は汚れた歩みをしていたのです。聖なる神は聖く歩むように願われています。
 第三に、キリスト者として普段から証しを立てる生活をすることです。ロトは娘の婿に裁きについて話しますが冗談と思われてしまいました。普段の証しができていなかったからでした。
 私たちは救われてこの世に遣わされています。ですから、聖く歩み神の栄光を現しましょう。聖さを求め、良い証しを立てて歩みましょう

<聖書のことば>
そこで、ロトは出て行き、娘たちを妻にしていた婿たちに告げた。「立って、この場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは悪い冗談のように思われた。              
創世記19章14節

2020年2月2日日曜日

「失われた一匹の羊」

ルカの福音書15章4~7節
2020年2月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様のたとえ話を通して、学びましょう。
 第一に、人間は迷い出てしまっています。本来いるべき神から離れ、迷い出ているのです。
 第二に、迷い出た人間には死が待っています。迷い出た羊に死の危険が迫っているのと同じです。永遠のほろびが待っています。
 第三に、羊飼いなる主が捜しに出かけてくださいました。自分勝手に歩んでいる人間を救う為に出て来られました。今も捜し求めておられます。
 第四に、神は見出した時に喜ばれます。それだけ主は私たちを愛してくださっているのです。
 第五に、神は教会にその重要な役割を委ねられています。主は今、直接的に魂を捜し求める働きを教会に委ねられました。ですから教会は、そして私たち一人一人は、この役割、使命を果たす責任があるのです。
 今月は宣教月間です。私たち一人一人が宣教の大命令を覚えて、自分にできることを精一杯していきましょう。

<聖書のことば>
あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
ルカの福音書15章4節

2020年1月26日日曜日

「目を上げて畑を見よ」

ヨハネの福音書4章25~38節
2020年1月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様とサマリヤ人女性、弟子達とのやり取りから学びましょう。
 第一に、自分のことだけに関心を持っていてはいけないことです。弟子達は自分たちのことばかりに関心を持っていました。しかし主は魂に関心を持たれていたのです。私たちは何に関心があるでしょうか。
 第二に、目を上げて霊的な畑を見るべきです。その理由は、魂が刈り入れるばかりになっているからであり、また、それは主が喜ばれることだからです。主は失われている魂に目を向けられました。
 第三に、収穫の為に行動を起こすべきです。このサマリヤ人女性はイエス様との出会いの後、水がめを置いて町へ伝えに行きました。私たちも素晴らしい救い主に出会った者として、魂の収穫の為に行動を起こすことです。証し、祈り、献金、そして宣教師を遣わすことが大切なのです。
 私たちは自分の生活の満足の為に救われたのではありません。主は私たちを通して福音を広め、一人でも多くの魂が救われるようにと願っておられるのです。ですから、目を上げて霊の畑を見るようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書4章35節

2020年1月19日日曜日

「とりなす者」

創世記18章22~33節
2020年1月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 主はソドムとゴモラの町をさばかれることについてアブラハムに語られました。彼は主にとりなしを始めます。
 第一に、とりなしの祈りとは、破れ口に立って他者のために祈る祈りです。神と人との間に立って、その裂け目で神の赦しと守りを祈るのです。
 第二に、神は私たちがとりなすことを期待しておられます。神はこの個所で、敢えてわざわざアブラハムに告げに来られました。彼がとりなすことを期待しておられたと考えることができます。
 第三に、神は救われた私たちを見ておられます。神は正しい者のゆえに町を滅ぼさないと言われました。神は正しい人の故に、魂を顧みられることがわかります。神はその如く私たちを見ておられます。私たちの存在価値は大きいのです。
 彼は神を恐れつつ、諦めずに祈り続けました。私たちも同様に魂のために破れ口に立ってとりなしましょう。

<聖書のことば>
また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」
創世記18章32節

2020年1月12日日曜日

「神の友アブラハム」

創世記18章16~21節
2020年1月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 主はアブラハムに、ソドムとゴモラに対するさばきについて隠さず、明らかにされました。イザヤ書を見ると、アブラハムは神の友であったと書かれています。どのような意味での友なのでしょうか。
 第一に、相手に思いを伝えます。ここで主はみこころを隠さず明らかにされました。イエス様も私たちを友として、みこころを知らせると語られました。
 第二に、相手の思いを聞いて受け入れて従います。アブラハムは神から示す地に出て行くように言われた時に、受け入れて従いました。イエス様も同じことを教えられています。
 第三に、相手のために犠牲を払います。イエス様は私たちのために計り知れない犠牲を払ってくださいました。その主の愛を覚えて、私たちも主のため教会のために喜んで犠牲を払っていくのです。
 主は私たちを友と呼んでくださいます。私たちはその恵みに感謝し、応えて歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
主はこう考えられた。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
創世記18章17節

2020年1月5日日曜日

「目標を目指して」

ピリピ人への手紙3章12~14節
2020年1月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 昨年も慌ただしく、一年が経過したのではないかと思います。パウロの生涯を通して、私たちがどのような心構えで歩むべきかを学びましょう。
 第一に、現状に満足しないことです。彼は霊的に満足せず、欠けのある者であることを自覚していました。だからこそ、成長し用いられたと言うことができます。
 第二に、目標を目指して一心に走ることです。目標の一つは、天において報いをいただく目標です。彼は主から報いとしての冠をいただくことを目標としていました。もう一つは、委ねられている務めにおける目標です。彼は宣教の働きにおいて目標をもって歩んでいたことがわかります。私たちもこの両方の目標を掲げて歩むことが必要なのです。
 これまでに主からいただいたお恵みを感謝するべきです。しかし同時に、現状に満足していてはいけないのです。私たちもパウロのように目標を目指して一心に走る一年としましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
ピリピ人への手紙3章14節