2016年3月27日日曜日

「復活のすばらしい希望」

ルカの福音書24章1~11節
2016年3月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 キリストの復活の客観的な証拠について見ましょう。キリストの墓が空になっていたこと。目撃証人が多いこと。弟子達が別人のように変えられたこと。キリスト教会の誕生と発展していること等です。
 次に、復活の主はどのような希望を与えて下さるでしょうか。
 第一に、私たちもよみがえるという希望です。主が再び空中に来られる時、私たちの肉体はよみがえり新しい栄光の体が与えられます。
 第二に、完全な主のみことばに頼ることができるという希望です。不可能を可能として死に勝利された方の完全なみことばに、私たちは全面的に信頼することができます。
 第三に、今の奉仕は無駄にならないという希望です。主の為にささげる奉仕の全てを主は覚えておられ、正しく報いて下さいます。
 復活の主から来る希望を握りしめているかどうかが、祝福ある歩みを送るかどうかの分かれ目となります。いつも復活の主を見上げて歩みましょう。

<聖書のことば>
ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
ルカの福音書24章6節

2016年3月20日日曜日

「進んでささげる者に」

出エジプト記35章4~10節
2016年3月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 主はイスラエルの民に幕屋を建てるように語られました。ささげる上で大切なことは何でしょうか。
 第一に、心から進んでささげることです。彼らの持っていた財産も、エジプトを脱出することができたのも、全ては主から頂いたものでした。その事実を覚えて心から進んでささげることを求められたのです。今も主は、物質的なもの以上に、私たちの主への心を求めておられます。
 第二に、委ねられている賜物をささげることです。技術的な賜物をもった者は来て働きに携わるように言われました。主は私たちにも、委ねられている賜物を用いて、主の宮の建設の為にささげることを願っておられるのです。
 民は感動して、主にささげものを持って来ました。それはあまりにも多くて途中で止めさせなければならない程でした。主の為にささげる者を主は必ず祝福し報いて下さいます。私たちは本当に価値あるお方の為、そして主の宮の為に、感動して心から進んでささげる者でありましょう。

<聖書のことば>
あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。
出エジプト記35章5節

2016年3月13日日曜日

「最後の晩餐」

マルコの福音書14章22~25節
2016年3月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様と弟子たちは最後の晩餐の時を持ちました。これは過越しの祭りの食事のことであり、それは細かく手順が決まっておりました。イエス様たちはその手順に従って進められたことがわかります。誤解されている部分も少なくないので、過越しの食事について礼拝で説明します。それらを踏まえて、2つのことを学びましょう。
 第一に、イエス様は犠牲の子羊となられたことです。過越しの食事でほふられる子羊とイエス様が多くの点で共通点があることがわかります。主は私たちの為に十字架にかかり血を流し死んで下さいました。
 第二に、イエス様は新しい契約を結ばれました。エレミヤ書で預言されていた新しい契約について言及されました。イエス様の十字架の死によって完全に成就し、キリストを信じるすべての民族、国民に提供されるようになったのです。
 イエス様たちの最後の晩餐の時を覚えつつ、本日、主の晩餐にあずかりましょう。

<聖書のことば>
それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
マルコの福音書14章22節

2016年3月6日日曜日

「生きざま」

使徒の働き20章18~35節
2016年3月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはミレトにおいて長老たちにメッセージを語りました。その内容から彼の生きざまについて知ることができます。
 第一に、主に仕えました。かつてはキリストに背き罪に仕えていた彼が回心し、キリストに仕えるようになりました。
 第二に、福音を証ししました。彼は福音を宣べ伝えるという使命を誰よりも強く自覚し、その働きに生涯をささげていました。
 第三に、自分自身に気をつけて歩みました。彼は「私をみならって下さい」と言う程に、自分自身に気をつけて周りの模範となる歩みをしていました。
 第四に、与える生き方をしました。イエス様のみことば「与える方が幸い」を実践していました。キリストの愛を本当に理解するならば、私たちは人に与えたくなるのです。
 生きざまが他の人に影響を与えます。それはごまかすことはできません。中途半端な生きざまとならないようにしましょう。主にささげ仕える生きざまこそが、本当に幸いな証しとなる生きざまなのです。

<聖書のことば>
私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
使徒の働き20章19節