2017年2月26日日曜日

「主に喜ばれるささげもの」

ローマ人への手紙12章1節
2017年2月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝を中心として、私たちは主に様々なささげものをするわけですが、主に喜ばれるささげものとは何でしょうか。
 第一に、賛美と感謝です。主の御名をたたえるくちびるの果実を主にささげることが大切です。しかし実際のところ、私たちは信仰を持っていても呟くことが多く、感謝す ることが少ないのです。
 第二に、砕かれた心です。神様はささげもの以上にその人の心をご覧になられており、砕かれた心を喜ばれます。
 第三に、自分自身です。イエス様は私たちを愛し救う為に、ご自身の全てをささげて下さいました。その愛がわかれば、私たちも自分自身を全てささげたい、献身の思いに 導かれるのです。全てのクリスチャンは献身するべきだと思います。
 主は私たちのささげものを見られて、どう思われているでしょうか。たとえ小さくても弱くても構いません。主に喜ばれるささげものをする者でありましょう。

<聖書のことば>
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願い します。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささ げなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。               
ローマ人への手紙12章1節

2017年2月19日日曜日

「送り出す教会」

使徒の働き13章1~3節
2017年2月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日は宣教カンファレンスで、芝山先生を通してみことばをいただきます。テーマは「誰を遣わそうか ~YBBCから宣教師を~」です。
 宣教はエルサレムから始まりましたが、その中心はアンテオケ教会へと移っていきました。アンテオケ教会はパウロやバルナバを世界各地へと送り出したのです。
 第一に、聖霊によって送り出されました。人の思いや計画ではなく、主ご自身が働かれて、働き人を選び、みこころの地へと送り出されたのです。その道程においても、聖霊が導かれて行きました。今も聖霊により、働き人を立てられ宣教へと導き送り出されます。
 第二に、教会を通して送り出されました。主は個人的にではなく、教会に送り出すよう働きかけられました。今も同じです。そして主は私たち横浜教会を通して、働き人を遣わしたいと切に願っておられます。
 宣教を支援するのも素晴らしいですが、宣教師を派遣するのはもっと素晴らしいと言うことができます。国内へ海外へ送り出すビジョンを持ちましょう。収穫の主に働き手を送ってくださるように祈りましょう。

<聖書のことば>
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
使徒の働き13章2~3節

2017年2月12日日曜日

「目を上げて畑を見なさい」

ヨハネの福音書4章25~38節
2017年2月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様とサマリヤ人女性、弟子達とのやり取りから学びましょう。
 第一に、人は自分のことだけに関心が行きやすいことです。弟子達は自分たちのことばかりに関心を持っていました。しかし主は魂に関心を持たれていたのです。私たちは何に関心があるでしょうか。
 第二に、目を上げて霊的な畑を見るべきことです。なぜ、そうするべきかと言うと、魂が刈り入れるばかりになっているからであり、また、主はそれを喜ばれるからです。
 第三に、収穫の為に行動を起こすべきことです。このサマリヤ人女性はイエス様との出会いの後、水がめを置いて町へ伝えに行きました。私たちも素晴らしい救い主に出会った者として、魂の収穫の為に行動を起こすことです。証し、祈り、献金、そして宣教師を遣わすことが大切なのです。
 私たちは自分の生活の満足の為に救われたのではありません。主は私たちを通して福音を広め、一人でも多くの魂が救われるようにと願っておられるのです。ですから、目を上げて霊の畑を見るようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書4章35節

2017年2月5日日曜日

「信仰約束献金に参加する」

コリントへの手紙第二9章5節
2017年2月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様の大命令に従い、私たちは宣教の為の信仰約束献金を献げています。
 第一に、これは聖書に教えられている献金方法です。福音宣教の働きの為に計画的にあらかじめ取り分けて献げます。そうしてこそ、宣教の働きを進めて行くことができます。
 第二に、幾ら献げるかを祈り、神様と約束して献げます。この献金は強制ではありません。それぞれがよく祈り、主から示された額を主との個人的な約束の内にお献げします。
 第三に、信仰によって献げます。主がこの献金を備えてくださり、またご自身の働きの為に大いに用いてくださると信じて献げます。
 19日の宣教カンファレンス礼拝時に、更新用紙を無記名で提出していただきます。強制ではありません。ただ、私は牧師として、全ての教会員がこの恵みの業にあずかってくださるなら素晴らしいなと考えています。主の大命令に従って、宣教の働きの為に献げる者となりましょう。

<聖書のことば>
そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
コリントへの手紙第二9章5節