2016年4月24日日曜日

「偽りの裁判」

マルコの福音書14章53~65節
2016年4月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様はここから宗教裁判と政治裁判を受けられます。当時の律法に違反している極めてでたらめな裁判でした。夜中に行われ、彼らは民衆が起きる前に死刑判決まで進めてしまおうと考えていました。まずアンナスによる裁判、次に大祭司カヤパによる裁判と進められました。どんなに不利な証言をされても主は黙っておられたのです。これらの事から2つのことを学びましょう。
 第一に、大祭司はキリストを排除しようと必死だったことです。彼らは当時の多くの律法を違反してまでも、この裁判を進めていました。しかし実は全ての人間にも同じ罪の心があるのです。
 第二に、イエス様は沈黙をもって、弟子達を守ろうとされました。また、自らが犠牲となり全人類を救おうとされました。
 主は今でも私達を愛し、いかなる時でも私達を守り導こうとされておられます。私達はそのような主に感謝してお仕えして行きましょう。また、主の模範に倣って、試練を耐え忍び勝利して歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。
マルコの福音書14章55節

2016年4月17日日曜日

「キリストの捕縛」

マルコの福音書14章43~52節
2016年4月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様がゲッセマネで祈られた直後に、兵士や役人、群衆たちがやって来ました。異様で恐ろしい雰囲気だったことでしょう。しかし主は堂々と彼らの前に進み出られました。そして主は捕縛されたのです。ここから二つの事を学びましょう。
 第一に、主のご支配があったことです。ユダヤ人指導者の企みで進められたように見えますが、全ては神のご計画に沿って進められていました。そして主は過越しのいけにえの如く、全人類のいけにえとして死んで下さいました。
 第二に、主のお守りがあったことです。捕縛の場面でも、弟子達を守ろうとする主のお姿を見ることができます。主は今もその如くに私達を必ずお守り下さるのです。
 キリストの捕縛は無様に思えるかもしれませんが、そうではありません。そこにも主の偉大さと愛とを知ることができます。いかなる場合も、このお方に頼り歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現れた。剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。
マルコの福音書14章43節

2016年4月10日日曜日

「ゲッセマネでの祈り」

マルコの福音書14章32~42節
2016年4月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は弟子達を伴われてゲッセマネの園で祈られました。時は夜中で数時間の間、油絞られる如くに心を注ぎ出して祈られました。弟子達とイエス様について順番に確認しましょう。
 まず弟子達ですが、彼らは祈ることなく眠っておりました。イエス様は誘惑に陥らないように祈るようにと言われていましたが、彼らは悲しみと疲れの為に寝てしまっていたのです。私たちも幾ら主に従いたいという良い志があったとしても、私達は強くはありません。どこまでも弱いのです。だから主に祈り、より頼んでいかなければなりません。
 次にイエス様です。イエス様は三度の祈りをなされましたが、祈るごとに内容が変えられているのがわかります。そのように祈りとは、自分を主のみこころに合わせて行くことです。心注ぎ出して主に祈る時に、私たちも変えられてみこころに沿った祝福のある歩みをすることができるのです。
 イエス様は祈りによって勝利して歩まれました。私たちは祈りによって勝利しているでしょうか。祈りの生活を省みましょう。

<聖書のことば>
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。
マルコの福音書14章38節

2016年4月3日日曜日

「誤った態度」

マルコの福音書14章27~31節
2016年4月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様はもうじき弟子達の身に起こることをご存知で、彼らに語られました。しかし、彼らの態度は正しいものではありませんでした。
 第一に、みことばを心に受け入れていませんでした。主の死と復活、その後ガリラヤで会うことまで語られていましたが、彼らは心に受け入れていなかったのです。ですから彼らは恐れ、後に主の復活をも疑いました。
 第二に、見るべきものが間違っていました。人と比較し、自分だけは大丈夫と考えていました。彼らが見るべきものは人ではなく、主だけであったのです。
 第三に、主の愛に気づいていませんでした。主は彼らが犯す罪を全てご存知でしたが、それでも尚、彼らを愛し赦しておられました。その愛に気づいていなかったのです。
 どのような状況に入れられるかわかりませんが、大切な事は如何なる場合でも主の前に正しい態度を取ることです。彼らの誤った態度にならわずに、主の前に正しい態度をもって歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
マルコの福音書14章29節