2019年4月28日日曜日

「祭壇を築け」

創世記12章4~9節
2019年4月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムたちは主が示される地に向けて出発しました。そしてカナンの地にたどり着いたのです。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、アブラムが従った後で、主は御心の地を示されました。先に示されたのではなく、従った後に示されたのです。私たちも今はわからなくても、先に主のみことばに従うことが求められます。
 第二に、アブラムは不可能と思える主の約束を信じました。そこは偶像礼拝の本拠地であり、カナン人が住んでいました。しかも、彼らにはまだ子供がいなかったのです。信じるのが困難な状況で、彼は主の約束を信じました。私たちも状況が整えられていなくても信じるべきです。
 第三に、アブラムは主の為に祭壇を築き礼拝を献げました。彼は行く先々で祭壇を築き礼拝を献げたことがわかります。自分に現われてくださった主に感謝し、まず礼拝を献げたのです。私たちもご自身を明らかにし、救いを与えてくださった主に、まず礼拝を献げるべきなのです。
 新年度、礼拝を最優先し、主の約束に信じ従って行きましょう。

<聖書のことば>
そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
創世記12章7節

2019年4月21日日曜日

「希望に輝くイースター」
~キリストの復活が意味すること~

コリント人への手紙第一15章19~20節
2019年4月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日はイースター礼拝です。キリストが復活されたことは様々な状況証拠から確信することができます。それでは、キリストの復活は私たちの人生とどう関わりがあるでしょうか。
 第一に、キリストこそ、私たちが信じるべき真の神です。死から復活できるのは神だけです。
 第二に、キリストは私たちの死後の問題を解決してくださいます。キリストがよみがえられたごとく、私たちもやがてよみがえることができるのです。天の御国で主とお会いし、愛する人と再会することができます。
 第三に、キリストは私たちを暗闇から希望の光へ導いてくださいます。弟子たちがまさにそうでした。死に勝利されたお方は、他のどんな問題をも解決し希望を与えることができるのです。
 キリストが死んで落胆し恐れて闇の中にいた弟子たちが復活の主にお会いし、劇的に変えられました。私たちも復活の主を信じ個人的にお会いして、希望の光の内を歩みましょう。

<聖書のことば>
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
コリント人への手紙第一15章20節

2019年4月14日日曜日

「ご自分で十字架を負われた主」

ヨハネの福音書19章14~24節
2019年4月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イースターを前に、キリストの受難を覚えましょう。
 第一に、キリストを拒み十字架へ追いやったのは私たちです。ピラトは無実のキリストを釈放しようとしましたが、ユダヤ人指導者や群衆は十字架へつけるように訴えました。それは私たちでもありました。
 第二に、キリストは私たちのためにご自分で十字架を負いゴルゴタへ向かわれました。さんざん痛めつけられた後、私たちの身代わりに死ぬために、キリストはご自分で十字架を負ってゴルゴタへ向かわれたのです。
 第三に、キリストは私たちの罪と共に十字架にはりつけにされました。一切、抵抗されることがありませんでした。呪われた十字架刑にかかり死んでくださいました。そのお陰で、私たちは信仰をとおして救われることができたのです。
 私たちはその救い主に対して、どのような心で向き合っているでしょうか。ご利益的に信じてはいけません。これ程までに私たちのために献げてくださった主のために、私たちも献げて行きましょう。

<聖書のことば>
彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
ヨハネの福音書19章17節

2019年4月7日日曜日

「ゲッセマネの祈りから」

マルコの福音書14章32~42節
2019年4月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イースター礼拝を前に、主の受難を覚えましょう。ゲッセマネの祈りから学びます。
 第一に、主は私たちの代わりに恐れと悲しみでもだえ苦しまれました。それは父なる神との関係が断絶されることから来るものであったと考えられます。イエス様はまさに罪人として、神にさばかれたのです。
 第二に、主はその中で祈りに心を注がれました。一人悩んだり、人に相談されたりではなくて、ただただ神に祈られたのです。苦しみに打ち勝つ秘訣は祈りにあることがわかります。
 第三に、主は思いを打ち明けつつ、御心を求め従われました。このプロセスが大切です。私たちも問題の中にある時に、苦しみを理解し同情してくださる主に思いを打ち明けつつ、みこころを求め従って行きましょう。
 苦しむ必要のなかった主が、もだえ苦しまれました。そして十字架にはりつけにされました。私たちはその主を覚えて主に悩みを打ち明け、御心を求めて歩みましょう。

<聖書のことば>
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」                
マルコの福音書14章36節