2020年4月26日日曜日

「人から見捨てられた者」

創世記 21章1~21節
2020年4月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イシュマエルがイサクをからかったのがきっかけとなり、イシュマエルとハガルは家から追い出されてしまいます。この個所から教えられることを学びましょう。
 第一に、神は人が見捨てた者を見捨てられません。人は相手が自分にとって役に立つかどうかで判断し見捨てることがあるかもしれませんが、主は決してそうはなさらないのです。
 第二に、神は私たちの叫びを聞かれます。今にも死にそうであったイシュマエルの声を主は聞かれました。同様に神は私たちが苦難の時に叫び祈る声に必ず耳を傾けてくださいます。
 第三に、神は私たちの目を開いてくださいます。主は彼女の目を開かれ井戸を見出すことができました。主は私たちが主に頼る時、霊的目を開いてくださいます。
 神の使いは「どうしたのか」とハガルに問いました。私たちが見える所だけを見て苦しむならば、主は同様に問われるでしょう。そのような時こそ、主に祈り叫び、霊的目を開いていただき歩みましょう。

<聖書のことば>
神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
創世記 21章17節

2020年4月19日日曜日

「変わってしまった喜び」

創世記 21 章 8~13 節
2020年4月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 約束の子イサクが与えられ喜びの笑いに満ちていたアブラハムとサラでしたが、それは憎しみと苦しみへ変わりました。
 人やこの世は変わりやすいことを知る必要があります。しかし、人はその変わりやすいものに価値をおき、熱心に求め歩んでしまいやすいのです。
 しかし神は変わることがありません。
 第一に、神はどんな時にも語り掛け導いて下さいます。彼らの自己中心ゆえの憎しみと苦しみでしたが、それでも主は彼らに語り掛け、導きを与えられたのです。主は私たちの羊飼いとなって、どんな時にも語り掛け、正しい道へ導いてくださいます。
 第二に、神はどんな時にも御計画を進められます。人間の愚かさゆえの出来事でしたが、神はそれをも用いて御計画を進めていかれました。
 この世は変わります。しかし、主は変わることがありません。いつもあの十字架の愛で私たちを愛され、正しく導いてくださいます。このお方に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」
創世記21章10節

2020年4月12日日曜日

「希望の生まれた朝」

マタイ 28章1~15節 Ⅰコリント15:20
2020年4月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日はイースター礼拝です。主は十字架で死なれた後、3 日目に復活されました。このことから 3つの点で学びます。
 第一に、主にとって不可能なことはありません。神はキリストを死者の中からよみがえらせました。悪魔の最大の武器である死に勝利されたのです。このお方にとって不可能なことはありません。
 第二に、主の約束は真実です。主が復活されることは主が約束されていたことでした。主はその約束とおりによみがえられたのです。このお方の約束は真実であり必ず成就します。
 第三に、主はとこしえに共にいてくださいます。復活された主は弟子たちに、いつも共にいてくださると約束されました。これは私たちへの約束です。この約束を覚えているなら、平安の内を歩むことができます。
 私たちはどれくらい復活の主を、日々確認して歩んでいるでしょうか。主の生まれた朝、十字架の悲しみは喜びに変わりました。私たちも毎朝、復活の主を覚え、変えられて歩みましょう。

<聖書のことば>
すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
マタイの福音書28章9節

2020年4月5日日曜日

「主の受けられた御苦しみ」

マルコの福音書15章15~24節
2020年4月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 愛はその犠牲によって測られると言うことができます。主はどれ程の犠牲を払われたのでしょうか。
 人となられた主は、弟子たちや群衆の裏切りや否定を受けられました。兵士たちの嘲りと暴行を受けられました。無関心な扱いを受けられました。のろわれた十字架の苦しみを受けられました。それだけ私たちのことを愛してくださっていると言うことができるのです。
 私たちはその主に対してどう応答するべきでしょうか。
 第一に、キリストを第一とすることです。
 第二に、キリストを証しすることです。
 第三に、キリストに人生を献げていくことです。
 第四に、キリストのごとく、愛し合うことです。
 主の受けられた御苦しみと私たちへの愛を覚えましょう。そして、私たちの主への愛を再度点検するようにしましょう。

<聖書のことば>
また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
マルコの福音書15章19~20節