2017年8月27日日曜日

「礼拝の心得」

ヨハネの福音書4章24節
2017年8月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝はクリスチャンにとって最高の祝福です。その礼拝をささげる上での大切な心得について確認しましょう。
 第一に、犠牲を払って集まることです。旧約の時代、人々はいけにえをもって宮に集まりました。聖日の礼拝を選択する時に、何らかの犠牲が伴うかもしれません。しかしそれは礼拝に不可欠なことなのです。
 第二に、神の前での礼拝であると意識することです。説教部分だけが礼拝ではありません。前奏から既に始まっています。神の前に出ているのですから、心を静めて祈りをもって始めることです。招きが終わり最後の挨拶までがひとまとまりの礼拝であると覚えましょう。
 第三に、心からみことばをいただくことです。説教は礼拝の中心です。主が今まさに私に語っていると覚えて聞きましょう。砕かれた心でみことばをいただくならば、主が必ずその人に上からの祝福を与えてくださいます。
 本日も主の恵みによって、私たちは礼拝に集まることができました。最高の態度をもって、主に礼拝をおささげしましょう。

<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節

2017年8月20日日曜日

「どうにかして」

ピリピ人への手紙3章10~11節
2017年8月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロが「どうにかして」と言う程に、切なる願いとしていたことがありました。
 第一に、キリストとその復活の力を知りたいという願いです。彼はキリストを死者の中からよみがえらせた無限の力を経験したいと願っていました。私たちもキリストを知識として知るだけでなく、キリストの復活の力を経験することが大切です。
 第二に、キリストの苦しみにあずかりたいという願いです。それも祝福であると考えていました。この苦しみにあってこそ、キリストの苦しみを理解することもできます。
 第三に、自分に死に、霊的に引き上げられたいという願いです。古い自分に死に、霊的に日々新たにされて引き上げられていくことです。
 私たちはこの世的な祝福を願いますが、これらを願いとすることが足りないかもしれません。私たちもこれらを願いとして歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
ピリピ人への手紙3章10~11節

2017年8月13日日曜日

「損得勘定」

ピリピ人への手紙3章4~9節
2017年8月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは当時のエリートであり、人間的に誇ることのできるものを多く持っていました。しかし彼の価値観は全く変えられたのです。以前は誇りとしていたものを損と思うようになりました。なぜでしょうか。
 第一に、素晴らしいキリストを知ることができるからです。キリストは一度表面的に知って終わりというお方ではありません。知れば知る程にその素晴らしがわかるようになります。
 第二に、個人的な主との関係に入れられているからです。主は全ての人の主ですが、同時に私の個人的な主です。主は個人的に私を愛し導こうとしておられます。
 第三に、主の前に義とされているからです。人間にとって最も大事なのは富でもこの世での成功でもありません。神の前に義とされることです。キリストを信じた者は義とされているのです。
 これらの素晴らしさがわかると、以前人間的に誇りとしていたものに価値を見いだせなくなります。クリスチャンは何を求めることが得で損であるのかをしっかり見極めるようにしましょう。

<聖書のことば>
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
ピリピ人への手紙3章7節

2017年8月6日日曜日

「救われている者の特徴」

ピリピ人への手紙3章2~3節
2017年8月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはまず、間違った教えを広める者に気をつけるように言いました。犬、悪い働き人、肉体だけの割礼の人とありますが、救われる為に割礼が必要と教えていた人を警戒するようにと言ったのです。救われるために一切の行いは必要ではありません。神の恵みにより、ただ信じるだけで救われることができます。
 次に、救われた者の特徴についてです。それは祝される為の秘訣でもあります。
 第一に、御霊によって礼拝をささげることです。形式的な礼拝ではなく御霊に導かれて砕かれた心で礼拝をささげることです。主はそのような方を祝福され整え強めてくださいます。
 第二に、キリストを誇りとし、主により頼んで歩むことです。人は何かを誇りとして歩んでおり、それに人生を導かれていきます。主を誇りとして主に信頼して歩む者こそ、祝福されることができます。
 この世のものを誇りとし頼りがちですが、本当に誇りとし頼ることができるのはお一人しかおられません。主を誇り頼りとして歩みましょう。

<聖書のことば>
神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
ピリピ人への手紙3章3節