2019年12月29日日曜日

「神に感謝する人は」

詩篇107篇1~9節
2019年12月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 主に感謝せよと何度も教えられています。主に感謝することは神のみこころであり、私たちが絶対になすべきことです。それでは神に感謝するなら、どうなるのでしょうか。
 第一に、喜びに満たされます。これまでに主からいただいたお恵みを思い返す時に、神に感謝するようになります。それは溢れる喜びにつながっていくのです。
 第二に、神に豊かに用いられます。パウロは多くの苦難にあいましたが、それでも神の恵みを覚え感謝していました。そのような彼だからこそ、豊かに用いられたのです。
 第三に、苦しみを乗り越えることができます。呟く人は不満が心を支配し不信仰に陥ります。でも、神に感謝する人は、ますます神に信頼し、結果的に苦しみを乗り越えて行くことができるのです。
 私たちは今年一年、どれだけ神に感謝して歩んだでしょうか。新年においても神に感謝することを決して忘れないで歩みましょう。

<聖書のことば>
主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
詩篇107篇8節

2019年12月22日日曜日

「かけがえのない贈り物 神の愛」

ヨハネの福音書3章16節
2019年12月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 神はかけがえのない贈り物を私たちに与えてくださいました。それは御子イエスキリストであり、素晴らしい神の愛です。それはどのような愛なのでしょうか。
 第一に、条件を付けずに私たちを愛してくださいます。人の愛は条件付きですが、神の愛には一切の条件もつきません。
 第二に、どんな時も変わらずに愛してくださいます。人の愛は変わりやすく冷めやすいものです。しかし神の愛は不変です。
 第三に、いのちをもって愛してくださいます。神は御子キリストを死に渡されました。それ程に愛してくださるのです。
 その神の愛を受けると、救いをいただくことができます。また、この愛を覚える時に、試練に勝利することができます。
 神からのかけがえのない贈り物を感謝して受け取りましょう。それこそが本当のクリスマスなのです。

<聖書のことば>
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節

2019年12月15日日曜日

「主を待ち望む」

創世記18章1~15節
2019年12月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムの所に3人の人がやって来ました。3人の一人は主であられたことがわかります。この個所を通して、3つのことを学びましょう。
 第一に、神は恵みのみことばを受け取るように願われています。神はわざわざサラの所に来て、子供を授かるという恵みの知らせを伝えられました。それをしっかりと聞き受け取ることを願われたのです。
 第二に、神は信仰の目で見るように願われています。サラは現実的に考え、高齢になった自分たちから子供が生まれるはずがないと考えました。神は信仰の目で見るように望まれていました。
 第三に、神は待ち望む信仰を持つように願われています。主が来年の今頃に子を与えられるのを待ち望むように言われました。
 私たちも神を信じる者として、現実的な目で見ていてはいけません。みことばを受け取り、信仰の目で見て、主の御業を待ち望みましょう。

<聖書のことば>
主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。               
創世記18章14節

2019年12月8日日曜日

「従ったアブラハムの信仰」

創世記17章22~27節
2019年12月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 神から割礼を受けるように命じられたアブラハムはどのように応答したのでしょうか。ここから彼の信仰の模範を学びましょう。
 第一に、主のみことばに直ちに従うことです。彼はみことばが語られると、その日の内に言われたことに従いました。私たちもみことばが語られたら先延ばしにするべきではありません。
 第二に、主の言われた通りに従うことです。彼は神が言われた通りに従っていきました。私たちもこの世の教えに流されず、その通りに従って歩むことが必要です。
 第三に、主の真実さを信じて従うことです。神の真実さを信じて従って行ったことがヘブル書に書かれています。
 みことばに従うのを妨げるものは多いです。でも、アブラハムの信仰に倣って、主の真実を信じて、直ちにその通りに従いましょう。

<聖書のことば>
そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。               
創世記17章23節

2019年12月1日日曜日

「サライからサラへ」

創世記17章15~21節
2019年12月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラハムに、妻サライの名をサラとするように言われました。それは国々の母という意味でした。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、神は変えることができます。これまでのサライの歩みを考える時に、アブラハムはとても彼女が変えられ、国々の母になるとは思えなかったのでしょう。それで笑ってしまいました。しかし神は変えることが出来る方なのです。
 第二に、神こそ期待して良いお方です。サライも自分も高齢であるという状況から、彼は不可能だと判断していました。期待すべきは神でした。
 第三に、神は未来を見られていることです。アブラハムは過去から現在までしか見ていなかったのに対し、神はこれから先に起こる未来のことを見ておられました。私たちも信仰によって未来を見るべきなのです。
 神の約束をいただいた時に、私たちはどのように応答するでしょうか。笑うのではなく、心から信頼し期待して歩みましょう。

<聖書のことば>
また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
創世記17章15節

2019年11月24日日曜日

「割礼を受けよ」

創世記17章9~14節
2019年11月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラハムに割礼を受けるように言われました。それにはどんな意味があったのでしょうか。
 第一に、神の恵みの契約に応答することです。アブラハム契約は既に締結していました。その条件ではなく、応答として割礼を受ける必要がありました。
 第二に、神の恵みの契約を常に覚えることです。肉体が刻まれることを通して、神の契約が記されることになりました。彼らはその部分を見る度に神の契約を覚えたことでしょう。
 第三に、神に従順に従っていくことです。割礼は外面的なことですが、それは内面の従順を表わすものでした。
 主は私たちを選び、恵みによって素晴らしい救いを与えてくださいました。その恵みへの応答として、主の言われるどんなことにも従っていきましょう。

<聖書のことば>
次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
創世記17章10節

2019年11月17日日曜日

「アブラムからアブラハムへ」

創世記17章3~8節
2019年11月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムが99歳の時、主は彼に現れ、あらためて契約について語られ、また名前が変えられました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、主の約束が共にあることです。直訳だと、そのように語られていることがわかります。子が与えられ子孫が増やされる約束が反故にされたのではないかと思うタイミングだったかもしれません。しかし神は契約はあなたと共にあると言われたのです。
 第二に、主の約束は必ず成就されることです。名前をアブラハムに変えることで、彼が多くの国民の父となることを確認させました。
 第三に、主の約束は永遠であることです。ここで永遠が強調されています。神はアブラハムとの契約をイスラエルの民がどうであれ永遠に守られるのです。私たちもその恵みに与っているのです。
 みことばを日々いただく上で覚えるべきことの一つは、毎日聖書を読む決心をすることです。また、私に語ってくださいと祈りつつ読むことです。そして、みことばを味わいつつ読むことです。
 主は私たちにも約束を与えてくださっています。それは永遠であり、必ず成就するのです。その主と主のことばに信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
創世記17章5節

2019年11月10日日曜日

「みことばを日々求める」

ペテロの手紙第一 2章2節
2019年11月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 私たちはクリスチャンとして霊的成長を願いますが、そのために日々みことばをいただく必要があります。でも忙しくて疎かにしてしまうことがあるかもしれません。日々みことばをいただかないなら、どうなるのでしょうか。
 第一に、危険な道を歩むことになります。みことば無しで、自分の知恵によって歩むなら、霊的に非常に危険な状態となります。
 第二に、試練に敗北することになります。剣であるみことば無しで歩むならば、勝利することはできません。
 第三に、飢え渇き弱ることになります。みことばによる霊的栄養をいただかないなら、成長し実を結ぶことはできなくなります。
 みことばを日々いただく上で覚えるべきことの一つは、毎日聖書を読む決心をすることです。また、私に語ってくださいと祈りつつ読むことです。そして、みことばを味わいつつ読むことです。
 日々みことばを求めいただくことで主が成長させてくださいます。

<聖書のことば>
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ペテロの手紙 第一 2章2節

2019年11月3日日曜日

「神に対して富む生き方」

ルカの福音書12章13~21節
2019年11月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は愚かな金持ちのたとえ話を語られました。神抜きにして、ただ自分のために歩んでいた者に対して、神は愚か者と言われ、命を取られたのです。私たちクリスチャンもそのように主から言われる歩み方をしてはなりません。神に対して富む生き方が大切です。
 第一に、それは神を恐れる生き方です。神を神として認め、御前にへりくだり、主のみことばに従っていくのです。神を恐れる者を主は祝福されます。
 第二に、賜物を主に献げる生き方です。すべては主からいただいたものであることを認めて、感謝と喜びをもって主に献げるのです。主の御用のため、また主が愛してやまない魂のために献げる者を祝福されます。
 第三に、地上ではなく、天国を見上げる生き方です。この地上での生涯は長くはありません。幾ら富を貯めたとしても、やがてなくなりますし、それを持って天国に行くことはできません。しかし天に宝を積むならば、それは永遠に残るのです。

<聖書のことば>
自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。
ルカの福音書12章21節

2019年10月27日日曜日

「人生の嵐で覚えるべきこと」

マタイの福音書14章22~27節
2019年10月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 弟子たちは真夜中の湖の上で、向かい風と波に悩まされていました。人生にもそのような試練がやって来ます。その時に、何を覚えるべきでしょうか。
 第一に、目的の無い試練はないことです。主は弟子たちの信仰を強めようとされていました。それで敢えて、彼らを舟に乗りこませられたのです。神が与えられる試練に目的の無いものはありません。
 第二に、主が必ずとりなしてくださっていることです。主は一人で山に登られ祈られていました。弟子たちの試練のために祈られたでしょう。主はいつも私たちのためにとりなしてくださっています。
 第三に、主が必ず助けの手を伸ばされることです。主は弟子たちの所にやって来られました。また、沈みかけたペテロを直ちに助けられました。同様に、主は必ず私たちに助けの手を伸ばしてくださいます。
 私たちは人生の試練の中で恐れ、迷いやすいものです。しかし、主は私たちを助け、良いものを与えようとされていることを覚えましょう。

<聖書のことば>
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
マタイの福音書14章27節

2019年10月20日日曜日

「礼拝のメッセージについて」


2019年10月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 礼拝では毎回、聖書からメッセージが語られます。そのメッセージについて、再度確認しましょう。
 第一に、メッセージは礼拝の中心であり、いのちです。これによって教会は養われ成長することができます。メッセージが祝福されないなら、教会が成長することは難しくなります。ですから、横浜教会の講壇が祝福されるようにお祈りください。
 第二に、メッセージは「私に語られている」と受けとめることです。メッセージは会衆の全員に語られるのですが、同時に一人一人に語られていると言うことができます。他人事のように聞くのではなく、「今まさに、主が私に語られている」と捉えて、心を開いて聞くことが大切です。
 第三に、メッセージに応答することです。主が語られた事に対して応答することを主は願っておられます。聞きっぱなしで終わるのではなく、示されたら応答するようにしましょう。
 正しい態度でメッセージを聞く人は祝福され、豊かな実を結ぶことができます。

<聖書のことば>
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
マタイの福音書13章23節

2019年10月13日日曜日

「ノアの生きた信仰」

創世記6章5~22節
2019年10月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 既に学んだ箇所ですが、再度ノアの歩みを通して、教えをいただきましょう。
 第一に、ノアは神のみこころを優先しました。彼は主のこころにかなう人物であったと書かれています。自分の思いよりも神のみこころを優先したということです。私たちもみこころを優先して歩むことが大切です。
 第二に、ノアは神の前に恵みを見出しました。神から受けた恵みを意識しつつ歩んだのでしょう。ノアも私たちも、神から豊かな恵みを受けたという点で全く同じです。それを意識しつつ歩むことが必要です。
 第三に、ノアは神のみことばに人生をかけて従いました。洪水を経験したことがない中で、神のみことばを信じることは難しかったかもしれません。しかし、彼はそれでも信仰を働かせ、神のみことばに人生をかけて従って行きました。私たちもノアのように信仰を働かせて歩むべきです。
 私たちはクリスチャンとして、世の人と同じようにではなくて、ノアのように生きた信仰を持って歩みましょう。

<聖書のことば>
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
創世記6章22節

2019年10月6日日曜日

「全能の主に頼れ」

創世記17章1~2節
2019年10月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神はここであらためてアブラムへの契約を確認されました。ここから、私たちが覚えるべき3つのことを学びましょう。
 第一に、主は不可能を可能とする全能の神です。これは、どんな事でもできるという意味と、足りないものを補い必要を満たしてくださるという意味があります。
 第二に、主の目を意識し主に頼り歩むことを主は願われています。神は私たちが主の前を歩んで主の目を意識して、主に頼って歩むように言われました。私たちが意識するべきなのは人の目ではなく主の目です。
 第三に、主はどこまでも恵み深いお方です。アブラムは99歳になり体力が衰えていたでしょう。神の約束への期待が薄れて来ていたかもしれません。だからこそ、主は契約を再度確認されました。主は彼らの不信仰にかかわらず、恵みをもって臨まれたのです。
 彼らが弱くなった時に、主の強さが現わされます。私たちは弱さを覚える時に、主に全面的に頼って歩みましょう。

<聖書のことば>
さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
創世記17章1節

2019年9月29日日曜日

「一羽のすずめに」

マタイの福音書10章26~31節
2019年9月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が弟子たちに語られたことから学びましょう。
 第一に、本当に恐れるべきお方は神だけと覚えましょう。私たちは人を恐れやすいものです。しかし体を殺せても魂を殺せない人を恐れるのではなく、すべてを支配されている神を恐れましょう。
 第二に、主が私を顧みて下さっていることを意識しましょう。価値の低いとされるすずめ一羽にさえ目を留めておられる神が、私たちに目を留め、髪の毛の本数すらご存知な程に関心を持っておられます。
 第三に、主が私を愛して下さっていることを意識しましょう。その愛は十字架に表されています。神は命を捨てる程に、私たちのことを愛して下さっていることを意識しましょう。
 この世に生きていると、自分が価値のない駄目な人間だと考えてしまいがちかもしれません。しかし、主がどう見ておられるのかが最も大事です。主のみことばによって、神の愛のまなざしを意識しつつ歩みましょう。

<聖書のことば>
二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
マタイの福音書10章29節

2019年9月22日日曜日

「ご覧になる神」

創世記16章1~16節
2019年9月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 人が犯しがちな行動について書かれています。一つは神の時を待たずに人間的に行動してしまうことです。奴隷を通して子孫を残そうとしました。もう一つは愚かな行動を取ってしまうことです。ハガルは子を授かり高慢になり、サライは嫉妬し、アブラムは問題に向き合わず無責任な行動を取りました。私たちも取りがちな行動ではないでしょうか。
 次に神の介入についてです。
 第一に、主はおるべき場所へ導いてくださいます。主はハガルを捜し、見つけられ、サライのもとに戻るように導かれました。私たちをも同様に導かれます。
 第二に、主は生きてご覧になり、聞いてくださいます。ここに出て来る名前から神がどのようなお方なのかがわかります。神は同様に私たちをも取り扱ってくださるのです。
 私たちも不完全で、時に主のみこころに反した歩みをしてしまいがちです。だからこそ、主の御声をよく聞き従うようにしましょう。

<聖書のことば>
主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。そして言った。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」すると彼女は言った。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。
創世記16章7~8節

2019年9月15日日曜日

「イエスから目を離さない」

へブル人への手紙12章2~4節
2019年9月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 へブル書の著者は、迫害下でユダヤ教に戻ろうとしていたヘブル人たちに、イエス様から目を離さないように記しました。その意味について、学びましょう。
 第一に、主が与えられた約束から目を離さないことです。主は信仰の創始者であり完成まで導いてくださるお方です。私たちの重荷を負い、平安を与え、強め導いてくださるお方です。
 第二に、主が与えてくださる報いから目を離さないことです。主が苦しみに耐えることができたのは、報いに目を留めておられたからでした。私たちも主から頂ける報いを覚えることが大切です。
 第三に、主の受けられた苦しみから目を離さないことです。主が受けられた苦しみをじっくり考えるように教えられています。私たちの苦しみは主の苦しみと比べたら、取るに足りないものだとわかるのです。
 ついつい目の前の厳しい状況ばかりに目を捕らわれてしまいがちです。しかしだからこそ、主から目を離さずに歩みましょう。

<聖書のことば>
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
へブル人への手紙12章2節

2019年9月8日日曜日

「暗闇の恐怖の中で」

創世記15:11~21
2019年9月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラムと契約を締結されます。ここから3つ学びましょう。
 第一に、神は人に無力さを経験させ、神に頼るように導かれます。神は彼に深い眠りを与えられました。でも意識はありました。そこで大いなる暗闇の恐怖の中に入れられたのです。彼は自分の無力さを覚えたことでしょう。神は時に私たちにも同様の経験をさせ主に頼るように導かれます。
 第二に、神は完全な計画によって、私たちを導かれます。神はこれから先にイスラエルの民に起こることを語られました。それはモーセの想像もできないような内容だったでしょう。神は私たちをそのような完全な計画で導かれることを覚える必要があります。
 第三に、神は段階的に私たちにみこころを示されます。土地に関することを段階的に示して行かれました。神は私たちにもご自身のみこころを段階的に示して行かれるのです。
 私たちの先を暗闇が覆い恐れてしまうことがあるかもしれません。しかし、完全な御計画をお持ちの主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
日が沈みかけたころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして、見よ、大いなる暗闇の恐怖が彼を襲った。」
創世記15章12節

2019年9月1日日曜日

「成長へのステップ」

サムエル記第一17:26~37
2019年9月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ダビデがゴリアテと戦った箇所を中心に、成長へのステップについて教えをいただきましょう。
 第一に、神は私たちに成長する機会を与えられます。ダビデの当時の働きは羊を飼うことでした。彼はその責任が与えられ、羊を愛し、忠実に導くことを学びました。そこから訓練が始まりました。
 第二に、神は信仰の試練を通して私たちを整えられます。ダビデは主に頼って獅子や熊と戦い勝利する体験をしました。主に頼るなら主が強めてくださるという経験をし、信仰が強められて行ったのです。
 第三に、神はすべてのキリスト者が成長し実を結ぶことを願われています。ダビデは様々な経験を経て、主に強められてイスラエルの王となり用いられました。神は私たちにも成長し実を結ぶ事を願われているのです。
 大きな一歩を踏み出せなくても構いません。主に信頼して、まず小さな一歩を踏み出すことから始めましょう。

<聖書のことば>
そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主がおまえとともにいてくださるように。」
サムエル記第一17:37

2019年8月25日日曜日

「あなたを連れ出した主」

創世記15:7~10
2019年8月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムと主とのやり取りから、3つのことを学びましょう。
 第一に、神がどのように人生を導いて来られたかを覚えることです。神がアブラムをカルデヤのウルから連れ出され、カナンの地に導かれました。私たちも同様にこれまでの導きを覚えることです。
 第二に、神のみことばに誠実に応答することです。アブラムは神の約束に対して尋ねました。それは疑ったからではなく、約束を信じ、誠実に応答したからでした。私たちも個人的に主から語られるみことばに誠実に応答するべきです。
 第三に、神が払われた尊い犠牲を覚えることです。アブラムと契約を結ぶ上で、双方がするべきところを、神だけが切り裂かれた動物の間を通られました。神が犠牲を払われたのです。私たちも同じようにしていただきました。主の払われた尊い犠牲を忘れてはならないのです。
 主は私たちを闇から光へと連れ出してくださいました。今日まで真実に導いてくださっています。その主が語られるみことばに、誠実に応答し従って行きましょう。

<聖書のことば>
また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」
創世記15:7

2019年8月18日日曜日

「天を見上げなさい」

創世記15:1~6
2019年8月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 4人の王の連合軍に勝利したアブラムに、主のことばが臨みました。今日の箇所から学べることを確認しましょう。
 第一に、神は私たちに恐れるなと命じておられることです。もしかしたら彼は王たちの反撃を恐れていたのかもしれません。しかし神が盾となられるので恐れてはならないと言われました。
 第二に、神は私たちに人の無力さと神の偉大さを教えられることです。人には限界があるので星の数を正しく数えることはできません。しかし神はそれができるし、神は星をおことばによって創造された偉大なお方です。
 第三に、神は私たちがみことばをそのまま受け入れるように望まれていることです。アブラムは神のおことばを疑うことなく、そのまま信じ受け入れました。私たちもその信仰が必要です。
 主は外へ出て天を見上げ星を数えるように言われました。私たちも自分の小さな枠から出て、偉大な主とその約束に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
創世記15:5 

2019年8月11日日曜日

「主が私の羊飼い」

詩篇23篇
2019年8月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ダビデが記した詩篇23篇から、私たちと主との関係について学びましょう。
 第一に、私たちは羊のようなものであると自覚することです。羊同様に人も弱く、迷いやすい者ではないでしょうか。だからこそ羊飼いが必要です。
 第二に、主が私の羊飼いとなって下さっていると覚えることです。主は私たちの必要を備え、慰め、励まし、導いてくださいます。そして常に共に歩んでくださるのです。また守られます。私たちを罪の滅びから守ってくださったようにです。そのお方が私の羊飼いとなってくださっているのです。
 第三に、主に信頼し積極的に身を委ねて行くことです。自分が弱い羊だと自覚しているなら、羊飼いに積極的に身を委ねて従うでしょう。
 幸いな羊は羊飼いをしっかりと見て、耳を傾けます。私たちはどのような羊でしょうか。このお方に信頼し身を委ねて歩みましょう。

<聖書のことば>
主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
詩篇23篇1節 

2019年7月14日日曜日

「自分ではなく」

創世記14章21~24節
2019年7月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 戦いから帰って来たアブラムを、ソドムの王が迎えました。ここから、3つのことを学びましょう。
 第一に、自分や世のものではなく、神を意識することです。メルキゼデクが神に目を留めたのに対し、ソドムの王は神に目を向けることなく、人を返すように頼みました。神を意識する歩みこそ幸いな歩みです。
 第二に、自分ではなく、神を証しすることです。アブラムは神のなされたことを証ししたかったので、ソドムの王の財産を受けることを拒みました。私たちは誰を証ししたいと願っているでしょうか。
 第三に、自分中心ではなく、他者を思いやることです。アブラムは自分と共に戦った者たちのことを考え、彼らへの分け前を与えるように頼みました。他者への思いやりが大切です。
 私たちはとかく自分が中心になりやすい者です。しかし自分ではなくて、主を中心として、また他者を思いやる者となりましょう。

<聖書のことば>
糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。           
創世記14章23節

2019年7月7日日曜日

「メルキゼデク」

創世記14章17~20節
2019年7月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 戦いに勝利して帰って来たアブラムをメルキゼデクが迎えました。メルキゼデクはへブル書を見ると、キリストを予表する人物であったことがわかります。ここからキリストについて二つのことを教えられます。
 第一に、キリストは王であり祭司であられることです。メルキゼデクはまさにそのような人物でした。キリストも王の王であり、大祭司として歩まれています。
 第二に、キリストこそ、祝福の源であることです。メルキゼデクがアブラムを祝福したように、キリストが私たちを本当の意味で祝福してくださいます。
 私たちはそのような主にどう応答するべきでしょうか。一つは、主をほめたたえることです。神の愛とみわざを覚える時に、主をほめたたえるようになります。もう一つは、主に献げていくことです。アブラムはメルキゼデクに十分の一を献げました。 
 私たちも救い主をほめたたえ、献げる歩みをしましょう。

<聖書のことば>
いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
創世記14章20節

2019年6月30日日曜日

「主による勝利」

創世記14章1~16節
2019年6月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 ソドムの王を中心として5人の王の連合軍が、エラムの王たちの4人の王の連合軍と戦いましたが完敗しました。ロトたちは捕虜として連れ去られてしまいました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、信仰生活に戦いや困難は必ず伴うことです。アブラムはその戦いに巻き込まれていくことになりました。私たちも信仰生活に必ず戦いがあることを理解している必要があります。
 第二に、魂を助けるために立ち上がる必要があることです。アブラムはロトたちを助けるために立ち上がり、戦いに行ったのです。私たちも魂を助けるために立ち上がる必要があります。
 第三に、神に信頼してこそ勝利があることです。アブラムたちが強かったのではなく、神が彼らに勝利を与えられました。
 私たちは間違ったものに頼らないようにしましょう。主にあってこそ、勝利することができるという原則を忘れないようにしましょう。

<聖書のことば>
アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。
創世記14章14節

2019年6月23日日曜日

「信仰の目で見る」

創世記13章10~18節
2019年6月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムはロトと別れるにあたり、住む場所を選ばせました。
 ロトが取った行動ですが、彼は肉の目で見て良さそうな地を選びました。ヨルダンの低地全体がよく潤っていたのです。罪深い者が住む場所であったにもかかわらず、そこを選びました。
 次にアブラムが取った行動です。
 第一に、主のおことばを聞きました。主が彼に語り掛けられたおことばをまず聞きました。
 第二に、信仰の目で見ました。アブラムに与えられた約束を覚えて見たのです。全く違ったものが見えたでしょう。
 第三に、信仰によって従いました。聞くだけでなく、言われたことを信じて従ったのです。
 私たちは肉の目で見るのではなく、信仰の目で見て従って行きましょう。

<聖書のことば>
ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
創世記13章10節

2019年6月16日日曜日

「人生の選択」

ヨシュア記24章14~15節
2019年6月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 父の日にあたり、ヨシュアが民に選択を迫った箇所から共に学びましょう。私たちが人生を歩む上で大切なことは何でしょうか。
 第一に、これまでの歩みを回顧して主の恵みに感謝することです。色々なことがあったと思いますが、しかし振り返ると、いつも主が私たちにお恵みを与えてくださっていたことがわかります。私たちはそれを忘れてはならないし感謝することを忘れてはなりません。
 第二に、主を恐れ、誠実と真実をもって歩むことです。主の前にへりくだり、誠実と真実をもって主に従って行くことが最も大切なことです。
 第三に、主に仕えることを選び取ることです。ヨシュアはチャレンジを与える言い方で彼らが主に仕えることを選ぶように教えました。私たちの生涯にも多くの妨げがやって来ます。その際に、主に仕えることを選び取って行くことが求められているのです。
 人生は選択の連続です。正しく選択して祝福の生涯を送りましょう。

<聖書のことば>
もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
ヨシュア記24:15

2019年6月9日日曜日

「平和をつくる者に」

創世記13章5~11節
2019年6月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 エジプトを出てカナンの地に戻ることができましたが、アブラムの家畜の牧者とロトの家畜の牧者との間で争いが起こりました。残念ですが、教会内でも争いが生じて来ることがあります。
 争いが悪い理由について考えましょう。それは主の御心に反するからです。主は互いに愛し合うように命じておられます。もう一つは、悪い証しとなるからです。争いのある教会に来たいとは思わないものです。
 次に、争いがある時にどう対処すべきかについて考えましょう。
 第一に、平和な関係をつくることです。アブラムは争いを継続するのではなく、平和に歩む道を模索し提案しました。
 第二に、自分の権利をゆずることです。彼はロトに、進む場所の選択を優先させました。イエス様もそれをなされました。
 多くの場所で争いがあります。私たちは主にあって、互いの平和をつくる者として献げましょう。平和をつくる者として用いられましょう。

<聖書のことば>
全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。
創世記13章9節

2019年6月2日日曜日

「交わりの心得」

使徒の働き2章46~47節
2019年6月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 教会は単にメッセージを聞くだけの場所ではありません。共に礼拝を献げるだけでなく、兄姉が共に交わることが非常に大切です。
 第一に、クリスチャンにとって交わりは不可欠であると覚えましょう。これ無くして霊的に成長することは難しいと言うことができます。互いに励まし励まされて歩む必要があります。
 第二に、受けるよりも与える心で交わりましょう。イエス様は「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われました。主は与える者を祝福してくださいます。与えるつもりで教会に集うようにしましょう。
 第三に、謙遜さを持って交わりましょう。人を見下して交わっても、何も良いものは生まれません。みことばにあるように互いに人を自分よりも優れた者と見て、謙遜に交わることが大事です。
 一緒に集まることを止めてはいけません。主を中心として、主が集められた者同志、互いに交わりましょう。主はそのような教会を祝福し、さらに魂を増し加えてくださるのです。

<聖書のことば>
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
使徒の働き2章46~47節

2019年5月26日日曜日

「エジプトを出て」

創世記13章1~4節
2019年5月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムは神の憐みにより、多くのものを得てエジプトを出ることができました。その後の彼の歩みから、3つのことを学びましょう。
 第一に、原点に立ち返りました。彼は最初に主の御名によって祈った場所べテルに戻り、そこで主の御名によって祈ったのです。彼は信仰の原点に立ち返りました。
 第二に、祝福を与える立場へ戻りました。彼はエジプトではその罪ゆえに災いを与えるような存在になっていましたが、主の約束とおり、祝福を与える立場に戻ることができました。
 第三に、砕かれて信仰が強められました。このエジプトでの経験は彼にとって恥ずかしいものだったでしょうが、それにより砕かれ謙遜にさせられたでしょう。私たちも同様の経験をすることがあるのです。
 エジプトに逃れて行った行為は、彼の愚かさゆえのことでした。しかし主はそれすらも益に変えてくださったのです。私たちも同じ主の取り扱いを受けた者として、原点に立ち返り、主に献げて歩みましょう。

<聖書のことば>
そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。
創世記13章4節

2019年5月19日日曜日

「誤った判断」

創世記12章11~20節
2019年5月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムはエジプトで妻サライを妹と言って偽り、パロに渡すという誤った判断をして歩みました。誤った判断をせず歩むために必要なことを学びましょう。
 第一に、聖書に主のみこころを求めて歩むことです。彼は自分の知恵で誤った判断をして行きました。聖書のみことばこそが、私たちを正しく導いてくださいます。
 第二に、自分を吟味し、日々悔い改めて歩むことです。彼はパロから多くのものを得ることができました。しかし、彼は自分が主に従って歩んでいるか吟味し、方向転換するべきでした。
 第三に、主の憐みによる取り扱いを覚え感謝して歩むことです。主は介入されて、彼は妻を取り戻すことができました。私たちも同様に主の憐みによる取り扱いをいただきました。
 人生に様々なことが起きてきますが、この3つのことを覚えて、主のみこころの道を歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。
創世記12章13節

2019年5月12日日曜日

「ハンナの信仰」

サムエル記第一1章9~18節
2019年5月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ハンナの信仰から学びましょう。
 第一に、彼女は苦難の中で主の前に出ました。彼女には子供がなく、もう一人の妻からのいやがらせがありました。しかしだからこそ、彼女は主の前に出たのです。主が彼女を招かれていました。
 第二に、彼女は主に心を注ぎ出して祈りました。心の内にある思いを出し尽くして祈ったのです。神ととことん心を向き合わせて祈りました。私たちも時にこのような祈りが必要です。
 第三に、彼女は主に信頼してすべてをお委ねしました。子供が与えられたら幸せになれると彼女は考えていたでしょう。しかし、この祈りの後、問題は解決していなかったにもかかわらず、彼女は変えられていたのです。
 私たちはハンナのように、信仰によって主の前に出て、心を注ぎ出し祈っているでしょうか。たとえ自分の思い通りにならなくても、主に信頼しお委ねして、平安の内に歩むものでありましょう。

<聖書のことば>
ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
サムエル記第一1章15節

2019年5月5日日曜日

「試練が来た時に」

創世記12章10~13節
2019年5月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムたちがネゲブに移動した時、試練がやって来ました。彼らはエジプトに逃れ、罪を犯してしまいます。試練が来た時に必要なことを学びましょう。
 第一に、自分ではなく主に頼るべきです。アブラムは激しい飢饉が来て死の危険を覚えたのでしょう。それで主ではなく自分の判断に頼りました。そうではなく試練の時こそ、主に頼る必要があります。
 第二に、一つの罪から他の罪へ発展すると覚え警戒するべきです。アブラムは妻を妹と偽り、パロに与えてしまいました。私たちも一つの罪が他の罪を生じさせて行くことを覚え警戒しましょう。
 第三に、信仰を持って正しく応答するべきです。彼は激しい試練の中で、信仰を持って応答することをしませんでした。それで間違った対応をしてしまいました。主は愛する子に試練を与えられることを覚えて、信仰によって正しく応答することが大事なのです。
 試練が来た時こそ、主に頼り信仰をもって対応するようにしましょう。

<聖書のことば>
さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。
創世記12章10節

2019年4月28日日曜日

「祭壇を築け」

創世記12章4~9節
2019年4月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムたちは主が示される地に向けて出発しました。そしてカナンの地にたどり着いたのです。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、アブラムが従った後で、主は御心の地を示されました。先に示されたのではなく、従った後に示されたのです。私たちも今はわからなくても、先に主のみことばに従うことが求められます。
 第二に、アブラムは不可能と思える主の約束を信じました。そこは偶像礼拝の本拠地であり、カナン人が住んでいました。しかも、彼らにはまだ子供がいなかったのです。信じるのが困難な状況で、彼は主の約束を信じました。私たちも状況が整えられていなくても信じるべきです。
 第三に、アブラムは主の為に祭壇を築き礼拝を献げました。彼は行く先々で祭壇を築き礼拝を献げたことがわかります。自分に現われてくださった主に感謝し、まず礼拝を献げたのです。私たちもご自身を明らかにし、救いを与えてくださった主に、まず礼拝を献げるべきなのです。
 新年度、礼拝を最優先し、主の約束に信じ従って行きましょう。

<聖書のことば>
そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
創世記12章7節

2019年4月21日日曜日

「希望に輝くイースター」
~キリストの復活が意味すること~

コリント人への手紙第一15章19~20節
2019年4月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日はイースター礼拝です。キリストが復活されたことは様々な状況証拠から確信することができます。それでは、キリストの復活は私たちの人生とどう関わりがあるでしょうか。
 第一に、キリストこそ、私たちが信じるべき真の神です。死から復活できるのは神だけです。
 第二に、キリストは私たちの死後の問題を解決してくださいます。キリストがよみがえられたごとく、私たちもやがてよみがえることができるのです。天の御国で主とお会いし、愛する人と再会することができます。
 第三に、キリストは私たちを暗闇から希望の光へ導いてくださいます。弟子たちがまさにそうでした。死に勝利されたお方は、他のどんな問題をも解決し希望を与えることができるのです。
 キリストが死んで落胆し恐れて闇の中にいた弟子たちが復活の主にお会いし、劇的に変えられました。私たちも復活の主を信じ個人的にお会いして、希望の光の内を歩みましょう。

<聖書のことば>
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
コリント人への手紙第一15章20節

2019年4月14日日曜日

「ご自分で十字架を負われた主」

ヨハネの福音書19章14~24節
2019年4月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イースターを前に、キリストの受難を覚えましょう。
 第一に、キリストを拒み十字架へ追いやったのは私たちです。ピラトは無実のキリストを釈放しようとしましたが、ユダヤ人指導者や群衆は十字架へつけるように訴えました。それは私たちでもありました。
 第二に、キリストは私たちのためにご自分で十字架を負いゴルゴタへ向かわれました。さんざん痛めつけられた後、私たちの身代わりに死ぬために、キリストはご自分で十字架を負ってゴルゴタへ向かわれたのです。
 第三に、キリストは私たちの罪と共に十字架にはりつけにされました。一切、抵抗されることがありませんでした。呪われた十字架刑にかかり死んでくださいました。そのお陰で、私たちは信仰をとおして救われることができたのです。
 私たちはその救い主に対して、どのような心で向き合っているでしょうか。ご利益的に信じてはいけません。これ程までに私たちのために献げてくださった主のために、私たちも献げて行きましょう。

<聖書のことば>
彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
ヨハネの福音書19章17節

2019年4月7日日曜日

「ゲッセマネの祈りから」

マルコの福音書14章32~42節
2019年4月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イースター礼拝を前に、主の受難を覚えましょう。ゲッセマネの祈りから学びます。
 第一に、主は私たちの代わりに恐れと悲しみでもだえ苦しまれました。それは父なる神との関係が断絶されることから来るものであったと考えられます。イエス様はまさに罪人として、神にさばかれたのです。
 第二に、主はその中で祈りに心を注がれました。一人悩んだり、人に相談されたりではなくて、ただただ神に祈られたのです。苦しみに打ち勝つ秘訣は祈りにあることがわかります。
 第三に、主は思いを打ち明けつつ、御心を求め従われました。このプロセスが大切です。私たちも問題の中にある時に、苦しみを理解し同情してくださる主に思いを打ち明けつつ、みこころを求め従って行きましょう。
 苦しむ必要のなかった主が、もだえ苦しまれました。そして十字架にはりつけにされました。私たちはその主を覚えて主に悩みを打ち明け、御心を求めて歩みましょう。

<聖書のことば>
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」                
マルコの福音書14章36節

2019年3月31日日曜日

「アブラハム契約」

創世記12章1~4節
2019年3月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 この12章から、聖書は一人の人物に焦点を当てていきます。それがアブラハムです。神は彼に契約を与えられました。それは彼を大いなる国民とし、彼の名を大いなるものとし、地上のすべての民族は彼によって祝福されるなどの恵みの契約でした。この契約が基本ととなり、時代とともに展開していきました。これは今でも続行中の無条件の契約であると言うことができます。この個所から2つのことを学びましょう。
 第一に、神は詳細については語らずに導かれたことです。どこに行くのかは敢えて伏せられました。神が私たちを導かれる時も、敢えて先のことは伏せられます。信仰によって歩むためにです。
 第二に、アブラムは神の契約を信じて従いました。神は全知であり、約束を成就する力があり、私を愛され必ず最善へと導かれると信じていたのでしょう。そのお方の約束を信じたのです。
 私たちもたとえ先が見えなかったとしても、救い主イエス様に心から信頼し、信仰によってお従いする者でありましょう。

<聖書のことば>
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
創世記12章1節

2019年3月24日日曜日

「人生の土台」

マタイの福音書7章24~27節
2019年3月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様はここで2つの家のたとえ話をされました。
 一つは砂の上に家を建てた人です。その家は嵐がやって来た時にひどい倒れ方をしました。神を信じず従わなしい生き方をする人を表しています。
 もう一つは、岩の上に家を建てた人です。その家は嵐が来てもびくともしませんでした。これは神を信じみことばに従う生き方を表しています。
 キリストを信じみことばに従う人の人生は神からの祝福があります。
 第一に天国の希望が与えられます。人は死んで終わりではなく、神のさばきがありますが、キリストを信じた者は罪が赦され天国で永遠に生きることができるのです。
 第二に、キリストの特別な平安が与えられます。素晴らしい主が共に歩まれ、必要な励ましや導きを与えてくださいます。だから、状況に左右されない平安が心にあるのです。
 私たちは何を土台に人生を築いているでしょうか。確かな土台であるキリストの上に人生を築くようにしましょう。

<聖書のことば>
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
マタイの福音書7章24~25節

2019年3月17日日曜日

「主の栄光のために」

列王記第一8章11節
2019年3月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神殿の奉献式が行われました。そこで雲が満ち、主の栄光が宮に満ちたのです。献堂記念礼拝にあたり、3つの点で見ていきましょう。
 第一に、教会こそが世界の希望です。イエス様の預言とおりに不法がはびこり多くの人の愛が冷たくなっています。悩み苦しみさまよっている人が多いのです。その中で福音を伝える教会こそが世界の希望です。
 第二に、主は教会の現状に満足しておられません。私たちはついつい現状に満足してしまいやすいものです。しかし神はすべての魂が救われることを願われているのです。決して現状に満足しておられないのです。
 第三に、主の栄光のために献げましょう。一つは新会堂建築です。教会は救われた者の集まりのことですが、世の方は会堂をとおして教会の存在を知り神の栄光に触れることができます。もう一つは私たち自身を献げることです。それこそが幸いな生き方です。
 神の栄光のために喜んで献げて行きましょう。

<聖書のことば>
祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。
列王記第一8章10~11節

2019年3月10日日曜日

「アブラムの出発」

創世記11章10~32節
2019年3月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ノアの息子、セムの系図が記されています。セムを通してアブラム、後のアブラハムが生まれて来ました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に神の呼び掛けに応じて出発することです。彼が出発するために様々な決別が必要でした。しかし彼は神の約束に目を留めて、みことばに従い出発したのです。私たちもこの世のものに目を留めるのではなく、約束に目を留めて主に従う者でありましょう。
 第二に、神の前に中途半端な歩みは実を結ばないと覚えることです。父テラはウルを出たものの、ハランの町に留まってしまいました。中途半端な歩みでは実を結ぶことはないのです。
 第三に、神の時を待ち望む忍耐が大切であることです。アブラムは父テラやおいのロトたちにハランの町にいましたが、神の時にその町を出発しました。
 私たちも主の御声を聞いて、霊的に出発する者でありましょう。

<聖書のことば>
テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。
創世記11章31節

2019年3月3日日曜日

「バベルの塔」

創世記11章1~9節
2019年3月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 人はシヌアルの地に定住しバベルの塔を建てましたが、神がそれをとどめられました。その理由について確認します。
 第一に、高慢です。神がおられる天に届く塔を建て、名をあげようとしました。神はそのような高慢を嫌われました。
 第二に、不従順です。増えて地に満ちることが御心でしたが、人はそれに従おうとしなかったのです。
 神はそんな人間に対して2つの点で取り扱われました。
 第一に、混乱させられました。言葉が通じなくなり混乱しました。
 第二に、計画を断ち切られました。人間の高慢で自己中心的な計画を断ち切られたのです。それらは神の愛の取り扱いでもありました。
 バベルの塔は過去の時代の特別なものではありません。それは今の時代にも、そして私たちにも建てられるものです。神の前に心を低くして歩みましょう。

<聖書のことば>
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
創世記11章4節

2019年2月24日日曜日

「失敗から受ける祝福」

失敗から受ける祝福
2019年2月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロは舟から出て湖の上を歩くことができましたが、風を見て恐くなり沈みました。彼はその失敗の経験から、祝福の学びができたのです。
 第一に、自分は無力な者であることです。彼は自分の信仰に自信を持っていたでしょう。でもこの経験をとおして、自分の無力さを痛感させられたのではないでしょうか。
 第二に、主はどんな時にも共にいてくださることです。不信仰になり沈みかけた彼でしたが、主はその時点で彼を見捨てることはされませんでした。即座に彼を助けられたのです。主は彼と共におられました。
 第三に、主から決して目を離してはならないことです。イエス様から目を離してしまったことが失敗の要因だったからです。
 私たちは主から示されているのに、失敗を恐れるばかりに一歩を踏み出すことを躊躇してはいないでしょうか。失敗から祝福の学びを受けることができ成長させていただけます。恐れないで一歩を踏み出しましょう。

<聖書のことば>
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
マタイの福音書14章30節

2019年2月17日日曜日

「みことばを慕い求める」

ペテロの手紙第一2章2節
2019年2月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 私たちクリスチャンはどのような態度で、みことばと向き合うべきでしょうか。
 第一に、乳飲み子のようにみことばを慕い求めることです。乳飲み子は熱心に、貪欲に母親の乳を慕い求めるものです。同様に、私たちも熱心に、貪欲にみことばを求めるべきです。聖日だけで満足していてはいけません。水曜日も、また毎日個人的に、みことばを慕い求めるべきです。
 第二に、みことばによって、成長と祝福があると覚えることです。つまり、みことばを慕い求めることなくして、成長も祝福もないということです。私たちが成長し祝福をいただけるかどうかは、どれだけみことばを熱心にいただくかにかかっているのです。
 今日も、そして今週も、みことばを熱心に貪欲に慕い求めて歩むようにしましょう。みことばによって成長させていただきましょう。

<聖書のことば>
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ペテロの手紙第一2章2節

2019年2月10日日曜日

「魂への責任を覚える」

列王記第二7章3~10節
2019年2月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 サマリヤはひどい飢饉状態に見舞われていました。4人のツァラアト患者はアラムの陣営に入り助かりました。3つのことを学びましょう。
 第一に、恵みを独り占めしてはならないことです。神の業によりアラムの軍勢は逃げ去っていた為、彼らは食料や財産を得ることができました。彼らは恵みを独り占めしてしまっていたのです。私たちも何の働きもせずに救いを頂きました。恵みを独り占めしてはなりません。
 第二に、素晴らしい知らせを伝えるのを躊躇してはならないことです。彼らはためらっていました。私たちもためらうべきではないのです。
 第三に、主から責任が問われることを覚えなければならないことです。神は私たちが福音をどのように扱ったのか、その責任を問われます。
 素晴らしい恵みをいただいたのであれば、それだけ責任が問われます。魂への責任を果たす者でありましょう。

<聖書のことば>
彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
列王記第二7章9節

2019年2月3日日曜日

「地の果てまで」

使徒の働き1章8節
2019年2月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が昇天前に言われたおことばから学びましょう。
 第一に、神は人を用いて宣教を進められます。大切な宣教の働きです。神は天使を用いることもできたでしょう。しかし、敢えて不完全な私たち人間を用いられるのです。
 第二に、神は聖霊の力によって宣教を進められます。聖霊は私たちの内に宿られ、必要な助けと力、導きを与えてくださいます。聖霊の助け無くして宣教の働きをなしていくことはできません。
 第三に、神は地の果てまで宣教を進められます。エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てまでにおいて、神は私たちを用いようとされているのです。
 神はすべての人が救われることを望んでおられます。私たちは宣教の働きのために自分自身を主に献げていきましょう。

<聖書のことば>
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
使徒1章8節

2019年1月27日日曜日

「ノアの息子の子孫」

創世記10章1~32節
2019年1月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ここにノアの息子の子孫について記されています。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、神のおことばの力を忘れてはなりません。神は洪水後に生み増え広がるようにと語られました。生き延びたのはたった8人だけでしたが、主はそこから増やされたのです。神のおことばに不可能なことはありません。
 第二に、全ては神からいただいたものであることを忘れてはなりません。ハムの子孫ニムロデは主のおかげで権力者になったにもかかわらず、高慢になり、バベルを建てました。全ては主からいただいたものであることを覚えて謙遜になることです。
 第三に、全ては神の民であることを忘れてはなりません。神の御手の中で増やされた民でした。私たちは自分たちのことだけに関心が行きがちですが、全ては神の民であり神の愛の対象であることを忘れず、祈り伝えて行く必要があるのです。
 この3つを忘れずに、主の御心の内を歩みましょう。

<聖書のことば>
これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。
創世記10章1節

2019年1月20日日曜日

「礼拝の心備え」

サムエル記第一3章10節
2019年1月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日、牧師は他教会へ出向していますが、いつも忠実に礼拝に集われている兄姉に心から感謝致します。礼拝の心備えについて、確認しましょう。
 第一に、祈りをもって備えましょう。礼拝は11時から開始しますが、実際にはその前から始まっています。前奏前から席に座り、心を静め、前奏が始まったら祈るようにしましょう。
 第二に、主が私に語られることを待ち望みましょう。サムエルは言いました。「お話しください。しもべは聞いております。」そのような低い心で、主に期待して備えるならば、主はその人を特別に祝福して下さるでしょう。
 第三に、献げる心で礼拝しましょう。礼拝の基本は献げることにあります。賛美や献金を心から献げ、みことばを聞く時も、献げる心で聞き、また応答するようにしましょう。
 そのように正しい心備えをもって礼拝する者を、主は豊かに祝福してくださいます。本日の礼拝も正しい心備えをもって臨みましょう。

<聖書のことば>
そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
サムエル記第一3章10節

2019年1月13日日曜日

「ヨルダン川を渡る」

ヨシュア記3章1~17節
2019年1月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 ヨシュア率いるイスラエルの民がカナンの地に入るために、まず立ちはだかったのがヨルダン川でした。私たちにとってのヨルダン川とは何でしょうか。それは、私たちの霊的前進を妨げているものです。残念で すが、そのヨルダン川の前で留まっているクリスチャンが少なくないのです。次に、どうすればヨルダン川を渡ることができるでしょうか。
 第一に、身をきよめることです。罪が示されたら主に告白して悔い改めていくことです。
 第二に、主に近づき、おことばをいただくことです。
 第三に、主が共におられると覚えることです。
 第四に、先が見えなくても主を信じて前進することです。
私たちの人生に必ず何かのヨルダン川が立ちはだかります。その時にどうするのか。主は前進することを願われています。その時こそ、信仰を働かせて前進する者でありましょう。

<聖書のことば>
あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』
ヨシュア記3章8節

2019年1月6日日曜日

「初心に返る」

ヨハネの黙示録2章2~5節
2019年1月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 どの世界であっても、初心を忘れると失敗するものです。それは信仰の世界も同じです。どうしたら信仰の初心に返ることができるでしょうか。
 第一に、これまで受けた恵みを思い返すことです。無に等しい者が神から選ばれ救いをいただきました。教会生活や日々の歩みが守られています。そのようにこれまでに受けた恵みを常に思い返すことです。
 第二に、信仰の人々の歩みを思い返すことです。ヘブル書に、信仰に生きた人々について書かれています。彼らの歩みを見て、励ましをいただく必要があります。
 第三に、初めの愛を思い返すことです。私たちは初めの愛から離れてしまいやすいものです。それに気づかされたら、そのまま進むのではなく方向を転換する必要があるのです。
 今年一年を祝福されるために必要なのは、あれこれと行動することよりも、初心に返ることです。信仰の初心に返り、心から主に感謝して歩みましょう。そして祝福された歩みをさせていただきましょう。

<聖書のことば>
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。
黙示録2章4~5節前半