2023年7月30日日曜日

「福音を宣べ伝えなさい」

マルコの福音書 16章 15節
2023年7月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 本日は岡崎宣教師が宣教報告のために来てくださっています。イエス様が語られた宣教の大命令について、2つのことを確認しましょう。
 第一に、宣教の働きに参加することです。この命令はすべてのクリスチャンに与えられています。ここ数年、JBBFの海外と国内の宣教が縮小する傾向にあります。様々な事情によるのですが、非常に残念なことです。だからこそ、私たち一人一人が宣教の働きにあずかることが大切です。先生たちのために祈り、経済的に支援することが必要です。
 第二に、私たちが出て行き、福音を伝えることです。出て行く場所は外国や他県でなくて構いません。自分のいる場所から遣わされている場所へ出て行き、救われていない方に福音を伝えることは、立派な宣教の働きです。そして、献身者が起こされるように祈りましょう。また、主はあなたをフルタイム献身へと導かれているかもしれません。自分だけは違うと考えずに、主の呼びかけに静かに耳を傾けましょう。
 多くの方が悩みや不安、恐れを抱えて歩んでおられます。なによりも、その行き先は滅びです。私たちがキリストの大命令に従って、福音のために自分自身を献げましょう。

<聖書のことば>
それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。
マルコの福音書 16章 15節

2023年7月23日日曜日

「地上での残された時」

ペテロの手紙第一 4章 1~2節
2023年7月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 残された地上生涯を、どのような心構えで歩むべきなのかについて学びます。
 第一に、主と同じ心構えで苦しみと闘うことです。敢えて武装すると書かれているということは、クリスチャンの生涯には霊的な闘いがあるということです。そしてイエス様も苦しみの中で闘われました。私たちも同じ心構えで闘いつつ歩むことです。
 第二に、罪との関りを断つことです。苦しみを信仰によって正しく受け止めて闘っていく時に、人は罪との関りを断つようになります。聖められていくことができます。
 第三に、主のみこころに生きることです。以前はひたすら自分中心であり、自分の思いが全てでした。しかし、主の愛を知ってからは、自分の思いではなく主のみこころを行いたいと思うように変えられました。それは本当に幸いな歩みです。
 地上生涯は永遠ではなく限りがあります。残されている時は確実に少なくなっています。その一日一日を主と同じ心構えで歩みましょう。聖められ、主のみこころの内を歩みましょう。

<聖書のことば>
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
ペテロの手紙第一 4章 2節

2023年7月16日日曜日

「苦難を通して栄光へ」

ペテロの手紙第一 3章 19~22節
2023年7月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所も、クリスチャンが受ける苦しみについて記されています。大変難解な箇所ですので最初に説明します。その上で、3つのことを学びましょう。
 第一に、たとえ苦難があっても主に従い通すことです。ノアと家族は神のおことばを信じて準備し、人々に伝えましたが、人々は信じようとせず従いませんでした。しかし彼らはそれでも主に従い通しました。
 第二に、苦難の中で主への誓いを新たにすることです。バプテスマは救いの条件ではないですが、救われた者の主への誓いです。苦難の時に信仰が揺らいでしまいがちですが、その時こそ、主への誓いを新たにすることです。
 第三に、苦難を通して、神の栄光が現れると覚えることです。イエス様は人類のために身代わりに十字架にかかり苦しみ死なれました。あの贖いの業のゆえに、今神の右に着座されているのです。苦難は神の栄光の現れる時であると覚えることが必要です。
 苦難の時、どうしても弱りやすいものです。しかし、その時こそ信仰が試されています。主の栄光のために最後まで従い通しましょう。

<聖書のことば>
イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。
ペテロの手紙第一 3章 22節

2023年7月9日日曜日

「苦しみも益に」

ペテロの手紙第一 3章 17~18節
2023年7月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 キリストのために義を行って苦しみを受けることはよいと教えられています。その理由について学びましょう。
 第一に、キリストは善を行って苦しみを受けられたからです。主は人類を救う為に来られたのに、多くの苦しみにあわれました。最終的に十字架で苦しんで死なれたのです。私たちの救い主がそうであるなら、私たちも主の為の苦しみに与るべきです。
 第二に、キリストの苦しみにより、私たちは神に導かれたからです。キリストが苦しみ死んでくださらなければ、私たちが神に導かれ救われることはありませんでした。その主のために苦しみにあうことは幸いです。
 第三に、キリストは苦しみも益に変え、良きものを与えてくださるからです。主にある苦しみは決して悪いものではありません。神はすべてを益とし、苦難をとおしても私たちに祝福を与えてくださいます。いや、苦難を通してこそ与えられる祝福があるのです。
 苦しみがあると私たちは呟き、思い煩ってしまいがちです。しかし、義のためのよいものであることを覚えて、主への信仰に立って乗り越えていきましょう。

<聖書のことば>
神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。
ペテロの手紙第一 3章 17節

2023年7月2日日曜日

「主にある希望についての弁明」

ペテロの手紙第一 3章 13~16節
2023年7月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 義の為に苦しみを受けることがあります。そのような時に、私たちが覚えるべきことについて学びましょう。
 第一に、義のために苦しむことは幸いであることです。それは神の前に敬虔に歩んでいる証拠です。また神はそのような人に豊かな報いを与えてくださいます。
 第二に、心の中でキリストを主として崇めることです。私たちの心の中の思いが大切です。人の言葉ではなく、主のみことばに耳を傾け、主に信頼して行く時に恐れは解消され、平安や喜びが与えられます。私たちの心は何によって支配されているでしょうか。
 第三に、主にある希望について弁明することです。その際、柔和な心で主を恐れつつ、健全な良心を持って語ることが必要です。そうでなければ相手の心に届かず用いられることはないでしょう。
 私たちの周りで、希望を失っている人は多いのではないでしょうか。そのような方々に主にある希望について説明しましょう。すぐに実を結ぶことはないかもしれませんが、後の日に実を結ぶと信じて伝えましょう。

<聖書のことば>
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。
ペテロの手紙第一 3章 15節