2018年12月30日日曜日

「感謝の生涯を送るために」

詩篇56篇10~13節
2018年12月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 神に感謝するべきだと知っていても、実際のところ感謝が少ないのではないでしょうか。どうしたら主に感謝する歩みができるでしょうか。
 第一に、自分について正しく認識することです。ダビデは自分を神のしもべと捉えていましたので、一つ一つを感謝することができました。私たちも神の前での自分の位置づけがどうなのかを省みる必要があります。
 第二に、賜物について正しく認識することです。私たちには多くの賜物が与えられています。何よりも救いをいただいています。そこに目を留めていないと、感謝は無くなり不満が出て来てしまいます。
 第三に、神について正しく認識することです。神がどれだけ恵みと憐みに満ちておられるかがわかっておりませんと、感謝が無くなってしまうのです。
 時に困難な問題もやって来ます。しかし主はそれさえも益としてくださり、私たちを祝福してくださるのです。その主に信頼して、心から主に感謝を献げつつ歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。
詩篇56篇12節

2018年12月23日日曜日

「みんなのクリスマス」

ピリピ人への手紙2章6~11節
2018年12月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 日本の多くの方が、自分と宗教的なクリスマスとは関係がないと考えておられます。しかし、全ての人と関係があります。
 第一に、神はあなたを愛しておられます。神が一人一人を造られ、しかも愛しておられます。
 第二に、あなたの罪が神と人との妨げとなっています。その罪ゆえに、私達はさばかれる立場にあります。
 第三に、神は私たちのために尊いものを捨てられました。一つは神としてのあり方です。御子イエス様は神のあり方を捨て、この世に人としてお越しくださいました。それがクリスマスです。もう一つは、神の命です。私達がさばかれる代わりに、イエス様がさばきを受けられ命を捨てられたのです。
 第四としてその結果ですが、一つはイエス様を信じる者に永遠のいのちが与えられ、もう一つは主に信頼する者に助けと励ましが与えられます。
 キリストのご降誕を祝うクリスマスは、全ての人と大きな関係があります。このお方を心に受け入れて歩みましょう。

<聖書のことば>
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
ピリピ人への手紙2章6~8節

2018年12月16日日曜日

「失敗したノアと子供たち」

創世記9章18~29節
2018年12月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 ノアと子供たちの洪水後の歩みを見ましょう。
 第一に、ノアは酒に泥酔して醜態をさらしました。ノアはブドウ園の農夫となり勤勉に働いたのでしょうが、泥酔し素っ裸となり醜態をさらしてしまいました。あれ程に主の前に正しい歩みをしていた彼がです。私たちも油断をすると失敗し罪を犯してしまう危険性があります。
 第二に、ハムは父を嘲り、子供に呪いの言葉をかけられました。彼には父への嘲りの気持ちがあり兄弟たちに言いふらしたと考えられます。その結果、彼の子供カナンに呪いのことばがかけられました。
 第三に、セムとヤペテは父の罪を覆い祝福の言葉をかけられました。ハムとは違い、父の裸を見ず着物で覆いました。そのため、神から祝福の言葉をいただくことができました。
 信仰生活で油断は厳禁です。私たちの歩みによって、主から祝福をいただけるか、祝福を逃すことになるかが決まるのです。最後の最後まで主に心を向けて、主の御心の内を完走するようにしましょう。

<聖書のことば>
ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
創世記9章21節

2018年12月9日日曜日

「ノアたちとの契約」

創世記9章8~17節
2018年12月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 神はノアたちと契約を立てられました。3つの点で見て行きましょう。
 第一に、神は主権を持って、契約を立てられました。神と人とが歩み寄って結んだのではなく、神が主権を持って、人に契約を立てられたのです。いつも神は主権を持って働いておられます。
 第二に、神は恵みを持って、契約を立てられました。人がそれ以降も罪を犯し続けることを主は御存知でしたが、にもかかわらず、人や生き物に恵みの契約を立てられました。神の御業は恵みに満ちています。
 第三に、神は真実を持って、契約を立てられました。人間は不真実で変わりやすいものですが、神はそうではなくどこまでも真実です。この契約は無条件の契約であり、今も変わりはないのです。
 ノア契約を大昔の話と位置付けてはいけません。これは私たちと大きく関係しています。神は今も主権を持って、恵みを持って、真実さを持って私たちへの約束を果たしておられます。神の約束に心から信頼し賭けて行く者でありましょう。

<聖書のことば>
さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。
あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。
創世記9章9節

2018年12月2日日曜日

「人のいのちのために」

創世記9章1~7節
2018年12月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 洪水後、箱舟から出て来たノアたちに、神は祝福のことばを掛けられました。ここから3つのことを学びましょう。
 第一に、神は変わることなく愛し続けてくださいます。「生めよ、増えよ、地に増えよ」と創造の初めに言われたのと同じことばを掛けられました。神の人間への愛と期待は変わる事がありませんでした。
 第二に、神は必要を備えてくださいます。神は動物が人を恐れるようにと、人が動物を食べるようにされました。人のために必要を備えられたのです。
 第三に、神は贖いを与えてくださいます。人を殺してはならないことが教えられました。しかし神は、後に罪人のために、代わりに御子を殺されたのです。
 神はノアたち同様に、私たちをも変わらずに愛され、必要を備え、贖いを与えてくださいます。このお方のことを知れば知る程に、主に感謝しお献げするようになります。素晴らしい主を深く知って、さらに献げていく者となりましょう。

<聖書のことば>
わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
創世記9章5節

2018年11月25日日曜日

「主のために祭壇を」

創世記8章1~22節
2018年11月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 大雨が150日も降り続きましたがついに止み、そして水は引き始めました。この箇所から3つの点で学びます。
 第一に、神が心に留めてくださっていることです。長い時間箱舟の中に閉じこもっていたノアたちでしたが、神は決して忘れてはおらず心に留めておられました。
 第二に、神のおことばを待つことです。ノアたちは烏や鳩を放して地上の状態を確認しましたが、神のおことばをいただいてから外に出たのです。
 第三に、神への祭壇を第一に築くことです。祭壇は礼拝を意味しています。彼は滅びから救われた恵みを心から主に感謝し、全焼のいけにえをささげたのです。
 私たちも神によって滅びから救って頂きました。また日々主の愛と守りを頂いている者として、主に感謝して、主のための祭壇を第一に築いて歩みましょう。

<聖書のことば>
ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。
創世記8章20節

2018年11月18日日曜日

「主が閉ざされた」

創世記7章1~24節
2018年11月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神は堕落してしまった人間を洪水によってさばくと告げられました。ノアは神の言われるとおりに箱舟を造ったのです。ノアの信仰について確認しましょう。
 第一に、ノアは神の目とその評価を重視しました。神は彼の信仰と歩みを見ておられました。ノアは人ではなく神の目と評価を重視したのです。
 第二に、ノアは先が見えなくても神に委ねて従いました。必要な動物を捕え船の中に入れることは至難の業だったでしょう。しかし彼は主に委ねて示されていることに従っていきました。その結果、主が動物を船へ導かれましたし、戸を閉ざされました。
 第三に、ノアは主の救いの働きにあずかりました。ノアをとおして家族が救われました。私たちも主の救いの働きに用いられる者となりましょう。
 今もノアの時代と似て悪く堕落した時代です。だからこそ、神の目と評価を重視して、主の救いの働きにあずかり用いていただきましょう。

<聖書のことば>
入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
創世記7章16節

2018年11月11日日曜日

「神の前をまっすぐ歩むために」

箴言3章5~6節
2018年11月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 この世的に富んでいても、神の前に曲がりくねった道を歩むなら幸いとは言えません。神の前にまっすぐな道を歩むことが大事です。そのために何に気をつけるべきでしょうか。
 第一に、自分の悟りに頼らないことです。人は自分の知恵や経験に頼りやすいものですが、それは本当に頼りになるものではありません。
 第二に、心を尽くして主により頼むことです。私たちは普通にしているなら、自分の力に頼ってしまいます。だからこそ心を尽くして全面的に主に頼って行くことが求められます。
 第三に、どこにおいても主を認めて歩むことです。どこを歩む時でも神のご支配があること、神が共におられることを認め、そして神のみこころを求めつつ歩む必要があります。  
 幼子のように主により頼みつつ、まっすぐな道を歩みましょう。

<聖書のことば>
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3章6節

2018年11月4日日曜日

「ノアの信仰」

創世記6章13~22節
2018年11月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 ノアの信仰について確認しましょう。
 第一に、ノアは神のさばきを信じました。人間の堕落により、神はついに洪水によるさばきを宣告されました。人々は信じようとしませんでしたが、彼は信じました。今の世も、やがてさばきの時がやって来ます。信じて備える者は幸いです。
 第二に、ノアは神の約束を信じました。箱舟に乗るなら救われるという約束を信じたのです。信じるのが難しい時に、神の約束をどこまで信じるかが問われます。
 第三に、ノアは神が命じられたとおりに行いました。巨大であり、道具も無かったので造船は困難を極めたでしょう。それでもノアは神の言われるとおりに造りました。主の言われるとおりに従うことが大切なのです。  
 主からみことばが語られた時に、私たちは言い訳を口にしやすいものです。しかしノアの信仰に倣って、神の約束を信じて、そのとおりに実行する者となりましょう。

<聖書のことば>
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
創世記6章22節

2018年10月28日日曜日

「しかしノアは」

創世記6章1~12節
2018年10月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 神に造られた人間は地上に増え広がって行きました。彼らはどのような歩みをしたのでしょうか。
 神の民は堕落して行きました。彼らは神を信じていたのに、神を信じない者と結婚し神から離れて行きました。また、悪と暴虐と乱れが増大して行きました。人の心にはいつも悪い思いが浮かぶようになりました。それゆえに神は裁きの宣告をされたのです。
 そのような中でノアという人物がおりました。 
 第一に、彼は神の目を意識しました。神は全てをご覧になられていることを意識して神のみこころの内を歩んだのです。
 第二に、彼は神の前に恵みを見出しました。ふさわしくない者に与えられる神の愛を覚えて、主に従って歩んだのです。
 悪い時代に生きていたのですが、しかし、ノアは神の前に正しい歩みをしました。私たちも悪い時代に生きています。しかし、ノアのごとく神に喜ばれる道を歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
しかし、ノアは、主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。 ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
創世記6章8~9節

2018年10月21日日曜日

「聖書」

詩篇119篇105節
2018年10月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日は特別集会で、説教者をお迎えして聖書からメッセージをいただきます。その聖書には何が記されているのでしょうか。
 第一に、世の始まりから終わりまでについて記されています。初めに神が天と地を創造されました。私たち人間も神によって創造されたのです。そして、やがて主は再び地上に来られることも記されています。
 第二に、神がいかなるお方なのかが記されています。神は聖であり、愛であり、義であり、遍在なるお方などです。
 第三に、救いの道が記されています。人間は罪があるゆえに、やがて神のさばきを受け滅びなければなりません。しかし神は救いの道を用意され聖書に記してくださっているのです。
 第四に、人生の指針が記されています。人はどう歩むべきなのか。どこに向かうべきなのかが聖書を読むとわかります。暗闇の中で光を与えます。
 この聖書を読み学ぶほどに私たちは整えられ、平安と喜びと感謝が与えられます。教会では毎週、教会学校で聖書のみことばを学び、礼拝では聖書からメッセージが語られます。皆様が続けて教会にお越しいただくことを願い、心からお祈りしています。

<聖書のことば>
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
詩篇119篇105節

2018年10月14日日曜日

「主に喜ばれたエノクの歩み」

創世記5章1~32節
2018年10月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 アダムの子孫について記されています。その中で特筆されているエノクについて学びましょう。彼の人生に関して見ましょう。
 第一に、神はエノクと出会うように導かれました。
 第二に、神と共に歩みました。生涯、主と共に歩む人生を全うしたのです。
 次に、エノクがその様な歩みをすることができた理由について見ましょう。
 第一に、神のさばきがあることを信じていたからです。
 第二に、神に信頼して歩んでいたからです。それ故に神に喜ばれていたことがヘブル書に書かれています。
 私たちは誰と共に人生を歩むでしょうか。そのパートナーは信頼できる方でしょうか。主こそが信頼できるパートナーです。

<聖書のことば>
エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
創世記5章22節

2018年10月7日日曜日

「神無き文化と神中心の文化」

創世記4章17~26節
2018年10月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 カインとアベルについては既に学びました。アベルを殺したカインや、セツの子孫の歩みを見る時に、霊的に見ると2つの文化があることがわかります。それぞれの特徴を学びましょう。
 一つ目は神無き文化です。
 第一に、肉の欲を満たそうとします。
 第二に、神以外のものに頼ります。
 第三に、高慢で無慈悲です。
 今の時代の文化はまさに神無き文化に支配されており、これらの特徴を見ることができるのではないでしょうか。
 もう一つの文化は、神中心の文化です。その特徴は、神に頼り祈ることです。つまり神を恐れ、神の前に謙遜であり、神に頼る歩みです。
 私たちもこの2つのどちらかの文化によって人生を形成していると言うことができます。神中心の文化によって、人生を歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。
創世記4章26節

2018年9月30日日曜日

「生ける水をあなたに」

ヨハネの福音書4章3~14節
2018年9月30日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様はサマリヤ地方に行き、一人の女性と会い「水を飲ませてください」と話し掛けられました。そして生ける水について教えられたのです。生ける水をいただく上で必要なことを学びましょう。
 第一に、心の渇きに気づくことです。彼女は喉の渇きは感じていましたが、心の渇きは気づいていなかったのでしょう。人は自分の心が渇いた状態である事に気づく必要があります。
 第二に、心の渇きを満たす水とそれを与えてくださる方を知ることです。彼女はその渇きを男性に求めていました。しかし人の心を満たすのはキリストが与える生ける水だけです。
 第三に、主にいつも信頼して歩むことです。信仰を持っていても、主に頼らずに歩みますと、やがて心は渇いて来ます。常に主と主の約束に信頼してこそ、聖霊は私たちを助け平安と満たしを与えてくださるのです。
 この生ける水を全ての人が受けて頂きたいと心から願います。

<聖書のことば>
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネの福音書4章14節

2018年9月23日日曜日

「礼拝前日の心備え」

ヨハネの福音書4章24節
2018年9月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 週に一度の聖日を他の日と同等に扱ってはいけません。聖日に向けて心を備えて行くことが大事です。
 第一に、聖日を最も大事なものとして位置づけましょう。皆が共に教会に集まり主をほめたたえる聖日の礼拝は非常に大切です。最も大事な日として聖別することです。その心構えは子供たちにも伝わることでしょう。
 第二に、体調が整えられるように備えましょう。いつもよりも早めに休んで、できるだけベストな状態で礼拝をささげることができるように備えることが大事です。
 第三に、祈りをもって備えましょう。教会学校の祝福、牧師の説教と牧会の祝福、交わりの祝福、兄姉のため等を祈るようにしましょう。聖日は霊的戦いの時でもあるので、祈りが非常に大事です。祈る教会はそれだけ主から祝福を豊かにいただくことができます。
 毎週やって来る日曜日なので惰性的になってしまう危険性があります。しかし、とても大事な聖日にしっかりと心を向けて備えましょう。

<聖書のことば>
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章24節

2018年9月16日日曜日

「背負って下さる神」

イザヤ書46章1~13節
2018年9月16日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 預言者イザヤがバビロンの崩壊について預言しました。偶像の神と真の神と対比して記しました。
 まず、偶像の神についてですが、私たちを助けることはできないことです。それは人間によって造られ、人間によって運ばれないといけない頼りにならない存在です。
 次に、真の神についてです。第一に、私たちがどう変わろうとも愛してくださいます。条件が付きません。私たちがどう弱ろうとも、変わらずに愛してくださるのです。
 第二に私たちの重荷を担ってくださいます。主はすべて疲れている人を招きその重荷を担ってくださることを約束されています。
 これから先、どのような状況に置かれたとしても、主は私たちの重荷を担い、背負い、共に歩んでくださいます。このお方にこそ信頼して歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたのしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
イザヤ書46章4節

2018年9月9日日曜日

「祈りにおける戦い」

ルカの福音書5章15~16節
2018年9月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 クリスチャンであれば、祈る大切さを知らない人はいないでしょう。祈りをとおして、主から祝福と導きをいただくことができます。しかし、私たちは何と多くの場合、祈ることの少ないものでしょうか。
 祈りを妨害する存在があることを確認しましょう。一つは肉の思いです。救われていても肉の思いは御霊の思いに逆らいます。もう一つはサタンの誘惑です。祈ろうとすると、様々な用事や思いを囁いて来ます。これらと戦って行く必要があるのです。その為に必要なことは何でしょうか。
 第一に、祈りの時を聖別することです。イエス様はそれをされていました。
 第二に、御霊の助けによって祈ることです。
 第三に、必要を覚える毎に祈ることです。神は私たちが部屋に座り落ち着いて長く祈ることだけを望んではおられません。
 祈りをとおして主からの豊かな祝福をいただけます。にもかかわらず、何とこの戦いに負けてしまっていることの多いことでしょうか。祈りにおける戦いを意識して、勝利する者でありましょう。

<聖書のことば>
「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」
ルカの福音書5章16節

2018年9月2日日曜日

「神に知られている幸い」

エレミヤ書1章5節
2018年9月2日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは神をもっと知りたいと願う者ですが、覚えておくべきことは、主が私たちを知って下さっていることです。3つのことを確認しましょう。
 第一に、私たちは神に知られていることです。私たちが母親の胎に宿る前から主は私たちの存在を御存知であられました。それだけではなく、神は私たちの心の中も、また将来についても全て御存知です。
 第二に、私たちは友として知られています。親しい友のように主は私たちに大切な真理を教え導こうとされています。
 第三に、私を全て知った上で愛してくださっています。自分自身を見つめる時に私たちは自分の愚かさや足りなさを示されます。しかし主は、そんな私たちの弱く愚かな部分を知りつつも、愛してくださっているのです。
 多くの情報が溢れています。知るべきことは少なくないでしょう。しかし、主が私たちのことを知ってくださっているという真理を知って平安の内を歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」
エレミヤ書1章5節

2018年8月26日日曜日

「カインとアベル」

創世記4章1~16節
2018年8月26日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アダムとエバに二人の子供が与えられました。カインとアベルは主に献げものを持ってやって来たのです。しかし、アベルの献げものは受け入れられたものの、カインの献げものは目を留められませんでした。それが原因となりカインはアベルを殺してしまいました。3つ学びましょう。
 第一に、主が注目されているのは献げる者の心です。献げる者の心が神の前に大切ということです。
 第二に、主が問われるのは他者の祝福に対する応答です。カインはアベルの祝福を妬んだと言うことができます。妬みは高慢の罪から発生し、殺意にまで発展します。
 第三に、主が求められるのは悔い改めの導きに応じる心です。カインは罪を犯したにもかかわらず開き直っておりました。それでも神は彼を憐れんで悔い改めに導こうとされました。彼は直ちに悔い改めるべきでしたが、それをしなかったのです。
 罪を温存すると、後に恐ろしいことに発展してしまいます。私たちがカインの罪を犯さないように示された時に、悔い改めるようにしましょう。

<聖書のことば>
アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。                
創世記4章4節

2018年8月19日日曜日

「罪の結果と救いの計画」

創世記3章14~24節
2018年8月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アダムとエバは蛇の誘惑に惑わされて、取って食べてはならないと言われていた善悪の知識の木から取って食べてしまいました。その結果、人類に罪が入りました。
 蛇は一生のろわれた者として腹這いになり歩むものとなりました。エバは産みの苦しみを負い、また夫に支配される者となりました。アダムは労働の苦しみを負う者となりました。また人は死んで塵に返る者となりました。土地ものろわれました。彼らはエデンの園から追放されたのです。こ こから二つのことを学びましょう。
 第一に、罪には結果が伴います。罪人には永遠の苦しみが待っています。クリスチャンであっても、罪を犯すと悪い影響が残ります。
 第二に、神は人間のために救いの計画を立てられました。原福音と呼ばれるものです。後に女の子孫から救い主が誕生し、サタンの頭を踏み砕くと言う計画を明らかにされたのです。
 私たちの周りにいる方々に素晴らしい福音を伝えて行きましょう。

<聖書のことば>
「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
創世記3章15節

2018年8月12日日曜日

「あなたはどこにいるのか」

創世記3章8~13節
2018年8月12日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 蛇に誘惑された人は、自由意思を用いて神に喜ばれないことを選択し罪を犯してしまいました。そして主の御顔を避けて隠れたのです。それでも主は彼らを捜し求めて出て来られました。「あなたはどこにいるのか」と問われたのです。彼らは自発的に罪を告白し謝罪することはありませんでした。責任転嫁し、罪のなすりつけ合いをしたのです。ここから2つのことを学びましょう。
 第一に、神の前に正しい霊的位置に立つことです。それまで主との豊かな交わりの中にいた彼らでしたが、今や御顔を避けるようになりました。私たちも正しい霊的位置に立っているかが問われています。
 第二に、神の御声に応じて素直に悔い改めることです。神は彼らが素直に悔い改めることができるように導かれましたが、彼らはそれに応じず他者のせいにしました。私たちも同様の過ちをやってしまいがちです。大切なのは御声を聞いた時に直ちに応じて、素直に悔い改めることなのです。
 神の御声に対して、正しい応答をする者でありましょう。

<聖書のことば>
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたは、どこにいるのか。」
創世記3章9節

2018年8月5日日曜日

「人間の堕落」

創世記3章1~7節
2018年8月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 蛇は造られたものの中で一番狡猾でした。他の箇所を見ると、それは悪魔であったことがわかります。蛇と会話を行い引き込まれて行きました。
 蛇は神が何と言われたのか知っていたでしょう。しかし蛇はわざととぼけてみことばを歪めてたずねて来ました。エバの側に立っているかのように、神の愛を疑わせて来ました。彼女の心を揺さぶり、一気に神のみことばを否定して来ました。その結果、彼女をその実を取って食べ、アダムにも与えました。こうして人類は堕落し罪が入ってしまったのです。
 ここから教えられることは何でしょうか。
 第一に、感覚に基づかず、神のみことばに基づいて判断し選択することです。
 第二に、神の愛を疑わず、神の愛と恵みに目を留めて歩むことです。問題や持っていないものに目を奪われてはなりません。
 私たちも自由意思が与えられています。みことばに基づいて正しい選択をするようにしましょう。

<聖書のことば>
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
創世記3章6節

2018年7月29日日曜日

「ふさわしい助け手」

創世記2章18~25節
2018年7月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 神である主は男の助け手として女を創造されました。
 まず、結婚の奥義について学びましょう。結婚するために、人は親から自立している必要があります。また二人は一人として、互いに受け入れ与えあって歩む必要があります
 今日の箇所から教えられることとして、第一に、主は助けを与えてくださいます。神は人に助けを与えるお方です。私たちはかつて滅びるしかなかった罪深い者でしたが、神はキリストを通して助けを与えてくださいました。
 第二に、主は愛し合うように教えられています。
 第三に、主は私たちに学ばせられます。主は敢えて他の動物を見させて、そこに助け手がいないか確かめさせられました。そして特別な助け手の必要を悟らせられたのです。
 神は私たちにも沢山の助けを用意してくださっています。また私たちを愛して正しい方向へ導こうとされていることを覚えましょう。

<聖書のことば>
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
創世記2章18節

2018年7月22日日曜日

「神に造られた者として」

創世記2章4~15節
2018年7月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 今日の箇所から創造された世界がテーマとなります。人は神に造られた者としてどうあるべきでしょうか。
 第一に、人は神の前に慎み深くあるべきです。人だけが神から命の息を吹きこまれた尊い霊的な存在です。同時に、塵から造られたはかない存在であることも自覚し、神の前に慎み深く歩む必要があるのです。
 第二に、人は神の取り扱いに感謝するべきです。神は人のために潤った土地と食べるにも見るにも良いもの、また働きも備えられました。今も私たちは何と豊かに神から良いものを備えて頂いていることでしょうか。それを感謝するべきです。
 第三に、人は主がいかなるお方なのか覚えて歩むべきです。神である主とは、力あるお方であると同時に、慈愛に満ちたお方でもあるのです。だからこそ主は私たちを滅びから救い出してくださいました。
 神に造られた者として、主の前に正しく歩むように致しましょう。

<聖書のことば>
神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
創世記2章8節

2018年7月15日日曜日

「神の安息」

創世記2章1~3節
2018年7月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神は全ての万象を造り、7日目に休まれました。働きを止められたのです。この箇所などから学びましょう。
 第一に、聖日を取り分け最大限に重んじることです。神はこの日を祝福し聖なるものとされました。それを根拠として後に安息日の規定が制定されました。安息日と聖日は異なりますが、私たちも主が復活された日を聖別し、重んじ、集まって主を礼拝するべきです。
 第二に、神は安息を用意されていると覚えることです。ヘブル書4章を見ると、御国における安息と主にある安息が教えられています。キリストを救い主として信じるなら、誰でも御国の安息にあずかれます。また、キリストのもとへ行き、約束に信頼して歩むなら、誰でも主にある安息にあずかることができるのです。
 私たちは聖日をどれ位大切にしているでしょうか。神が安息を用意されていることを信じ受けとめて歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
創世記2章3節

2018年7月8日日曜日

「人間の創造」

創世記1章26~31節
2018年7月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 今日は第六日の人間の創造について学びます。
 神は人間を特別な存在として造られました。キリストのために天地万物を創造されたのですが、人間に自然界を支配する力と権利を与えられました。また、人間は神に似せて造られました。特に神と同様に霊的存在として、神と交わることができるように造られたのです。そうであれば、人間はどう応答すべきでしょうか。
 第一に、主と向き合い、キリストを信じることです。私たちを特別に造り、主は私たちと交わりたいと願っておられるのですから、キリストを信じ受け入れることが最も大切です。
 第二に、主にあって自分を愛し、他の人を愛することです。
 第三に、主にあって思い煩わないことです。
 人間は神を抜きにしては幸福に歩むことはできません。神と向き合ってこそ、本当の意味で幸福に歩むことができるのです。

<聖書のことば>
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
創世記1章27節

2018年7月1日日曜日

「創造の御力」

創世記1章14~25節
2018年7月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 天地創造について学んでいます。今日は四日目から六日目の途中までを学びましょう。
 第一に、神は自然界に御力を明らかにされていることです。私たちは当たり前だと考えやすいですが、自然界を見ると素晴らしい神の御力が明らかにされていることに気づきます。主をほめたたえるように導かれます。
 第二に、神は御力により生物を増やされたことです。おことばによって、生物が増えるようにされました。神は増やすことのできる御力をお持ちです。
 第三に、神は御力により良い状態へと変えられたことです。茫漠な無秩序な状態でしたが、神の御力により非常に良い状態へと変えられました。神はどんな状態からでも良い状態へと変える御力をお持ちです。
 天地万物をおことばにより創造されたお方が、今私たちと共に歩んでくださっています。このお方に信頼して平安の内を歩みましょう。

<聖書のことば>
神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。
創世記1章25節

2018年6月24日日曜日

「神のご支配の中で」

創世記1章3~13節
2018年6月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 今日は創造の第一日目から第三日目の箇所から学びます。
 第一に、神のご支配の中で、時が始められたことです。第一日目、第二日目と刻まれて行きますが、それは神が時をも造られたと言うことができます。私たちに時が与えられているのは当たり前のことではありません。
 第二に、神のご支配の中で、大空を造られたことです。空はただの何もないスペースではありません。神が人や生き物が生存するために設けられた空間なのです。
 第三に、神のご支配の中で、水を集め地を造られたことです。水は生きるために必要なものですが、大水の前では人間はあまりにも非力です。しかし神はその水を集められました。その御力を持って、私たちの置かれている状況をも支配され動かされるのです。
 私たちは神の絶対的な支配下にあります。そのお方がいつも共に歩んでくださっています。ですから、恐れる必要はないのです。

<聖書のことば>
神は仰せられた。「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。
創世記1章9節

2018年6月17日日曜日

「大人の教会」

エペソ人への手紙4章32節
2018年6月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 本日、牧師はつくば伝道所に出向しています。大人の教会であるかどうかは、牧師不在や予想外の出来事が起きた時に明らかにされるものです。大人の教会はどのように歩むのでしょうか。
 第一に、いつものように礼拝を献げます。主を礼拝することが最高の祝福、特権、義務であると知っているので、いつものように霊とまことをもって主に礼拝を献げます。
 第二に、いつものように秩序を保ちます。主は秩序正しく歩むように教えられています。主を恐れているので、秩序を乱すようなことはしません。秩序を保つように行動します。
 第三に、いつものように主のみこころを判断して行動します。たとえ不足があっても、それで非難したりしません。互いに親切にし助け合います。主のみこころが何であるのかを考え、判断して、自発的に行動するのです。
 横浜教会は大人の教会でしょうか。また私たち一人一人は大人の聖徒でしょうか。たとえどんな境遇に置かれたとしても、大人の教会、聖徒として、主のみこころを求め、判断し、行動するようにしましょう。

<聖書のことば>
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エペソ人への手紙4章32節

2018年6月10日日曜日

「闇から光へ」

創世記1章2~3節
2018年6月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 2節の時点で、茫漠で混沌とした無秩序な状態があったことがわかります。その理由については諸説がありますが、はっきりとしたことはわかりません。その状態から、神はおことばにより光を存在させられました。この箇所から教えられることを学びましょう。
 第一に、神を離れると無秩序な状態があることです。
 第二に、神は私たちを守ろうと動いてくださっていることです。希望の無い状態にあって、神の霊が動いていました。そこに希望を見出すことができます。今でも神は希望の無い場所で働き希望を与えようとされています。
 第三に、神は闇から光へ変えることができることです。滅びに向かっていた私たちに対しても、同じことをしてくださったのです。
 私たちも希望を見出すことのできないような困難な所を通過することがあるかもしれません。しかし主は今も私たちを希望の道へと導いてくださるのです。

<聖書のことば>
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
創世記1章2~3節

2018年6月3日日曜日

「初めに神が」

創世記1章1節
2018年6月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 創世記の教えを知り受け入れる時に、人生観が変えられます。正しい自己認識を持って歩むことができるようになります。
 万物が存在する初めに、神がおられます。そして神は無から全てのものを創造されたのです。
 ここから、絶対的な神の存在を教えられます。人間は神などいないとか、神についてわからないとか、ヒューマニズムの考えを持ちやすいものです。しかし創世記は絶対的な神の存在を教えています。
 次に、この神を受け入れると、生き方が変えられます。
 第一に、神を恐れ、神のために生きるようになります。
 第二に、自分自身を受け入れることができるようになります。私たちの存在が偶然ではなく、神により造られ、どこまでも愛されていることがわかるからです。
 初めに神が天と地を創造された。私たちも一日の初めに、この事実を確認し、神を恐れ神のために生きる者となりましょう。

<聖書のことば>
初めに、神が天と地を創造した。
創世記1章1節

2018年5月27日日曜日

「キリストと交わる幸い」

ヨハネの手紙第一1章3~4節
2018年5月27日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 キリストとは誰でしょうか。それは人となって現れてくださった神です。旧約時代には明らかにされていませんでしたが、イエス様はご自身の歩みをもって明らかに示してくださいました。
 そのキリストと交わるにはどうしたら良いでしょうか。
 第一に、キリストを自分の救い主として信じることです。
 第二に、二つの関係を大切にすることです。一つは主との関係であり、みことばをいただき、主に祈る歩みをすることです。もう一つは教会との関係です。キリストの体である教会としっかりつながり、兄姉との関係を持つことが大事なのです。
 キリストと交わるなら、全き喜びが与えられます。それは苦しみが無くなるということではありません。たとえ困難の中でも、この世が与えることのできない平安や喜びが与えられるのです。
 信仰生活が祝福される秘訣はいかにキリストと交わるかにかかっています。主とよく交わって幸いな歩みをする者でありましょう。

<聖書のことば>
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
ヨハネの手紙第一1章3節

2018年5月20日日曜日

「主に望みを置く者の幸い」

詩篇46章1~11節
2018年5月20日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 人生は何に望みを置くかによって変わって来ます。
 まず、覚えたいことは、人に望みを置くべきではありません。人ははかない存在だからです。また人は変わりやすい者だからです。
 人は神に信頼するべきです。2つの理由をあげます。
 第一に、主は全能のお方だからです。おことばだけで天地万物を創造された全能のお方だから、頼ることができます。
 第二に、主はとこしえに真実なお方だからです。偽りや誤りが無く、約束されたことを守られるお方ですから頼ることができます。
 それでは主に望みを置く時にどうなるのでしょうか。
 第一に、個人的な助け主となってくださいます。第二に、恐れから解放してくださいます。第三に、弱き者を強め立たせてくださいます。
 私たちは何になるとか何を持つかといった事に執着し、そこに望みを置いてしまいがちです。しかし、それらは本当の意味で頼りになるものではないのです。真に頼るべきなのは神お一人だけです。このお方に信頼して、確かな人生を送るようにしましょう。

<聖書のことば>
幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
詩篇146:5

2018年5月13日日曜日

「母ユニケの信仰」

テモテへの手紙第二1章3~5節
2018年5月13日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 伝道者テモテに影響を与えた母ユニケの信仰から学びましょう。
 第一に、ユニケは純粋な信仰を持っていました。テモテの信仰は彼から始まったものではなく、祖母ロイスと母ユニケに宿ったものであり、彼女たちは心から主を信じて歩んでいました。
 第二に、ユニケはその信仰を子供へ継承しました。幼い頃からテモテは、ユニケたちからみことばを教えられていたでしょう。言葉によってだけでなく、彼女たちの態度や生き方を示すことで信仰とはどのようなものかを教えていたでしょう。親の信仰ほど、子供に大きな影響を与えるものはありません。
 誘惑の多い時代です。悪魔は強力に働いており、神様からクリスチャンたちを引き離そうとして来ます。ですから、私たちも本気でこの信仰を次の世代へ渡していかなければなりません。その為に、私たちの信仰が問われています。私たちもユニケの如く、信仰を継承していきましょう。

<聖書のことば>
私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。
テモテへの手紙第二1:5

2018年5月6日日曜日

「キリストの恵みがともにあるように」

ピリピ人への手紙4章23節(最終回)
2018年5月6日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは手紙の最後に、キリストの恵みがあなたがたの霊とともにあるようにと祈りました。ここから、二つのことを学びましょう。
 第一に、キリストの恵みをいつも覚えて歩みましょう。この祈りはピリピ教会の上に主の恵みがあるようにと祈っていると同時に、彼らがいつも神の恵みを覚えて歩めるようにという祈りでもありました。そうした時にこそ、互いに一致し、喜びと平安をいただくことができます。
 第二に、遣わされた場所で、私たちもこの祈りをしましょう。私たち自身が主の恵みを覚えて歩むことが大切ですが、それだけではなく、今遣わされている場所で、周りの方々が主の恵みを知り、救われるように祈る必要があるのです。
 とかく目の前の状況だけに目を留めてしまいがちな私たちです。その結果、呟きや不満の言葉を発してしまいがちではないでしょうか。あらためて、キリストの恵みに目を留めましょう。そしてパウロのように困難の中でも喜びに満たされ、それを分け与える歩みをしましょう。

<聖書のことば>
どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。
ピリピ人への手紙4章23節

2018年4月29日日曜日

「よろしく伝えてください」

ピリピ人への手紙4章21~22節
2018年4月29日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 手紙の最後の挨拶部分から学びます。挨拶を通して彼が伝えたかったことは何だったのでしょうか。
 第一に、皆から覚えられていることです。私と一緒にいる兄たち、聖徒たち全員、カイザル家に属する人々と、多くの者がピリピ教会の兄姉を覚えていることを伝えて、彼らを励まそうとしました。
 第二に、ひとりひとりが覚えられていることです。全体としてではないのです。ひとりひとりが覚えられていました。主は私たちのことをまさにそのように覚えてくださっています。
 第三に、心に掛け、心配されていることです。「よろしくと言う」とは、ケアーすることです。主は私たちのことを常に心に掛けケアーしてくださっているのです。
 自分一人で歩んでいると思いがちな私たちですが、そうではありません。主が私たちを常に心にかけ心配してくださっています。その事実を覚え、また互いに声を掛け合うようにしましょう。

<聖書のことば>
キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。私といっしょにいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。   
ピリピ人への手紙4章21節

2018年4月22日日曜日

「神に栄光がとこしえにあるように」

ピリピ人への手紙4章20節
2018年4月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは手紙を書き終えるにあたり、神に御栄えがあるようにと祈りました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、全ての祝福の源は神にあると認めることです。パウロはピリピ教会の支援を喜び感謝していましたが、それら全ては主が与え導かれたものであると認めました。私たちも同様に、全ては主からいただいたものであると認めることが必要です。
 第二に、父なる神に栄光を帰すことです。人間が自分に栄光を帰すのではなく、神に栄光を帰すことを神は望んでおられます。そして私たちは皆、神の栄光のために生きるべきなのです。
 第三に、皆で心を一つとなりアーメンと唱えることです。アーメンとは「本当です」「真実です」という意味です。救われた者同志が心を一つにして主に対しアーメンと唱えることができることは本当に幸いなことなのです。
 私たちの信じる素晴らしい救い主に栄光を帰す生涯を送りましょう。

<聖書のことば>
どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
ピリピ人への手紙4章20節

2018年4月15日日曜日

「必要を満たされる主」

ピリピ人への手紙4章19節
2018年4月15日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはピリピ教会の支援を感謝し、また霊的祝福について語った後で、神が必要を満たされる方であると教えました。今日の箇所から3つの大切なことを学びましょう。
 第一に、神ご自身の栄光の富を求めることです。この世の富は争いの種となりますし、何よりも消えてなくなりやすいものです。しかし神の栄光の富は私たちを幸いな歩みへと導き、また永遠に持ち続けることができます。
 第二に、私の神に目を留めることです。神は全人類の神でありますが、同時に個人的な神でもあります。主は私の神と呼ぶことを許してくださっています。
 第三に、神が全ての必要を満たされると覚えることです。それは十字架を見れば明らかです。御子のいのちまで与えて下さった主は、必ず全ての必要を満たしてくださると言うことができるのです。
 神は個人的に私たちを見つめ養われます。導かれます。励まし強められます。新年度も、このお方に信頼して歩むように致しましょう。

<聖書のことば>
 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ人への手紙4章19節

2018年4月8日日曜日

「新しい地を前にして」

申命記6章1~13節
2018年4月8日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 新年度に入り、新たな環境に入られた方もおられると思います。新しい地を前にした時に、何が必要でしょうか。
 第一に、主を忘れないことです。彼らは潤った地で生活することになり、農作物を得ることなど生活に心を奪われ主を忘れる危険性がありました。私たちも同様の危険があります。常に主を認めて歩む必要があります。
 第二に、主に仕えることです。主の御心を知り、自分を低くして主に従って行くことです。そうでなければ、私たちは世のものに仕えることになってしまいます。
 第三に、主を恐れることです。人を恐れてしまいやすいですが、大切なのは主を恐れて歩むことです。そうしてこそ、人は正しい祝福の道を歩むことができるのです。
 私たちを取り巻く環境は変わるでしょう。でも、いかなる環境に入れられたとしても、いつも主を見上げて、この3つを覚えて歩みましょう。

<聖書のことば>
 あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。
申命記6章13節

2018年4月1日日曜日

「イースターにある平安」

ヨハネの福音書20章19~20節
2018年4月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は十字架にはりつけになり死なれました。その主が復活され弟子達の前に現れて言われたのです。「平安があなたがたにあるように。」復活の主を覚える時に平安が与えられます。その理由を学びましょう。
 第一に、復活の主が休ませてくださるからです。どんな重荷であっても、私たちは主のもとへ行き荷を降ろすことができます。生きておられる主が重荷を担ってくださるのです。
 第二に、復活の主が正しく導かれるからです。主は全知のお方であり、私たちが迷う時でも正しく導かれます。
 第三に、復活の主が死の解決を与えてくださるからです。どんなに強い人でもやがて死がやって来ます。死後に神のさばきが待っています。しかし復活の主を信じた人は主と共に死を通過し、天の御国に入れていただけるのです。
 復活の主を覚える時に、主の平安が与えられます。しっかりとよみがえられた主を覚えて、平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
ヨハネの福音書20章19節

2018年3月26日月曜日

「ゲッセマネ」

マタイの福音書26章36~46節
2018年3月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は捕えられる前に、ゲッセマネで父なる神に祈られました。この箇所から3つのことを学びましょう。
 第一に、主は試みにあい苦しまれたことです。知恵と力に満ちたあのイエス様がここで苦しみもだえられました。そしてこの後で十字架にかかり死なれたのです。主はそのように苦しみを経験されたので、私たちの苦しみをも理解することができます。また私たちも主の為に苦しむべきです。
 第二に、主は父なる神に心を注ぎ祈られたことです。取り繕うことなく、そのまま願いを申し出られました。
 第三に、主は父なる神のみこころを求め従われたことです。自分の願いよりも父なる神のみこころを行うことを願われたのです。
 私たちの祈りは誰の願いを求めるでしょうか。主はこのゲッセマネの祈りで勝利され、この後まっすぐに十字架に向けて進んで行かれました。私たちの歩みにもゲッセマネの祈りが必要なのです。

<聖書のことば>
 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
マタイの福音書26章39節

2018年3月18日日曜日

「幻をもって」

箴言29章18節
2018年3月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 神のみことば無しで歩むならば、混乱に至ります。それでは、みことばとみことばに基づいた幻に向かって歩むならば、どうなるのでしょうか。
 第一に、耐える力が与えられます。苦難が続く時に、私たちは弱くて耐える力がありません。しかし幻があると、それに耐える力が主から与えられるのです。
 第二に、勇気が与えられます。状況だけを見ていると気力が失せてしまい信仰が後退してしまいがちです。しかし、幻があるならば主から勇気が与えられ前進することができます。
 第三に、実現の祝福が与えられます。幻を持ち続けるためには信仰が必要です。神はその信仰に働いてくださり、実現の祝福を与えて下さいます。そして私たちはさらに主を崇めて前進することができるのです。
 幻をもって歩むことがとても大切です。新会堂についても、その他のことについても、幻をもって歩む者でありましょう。

<聖書のことば>
 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。
箴言29章18節

2018年3月11日日曜日

「主に献げるなら」

ピリピ人への手紙4章14~18節
2018年3月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 主のために献げるならどうなるのかについて学びましょう。
 第一に、主に用いていただくことができます。ピリピ教会の献金がパウロの働きを経済的に助け、また霊的に大いに励ましました。神に献げる時に、主は必ずそれを用いてくださいます。
 第二に、霊的祝福にあずかることができます。彼らは霊的に祝福されていたからパウロを支援できたのでしょう。そして献げることにより、主はさらに彼らに霊的祝福を与えられました。
 第三に、主に喜んでいただくことができます。献げものが香ばしいかおりであり、神が喜んでくださる供え物であると記されています。主に喜ばれることは、私たちの喜びとなります。
 献げると勿体ないと考える人は少なくありません。でも、本当に勿体ないのはその心が与えられていながら、献げない人です。与えられた人生を主のために献げて歩みましょう。

<聖書のことば>
 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
ピリピ人への手紙4章18節

2018年3月4日日曜日

「あらゆる境遇に対処する秘訣」

ピリピ人への手紙4章11~13節
2018年3月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは富むことにも貧しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていると言うことができました。その秘訣とはどのようなものだったのでしょうか。
 第一に、神が必要を備えてくださると覚えることです。彼は神が必要を満たしてくださると信じていたので思い煩いから開放されていました。
 第二に、神が常に共に歩んでくださると覚えることです。彼は神が常に彼と共に歩まれ、また神の愛が離れることはないと確信して歩んでいました。
 第三に、神が弱さの内に働き強めてくださると覚えることです。彼にも弱さがありましたが、その弱さの内に主が働かれると信じました。だからこそ、多くの迫害下にあっても乗り越えて歩むことができたのです。
 本当の豊かさは富によるのではありません。神への信頼によるのです。この秘訣をしっかりと自分のものとして生涯を歩みましょう。

<聖書のことば>
 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
ピリピ人への手紙4章12節

2018年2月25日日曜日

「失望しない」

ガラテヤ人への手紙6章8~9節
2018年2月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 証ししても福音を伝えても相手が救われないことがあります。そのような時に、私たちは落胆し失望してしまいやすい者ではないでしょうか。失望しないためにどうすれば良いのでしょうか。
 第一に、全能の神に目を留めることです。神は全能のお方であり、このお方に不可能なことはありません。そのお方の約束やこれまでなされた御業に目を留めることです。
 第二に、祈るのを決して止めないことです。神のみこころの時と方法がありますが、主は私たちの祈りを聞きたいし叶えたいと願っておられます。そこで必要なのは信仰によって祈り続けることです。
 第三に、機会を用いて善を行い続けることです。相手の状態がどうであれ、私たちは相手に対して善を行い続けること、証しやとりなしをし続けることが大事なのです。
 状況だけを見て失望しないようにしましょう。全能の神とその約束に目を留め、信じて祈り続ける者でありましょう。

<聖書のことば>
 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
ガラテヤ人への手紙6章9節

2018年2月18日日曜日

「主につく者」

出エジプト記32章19~26節
2018年2月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 モーセは金の子牛を造り拝んでいるイスラエルの民に言いました。「誰でも主につく者は私のところに。」
 第一に、立場を明確に決めることです。神の側か、サタンが支配するこの世の側につくのかを決めておくことです。そうでないと流されてしまいます。
 第二に、神の側へ出て来ることです。レビ人たちはモーセの声に従い、彼の前に出て来ました。私たちも心で決めたならば、一歩進み出すことが必要です。そうでなければ、何も変わりません。
 第三に、主に献げて歩むことです。心に決めて主の側に出たとしても、献げる心が無いならば、結局は中途半端な歩みになってしまうのです。
 主は今も私たち一人一人にチャレンジを与えられています。主につく者は誰なのか。そして出て来て献げるように。自分にとって居心地の良い場所にいるのではなく、一歩進みだしてさらに高嶺へと歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
 そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、主につく者は、私のところに」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。
出エジプト記32章26節

2018年2月11日日曜日

「遣わす祝福」

使徒の働き13章2~3節
2018年2月11日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 バルナバとサウロが福音を宣べ伝えに出て行くように、教会から遣わされたことがわかります。ここから、2つのことを学びましょう。
 第一に、私たち一人一人も教会から遣わされています。場所は職場や学校、地域、家庭です。宣教師や牧師、伝道者だけが宣教の働きをするのではなく、私たちそれぞれに割り当てられた宣教地があり、教会から遣わされていることを覚える必要があります。
 第二に、教会には遣わす祝福が与えられていることです。バルナバとサウロが遣わされたので福音が広まって行きました。『遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。』とある通りです。教会は宣教師を遣わすことができるように真剣に祈り求めることが必要なのです。
 本日は宣教カンファレンスです。世界中では多くの魂が滅びへと向かっています。だからこそ、私たちは横浜教会から自分自身と、そして宣教師を遣わすことができるように祈り求めていきましょう。

<聖書のことば>
 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
使徒の働き13章2~3節

2018年2月4日日曜日

「信仰約束献金に参加する」

コリントへの手紙第二9章5節
2018年2月4日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は教会に対し、また私たち一人一人に対して、宣教の使命を与えられました。それゆえ私たちは宣教の為の信仰約束献金を献げています。
 第一に、これは聖書に教えられている献金方法です。福音宣教の働きの為に計画的にあらかじめ取り分けて献げます。そうしてこそ、宣教の働きを安定して進めて行くことができます。
 第二に、幾ら献げるかを各自が祈り神と約束して献げます。この献金は強制ではありません。それぞれがよく祈り、主から示された額を主との個人的な約束の内にお献げします。
 第三に、信仰によって献げます。主がこの献金を大いに用いてくださり、また必要を備えてくださると信じて献げます。
 18日の礼拝時に、更新用紙を無記名で提出していただきます。強制ではありませんが、私は牧師として、全ての教会員がこの恵みの業にあずかってくださるなら素晴らしいなと考えています。主の大命令に従って、宣教の働きの為に献げる者となりましょう。

<聖書のことば>
 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。  
コリントへの手紙第二9章5節

2018年1月28日日曜日

「献げる祝福」

ピリピ人への手紙4章10節
2018年1月28日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 パウロはここでピリピ教会の献げもの、恐らく献金について取り上げます。私たちも主への献げものについて教えをいただきましよう。
 第一に、献金は神への献身の表れということです。私たちのためにご自身の全てを献げてくださった主に感謝して献げていく。その献身の一つが献金です。
 第二に、喜んで献げる者を主は祝福してくださるということです。私たちはご利益が欲しくて献げるのではありませんが、主は献げる者を覚えておられて報いてくださるのです。
 第三に、機会を用いて献げて行くことです。ピリピ教会はパウロが投獄されたのを機会に、再び彼を支援しました。私たちも与えられる機会を用いて献げることが大切なのです。
 来月から宣教月間です。これは素晴らしい機会です。主は教会に、私たちクリスチャンに、宣教の使命を与えられました。私たちは滅びゆく魂のために喜んで自発的に献げていきましよう。

<聖書のことば>
 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
ピリピ人への手紙4章10節

2018年1月21日日曜日

「心に留め実行すべきこと」

ピリピ人への手紙4章8~9節
2018年1月21日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 パウロは続けて、ピリピ教会の兄姉に2つのなすべきことを語りました。
 第一に、全ての良いことに目を留めることです。これは世における何であってもということではありません。その基準となるのは、聖書のみことばです。その上で、正しいものに心を留めて歩むことです。
 第二に、主から聞いたことを実行することです。学び、受け、聞き、見たことを、それだけで終わらせてはいけません。聞くだけでは何も変わりません。実行してこそ、変えられていくことができます。
 これらのことをする時に、平和の神が共にいてくださいます。その人の内に神の平安があり、また平和の神を証しすることができるのです。周りの方は私たちに注目しています。
 聞くだけで実行しないなら霊的な成長はありませんし、証しを立てることもできません。今年、それぞれに示されていることを実行するようにしましょう。そして大きく成長する一年としていただきましょう。

<聖書のことば>
 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
ピリピ人への手紙4章9節

2018年1月14日日曜日

「思い煩いからの解放」

ピリピ人への手紙4章6~7節
2018年1月14日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 私たちは心配しやすいものだと思います。どうすれば、思い煩いから解放されることができるのでしょうか。
 第一に、神の約束の真実を信じることです。神は私たちに祝福を約束してくださっています。その約束が真実であると信じることです。
 第二に、神に祈ることです。祈る上で3つの大切なことが記されています。
 一つはあらゆる場合に祈ることです。私たちは祈る時を限定してしまいがちです。
 二つ目に、感謝をもって祈ることです。感謝のない祈りは力の無い祈りとなってしまいます。
 三つ目に、願い事を神に知っていただくことです。神は私たちの口から願いを聞きたいと願っておられます。
 これらの結果、神は平安を与えてくださいます。神が心配や恐れから私たちの心を守ってくださるのです。
 私たちは思い煩いの虜になってはいないでしょうか。このみことばをしっかりと心に留めて、どんな時も主に心を注ぎ出して祈りつつ歩むようにしましょう。

<聖書のことば>
 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
ピリピ人への手紙4章6節

2018年1月7日日曜日

「神の前での歩み」

詩篇95篇1~11節
2018年1月7日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 新年が始まりました。私たちは今年、神の前でどのような歩みをするならば、神様から祝福をいただけるでしょうか。
 第一に、神をほめたたえつつ歩むことです。私たちはそれだけの素晴らしい救いという恵みを受けているからです。周りの方々にわかるように、神をほめたたえつつ歩みましょう。
 第二に、神への礼拝を中心にして歩むことです。生活の中心に礼拝を置くことです。そうしてこそ、神の祝福があります。他のものを中心に置いてはいけません。
 第三に、神の御声に今日従って行くことです。羊は羊飼いの声に素直に従えば従う程に安全ですし良いものを受けることができます。私たちも羊飼いなる主の御声を聞き、素直に今日従って行くことが大事なのです。
 私たちは神の前をどのように歩んでいるでしょうか。自分の思いや昨年の経験に頼るならば失敗するでしょう。そうではなくて、今日学んだことを心にとめるようにしましょう。御声を聞いたら素直に今日従って前進するようにしましょう。

<聖書のことば>
 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
詩篇95篇2節