2015年10月25日日曜日

「モーセの言い訳」

出エジプト記4章10~17節
2015年10月25日 第4聖日
牧師 長江忠司

 主がイスラエルの民をエジプトから脱出させるようにとモーセを召された時、彼は幾つかの理由を挙げて拒もうとしました。
 第一に、権威の欠如です。彼はパロの権威がいかに大きなものであるかを熟知していました。だからこそ、自分には権威が無いと主張したのです。しかし、彼は天地万物を創造された偉大な神の権威を忘れていました。
 第二に、能力の欠如です。彼は語ることが苦手だったようです。しかし主はそんな彼に必要な助けと助け手を与えると言われました。主が私たちを召される時には必ず必要な助けも与えられます。
 第三に、適性の欠如です。彼は自分はふさわしくない、適性が欠如していると主張しました。しかし主の働き人として必要な適性とは能力や性格的なことよりも、謙遜と信仰が大切です。主はミデヤンの地で謙遜にされた信仰者モーセを召されたのです。
 主が私たちを奉仕や働きに召される時があります。その時に、これらを理由にして拒まないようにしましょう。偉大な主が共にいて下さいます。

<聖書のことば>
モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
出エジプト記4章10節

2015年10月18日日曜日

「一人の魂の大切さ」

マタイの福音書18章12~14節
2015年10月18日 第3聖日
牧師 長江忠司

 私たちは今日のプレイズコンサート特別集会に身近な方々をお誘いし祈ってきました。それは主のみこころにかなったことです。このたとえ話は神様の愛を教えています。
 第一に、神は一人の魂を尊び愛して下さっています。「一人だけだから良い」とは考えません。その一人の為に主は捜しに行かれます。
 第二に、神は忍耐深く愛して下さっています。「羊が自分で迷い出たのだから自業自得」とは考えません。どんなに聞き分けの悪い頑なな者であったとしても、主は憐みをもって忍耐深く愛し続けて下さるのです。
 第三に、神は尋ね求める程に、全ての魂を愛して下さっています。神の愛は黙って待つという愛ではありません。ご自身が出て行って捜し求める愛です。主は天の御座を捨てて地に下り私たちをお救い下さいました。

<聖書のことば>
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
マタイの福音書18章13節

2015年10月11日日曜日

「霊的成長に必要な習慣」

ペテロの手紙第二3章17~18節
2015年10月11日 第2聖日
牧師 長江忠司

 イエス様を信じた人は皆同様に救いをいただきますが、霊的成長は人によって異なります。そしてそれは習慣による所が大きいのです。どの様な霊的習慣が大切なのでしょうか。
 第一に、みことばを読んで養われることです。日々みことばによって養われているかどうかが大きな分かれ目となります。
 第二に、主に祈りつつ歩むことです。もし祈らないなら、生きた主との交わりに欠けて多くの祝福を逃すことになります。
 第三に、教会の集会に積極的に参加することです。本日はCSカミングデーですが、教会学校に参加することで確実に霊的に強められることができます。
 第四に、教会の交わりを大切にすることです。一匹狼的に歩むならば霊的に危険な道を歩むことになります。皆、交わりが必要なのです。
 第五に、幻を持つことです。幻が無いと確かな成長をいただくことはできません。それぞれが自分の習慣を省みるようにしましょう。

<聖書のことば>
私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
ペテロの手紙第二3章18節

2015年10月4日日曜日

「神殿崩壊と終末の預言」

マルコの福音書13章1~8節
2015年10月4日 第1聖日
牧師 長江忠司

 イエス様は神殿崩壊と終末の預言を語られました。
 まず、神殿崩壊の預言です。ヘロデ王により神殿が工事されており、50年近くが経過していました。壮大で立派な建物でしたので、弟子たちが驚嘆したのも無理はありませんでした。しかし主はその神殿が崩壊すると預言されたのです。実際に紀元70年にローマにより神殿は崩壊しました。
 次に、終末の預言についてです。聖書にはこれから先に起こるプログラムについて書かれています。まず教会の携挙があり、次に患難時代、そしてキリストの再臨と千年王国です。携挙に関してはその前触れとして起こるものは記されていませんので、いつ起きてもおかしくありません。ここでは患難時代の前兆について書かれています。それは世界戦争と地震と飢饉です。これらが産みの苦しみの初めとなります。
 私たちはこれらを踏まえて何をおぼえるべきでしょうか。第一に見えるものに信頼すべきではないことです。第二に、終わりの時に備えることです。終わりの時が近づいている今、賢明な歩みをするように致しましょう。

<聖書のことば>
すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
マルコの福音書13章2節